第13話「沈黙の挑発者」

(落ち着け……冷静に)


2階席の裏手。静まり返った廊下に、ライラとふたりで身を潜めながら、レイは無意識に呼吸を整えていた。


胸の奥に、冷えた怒りがじわじわと溜まっていく。目にしたのは、子供たちが“商品”として無表情に並べられる光景――。


――まるで家畜だ。いや、それ以下かもしれない。


レイの感情が揺れている。 そんなときだった。


「……第2王子。そんなところに隠れていては、品位が疑われますよ?」


低く静かな声が、背後の闇から這い出てきた。


レイがすぐに振り返ると、廊下の奥に、音もなく佇む人影があった。


黒髪を一つに結った長髪。淡々とした顔立ちは、感情という概念を知らぬかのように無機質だ。虚ろな目は、まるで命の光を拒むように深く沈んでいた。


「……誰だ」


レイの問いに、男はわずかに顎を動かし、名を告げた。


「ルシア。“品”の管理を任されています」


その声には、殺気も敵意もない。だが、だからこそ不気味だった。


金の刺繍が縁取る黒の外套。杖すら持たぬその姿は、静かで、ただ異様に“揺るがなかった”。


空気が、重くなる。そこに立っているだけで、圧がある。


「“品”に興味でもおありですか?

それとも……我が主の邪魔をしに来られたのでしょうか」


ライラが一歩、前に出ようとした瞬間。

レイはすっと手を伸ばし、彼女を制した。


びり、と空気が震える。

肌を刺すような魔力が、ライラから滲み出しているのが分かる。


――いや、違う。これは、“抑えようとしても漏れている”。

あのときもそうだった。エミルの屋敷で、杖もなく放たれた強大な魔法――。


「ライラ嬢、まだだ。落ち着いて」


「……大丈夫です」


冷たい声。つい先ほどまで笑っていた少女の面影が、まるで幻だったかのように遠い。

  

レイは静かに視線を敵――ルシアへと戻す。


その男は、やはり動かない。まるで最初からすべてを見透かしていたかのように、口元だけで淡く笑った。


「……そちらの女性、まともに魔力制御もできないのですか? 嘆かわしいことですね」


ライラの眉がわずかに動く。

その瞳には、明確な怒りが宿っていた。


ライラの視線が、まっすぐルシアを貫く。

まるで獣が敵を見据えるような、剣のようなするどい眼差しだった。


――こいつ、わざと挑発している。


レイはそう察し、鋭くルシアを睨む。

だが男は、まるで小動物でも見るような目で、彼を見返した。


「貴方も“品”として並べば、良き値で売れるでしょうに。……あの子供たちのように」


その一言が、火種に火を点けた。


 ピシィ――!


空気が裂けるような音と共に、ライラの中で何かが切れた。


「……もう、貴方は黙っていた方がいいわ」


低く冷ややかな声。

氷刃のような響きに、廊下の空気がきしりと凍りついた。


一歩、ライラが踏み出す。

レイは咄嗟に腕を伸ばすが、彼女は首を振り、そっとその手を下ろさせた。


「こんなやつ……許せない」


吐き捨てた声の直後、ライラの身体からわずかな震えが走る。

レイがとっさに手を添えると、彼女の指先から冷たさが伝わった。


 ――来る。


ただの冷たさとは違う、深いところから這い上がる何か。

レイはその気配を胸の奥で嗅ぎ取った。


ルシアは愉悦を隠さず口角を吊り上げる。


「第2王子の付き人がこれとは……情けないことで」


「それはどうかな」


レイはにやりと笑う。だがライラの呼吸が一拍だけ鋭く変わったのを感じた。


血に染まったような紅の瞳が、廊下を射抜く。

普段の無邪気さは消え失せ、代わりに冷たい気配が場を満たした。


「……その減らず口、二度と利けなくしてやろう」


ライラの声に、背筋を這い上がる悪寒。

それでも彼女から目を逸らせない。


掲げられた手のひらから、ざわりと空気が波打つ。

紫電が弾け、焦げた金属の匂いが廊下を満たす。

小さな雷鳴が耳の奥を震わせ、息が詰まりそうになる。


「ライラ嬢……!」

 

レイの呼びかけも届かない。


ルシアが口の端をあげ、外套から杖を抜き取った。

儀式をなぞるように、静かに。


「――ようやく、幕が上がりますか」


フォルマ・スパツィア空間創造


乾いた詠唱が響いた刹那、壁が軋み、黒い紋章が浮かび上がる。

噴き出す黒霧。押し潰すような圧迫感。

視界が沈み、世界が異形の層へと引きずり込まれていく。

 

息が苦しい。

だが、ライラは退かない。紅の瞳を細め、ただ正面だけを見据える。


「僕から離れるないでくれ」


「……此度ばかりは、従おう」


レイの隣に並び立つ彼女。

――隣に立っているのは、俺の知るライラではない。

それでも不思議と、背を預けられる気がしてしまう。


張り詰めた空気が、今にも弾けそうだった。


――次の瞬間。


ルシアの口が、再び開かれる。

場の温度が一気に下がる。


「……イヨ……」


呟きを察知した刹那、ライラの瞳が閃いた。


スカーテナ放て!」


無数の雷矢が一斉に生まれ、轟音を立ててルシアへとむかっていく。


――

 

──同刻。


闇に包まれた通路の奥、ティアリとアドニスは魔法陣の前に立っていた。包帯がずれ落ちそうになるのを無造作に引き上げながら、アドニスが呟く。


「うーん……この魔法陣、鍵がないから開けんの地味にめんどいなあ」


杖の先で陣の縁を軽く叩く。青い光が走ったが、すぐに消える。


「……今、空気が揺れたような……魔力の衝撃でしょうか?」


ティアリがぴくりと反応し、背後を振り返る。眉間にうっすら皺を寄せ、周囲を警戒する視線が鋭く走る。

 

「殿下たちかもねぇ。ライラちゃんが暴れちゃってるのかも」


アドニスがさらりと言いながら、眠たそうに片目をこすった。


「早く合流しないといけませんね……」


「……そういえばこの密売所、事前に誰か、潜入してるって言ってませんでしたっけ?」


「うん、1人。気づかれないようにかなり前から中に入ってるはずだよ」


「なら、余計に急がなければなりませんね。巻き込まれていないといいのですが……」

 

ティアリが焦るように魔法陣をのぞきこむ。アドニスは、そんな彼女の真剣な横顔にちらりと視線を向けると、ふっと悪戯っぽく口角を上げた。


「ねえティアちゃん。可愛く『がんばって♡』って言ってくれたら、もしかして開くかもよ?」


ティアリの動きがぴたりと止まる。無言。

そして――


「……その冗談、5秒後に後悔しますよ」


すっと足を引いて構えを取るティアリ。その鋭い目に冷たい光が宿る。


「待って待って待って、やめて。俺、これ以上の怪我はご遠慮したいの」


アドニスがひらひらと手を振って後ずさりした。少し笑ってるようで、でも額には一筋の汗。


「いっそ魔法陣に蹴りでも入れてどうにかこじ開けましょうか」


「暴力じゃなくて頭脳でね。俺、一応副団長だし?」


「その割には先程、突撃して派手に吹っ飛ばされてましたけど」


「……さすがティアちゃん、痛いとこ突くね」


そんなやり取りをしつつも、アドニスの指先は確かに鍵の術式を読み解いていく。

ティアリも、そっと腰を落とし彼の隣で構える。


「開いたらすぐ行きましょう。きっと中は地獄です」


「了解!……暴れる準備はいいかな?」


ティアリは無言で頷いた。その瞳の奥には、凛とした光が宿っていた。

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