第24話 ふくらはぎから心へ
「それでは今度は、仰向けになりましょう。心臓から一番遠い足元から解していきますね」
言われるがまま、わたくしはゆっくりと仰向けになる。背中がベッドに沈み込む感覚が、さらにわたくしの体を柔らかくしていく。頭はぽわんとしたまま、思考も深くなることなく、その場に浮かんでは消えていく。
ルーナさんが、また静かに動き始める。
「では、まず足の裏から」
足の裏。普段は全く気にかけることのない場所だ。でも今は、そこにルーナさんの指が触れるだけで、何かが目覚めるような気がする。
彼女の指が足のツボを押し、ゆっくりと圧をかけるたびに、まるで温かい波が足の先から全身へと広がっていくようだ。親指がツボを押すたびに、足元から体全体に小さな振動が伝わり、わたくしはそのたびに微かに息を漏らしていた。
「……ふはぁあ……」
気持ちよさが体全体に行き渡る。次に、ルーナさんはわたくしの膝を少し曲げ、足を軽く開かせた。その瞬間、少しだけ恥ずかしさが顔を覗かせる。
けれども、彼女の動きはあまりにも自然で、手際が良く、わたくしの抵抗を感じさせない。ふくらはぎを手のひらの付け根で優しく摺り上げるようにマッサージされると、筋肉がじんわりと柔らかくなり、ふくらはぎ全体がほぐれていくのが感じられた。
「ふくらはぎの血行を良くしていきますね」
彼女の言葉に、全身がさらに反応する。ふくらはぎから膝、そして太ももへと、彼女の手はまるで水が流れるかのように滑らかに移動していく。どこにも力はなく、ただその動きに自然と体が従っていく。
そして、ルーナさんの手が太ももの付け根――鼠径部へと近づいた瞬間、わたくしは思わず息を飲んだ。思ってもみなかった敏感な場所に触れられると、体全体が一瞬反応してしまう。無意識に、肩がすくむ。
「鼠径部(そけいぶ)には大きなリンパが通っています。ここをやさしく解すと、足全体のむくみが抜けやすいんですよ。くすぐったさや不快があれば、すぐおっしゃってくださいね」
「……大丈夫、ですわ」
浅く礼儀正しいタッチ。驚きはすぐに安堵に変わり、めぐりがするすると良くなるのがわかる。息が、勝手にほどけていった。
ルーナさんの声が、心を落ち着かせるかのように優しく響く。彼女の手が鼠径部をそっと押し込むたびに、わたくしの体は驚きから解き放たれ、次第に心地よさに変わっていく。触れられた部分からじんわりと広がる温かさが、足全体に伝わり、まるで軽くなったようだ。
「はぁ……」
息が漏れ出るのは、もうわたくしの意思ではなく、体が反射的に反応しているからだ。
ルーナさんの手はまるでわたくしの体の隅々まで知り尽くしているかのように動き、触れる場所すべてが的確すぎて、わたくしの体はその動きに抗うことすらできない。むしろ、抗うどころか、その指先に全身が従順に応えてしまう。まるでルーナさんの指が、わたくしという楽器を完璧に演奏しているようだ。どこに触れれば、わたくしがどう反応するのかを、彼女は理解している。
今、彼女の指は脚の付け根にまで達していた。円を描くように指圧が施されるたびに、全身にじんわりとした熱が広がっていく。頭の中がぼんやりと霞んでいくのがわかる。
そこで、タオルの端を直しながら、ルーナさんがほんの少し言葉を選ぶ間(ま)を置いた。
「差し支えなければ……一つだけ。王都の同業から噂を聞いたことがあって――魔王国にお身柄を預けられていたご令嬢がいらした、と。もしかして、その……セレフィーナ様でいらっしゃいますか?」
わたくしは目元の布の向こうで、穏やかに頷く。
「ええ。もう昔の話ですけれど」
「やはり……。失礼しました。無作法でしたらお許しください。ただ、あのお話の続きが――今、こうして南部の穏やかさにつながっているのだと思うと、どうしてもお礼を言いたくて」
「ありがとう。南部は皆さまの土地ですもの。わたくしも、その一人として動いているだけですわ」
「……はい。――それから、セレフィーナ様とロジオン様のご結婚式、本当にみんな楽しみにしています。ここは腕によりをかけて、いっそうおきれいになっていただきます。白猫商会の名にかけて」
「心強いこと。どうぞよろしくお願いいたしますわ」
ふっと空気が明るくなる。足先から、もう一段階、温かさが深く広がった。
そして、彼女はまた少しだけ遠慮がちに続ける。
「……もし、いつか本当に魔王様が復活するようなことがあったら――南部は、いえ、セレフィーナ様は、どうなさるのでしょう」
わたくしは静かに笑みを含む。
「状況がどう変わっても、約束は守りますわ。誰もが安心して過ごせる南部を、手放しません。最善を選び続けるだけです」
「……ありがとうございます。では――鼠径部を中心に、もう少し丁寧に整えていきますね」
指がやわらかく円を描く。めぐりがひらけ、からだの内側に灯りがともる。
呼吸と手のリズムが揃い、わたくしの午後は、静かな幸福で満たされていった。
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