第3話 庭にて、膝の上
午後の庭園は、透きとおる静けさに包まれていた。
花の香は風に混じり、陽射しは芝を淡く染め、時間さえ一拍だけ止まったかのようだった。
東屋のそば、緻密な彫刻が施された白い長椅子。
その上に座るのは、セレフィーナ・ルクレツィア・アークレイン嬢。
レースの袖、白磁の肌、繊細な指先――それらは午後の光にやわらかく溶けていた。
読んでいた本は、開いたまま。
紅茶はもうぬるく、陽射しがじんわりと背中をあたためる。
(……ああ……心地よい午後ですこと)
まぶたが、ふるふると震える。
まつげの先が光粒を揺らし――そっと、閉じた。
胸元で軽く組まれた手が、ゆるむ。
身体が傾ぐ。意識が、深く沈んでゆく――
けれど、地面は遠かった。
「……うつらうつらしていては、危のうございます」
静かに、低く、耳朶をかすめる声。
近い。
鼓膜の内側で鳴るかのような、湿りを帯びた声。
とっさに目を開こうとしたが、間に合わなかった。
ふわり、と。
背中に添えられる掌のぬくもり。
腰を支える腕の硬さ。
香水でも衣でもない――肌と体温の、ほんとうの匂い。
(……ロジオン……?)
そう思った途端、喉が震えた。けれど声にはならなかった。
心の中で呼んだその名が、唇までは届かなかった。
彼の腕が、ごく自然に、迷いなく、わたくしの身体を引き寄せていく。
そう――引き寄せるというより、
あらかじめそうなることが決まっていたかのように。
その胸元へ、額が触れた。
とん、と小さく。
衝撃は鼓膜でなく、心臓を叩いた。
「……ッ」
肌越しに伝わる、心音。
それが、自分のものなのか彼のものなのか。
あまりに近く、あまりに熱を帯びていて、区別がつかない。
(……近い、こんなに……)
振り払う気持ちは、不思議と起こらなかった。
彼の体温はじんわりと滲み出し、
耳の裏から頬へ、頬から首へ、
まるで春先の陽だまりのように、ゆっくりと浸透してくる。
ロジオンの胸元は、硬くて、広くて、温かかった。
抱きしめるのではない。
受け止めるという包容力。
まるで、自分がその中心にいたのだと錯覚するほどに。
顔を少し動かすと、頬が彼の胸に沿って滑る。
シャツの下、確かにある硬さと熱。
そしてその奥で、強く、規則的に響くもの――
どくん。
どくん。
どくん。
音は、皮膚を伝って耳に届く。
その振動が、まるで自分の鼓動と重なっているように錯覚する。
(……これは、わたくしの……? それとも……)
彼の手は、無言のまま。
けれど、その手が語る言葉は、あまりにも雄弁だった。
肩に回る掌の重み。
背を包む指の広がり。
腰を支える力強さと、そのくせ壊れ物を抱くような配慮。
(……なぜ、そんなに……自然に……)
怒りでも戸惑いでもない、もっと複雑でくすぶる感情が、
胸の奥にぽつり、と芽吹いた。
(手慣れていらっしゃるようで……なんだか、悔しい……ですわ……)
けれど、逃げられなかった。
腕の中はあまりにも居心地がよくて、
何よりも、熱が、呼吸が、わたくしの輪郭をぼかしていく。
そのとき、彼の身体がわたくしを持ち上げた。
「……ッ」
声は出なかった。
けれど、心の奥で何かが跳ねた。
ふわりと重力が浮く。
次の瞬間、わたくしの身体は、ロジオンの膝の上にすっぽりと納まっていた。
(……まるで、お人形……)
太腿の上。
しっかりとした筋肉に支えられながら、彼の腕が背中を守り、もう片方の手が、髪に触れた。
「……お嬢様。どうか……おくつろぎを」
彼の声が、髪を揺らした。
その吐息が、まるで額に触れたかのように温かい。
指が、額際からゆっくりと降りてくる。
一房、一房、髪を梳くたびに、肌の温度がほんの少しだけ上がる。
(……なぜ……わたくしは……こんな……)
手慣れた所作に、腹立たしさすら覚えるのに。
けれど、その指先に、どうしようもなく縋りたくなる気持ちがあった。
頬が赤い。
胸が上下する。
けれど目は、まだ、開けられなかった。
なぜなら、わたくしは――
この夢が醒めるのが怖かったから。
わたくしは目を閉じたまま、身じろぎもできずにいた。
ただ、胸が小さく上下している。
彼の膝の上に、すっぽりと収まったまま――
(……撫で、ているの……?)
髪を、ではない。
わたくしの心を、撫でているような……そんな手つきだった。
指先は、まるで羽根のように軽やかで、
けれど、芯の奥にまで届くような――不思議な重さがあった。
額際から、こめかみへ。
そこから耳のうしろへと、指がやわらかく沿っていく。
頭皮の薄い皮膚が、かすかにぴくりと反応した。
(……ん……)
無意識に、喉の奥から音が漏れそうになるのを、わたくしは必死に飲み込んだ。
「……」
ロジオンは何も言わない。
その無言が、余計に鼓動を高めてゆく。
彼の指は髪の一房を優しく摘み、梳いてゆく。
まるで「この一本すら愛おしい」と告げるように――。
(こんな……撫で方……)
してはいけない。
されてはいけない。
でも、もう引き返せない。
髪を撫でられるたび、頭皮の奥が熱を帯びる。
その熱は、じんわりと耳の裏を通り、首筋をゆるく撫で、
やがて、背中へ、胸へ――静かに伝播していく。
(……わたくし、いま……)
どんな顔をしているのか。
どんな呼吸をしているのか。
わからない。けれど、感じている。
あたたかくて、ほどけていく。
なのに、どこか――ぞくぞくするのだ。
「……」
またひとつ、髪が梳かれる。
そのたびに、わたくしの身体が、ほんのかすかに揺れる。
背筋が甘く震え、呼吸がうまく整わない。
まるで、彼に調律されているかのようだった。
(……やめて……ロジオン……)
叫びたい。
でも、その声は、胸の中でくすぶるばかりで、
どうしても、外には出てこない。
だって――
(……こんな、手慣れた撫で方……)
悔しい。
恥ずかしい。
でも、嫌ではない――どころか、もっと欲しい。
(……っ、なんて、わたくし……!)
目を開けたら、すべてが終わってしまう。
この夢のような静寂が、砕けてしまう。
だから、ただ、まぶたを閉じていた。
頬が火照る。
耳たぶが敏感に脈打つ。
(ロジオンの……指先が、こんなに……)
無防備な場所を、的確に撫でていく。
髪を梳きながら、時おり、
耳のうしろを円を描くように優しくなぞる。
そのたびに、肌が粟立つ。
わたくしの身体が、知らず知らずのうちに――誘ってしまっているみたいで、たまらなく恥ずかしかった。
なのに――
(なぜ、わたくしは、目を開けないの……?)
彼の手が動くたび、
身体の奥に波紋が広がっていく。
くちびるが、わずかに開く。
息がこぼれる。
でも、声にはしない。
だって、気づかれたくない。
こんなにも、
ただの髪に触れるだけで、
わたくしが――どれほど乱れているかなんて。
(……知られて、たまるものですか……)
でも、その瞬間だった。
耳のすぐ後ろを、指先がふわりと撫でたかと思えば――
親指の腹が、首筋を、そっと下へ滑った。
「……っ」
声が、ほんのひとしずく、漏れた。
それは決して喘ぎではない。
でも、ただの吐息でもなかった。
反射。羞恥。戸惑い。
そして、ほんの少しの――悦び。
(……ばか、ですわ……わたくし……!)
そのとき、背中に触れる彼の手が、
微かにわたくしを引き寄せるように力を込めた。
より深く、彼の胸の中へ――
(……もう、だめ……)
わたくしは、小さく唇を噛んだ。
でも、彼は何も言わない。
ただ、髪を撫でる指だけが、すべてを物語っていた。
膝の上に抱かれ、髪を梳かれながら――
そのあたたかい指先に、静かに、なにもかもを預けていた。
(……これは、夢ですのね……)
思考はゆるくほどけていた。
髪に触れるたび、身体の奥がふわりと緩む。
肩から腕へ、そして胸の奥まで、彼の体温が浸透してくるようで。
(こんなに優しく撫でるなんて……ずるい、ですわ……)
唇をかすかに噛みしめる。
その小さな抵抗さえ、すぐに奪われた。
親指の腹が、そっとわたくしの唇に触れたのだ。
「……っ」
くすぐったい。でも、優しくて――やわらかくて。
それなのに、どこか「触れてはいけない場所に触れている」感覚。
続いて、頬骨の脇を、別の指がなぞる。
わずかに手の角度が違う。
その指が下へ下へと降りて、首筋を撫でる。
(……首……と、唇……?)
ここで、ふと疑念が芽生えた。
この撫で方は、ひとりではできない。
唇と首筋、同時に――しかも左右から挟む角度で。
(……ちょ、ちょっと待って……)
まぶたを閉じたまま、わたくしの意識ははっきりしてゆく。
髪を撫でる手。
唇をなぞる指。
首筋を滑る掌。
それぞれが、確かに違う位置に存在している。
(……ひとり、では……ない?)
その瞬間、恐る恐るまぶたを開きかけた――
と、同時に。
「……ッ!」
足元に、熱が触れた。
足首を撫でる掌。
同時に、もう片方の脚の甲に、唇のような柔らかさ。
(っ……!?)
視界の端に映るのは、二人のロジオン。
ひとりは足首を包み込み、もうひとりは足の甲に唇を落としていた。
「なっ……」
声にならない叫びが、喉に詰まった。
そして――
彼の指が、そっと脚を持ち上げる。
まるで壊れ物を扱うように、優しく、だが情熱的に――
足首を支え、ふくらはぎの内側を撫で上げる。
その指は、決して乱暴ではない。
けれど、まっすぐに“欲望の階段”を昇っていた。
唇が、脚の甲に触れる。
柔らかく、長く、熱を込めて。
次いで、足首に――少しだけ、強く。
「っ……ふ、……あ……」
思わず漏れた吐息は、わたくしのものだった。
まるで知らぬ誰かの声のように、やわらかく、情けなく、甘く崩れていた。
脚に触れる唇が、くるぶしの内側を舐めるように這い上がり――
同時に、首筋をなぞる指が、うなじへと忍び寄る。
くるぶしへと、熱が移る。
そのとき、肌に触れた吐息が、ひゅうっと震えた。
(っ、こんな……いっぺんに……)
ふくらはぎの奥に唇が触れた瞬間、
耳たぶのすぐ下に、ひと筋の吐息がかかる。
熱と寒気が、交互に、まるで二重奏のようにわたくしの感覚を貫いてくる。
「ん、っ……!」
肩が震えた。
けれど震えるだけで、逃げることはできなかった。
なぜなら、腰を支えていた彼の手が、そっと背中を撫でていたから。
「……や……め、なさい……っ」
そう言ったはずだった。
けれど、その声すらも甘く震えていた。
かかとの上の細い腱に、ふわりと唇が触れ――
「……っあ……!」
小さく、歯が立つ。
甘噛み。
熱と震えが、かかとから背筋にまで走る。
(ど、どうして……こんな、場所……)
さらに――
「お嬢様……あなたのすべてに、心を奪われております……」
囁きが、耳元で重なる。
どの声が誰のものか、もう判断できなかった。
(これでは、抵抗の……タイミングすら……)
まるで、何もかもを見透かされているかのようだった。
いま言えば止められたという一瞬が、
首筋に落ちる指のせいで曖昧にされ、
腕を振り払えば逃げられたという一瞬が、脚に触れる唇で蕩けて消える。
次の瞬間――
唇が、かかとの上の細い腱をそっとなぞり、
ほんの一瞬、歯がそこに立つ。
「ぁ……!」
甘噛み――
けれど、そこには明らかに意志があった。
唇で撫でるだけでは足りない、という。
もっと、奥まで、感じてほしい――という。
(だめっ……だめ、ですのに……!)
わたくしの中で、まだ意識は抗っていた。
けれど、身体は……違った。
親指の腹が、そっと唇に触れていた。
言葉を出そうとした唇は、その接触に反応して、ただ震えただけだった。
「お嬢様……その震えも、すべてわたくしのものと、思ってよろしいですか?」
その言葉とともに――胸元にかかったリボンが、緩んだ。
(あっ、や……)
同時に、首筋。
耳の裏。
脚の付け根近く。
すべての感覚が、“一斉に”甘く攻め込んでくる。
(どれか一つなら……抗えたのに……)
そう、そうなのだ。
一か所であれば、耐えられた。
けれど、同時に、全方向から触れられたとき――
わたくしの中の選択肢が、消えていった。
(……身体が……勝手に……)
震えが走る。
腰が落ちる。
目を開ければ、何かが壊れてしまいそうで――ただ、まぶたを強く閉じるしかなかった。
そして――
太腿の裏に、滑るような指先。
もう一人のロジオンは、ドレスの胸元に手を添え――
「するっ」
レースのリボンが、緩んだ。
(や……だめ……だめですわ……!)
肩紐が落ちる。
レースが滑る。
胸の先端が、空気に触れかける――
その瞬間。
「――ここではっ……だめっ!!」
その刹那、叫びが迸った。
すべての快楽の連鎖が、いっきに引きちぎられるような――
光の奔流が、空間を裂いた。
「パアァァァッ!」
爆ぜた閃光は、すべてのロジオンを弾き飛ばし、
夢の中の庭園に、凛とした静寂を取り戻させた。
その光の余韻の中、わたくしはただ――
脚を引き寄せ、胸を隠し、静かに、震えていた。
唇に残る、親指の温もり。
足首に残る、唇の感触。
耳裏に残る、囁きの余韻。
そのどれもが、もう一度来られたら――
抗えないと、わたくしは知っていから。
*
*
*
空気は水晶のように澄み、焦げた芝の一角を除けば、庭園はふたたび静寂を取り戻しつつあった。
わたくしは震える指で肩紐を整え、スカートの皺を払う。
深く息を吸い込み、胸の奥の熱をゆっくりと沈めて――
そして、視界に残っていた光の残滓がようやく薄れていったとき。
鼻先をくすぐる、焦げた匂い。
目に映るのは、地面に倒れ込む何か。
黒こげのパフスリーブ。焦げ目のついたフリルスカート。
うつ伏せに転がっていた小柄な少女が、ぱち、と目を開け、よろけるように身体を起こした。
「うぅ……一発目で光属性とか、聞いてませんってば……」
ぶつぶつと文句をこぼしながら、彼女はスカートをぺたぺたと払い始める。
あちこち焦げているにも関わらず、どこか他国の絵本から抜け出してきたような風貌。
小さな角がぴょこんと頭に生え、尖った耳の先が焼けた髪の間からのぞいている。
赤紫の瞳には、悪戯っぽい光が宿っていた。
「……誰、ですの?」
「……いったい、あなたは?」
わたくしは唇を引き結び、背筋を伸ばす。
当然、知るはずもない相手――
けれど、心のどこかに微かな既視感があった。
少女はこちらを見るなり、ぱっと笑顔を咲かせて、ぺこりと頭を下げた。
「わたし、夢魔アモレットと申しますっ。恋の悩み、解きほぐしますっ♪」
満面の笑み――顔の半分は見事に炭色だが。
「夢……魔……?」
驚きに、自然と瞳が見開かれる。
その名は、わたくしが書物でしか知らぬ存在。
人の夢に入り込み、心の奥底に沈む願いや欲を引き出すという――伝説の魔物。
「はいっ! 夢魔業ももう何百年。最近は恋愛コンシェルジュなんて名乗ってまして!あっこれ連絡先です!それと……」
そして彼女は、胸元のポーチから折りたたまれた紙を取り出すと、ぱたりと広げて見せた。
薔薇をまとい、豚にまたがる金髪の令嬢。
神の後光のような光輪がその頭上に輝き、ドレスは異様なほど細密に描かれている――
「っ、それは……!」
「そうそうっ、見ていただけたんですね〜! あれが発動キーでしてっ♪」
「発動、キー……?」
「はいっ。この自画像に、ほんのり夢魔の魔力を込めておりまして。それを、貴女のもとへ――どーん、って!」
アモレットは、焼け跡の残る手で、得意げに紙を掲げてみせる。
「わたくしに、あのような……夢を見せたのも、あなた?」
「はいっ! まあ、正確には……わたしの力を通して、『お嬢様ご自身の心が見せた夢』ですけどねっ♪」
その無邪気な口調が、むしろ怒りを焚きつけてくる。
「……どういう了見で、そのような真似を?」
わたくしの声は氷のように冷えた。
だがアモレットは、まるで小鳥でも演じているかのように軽い声で答える。
「ご依頼主さんのご希望ですっ! えっとですね、『セレフィーナ嬢を舞踏会で見かけて一目惚れしました』って」
「……はあ?」
「お近づきになりたい。でも高貴すぎて話しかけられない。じゃあ、せめて恋の後押しだけでもできたなら……と!」
「……」
「というわけで、わたしが派遣されたんです~☆」
反省の色など一滴もない。
笑顔ばかりが、きらきらと無邪気に光っていた。
「そもそもっ、夢の中身は私もわからないんですよ? 魔力仕込み用の肖像画だけ預かって、『これでお嬢様の恋心を優しく開いてさしあげて』って――それだけです!」
「『恋が開けば、心が通うはず!』って。だから、絵師に依頼してご自身の肖像を描かせ、それへの魔力封入を依頼してきたんです!」
「……ちょっと、待って。それは……自画像、なの?」
「はいっ! あの豚に乗ったご令嬢、それが依頼主さん自身ですっ」
わたくしは小さく息を呑んだ。
そう――見覚えがある。まるで、あの絵の中から見つめてくるような、ぞっとする視線。
そして、あのとき確かに感じた。
絵の前に立った瞬間、空気が波打つような、奇妙な揺らぎを――
「つまり……わたくしは、その肖像を通して、あなたに……?」
「はいっ、正解です♪ 絵画に封じた魔力が、対象者の恋心に共鳴して、深層意識を夢に映す――自己開示誘導型夢幻術、ってやつです!」
「……っ……!」
怒りが、喉の奥で煮えたぎる。
だが、彼女の表情はただぽわんとしたまま、無邪気な問いを放ってきた。
「で、お嬢様。どんな夢、見られたんですか?」
「……なにを、しておいて……っ」
「えっ、あれ? もしかして、違った? でも最近は、魔力コンプライアンスの関係で内容は完全に対象者任せでして。わたし、中身までは把握してないんですよね〜」
にっこり。
その笑顔に、わたくしの指が、静かに震え始めた。
「……何を、わたくしに、見せたとお思いで?」
「えっ、いや、だから非公開で……でも逆に、何が見え――」
「黙りなさいませ!!」
ずしん、と地面が鳴った錯覚。
わたくしの掌に、ふたたび魔力が集束する。
「ま、待ってください!? 二発目は想定外なんですってばっ! マニュアルにも書いてないですし!? 警告出てませんでしたよね!?」
「ええ、ありますのよ。加減を知らぬ無神経な魔物には、倍返し――そう書かれていた章が、ちゃんと。」
「えっ!? そ、そんな章初耳――ちょっ、ま、ま、またああああああああっ!!」
「……知らなかったのですか? それは残念ですわね」
魔力が空気を裂いた。
次の瞬間、わたくしの指先から放たれた閃光が庭園を染め抜き――
「パアアアァァン!!!!!」
アモレットは芝の中央で美しく跳ね飛ばされ、空高く舞い上がった。
「~~~~~っ、聞かなきゃよかったぁあああああ!!」
風に乗る絶叫。
焼け焦げたスカートの裾が、蝶のように宙を舞う。
その様子を、わたくしはただ見つめる。
一歩も動かず、スカートの皺を静かに整えながら。
「……恋の支援、ですって。まるで見当違いですわ」
掌に残る、微かな熱。
胸元をそっと押さえる。
――ロジオン。
あの夢が虚構であるとわかっていても、わたくしの心は、それをただの幻と片づけられなかった。
「……なら、わたくしは、どうすれば……」
陽光の中、わたくしはひとつ、小さく吐息を洩らした。
夢は、醒めた。
けれど――胸の奥に灯った揺らぎは、まだ、消えていなかった。
草の香り、光の残滓、そして、肌に残る微かな熱。
そのどれもが、わたくしの意識を深く深く引きずり込む。
呑まれそうになりながら、わたくしは、ひとつ、息を吸った。
……そのときだった。
「お嬢様っ!? 今の音は……っ!」
聞き慣れた、落ち着いたはずの声が、東屋の外から響いてくる。
(っ――!)
振り返った瞬間、嫌な予感は的中する。
ロジオンが、こちらへと駆けてくるではありませんか。
(なっ……! い、今だけはやめていただきたいのですわ!!)
わたくしの髪は乱れ、顔は火照り、胸元も……っ、いえ、それより何より――
この気持ち、このままの心では……まともに、彼の顔など見られません!
ロジオンは足を止め、こちらに駆け寄りながら、息を整える間もなく問いかける。
「ご無事ですか!? 急に光が――いったい何が……」
「ちょっ……だ、だいじょうぶですっ!! 何もっ! 何もありませんのっ!」
裏返った声が出てしまった。
咄嗟に両手をばたばたと振り、無理やり会話を終わらせにかかる。
「えっ……?」
「で、ではっ!! 失礼いたしますわっっ!!!」
くるりと背を向け、スカートの裾をつまみ、
もうそれは、逃げるように、その場を駆け出した。
(顔が……っ、顔が熱いっ!! ロジオンの顔なんて、見られるわけありませんわっ!!)
髪が揺れ、視界が跳ねる。
足音が、芝をリズムもなく叩きつける。
そして――走り去りざまに。
「ロジオンの……ロジオンの、えっちっ!!」
思わずこぼれた、その言葉。
意味が通じたのかどうかは……わたくしにも、わかりませんでした。
◆
東屋のそば、取り残されたロジオンは、しばし、ただ立ち尽くす。
焦げた芝の香りが、風に乗って鼻をかすめた。
午後の陽が、何事もなかったかのように庭を照らしている。
彼は、ぽつりと呟いた。
「……えっち、って……俺、何かしましたかね?」
静かな庭園に、その声だけがやけに間抜けに響き、葉擦れの音に、そっとかき消されていった。
―――――――――――
あとがき。
第3話をお読み頂きありがとうございました。新作は公爵令嬢が愛しの騎士様と結ばれる恋愛ファンタジーです!ぜひお楽しみ下さい!
楽しかった、続きが少しでも気になる思われましたら⭐︎⭐︎⭐︎評価や作品フォローをどうぞよろしくお願いします!
次話は恋愛相談回。本日は22:03にも投稿致します。ぜひご覧下さい。
―――――――――――
⭐︎⭐︎⭐︎は最新話下部、もしくは目次ページ下部の「星で讃える」から行って下さい。★★★だと嬉しいです〜!
↓目次ページ
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