第7話 薫風

 桜の木に青々とした新芽が息吹き出していた。

 その日の朝食、盆の上に朝顔の形に折られた和紙に目が留まった。私が興味を示すと、すぐにお梅さんが和紙で朝顔を折ってくれた。


「ここは、こうして。少し爪の先と使うと綺麗に折れますよ」

「うわぁすごい!」

「他にも風船葛や鶴なども出来ますがやってみますか?」

「鶴ですか?ぜひ教えて下さい」


 お梅さんは皺の着いた目尻を下げた。

 手元で鶴の形になっていく和紙に胸が躍った。でも鶴の折り方は複雑でとても難しい。綺麗に和紙を合わせるたつもりなのに、仕上がりを見ると少しずれてたりもする。

 それでも昨日まで時間が過ぎるのを、ただ待っていたのが、今日はあっという間に過ぎていく。

 玄関の引き戸が開く音が聞こえた。

 

「ただいま戻りました」

「あら、若旦那様の声だわ」


 お出迎えをしようと立ち上がると、お梅さんは私に折ったばかりの鶴を持たせた。

 若旦那様にお見せするときっと喜ぶ、と言ってくれた。玄関に向かうと、廊下に若旦那様の姿があった。 


「やぁ八千さん」

「若旦那様。今日はお早いお帰りですね」

「ようやく仕事も一段落したところです。といってもまた次の仕事が。今から紫哭と話を・・・あっ忘れるところだった」


 若旦那様は手で頭をかきながら、半歩下がった。そこには紫哭様の姿があった。

 以前お会いしたときと同じ、深い黒色の着物に、耳に赤い総飾りをつけている。


「紫哭、改めて紹介するよ。こちらが八千さん」

「は、初めまして。八千にございます」


 頭を下げると、紫哭様は刺すような眼光で私を見ている。

 相変わらず無表情でなにを考えているのかわからない方・・・。


「・・・あぁ、この女だろう。あの助平爺が惚れたっていう」

「すけべじじい?」

「うわああっ!!!ちょ、ちょっと紫哭!そんな言い方八千さんの前でしないで」

「事実だろう。助平爺じゃなくて色惚け爺だったか」

「だっだから!直すのはそこじゃない!!」


 いつもは穏やかな若旦那様が、一段と焦りの色を見せたのが意外だった。紫哭様の発言にも驚きはしたけれど・・・。容姿はどことなく似ているけど、中身は似ていなさそう?

 すると、紫哭様が私の持っていた折り鶴に視線を落とした。


「それはなんだ」

「これは折り鶴にございます。女中さんに折り方を聞いて作りました」

「折り鶴ですか。懐かしいな。八千さんが折られたんですか?」

「時間を持て余していたので・・・他に朝顔なども教えてもらいましたよ」

「すごい。僕よりよっぽど上手だ」

「あっ・・・」


 若旦那様に折り鶴を見て貰っていると、横から伸びてきた。紫哭様が折り鶴を連れ去ってしまった。


「お前はろくに折れねぇからな」

「否定できないのが悔しいよ」


 紫哭様は、折り鶴を凝視した。

 せっかく折れたの、もし壊されでもしたら・・・。

 けれど私の心配とは裏腹に、その指先はとても優しく繊細なものだった。上や下、斜めからの角度で丁寧に折り鶴を確認している。

 その真剣な眼差しに、胸の奥底に波紋が広がっていくようだった。


「・・・確かに綺麗だな。店の連中より良い出来だ」

「うん?紫哭が褒めるなんて珍しい」

「お前、暇なのか?」

「えっ・・・」

「さっき時間を余してるとか言ってただろう」

「は、はい」


 袖口に両手を通しながら、なにやら考えている様子だった。私が首をかしげると、少しだけ口角を上げたような気がした。


「うちで働くか?」

「えっ・・・?」

「ちょっと待ってよ紫哭。八千さんは」

「いいじゃねぇか。どうせ暇なんだろう?」

「働くと言っても・・・私にできるようなこと」

「丁度、夏祭りに向けて飾りを作ってる最中でな。他にどんな飾りにしようか迷ってたが、こういうのも洒落てて良さそうだ」


 紫哭様は手に納まる折り鶴へと視線をくべてから、私を見て軽く頷いた。


「どうだ、やってみるか?」

「は、はい!やってみたいです。あっ・・・でも」


 先走ってしまった言葉を慌てて止めた。隣にいる若旦那様を見ると、なにか言いかけていたのか、口を開けたままだった。視線が重なると、いつもの若旦那様に戻り優しく目を細めた。


「八千さんがやってみたいなら、僕は良いと思うよ」

「ありがとうございます」


 私は頭を下げた。梅雨に向かうこの時期、屋敷に籠りどこか陰鬱としていた気持ちを、五月晴れの下へと連れ出してるようだった。

 しばらくして、若旦那様と紫哭様は一緒に夕食を取ると外へ出て行った。


「また雨か・・・さっきは晴れていたのに。お梅さーん。傘をお願いします」

「はいはい、ただいまお持ちします」


 若旦那様はお梅さんから傘を受け取った。門扉までお見送りすると、若旦那様は一度振り返り手を振ってくれた。

 そういえば、ここへ来た日も雨が降っていた。

 霧の中、小さくなる背中を見つめながらお二人がお屋敷の角を曲がったとき、傘越しにこちらへ視線を向けた紫哭様と目が合った。

 先ほど、胸に広がった波紋がまた大きく広がっていく。赤い総の耳飾りが揺れている。

あの飾りどこかで・・・。


 ――そのとき、あの光景が蘇ってきた。今でも忘れることはない。あのクスノキでの惨劇。あの青年の姿を・・・。


「あっ・・・」


 風が吹き、持っていた折り鶴が水たまりに落ちてしまった。すぐに拾い上げたが、美しかった和紙の羽が濁っていく。指で払うが、茶色く染みついたシミは取れなかった。


 再び曲がり角を見た。けれど、雨の向こう側にはもう人の姿はなかった――。

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