第47話 (番外編)重い初恋④

「重い初恋」シリーズの4話目です


 12年前のエシャ(松本 仁香)とヒオス(ジョシュア・エバンズ)の出会いと、ジョシュア・エバンズがバイオリニストになって、やめるまでのお話です。


 このシリーズだけ読んでも楽しめる内容になってると思います。


 初めて立ち寄っていただいた方にも、読んでいただけると嬉しいです!!


 前提として、松本 仁香とジョシュア・エバンズは前世では夫婦、仁香には前世の記憶があるけど、ジョシュアはまだその記憶を取り戻してない。ここだけ押さえていただければ、これまでの話を読んでいなくても大丈夫!!

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 もうお腹が鳴りませんように。そう思って沢山食べた。

 腹の虫は静かになったけど、代わりにお腹が痛くなった。

 ああ、自分、馬鹿すぎる。今回はさすがに嫌われるだろう…思春期の少年にこんなアホな女は荷が重すぎる。


「お腹が鳴ったことを僕がからかったから、気にしちゃった?ごめんね。」

 そう言って薬をくれた。気を遣わせてしまった…情けない。




 客間で一人、ウーウー唸りながら休んだ。薬のおかげもあって、どうにか落ち着いき、客間のバスルームでシャワーを浴びて心を落ち着けてから、一階の居間に降りた。


 彼はパジャマを着て、電気を消した暗い部屋で、ソファーに座りクッションを抱えながらテレビを観て大笑いをしていた。


「ああ、仁香にか、落ち着いた?」

 笑い涙を指で拭いながら、彼が尋ねてきた。


「うん、もう大丈夫。」

 恥ずかしさのあまり爆死しそうな気持を抑えて、彼の横に座った。


「このドラマ面白いんだよ。シットコムなんだけど、オタクの二人が近所に引っ越してきた美人に恋をするんだけど、やる事が全部おかしいんだよ。」

 そう説明しながらも彼はテレビを観ながら爆笑した。

 一緒に観ていたら、いつの間にか自分も爆笑していた。


 その後は、ドラマ繋がりでドクター・フーの歴代ドクターで一番誰が好きかとか、ジェームス・ボンドは誰が一番良かったかなんて話をした。どの意見も全く合わず、好みが全然違うねってことで意見が一致した。


 そして、キスをして、抱き合った。


「ベッドに行こう。」

 彼が小声で囁くように言った。私は、うなずいて、差し出された彼の手を取った。その後は、今日の自分の醜態しゅうたいのことは忘れて、私が知る限りの彼の感じる部分に指先や唇をわせた。





 翌朝、ふわりとしたシャンプーのほのかな甘い香りで目を覚ました。私の胸に彼が顔を埋めるような形で眠っている。そんな彼の髪を撫でていると、彼が目を覚まし、甘えた声で

「ねえ、昨日のやつ、またやって。」


 もう、仕方ないなぁなんて思いながらも、嬉しさと、ちょっとした優越感を感じつつ、彼のリクエストに応えようとした…が、いや、待てよ、このまま昼頃までこんなことしていちゃダメだろう、こんなデカダンスな生活を15才の少年に教えちゃだめだろう。今更ながらそんな気持ちがメキメキと芽生えた。

 そうだ、朝は起きて、太陽を浴びて、ご飯を食べるんだ。それが生きるってことだ。


「続きは後、ほら、起きて、ご飯食べるよ。」


 もう、食いしん坊キャラでもなんでもいい、せめて昼間は健全に真っ当に、お天道様に顔を向けて暮らそう。





 二人で朝食の準備をした。彼が、目玉焼きと焼きトマトを作り、私が、野菜とベーコンと豆でスープを作った。薄くてカリカリのトーストにバターをたっぷり塗って、ジャムを付けて食べた。その後は、島の観光名所を巡った。所々にゴースの黄色い花が咲いていた。


 この島でずっと前から二人で生活していたみたいに過ごした。掃除して、洗濯して、ご飯作って、食べて、ドライブしたり、ハイキングしたり、そんな楽しい日々が一週間続いた。


 その途中で、彼の母親と姉から何度か電話があったが、彼は、島で一人で生活できるから心配ないと言って、電話を切っていた。





 あと、一週間で私は彼の元を離れる…そう思うと、胸が苦しくなった。あと一週間一緒にいたら、もう離れたくなくなってしまう、と言うか、もう離れたくない。爪痕を残すつもりが、逆に残されてしまっている…そんなことを考えながら、ソファーに座って窓の外を眺めていた。


 すると、彼がバイオリンを持って部屋にやってきた。一瞬目を疑った。


 彼は、以前、バイオリニストだった時がある、それもかなり有名な。

 彼は、生まれ変わることで、人よりも優れた状態からバイオリンを始められることに劣等感を抱いた。他のバイオリニスト達はたった一回の人生の中で、全ての情熱をバイオリンに注ぎ込み、その短い一生の中で自分を超えて行ってしまうと、自分には人前で演奏する資格はないんだと…そんなことを言って、バイオリンをぱったりと止めてしまった過去がある。

 その後も、仲間とのセッションなんかでは楽しそうに演奏することがあったが、大勢の前に立つことは絶対にしなかった。


「…バイオリン弾くの?」


「時々ね。これは母さんのだけど、母さんは全然弾かないから、バイオリンが可哀そうかなって思って。最近覚えた曲があるんだ。」


 そう言って、ソファーのひじ掛けに腰かけてバイオリンを弾き始めた。


 美しい旋律が流れた。その音は、つまずくことなく、優雅に、滑らかに美しく響いた。沈み始めた夕日を背にした彼は一枚の絵画のように美しく見えた。曲の最後に指で弦を弾いたとき、彼はそっと口角を上げて、柔らかくも甘美な微笑みを浮かべた。

 その瞬間、私は、また見たいと思ってしまった。大勢の観客から喝采を浴びて、輝くように微笑む彼の姿を…でも、これが間違いの始まりだった。


「なんて曲?」


「パガニーニのカンタービレだったと思う。」


「上手だね、どのくらい習ってるの?」


「習ったことはないよ。時々こうやって一人で弾いてるだけ。」

 そう言って、彼は少しためらい

「そう言う事言うと、人から気味悪がられるから言うなって言われてるんだけど、練習しなくてもバイオリンが弾けるんだ。この曲は知らなかったけど、大体の曲は、指が勝手に動くんだ…気味が悪いよね…」


 私は事情を知っているから当然のように受け止めるけど、普通の人からすれば、それは気味が悪いことかもしれない。彼自身も戸惑っているみたいだ。


「もしかすると、前世がバイオリニストだったのかもしれないね。」

 何も不思議なことはないって感じに笑って答えた。


「そうかも、きっとそうなんだと思う。」

 彼は安心した表情で笑って、バイオリンをソファーに置いた。そして、


「ねえ、仁香にか、連絡先教えてよ。」

 そう言って、自分のスマホをポケットから出した。


 子どものくせにiPhoneとか持っているんか、などと思いながらも、自分のスマホを取りに行こうと立ち上がった、しかし、連絡先を教えてはいけないことに気が付いた。あと一週間で私は彼の前から姿を消すのだった…


「後で、教えるね。」


「後って、いつ?今教えられるでしょう。」

 笑っていない。ちょっと不機嫌そうな表情。


「折角、良い雰囲気だったんだから、もう少し浸らせてよ。夕日もきれいだし。」

 そう言って誤魔化した。





 翌朝、朝食を食べながら、彼が

「陶器に色付けが出来るとこがあるんだけど、行ってみない?」


 陶器の色付けかぁ…日本でもやったことないし、思い出にもなりそうだと思い、行くことにした。


 二人で同じ形のマグカップを選んで色付けをした。完成は二週間後になるというので、郵送で日本まで送ってもらうことにした。


「僕のも仁香の所に送って。日本に行った時に一緒に使えるように。」

 背後で嬉しそうにそんなことを言っている彼の言葉を聞いて、胸が痛くなったけど、黙って、彼に見えないように自分の住所をメモに書いて、店主に渡した。

 その後、彼が執拗しつように私の連絡先を聞くことは無かった。





 島を離れる日、彼が包みを手渡した。

「これ、記念に持って行って、母さんが描いたゴースの絵」


 包みを開けると、20センチ四方くらいのキャンバスに黄色い花が描かれていた。廊下に飾ってあって、素敵だなって思っていた絵だ。


「ありがとう。大切に飾るね。」


「あと…」

 そういって、彼が自分のスマホを操作した。直ぐに自分のスマホにメールが届いた。


「ごめんね、調べちゃった。だって教えてくれないから…」


 道理で聞いてこなかった訳だ…


「僕たちが付き合ってるってことは、僕が大人になるまでは誰にも言わない。迷惑かけないから、メールには返事してね。アドレスも変えないで。」


 彼の必死な表情を見ていると、何だか可哀想になってしまった。もう会わないけど…連絡くらいは取ってもいいかな、自分に甘くなってしまう…


「わかった、返事はする。でも、もう会わない…」


「嫌だよ。また、会いたいよ。迷惑かけないから…もし結婚していて旦那さんがいるんだったら、ばれないようにするから。」


 いや…本当に結婚はしてないんだってば…でも、今は、嘘でも旦那がいるって言う方が良いのだろうか?でも嘘つきたくないし。

「結婚はしてないよ、本当に。あと数年したらわかるよ、私がもう会わないって言った理由。」


「意味わかんないよ。」


 そうだよね。ここはかぐや姫戦法を使おうかな…絶対に達成できない約束をさせて、私を諦めてもらう…どんだけイイ女のつもりなんだろう自分。


「じゃあ、バイオリニストになりなよ。そしたら会おう。」

 自分、いったい何様だろう、そう思いながらも今はどうにか彼に諦めてもらわなければと思った。その気持ちとは裏腹に、もし、彼が本当にバイオリニストになったなら、またあの姿を見ることが出来るかもしれない…そんな淡い期待を抱いてもいた。


「酷いよ、それ、もう会いたくないってことだよね…でも、諦めないから。」

 そう言って、彼は涙を流した。





 自分が決めたこととはいえ、後味の悪い辛い別れになってしまった。笑って、じゃあねなんて出来なかった。


 あれから、ほぼ毎日、彼からメールが来る。

 他愛のない話ばかりだった、彼も通常の生活に戻ったのだろう。学校での出来事、最近のお気に入りのドラマ、友達と喧嘩したり仲直りした話、近所のおじさんが酔っぱらってシーツを被って徘徊した事件の話、友達と自転車で行けるところまで行って野宿した話、ロンドンに行った時のこと…


 二人で色付けしたマグカップは、使われることなく二つ並んで食器棚に入っている。これを使うことはないんだろうな…眺めるたびにそんなことを考えてしまう。

 ゴースの黄色い絵は寝室に飾り、寂しい時はそれを眺めながら眠った。




 あれから一年が経った。

 彼からのメールは相変わらずほぼ毎日届いた。私も寝る前にそのメールに返事をして、おやすみなさいと言うのが日課になっていた。あと数年、こんな風に過ごせたら、これはこれで幸せかもしれない何て思い始めていた。


 平日のある朝、アパートでゴロゴロしていたら、ドアホンが鳴った。

 宅急便かな?何も買ってないけどなどと思いながら、画面を確認した。


 そこには彼が立っていた。


 嘘だろう…そう思いながらも、玄関を開けた。


「仁香、久しぶり、元気だった?」

 一年前よりも、かなり背が高くなった彼が嬉しそうに言った。


「どうしたの?住所教えてないのに、どうやって…」

 あのマグカップだ…あの時、彼は私の住所を見たのかもしれない、もしくは、あの後、あの店主に聞いたのかもしれない…


「ごめんね…陶器屋のおじさんに聞いたんだ、どうしても会いたくて。」


 彼の執念に負けた気がした。使った事のないマグカップにコーヒーを入れた。


「仁香、全然変わらないね。相変わらずきれい。これ、一緒に色付けしたカップだよね?」


 今朝は異様に早起きをしてしまったので、朝一で近所のファミレスで朝食を食べた。そのお陰で、ぎりぎり眉毛は描いているけど、部屋着に薄化粧の37歳を捕まえて何を言ってるんだと思いながらも、嬉しくなってしまった。


「そう、あの時のカップだよ。ジョシュアは変わったね、背も高くなったし、大人っぽくなった。」

 まだ、記憶は戻っていないみたいだ。


「…モスクワの国際コンクールに出るんだ。」


 ??何の話だ?


「近所にバイオリンを教えてくれる人がいてね、その人の伝手(つて)で、ロンドンまで行って推薦状を書いてもらったんだ。そのお陰で予備審査を通過した。」


「ん?」


「バイオリニストになれば会ってくれるって言ったよね?忘れてないよね?」


「忘れてないよ…」


「…まだ、成れてないけど、フライングで会いに来ちゃったんだ。」


「へえ... そうなんだ」


「この一年、頑張ったんだ」


「で、いつなの、そのコンクール」


「来週」


「モスクアって?ロシアの?」


「うん」


「何でここにいるの?」


「…仁香が一緒じゃなきゃ、弾きたくない」


 何を馬鹿なことを言ってるんだ、この子は。所で、何でこんなに身軽なんだろうこの人?


「バイオリンは?荷物は?」


「荷物はホテルに置いて来た、バイオリンは先生が持って行ってくれるって。僕に持たせると、わざと忘れるかもしれないからって。」


 彼の性格をよく把握した、いい先生のようだ。

 一緒に来て欲しいと言われましても、ロシアに行くにはビザが必要だ…今から間に合うだろうか?

 ジャージをデニムパンツに履き替えて、急いでロシア大使館に向かった。






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