第23話 燈涼し

 私は、なにかの病にでも侵されているのだろうか。

 あの日以来、紫哭様の姿が頭に住み着いて離れてくれない。若旦那様との宴も近いというのに・・・。紫哭様は、私のことをどう思っているのだろうか。接吻するということはやっぱり。その、あのつまりは。


「よかった~火傷の跡もすっかり治りましたよ」

「ありがとうございます」

「いえいえ。このくらい・・・あら、八千様。少し顔が赤いようですが?」

「えっそうですか?」

「まさ熱でもあるんじゃ」

「・・・そういえば、先日からぼうっとして熱い気が。夏風邪かしら」


 お梅さんは汚れた包帯を横に置くと、私の額に手を当てた。 


「この胸の下あたりも痛むことがあって・・・。食欲も、あまりないんです。なんだかいつもと違う気がして」


 紫哭様のことを思い出すと。胃の下の辺りがぎゅっと握られているように痛みだす。身体も微熱を持っているように熱い・・・。

 私の言葉にお梅さんはニヤニヤと笑い出した。


「まぁ八千様ったら。・・・それは恋ですよ、恋!」

「えっ・・・恋?」

「恋煩いですね。ぬふふ。もうじき宴ですものねぇ~梅も楽しみにしております」


 お梅さんは顔を緩ませながら、嬉しそうに部屋から出て行った。その素っ頓狂な回答に私は首をかしげた。


「こい・・・?」


 恋とはなに?私が紫哭様に恋をしているの?・・・そ、そんなの、駄目に決まっているじゃない!。私には若旦那様が、『契り』を果たさなければいけないのに。

 でも・・・。


 また紫哭様のことを思い出すと胸の下がきゅっと痛んだ。




□□□


 宴を数日後に控えた屋敷は、徐々に準備に追われ始めていた。それに加えて、今日から夏祭りもあるらしく、忙しさに輪をかけていた。若旦那様も今日は客人と屋台船で食事だと言っていた。

 今日は花火が上がると、女中さんたちの声が弾んでいた。夕方頃までに仕事を終わらせ、殆どの者が祭りへと出かけて行った。 


「こんなところにいたの」

「ふっ蕗子様。なにかご用でしょうか」


 縁側で花火が上がるのを待っていると、蕗子様は屋敷の奥からやってきた。慌てて立ち上がろうとすると、蕗子様は私より素早く隣に腰を下ろした。

 風鈴の音が、重たい風に押されて涼を奏でている。

 袂から火傷に使っていた塗り薬をさっと出した。


「もうじきなくなるでしょう。傷は治りかけが肝心なんだから、塗っておきなさい」

「あ、ありがとうございます・・・」

「嫁に傷なんてあったら蒼蜀が可哀想」

「そう、ですね」

「これこれ、そう八千殿をいじめるでないヒック」


 酷く酔っぱらった様子で吉右衛門様が庭先に出てきた。千鳥足でふらふらとしている。


「また、そんなにお飲みになって!」

「今日は祭りだからな~それに、いい酒が入ったんだ。おい!紫哭、お前もこっちに来い!ヒック……飲み直すぞ」

「そんなんじゃ、もう飲めねぇーだろ。俺は帰るぞ」


 吉右衛門様が大きく手を上下に振ると、眉間に皺を寄せながら紫哭様が現れた。

 その姿に、治まりかけていた胸の鼓動が早まっていく。


「あら、紫哭さん。いらしてたのね」

「ジジィに呼ばれたんだよ。なにかと思って来てみれば酒に付き合わされた」

「うんまい、酒だっただろうぉ~。まぁったくヒクッ、蒼蜀は下戸だからつまらん。ほれ、紫哭・・・と、もう空だな。おーい!酒を持ってこい!」


 吉右衛門様が女中を呼びつけたが返事がなく、千鳥足で台所の方へ向かった。


「お前は見に行かないのか?」

「えっ・・・えと」

「花火だよ。屋敷の女中たちは見に行ってるんだろう」

「わ、私はその、人の多いところにあまり慣れていませんし。それに、若旦那様も帰りが遅いようなので・・・」


 そのとき、ヒュルルと聞き慣れない音が響き渡ると、ドンッと空気を揺さぶるような振動と共に大輪の花が夜空を飾った。


「うわぁ・・・きれい」

「あら、もう花火が始まる時間なのね」


 暗闇にドンッ、ドンッと花火が打ち上げられていく。屋敷の中からも花火が上がる度、感嘆が漏れてくる。


「今頃、私が作った髪飾りを付けてお祭りを楽しんでいるでしょうか」

「・・・あぁ。そうかもな」

「良かった」


 それを想像すると嬉しくなる。紫哭様の横顔に花火の色が映っている。


「あら、吉右衛門様?どうしましたか、そんなところで突っ立って・・・?」


 扇子を片手に仰いでいる蕗子様が、戻って来た吉右衛門様に声を掛けた。振り返ると、酒とお猪口を片手に立ち尽くしている。その後ろに、花火の残像がパチパチと音を立てて消えていく。吉右衛門様の顔をわずかに映し出した。頬には涙が流れている。


「吉右衛門様?」


 蕗子様は縁側に下りていった。涙を流していたことに気付かなかったのか、吉右衛門様は蕗子様に名前を呼ばれようやく袖で頬を拭った。


「いやいや、年を取ると涙もろくていかんな・・・」


 ずるっと鼻をすすった。蕗子様の手を借りながらお猪口を縁側に並べ。目を赤くしながら、鼻歌を歌いだす吉右衛門様。きっと酔っているんだわ。


「ほれ、紫哭」

「ったく・・・」


 紫哭様は渋々とお猪口を受け取ると、吉右衛門様は自分の分の酒を一気に飲んだ。


「八千殿は花火を見るのは初めてか?」

「いえ、故郷の山からも見ていました。でも、こんなに近くで見るのは初めてです。とっても綺麗で驚きました」

「そうか、そうか。縁日はもっと楽しいぞ。はて、蒼蜀は?」

「蒼蜀は青柳様と食事ですよ」

「なんだ留守なのか・・・。そうだ紫哭!八千殿を縁日に連れてってくれんか」

「はぁ?なんで俺が・・・ここからでも見れるだろ」

「ここでは退屈だろう。せっかくのお祭りなのに。頼むよ紫哭、なぁ?」


 紫哭様は注がれた酒から視線を上げた。見つめられる視線。

 パッと夜空が光ると、少しだけ遅れてバンッと空気を揺らした――。 

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