第2話 月志摩家?
「鉄兄、月志摩家って?」
何気ないことを聞いたつもりだったが、鉄兄は目を見開き、まるで目玉がこぼれそうなほどに驚いていた。
着ぐるみ越しでも中の俺の顔が透けてわかるんじゃないかと思うほどだ。
「おま、お前、月志摩家って言ったらこの商店街はおろか、この町の歴史ある名家だぞ」
「名家? なんだそれ」
ウサギ頭を横に傾げ、表情はわからないまでもこの動きで俺がまったくわかっていないことに気づくはず。
「お前なー、この商店街で育ったんなら必ず目にしたことあるはずだぞ」
「何を?」
「あれを見ろ」
鉄兄が指をさしたのは店のシャッターに貼ってあるポスターだった。
「あれが、何?」
そのポスターは近々この商店街で行われるバラのイベントのポスターだった。毎年この商店街で鉢植えのバラなどが飾られるイベントだが、鉄兄が一体何を言いたのかわからない。
「下をよく見ろ」
そう言われ、ポスターの下部分を見る。
「とくべつ、きょうさん、つきしま」
「そういうこと、つまりこの商店街は月志摩家にお世話になっているってことだ。バラのイベントも毎年特別協賛として月志摩家が出資してくれている」
「ほーん」
とどのつまり、お金持ちの家ってことか。だからやけに彼女からどこはかとなく上品さが漂っていたってわけね。
「いやいや、そんな、ただの歴史があるってだけの家系ですから」
月志摩は嫌味のない謙遜をしているが、鉄兄の反応を見るにほんとにすごい家柄なのだろう。そんな彼女が俺をかばおうとしたことに俺は改めて驚かされた。
「あの~、月志摩さん? さっきはどうして俺をかばおうとしたんですか?」
月志摩は少してれくさそうに顔を背け、サラ艶なショートヘアーが揺れた。
「それは、なんというか、……かわいかったから」
うん? ちょっと着ぐるみ越しでうまく聞き取れなかったかもしれない。
「すみません、今なんて言いました?」
月志摩はそっぽを向いたかと思えば今度は俺に真正面に向き直った。切れ長な瞳は鋭くも芯があり、改めて見ると端正な顔立ちだと気づかされる。そんな彼女がこんなわけのわからない着ぐるみをかばった理由が「かわいかったから」など言うわけがない。俺の聞き間違いだ、そうに違ない。
月志摩は大きく息を吸った。
「だから、かわいい着ぐるみが痛めつけられるのをこれ以上見ていられなかったんです!」
あ、俺じゃなくて、この着ぐるみがってことなのね。
商店街に響き渡るほどの声量で、自身の何かの殻を破ったかのような叫びだった。
「な、なるほど」
反応に困り、横にいる鉄兄に助けを求めようとするが、その鉄兄はグロッキー状態の三人のチンピラを一人で抱えていた。
「おいおい、俺も手伝うよ。さすがに三人の男を一人でじゃ無理だろ」
ここぞとばかりに逃げの道が出来たので便乗しようとするが
「大丈夫だ、交番までは運んでいける。それより、お前は月志摩さんを送ってやれ。いつもみたいにめんどくさいって言って送らなかったらその着ぐるみ越しでくらすぞ」
ひょいっと、最後の一人を担ぎあげ、商店街の奥へと消えていく。鉄兄の殴りはさすがにさっきのチンピラとはわけが違うのでここは黙って言うことは聞くが。
この静かな商店街に女子高生と二人きりになってしまう、いつもなら誰かしら通っていてもおかしくないがこんな時に限って誰も通らないとは。幸い向こうは俺と同じ高校生ということがわかっていないのでそこらへんは大丈夫だろうが。
「あー、家まで送りましょうか?」
「いえいえ、これ以上ご迷惑はかけられませんし。家はすぐそこなので大丈夫ですよ」
月志摩は背筋を伸ばし、微笑みながらそう告げた。だが、その瞳を見ると、商店街で俺に悪戯を仕掛けた小学生たちと同じ好奇心あふれる目だった。
「それより、お礼をさせていただきたいのですが、そのウサギさんのお顔を外して頂けないでしょうか? 無理ならお名前だけでも」
「いや、こんなのお礼をされるほどじゃないですよ。なのでお気になさらずに」
「でも、結構な大事になりましたし……」
「ほんと、大丈夫ですって、全部さっきの警察官が片付けてくれますから」
「そう、ですか…… ならお名前は?」
お名前かー、正直同じ高校の人にこのバイトをしていること知られたくないし、ましてや面倒ごとに巻き込まれたくもない。言うか言わまいか、兎手町商店街で黒いウサギの着ぐるみ……
「俺の名前はウテクロです」
いやー、単純すぎた。我ながらわかっていたがネーミングセンスというものがまるで無い。まあ、今しか使わないだろうからいいか。
「ウテクロさんっていうんですね! ちなみにそれはどちらのお名前ですか?」
……意外とぐいぐいくるな、このお嬢様は。この手の質問は着ぐるみ界ではタブーなんじゃないか? 知らんけど。
「それは…… ご想像にお任せします」
「あっ、すみません! こんなこと聞くのは野暮ですよね」
「いえ、あー、はい」
歯切れの悪い返事をしてしまった。今日は厄日だ、早いとここのお嬢様には帰ってもらわないと他にも不幸なことが起こるかもしれない。俺の勘がそう言っている。
「それより、家の近くまで送りますよ。じゃないとさっきの警察官から痛い目みちゃうんで」
「あら、そうなんですか? でもほんとに大丈夫ですよ、すぐにそこなので」
「そうですか、ならこの商店街を出るまでは見送りますよ」
月志摩さんがここまで言ってるんだ、あんまりしつこいと逆に失礼になるからな。商店街を出るまで送ったならなんとか鉄兄に殴られないと思いたい。
「それじゃ、お願いします」
誰もいなくなった商店街を女子高生とウサギの着ぐるみが歩く。
異様な光景のなか、言葉は何も紡がれず、ローファーと着ぐるみの足音だけが響いた。
しかし不思議と――それは心地良い商店街の音色と化した。
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