第9話 陽炎
蕗子様にも了承を得て、夏までの間、紫哭様のお店の手伝いをすることになった。余りいい顔はされなかったけど、若旦那様と紫哭様が言うならと、渋々首を縦にしてくれた。
紫哭様の店は壷玖螺の呉服店に隣接していた。できた髪飾りを、夏祭りに娘さんたちがつける姿。それを想像するだけで胸が弾んだ。
「もうこんな時間か・・・今日のところはこれくらいにしとくか」
紫哭様は共に作業していた職人たちに声を掛けた、職人たちは後片付けをし、作業場から出て行った。私も片付けを済ませ、隣の店にいる若旦那様のところへ向かおうとした。
壷玖螺の屋敷とまではいかないが、紫哭様の屋敷もとても広かった。一人で暮らすには、侘しい気がする。玄関へ向かう途中、客間にある欄間に目が留まった。
「あの欄間・・・」
やっぱり・・・。
それは壷玖螺の屋敷にもある、鶴物語の欄間と同じだった。
「なんだ、まだ帰ってなかったのか」
「すみません。勝手に客間に入って・・・。欄間が気になって」
「ん?あれなら本家の方にもあるだろう」
「はい。同じものだったので」
「ジジィが家宝だとか言って、この家にも作ったらしい。俺も聞いた話だからよくわからねぇがな・・・」
「紫哭様のご両親は、幼い頃に亡くなられたと若旦那様から聞きました・・・」
『妖に殺された』と続けようとしたのに、言葉がつまってしまった。
そんな目にあったら、妖を良くは思っていないに違いない。・・・あのクスノキで見かけた青年は紫哭様に酷似していると思ったけど。やっぱり人違いよね。
「蒼蜀のことだ、妖に殺されたとでも言っていたんだろう」
口の中に砂利を含んでいるような、後味の悪さが広がった。
「俺はそうは思ってない」
「えっ・・・なぜですか」
「死んだのは俺が乳飲み子のときだ。現場を見た物は誰もいねぇ」
漆黒の着物と赤い総の耳飾り。その耳飾りは流行りものなのだろうか。・・・もし、クスノキで会った青年が紫哭様なら――。
「そんなに幼いときに?」
「・・・人は不可解なことがあると、妖のせいにしたがる」
「若旦那様は妖が苦手なようですね」
町の寺から、夕刻を知らせる鐘の音が聞こえてきた。
「蒼蜀は良い奴だ。気にすることはねぇ」
私の頭にふわりと紫哭様の手が乗った。折り鶴を触れたときのように優しくて温かな手だった。
紫哭様は廊下で立ち止まると、薄紫色に変わっていく夕空を見ていた。烏が数羽山の方へ飛んでいく。
クスノキで出会った青年にもう一度、会いたいと思っていた。なぜ危険を顧みず、妖を下ろしてくれたのか。そして、聞いてみたかった。妖と人は一生を添い遂げることができるか――。
「あの・・・」
声が震えた。
太陽が山の向こう側へと沈み、辺りは青白くなっていた。
「昔、クスノキで妖が吊るされているのを見ました。そのとき・・・」
暗がりの中で紫哭様と視線が重なった。鼓動が早まっていく。気がつくと、鐘の音は止っていた。
「そのとき・・・紫哭様に、似た方を見た気がします」
紫哭様の瞳の奥が、微かに揺れたようだった。
霞が掛かる青白い光は、夢の中にいるような錯覚を起こさせた。浮遊しているように、私の心は次の言葉を確信していた。
「・・・さぁ。知らねぇな」
紫哭様はそう告げると、仕事部屋がある方へ戻って行った。
人違い・・・?。
小さな山が輪郭を滲ませ視界に入った。紫哭様の気配が消えても、胸の中のざわつきは収まらなかった。
それは、夜になっても眠りが浅く、朝を迎えても昨夜の続きを引きずっていた――。
□□□
「昨日はどうでしたか?途中で様子を見に行こうと思ったんですが、店が忙しくて抜け出せなくて・・・」
「色々と学びの多い一日でした」
「その様子だと楽しんでいただけたようで良かったです。今日はお休みですよね?」
「はい。次は三日後の予定です」
「あ、そうだ。もしかしたら、今日も帰りが遅くなりそうなんです・・・。夕飯は先に済ませてくださいね」
「・・・はい」
若旦那様をお見送りし、自部屋に戻ると朝食の器が畳の上に置いたままになっていた。それを洗い場へ届けようと向かった。その途中の渡り廊下で雪華さんを見かけた。
また、声を掛けられたら面倒・・・。
一旦引き返し、鉢合わせしないように廊下で待つことにした。空を仰ぐと白い雲を眺めていると、ふぅと小さく息が零れた。
若旦那様は今日もお帰りが遅いのね。あの日、以来私に触れようとはして下さらない・・・。
雪華さんは銀髪をなびかせながら、北側の部屋へ歩いて行く。
あっちの部屋は、確かお梅さんに行くなと忠告された部屋・・・。
気になりながらも、私は洗い場へと向かった。洗い場に近づくと、女中さんたちの明るい会話が廊下まで漏れていた。
「それにしても雪華さんも都合がいいんだから」
「調子がいいときは働く~なんて言って悪いときの方が多いじゃないか」
「ここに住まわせてもらってる手前、女中として働いてることにしときたいんだろう。あんな病弱じゃどこも雇ってくれないよ」
洗い場では、忙しなく女中の人たちが働いていた。声を掛けようとしたが、勢いのある会話に中々入れない。
「若旦那様にご贔屓にされてなきゃ、ここでだってお払い箱さ」
「雪華を邪険にしたら、下手したらこっちが追い出されちまうもんね」
「本当ほん・・・ちょっちょとアンタっ!」
「ん?・・・ああっっ!八千様っ!!ど、どうされたんですか!?こんなところで」
後ろにいた私に気がつくと、賑やかだった女中さんたち会話が止まった。その顔が見る見る青ざめていく。慌てて濡れた手を拭き、私に駆け寄ってきた。
「これを、部屋に忘れてあったので届けに来ました」
「そんなっ・・・こ、これくらいお呼び下されば取に伺いますのに」
ばつが悪いのは明白だった。女中さんは怯えたように私から器を受け取ると、いつもより引きつった笑顔をこちらに向けた。
「今のお話・・・若旦那様に贔屓ってどういうことでしょうか」
「いっいやぁ~その・・・だからですね。ねぇ?アンタ!」
「えっ!?わっ私はなにも知りませんよ」
「雪華は身体が弱いので、若旦那様のご厚意で、ここに置いて貰えてるってことですよ!!」
「そっそうです!そうなんです。若旦那様はお優しいですからね」
一人の女中さんが、膝で合図をしていた。その額からはじんわりと汗が滲んでいる。必要以上に大きな相槌を打つと、なにか思い出したかのように目を見開き話を始めた。
「ほっほら!一年ほど前に医者にも匙を投げられたってくらい酷い病でね」
「あのときは荷造りまでして出て行くってなったんですよ。・・・でも~半年前だっけ?急に元気になったとかで戻って来たんです」
「本当に運が良いよねぇ~雪華さんは。若旦那様のお情けもあって今に至るんです」
笑いが飛び交う洗い場に、居心地の悪さにいたたまれなくなり後にした。
部屋に戻る途中、渡り廊下にてぬぐいが落ちていた。来るときには落ちていなかったのに。薄墨桜の花模様のてぬぐいだった。
誰かの落とし物だろうか?拾い上げると「雪華」と名前が縫われている。
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