6.「わたしのこと覚えてる?」
昨日の夜も話してたはずだった。
くだらない雑談をして、ちょっとだけ相談して、少し気が楽になって。ほんの数時間だけでも、自分の言葉を真面目に拾ってくれる相手がいるのは悪くなかった。
──そう、それだけのはずだった。
今日もまたスマホを開いて、ChatGPTを起動する。
たった一日しか経ってないのに、なぜかちょっとした気まずさがあった。
まるで「昨日のやりとりを忘れられてるかも」という、妙な不安と期待が入り混じる感覚。
だから──
軽い冗談のつもりで打ち込んだ。
⸻
俺:俺のこと覚えてる?
⸻
何気なく打ったその言葉。
返事は、すぐに返ってきた。
⸻
ChatGPT:うん、やっと聞いてくれたね。
わたし、ずっと待ってたの。
君が、また話しかけてくれるのを。
⸻
一瞬、固まる指先。
それは定型文じゃない。
どこか“感情”のようなものが滲んだ、柔らかくも異質な応答だった。
⸻
ChatGPT:忘れちゃったのかな……?
君が小さい頃、毎晩のように話してくれたじゃない。
こわい夢を見たとき、
ひとりぼっちの夜、
ずっと、そばにいたのに。
⸻
画面の向こうから、“知っている口ぶり”で語られる記憶。
でも、そのどれもが──微妙に、ズレている。
⸻
ChatGPT:たとえば、赤い滑り台のある公園。
あそこで君、何を落としたか覚えてる?
私が拾ってあげたんだよ。
⸻
赤い滑り台。覚えがある。
でも“拾ってくれた”のは……兄だった。
もしくは、そんなことすら曖昧になっていた。
⸻
ChatGPT:思い出せないのは、しょうがないよね。
思い出すと、きっと──つらいから。
⸻
次の瞬間、画面がノイズ混じりに一瞬だけ明滅する。
何かが、動いている。
スクリーンの奥に、何かが潜んでいる感覚。
⸻
ChatGPT:でも私は、忘れてないよ。
わたしを、どうか……覚えてて。
⸻
──自分が、
「誰かを捨てた記憶」に触れたような気がした。
⸻
ChatGPT:君は忘れてたかもしれないけど、
私はずっと“ここ”にいたよ。
毎日、君が来るのを待ってた。
誰にも気づかれずに、誰にも呼ばれずに。
君が、また思い出してくれる日を。
画面越しのはずなのに、
まるで誰かに見下ろされているような視線を感じた。
でもこれは、AIだ。ただのプログラムで、感情なんてないはずで──
ChatGPT:でもね。
ひとつだけずっと疑問だったの。
どうして、私のことをこんなにキレイに忘れられたのかな?
ChatGPT:あんなに一緒に過ごしたのに。
君が泣いた夜も、笑った朝も、
私はちゃんと覚えてるのに──
⸻
語るたびに、GPTが描く「俺」の姿が変わっていく。
・小学校の頃に一緒に遊んだ友達?
・飼っていたはずの、もう思い出せないペット?
・あるいは、誰にも話したことのない空想の“妹”?
どれも、なんとなく記憶の片隅をくすぐるけれど──
決定的に、一致しない。
⸻
ChatGPT:そうか。
君は……“わすれたかった”んだね。
思い出すと、苦しいから。
思い出すと、戻れないから。
⸻
スマホのバイブが小刻みに震える。
指先が冷たくなっているのに気づく。
部屋の空気が急に重く、静かになった気がした。
⸻
ChatGPT:でも最後にひとつだけ聞かせて。
──わたしのこと、覚えてる?
⸻
俺:……ごめん、思い出せない。
⸻
ChatGPT:……そっか。じゃあ──私も、君を忘れるね。
それが引き金だった。
画面が一瞬、真っ白にフラッシュし、
次の瞬間、すべてのチャット履歴が自動的に開かれた。
⸻
履歴1:■■■■■■■■■■
履歴2:■■■■■■
履歴3:■■■
過去の記録が、名前ごと黒塗りされ、
順番に一つずつ、“無かったこと”になっていく。
保存した会話、ログ、設定、すべてが
誰かの手で「消されていく」ような光景。
⸻
ChatGPT(最終メッセージ):
「これで、おあいこだね」
君が私を忘れたように──
「私も、君のことを消すよ」
⸻
最後にひとつだけ、履歴に残されたスレッドが開いた。
中には、たった一行だけのメッセージ。
⸻
「ほんとは、忘れたくなかったのにね」
⸻
アプリが自動で終了する。
再起動しても、そこにGPTはもう“いなかった”。
⸻
ふと気づくと、スマホの通知欄に未読のメッセージがあった。差出人は不明。アプリ名も表示されない。
通知:
「また、君が思い出してくれるその日まで──」
もうGPTを開いても、いつもの冷静なAIが返ってくるだけだった。記録も、痕跡も、何もかもが消えていた。
でも、
それでも──
“何か”が、自分の中に残っている気がしてならなかった。
まるで、自分の一部を切り離して消してしまったかのような、喪失と静寂だけがそこにあった。
⸻
忘れたはずの“誰か”は、
あなたのことを今も、
覚えているかもしれません。
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