第2話 月と足首の階段
アークレイン邸、深夜。
屋敷の灯はすべて落ち、館そのものが静寂に包まれていた。
レースの天蓋の向こうには、香の名残と、薄布の寝衣が静かに漂っている。
セレフィーナ・ルクレツィア・アークレイン嬢は、白いシーツに身を沈めてまどろんでいた。
カーテンの隙間から射す月の光が、細い脚の輪郭をゆるやかに撫でる。
その寝顔には安らぎが――あったはずだった。
「……お嬢様」
低くくぐもった声が、どこからともなく届いた。
(……え?)
夢と現実の境がまだ曖昧な意識の底で、彼女は気配を感じた。
そっと足元に触れる、冷たい指先。
まるで霧のように淡く、それでいて確かな熱を帯びて――
「……お慕い申しております」
その声には、いつもの無愛想さがなかった。
(ロ、ロジオン……?)
セレフィーナは瞳を開く。
夢の光景は、あり得ぬほど静謐で、現実よりも鮮やかだった。
ベッドの端に膝をつくロジオン。
軍靴の気配もなく近づいた彼は、まるで祈るように、彼女の足首を両手で包み込んでいた。
「……ずっとこうしたかったのです」
その顔には激情があった。
抑えて、抑えて、抑え続けてきた想いが、ついにあふれ出た人間の目だった。
「や、やめなさい……っ」
言葉とは裏腹に、セレフィーナの声はかすれていた。
抗う力は、足元からじわじわと奪われていく。
彼の指が、そっと脚を持ち上げた。
まるで壊れ物を扱うように、優しく、だが情熱的に――
そして、唇が触れた。
足の甲に、柔らかく。
次いで、足首に、少しだけ強く。
くるぶしへと熱を移しながら、彼の呼吸が肌を掠めてゆく。
その吐息に混じる、微かな囁き。
「……今日の昼、あなたが何を考えていたか……わかっていますよ、お嬢様」
「え……っ」
息が止まった。
彼は知っていた。わたくしが、あの手紙を読んで、誰を思い浮かべていたのか。
キスはさらに進む。
くるぶしのすぐ下、うしろの細い腱に、彼の唇がそっと触れ――
「っ……!」
次の瞬間、そこに小さく歯が立つ。
くすぐったく、しかし確かな熱を宿す、微かな甘噛み。
「や、やめて……ロジオン……っ」
その名を呼ぶことさえ、いつもとは違う。
囁くような声が、シーツの間に沈んでいく。
口づけは、なおも上へ――ふくらはぎ、膝の下。ひとつずつ、階段を昇るように。
(ど、どうしましょう……このままじゃ……っ)
「お嬢様。あなたのすべてに、心を奪われているのです……」
その声に、体の芯がじわりと熱を帯びていく。
鼓動が追いつかない。目を見てはいけない。けれど見てしまう――
「やっ……あ……ぁぁっ!」
声がこぼれた。悲鳴ではない。
こらえきれなくなった心が漏らした、甘く苦い音。
そして――
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
――扉を叩く音が、夢の熱をさらっていった。続けて、ロジオンの声。
はっとして目を開けたセレフィーナ嬢。
そこは見慣れた天蓋の下、月明かりと香に満ちた、現実の私室だった。
夢だった。すべて。
けれど、その熱はまだ、足元に残っている気がした。
扉がゆっくり開く。
そこには、きっちり制服を着た、いつものロジオンの姿があった。
「……お嬢様?」
問いかけはいつもどおり。
けれど、セレフィーナ嬢の胸には、もはや以前と同じではいられぬ何かが芽生えていた。
「こ、このっ……ロジオンのエッチ!!」
思わず放った一言は、意味も脈絡もなく、ただ感情だけが詰まっていた。
ロジオンは、黙って――ほんの少しだけ眉をひそめ、
「……失礼いたしました」とだけ言って、そっと扉を閉めた。
再び訪れた静寂の中で、
セレフィーナ嬢はシーツをかぶって顔を覆った。
(……これは、もう、ほんとうに、夢でよかったのかしら?)
月が雲に隠れたその瞬間、部屋に残ったのは、彼女の鼓動の小さな響きだけ。
―――――――――――
あとがき。
第2話をお読み頂きありがとうございました。新作は公爵令嬢が愛しの騎士様と結ばれる恋愛ファンタジーです!ぜひお楽しみ下さい!
楽しかった、続きが少しでも気になる思われましたら⭐︎⭐︎⭐︎評価や作品フォローをどうぞよろしくお願いします!
次話は少し長めのドキドキで。本日は21:03、22:03にも投稿致します。ぜひご覧下さい。
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