十一章 春を待つ窓辺

車のハンドルを握りながら、紘一はふと、ある冬の日の記憶に引き戻されていた。

それは、美幸が高校三年生だった頃——卒業アルバムの撮影があった日。

「今日、学校でアルバムの写真撮ったんだけどさ」

塾に入ってきた美幸は、どこか不満げに呟いた。

「みんなメイクばっちりで来てて……すっぴんだったの、私を含めて数人だけ」

「それ、美幸らしくていいじゃない」

「ううん、ちょっとだけ後悔している。せっかくだし、少しは可愛く写りたかったなって」

そう言って笑った顔が、今も胸に残っている。

外はまだ寒さの残る季節だったのに、彼女の笑顔だけは春のように柔らかかった。

もうひとつ、忘れられないやり取りがある。

受験勉強の合間、ふたりで問題集に向かっていたとき——。

ふと鉛筆を止めて、美幸が言った。

「私、大学行ったら彼氏できるかな?」

不意を突かれ、紘一は思わず顔を上げる。

「どうだろうね。できるんじゃない?」

美幸はいたずらっぽく笑いながら続けた。

「もしできたら、先生に紹介するね」

その言葉に、紘一は返す言葉を失った。

胸の奥が小さく震える。

——紹介。

その響きには、どこか遠くに行ってしまう予感が宿っていた。

あの頃の美幸は、未来を夢見ていた。

そして今、その未来のどこにも、自分はいない。

車窓の外では、春の風が街路樹を揺らしている。

その揺れが、紘一の胸の奥に静かな波紋を広げていた。

——さよならの準備は、もう始まっていた。

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