第4話 輝煌


「キャッ!」


 廊下の角を曲がろうとしたところで、足がもつれ転んでしまった。

 床に全身を打ち付け、痛みが広がっていく。じんじんとする足を着物越しにさすった。ずん、と身体に重みが圧し掛かってくる。


 情けない・・・。


―――人と妖は違う生き物ですから。

―――蒼蜀には絶対言ってはならん!


 お母様。私は、本当にこのまま・・・。


「おい、どうした」

 

 顔を上げると、思わず声が出そうになった。そこには、町で会った紫哭様という方が立っていた。


「こ、転んでしまって・・・」


 紫哭様が転んでいる私に手を差し伸べた。大きくて、指の長い手。触れていいのか、迷っていると更に手を近づけてくる。

 触れた紫哭様の指先。私の冷え切っている手に、じんわりと熱が伝わってきた。ぐっと手を引き上げられると、簡単に立つことができた。


「あ、ありがとうございます」

「・・・」


 返事がなかった。もう一度、礼を述べ笑ってみるが、やっぱり反応はない。紫哭様は眉間に皺を寄せ、私を見下ろしている。

 なにか気に障るようなこと・・・あ、そうだわ。自己紹介がまだ・・・。


「こっこの度、若旦那様に嫁ぎにきました、八千と申します。ご挨拶が遅れ申し訳ありません」

「知ってる。・・・雨の日は躓きやすいから気をつけろ」

「は、はい」


 抑揚のない口調は冷たさを感じるものの、不思議と温かみを帯びていた。若旦那様の従兄という話だけど、どことなく似ている。

 ふと視線に引き寄せられ、紫哭様の方へ顔を向けた。紫哭様の手が私の頭に伸びてくる。


「あの」

「っ・・・悪い」


 サッと紫哭様は手を引っ込めた。一度は外に向かった視線が、またこちらに向けられた。


「あっもしかして髪飾りですか?」

「・・・」

「若旦那様に初めてお会いしたときに、いただいたものです。とても嬉しくて。今日お会いするときにも、付けていたんです」

「蒼蜀から?」

「はい。手作りのようで・・・。若旦那様はお忘れでしたけど。それでも私にとっては大切な物です」


 ――そう、あの日・・・。初めて人からの温もりを感じた日。


「フッそうか・・・。律儀な奴だな。餓鬼の頃に作ったモンなんざ、大した出来じゃねぇだろうに」

「そ、そんな。私は気に入っているから」

「呉服屋に嫁いだ女がそんなの付けてたら、いい笑いものだぜ」


 そういえば、さっき若旦那様も少し困ったように笑っていた・・・。てっきり思い出せないことを、自傷されているのかと思ったけど。本当はそういう意味だったの?


「ンな深く考えるな。あ、そうだ」


 紫哭様の髪の隙間から、耳に付けている赤い総飾りが見えた。なぜか、見覚えがある――。


「ほら、手出せ」

「・・・?」


 袂からなにやら取り出した。私は言われた通りに、両手を前に広げると、白い和紙で包まれた袋を渡された。湿気を含んだ和紙は柔らかく、軽く広げてみると砂糖菓子が入っていた。


「わぁっ」


 以前、屋敷に来たときに食べたことがある。とても甘くて優しい味のするお菓子。礼を告げようとすると、紫哭様は既に背を向けていた。

 ・・・不思議な人。

 黄色や桜色、水色の砂糖菓子が手の中でキラキラとしてた。一粒とり口に含むと、甘くて優しい味が広がっていく。


「ふふ、美味しい」


□□□


 その日の夜は、若旦那様の部屋で一緒に夕食を取った。


「えっ紫哭に会ったんですか?」

「はい。ご挨拶を」

「そうですか。紫哭は従兄にあたります。年は同じなんですが、昔から世話になっていて、僕の兄のような存在です」

「お兄さん?それはとても親しい間柄なんですね」

「はい。だからもっと、ちゃんとした場で紹介したかったな」

「で、でも挨拶と言いましても、通りすがりに交わしただけですので・・・その、また若旦那様がお暇なときに、ぜひお願いします」


 若旦那様はかぼちゃの煮つけを頬張ると、目を細めて微笑んでいた。川魚のヤマメの塩焼きや白和えはどれも若旦那様の好物だと、夕食を運んできた女中さんが教えてくれた。


「紫哭様もお店で一緒に働いてみえるのですか?」

「はい。ときどきは。紫哭は昔から手先が器用でね、数年前に店を構えて、着物小物を売っているんです。、これがまた大繁盛!父も大喜び」

「それはすごいですね。伯父様だけでなく、吉右衛門様もさぞ鼻が高いですね」

「あ、父というのは私の父で・・・。その、紫哭の両親は幼い頃に、亡くなっているんです――」

「・・・亡くなられたんですか?すみません。知らずに。ご病気でしょうか」


 若旦那様の食事の手が止まっていた。

 昼間の小雨は徐々に強さを増しているように雨音を立てている。


「妖に殺されたんです」


 言葉が胸に突き刺さり、手から箸が滑り落ちた。


「紫哭は違うと言いますが、僕は今でもそうだと思っています。・・・そうでなければ、あんなところで事故なんて起こるわけがないっ」


 風雨が屋根を叩きつける。ばたばたと廊下を走る気配がすると、女中たちが慌てて雨戸を閉め始めた。


「あっすみません!こんな話・・・。八千さんが来て下さった日に、するような話ではないのに。すみません。忘れてください」


 食事を再開する若旦那様に、私もすぐに箸を持ち直した。

 胸に詰まる塊を汁物で流した。数秒前まで美味しいと思っていたのに・・・味がわからない。

 昼間に紫哭様からいただいた砂糖菓子。その甘みが舌の上に蘇ってきた。溶けだした甘さが、身体に広がったせいで、胸の締め付けが強くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る