第2話 高校デビュー
インターホンが鳴ると、ソファで寝そべりながらスマホを見ている俺に母親が
「佐和子ちゃん来たから開けてあげて。」
と声をかけた。俺が起き上がるよりも早く、弟の良秀が玄関へ向かって行った。
「俺が行くよ。」
玄関から廊下、リビングへと、良秀と佐和子の話し声が近づく。
「ほら、あんたこれ運んで。」
母親は台所からチキン南蛮がのった皿を差し出した。佐和子の大好物だ。
「お邪魔しまーす。」
跳ねるような声で、佐和子はひょこっと廊下からリビングに顔を出した。
初めて母親からの弁当を渡した日以来、佐和子と俺の朝練がある金曜日は母親が二人分の弁当を持たせ、その弁当箱を返しに来るついでに佐和子がうちで晩飯を食べるようになった。中学生の頃は制服のままうちに来ていた佐和子は、ちゃんと一度帰って着替えてから来るようになった。
俺の家は父親が早く亡くなって、母親、弟と三人家族だ。四人がけのダイニングテーブルは、佐和子が来る日はちゃんと四人分の席が埋まる。
「頼子さんたちは今日も遅いの?」
母親が佐和子に話しかける。
「うん。まあ年中忙しい仕事だから。」
「本当にねえ。佐和子ちゃん、ごはんおかわりする?」
「あ、いただきます。」
「俺やるよ。」
またもすかさず、良秀は佐和子の茶碗を受け取り飯をよそいに行った。
「よっくん優しい〜。てか、なんで『俺』?」
「もう中三だし、いつまでも『僕』とかこどもっぽくね?」
「そんなことないじゃない。よっくんらしくて良かったのに。」
ありがと、と茶碗を受け取り、チキン南蛮の最後の一切れと余ったタルタルソースを米にのせ、またもりもりと食べ始める佐和子。俺よりもいい食べっぷりだ。
晩飯の後、佐和子は俺の部屋の漫画を読んでいた。俺はその横で、今日出された数学の宿題をやっていた。
「このキャラ、この巻で急に一人称が『俺』になった。よっくんと同じじゃん。ってことはよっくんも好きな子ができたのかな。」
佐和子が俺のベッドに寄りかかりながら、伸ばした脚をぱたぱたと上下させた。のが、床に当たるかかとの音でわかった。
「なんでそうなる?」
宿題のプリントに目を向けたまま俺は返事をした。
「だってこの男、ヒロインにかっこいいところ見せたくてわざわざこの場面から一人称変わったのよ。」
「ヨシのは、そういう年頃ってだけじゃねえの。」
「わかってないわねえ。よっくん最近なーんかちょっと優しくなったっていうか、気遣いができるようになったな……って思うの。ただ周りに合わせてかっこつけて一人称を『俺』に変えてたあんたとは違ってね。」
佐和子の言う通り、中学生になったばかりの頃、自分を『僕』と呼んでいたら馬鹿にされる気がしてわざわざ一人称を変えた俺。あの頃は若かったな。
「こういうの、女子はちゃんと気づくのよね。よっくんが好きになるのってどんな子だろうねえ。」
読んでいた漫画はもう閉じられ、佐和子は口を両手で覆いうふふと笑っていた。
時間を見ようとスマホのホームボタンを押すとメッセージの通知が何件か来ていた。部活の同学年メンバーのグループは毎日誰かが何かしらメッセージを送ってくる。時刻は21時1分。
「お前は宿題とか無いわけ?」
解き終わったプリントをノートに挟み、佐和子の方へ振り返る。
「あるわよ。土日にやるし。」
「まあそうだよな。」
「そろそろ帰るわ。コンビニにも行きたいし。」
すっと立ち上がり、佐和子は漫画を本棚の元の場所へ戻した。
ノースリーブのシャツにショートパンツを履いている佐和子を見て、俺はデスクライトを消し椅子から立ち上がった。
「俺も行く。」
家から歩いて10分もかからない場所にコンビニがある。入口の箱形の灰皿が撤去されてから何年も経つが、必ず店の前でたばこを吸う奴らが何人か立っている。今日もたばこを吸っている連中を、コンビニの白い光が店の中から照らしていた。
「臭いし寿命縮めるし、何がいいのかさっぱりわからないわ、たばこ。」
店内に入った瞬間、佐和子が不機嫌そうに呟く。
「外の人に聞こえたらどうすんだよ。」
「これ食べてみたかったんだよねー。」
俺の言葉も聞かず、無邪気にスナック菓子を物色する佐和子。食後に甘いものを食べたくなる、と言ってよくチョコを食べている佐和子は、それなのに手も脚も、顔も、すらりと細かった。
下を向いた時に落ちてきた髪を佐和子は耳にさっとかけた。耳たぶの辺りからイヤリングのように暗いピンク色の髪が伸びる。
「髪染めたの?」
「うん、内側だけね。インナーカラーってやつ。」
「高校デビューかよ。」
「かもね!うちの学校、校則あんまり厳しくないじゃん?それに中学の時と違って、部活も厳しくないしさ。」
中学時代に佐和子が入っていたテニス部はうちの学校では一番厳しくて有名だった。先輩は絶対的存在で、部活中の私語は禁止、先輩に質問してはいけない、見かけたら座っていても必ず立って挨拶する、怒られたら反省をまとめて部活終わりに報告する、など……軍隊のような部だった。
また先輩より目立つのも駄目だったらしく、一年生の初めの頃にピンク色のシュシュで髪をまとめていた佐和子は、黒いヘアゴムに変えるようにと注意された。ということを俺の部屋で散々文句を言いながら話してきたこともあった。
他にも嫌な先輩や恐い先輩のモノマネをしながらいろいろと愚痴を言っていた。俺は試合以外でその先輩や佐和子がどんな様子かは知らないので、佐和子がだいぶ誇張したモノマネで言っているんだろうなと内心思っていた。
俺の家に向かって左側、佐和子の家の前までたどり着いた。佐和子の家はまだ明かりがついていない。
「おじさんとおばさん、まだ帰ってないのか。」
「こんなのいつものことでしょ。会計士ってのは今月まで繁忙期だからね。」
何でもないように言葉を返してくる。
「じゃあね。」
佐和子が家の扉を開け、中へ入ろうとした。
「お前、そのカッコで夜出歩くのやめろよ。」
呼び止めるように言った。半身だけ隠れた佐和子は、顔を扉からまたひょこっと出してみた。
「カズがいるから平気よ。」
それだけ言って、佐和子は家の中へと入っていった。
もうすぐ梅雨がやってくる。昼間はすでに暑いが夜はまだ風が涼しい。
ふと思い出してポケットからスマホを出し、さっき通知が来ていたメッセージを見た。
「アンドゥが休みだから明日は自主練だって。」
瀬川が部の顧問の休みを連絡し、同期の他の4人が「了解」とメッセージやスタンプを返信していた。
さっき佐和子が読んでいた漫画のヒロインが吹き出しで「了解!」と言っているスタンプを俺も返信し、スマホの画面を消した。時刻は21時半になるところだ。
もう片方のポケットに入った缶コーヒーを開けて飲むと、口の中に苦さが広がり思わず眉を曲げた。コーヒーのあのいい香りと味は全然違うんだと、初めて知る。大人は何でこんなもの飲むんだろうとしか思えなかった。
まだ苦い液が半分以上入った缶をぷらぷらと振りながら、さっきのコンビニとは反対の道へと何となく踏み出した。
その日から毎週、佐和子を送った後になんとなく夜道を歩くようになった。
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