12 折返しの日

 ウーモが頑張った甲斐もあり、カルダの誕生会は盛大に行われている。塔の前にある広場のみならず、隣接した家々もカルダへのお祝い一色となっている。

 六十五歳のお祝いがめでたいのは既に聞いていたが、流石に盛大すぎるのではないかとウーモはいぶかしんでいた。招待状を書いている時から不思議に思っていたのだが、誰も彼も六十五の年に、これほどの会を催せるわけがない。すると、参加者の一人とカルダの会話から、彼女――より正確に言うとラティも含めて――はこのセルロの発展に寄与きよした有名人だと言うことがわかった。思えば、親戚一同が結婚式のためにドルマに集まっていたり、これほどの建築物を街中に作ったりする人物である。むしろ今までそのことにさっぱり思い至らなかった自分にウーモは驚いていた。

 そんな家に急にどこの馬の骨ともわからないウーモが転がり込んだと分かれば、普通は怪しまれそうなものだが、今日ここにいる参加者は自然と彼女のことを受け入れてくれていた。いい人の周りにはいい人が集まるからか、そうでない人とはきちんと距離を置いているのか、カルダの人望をはっきりと思い知らされる。また、自分がわざわざ招待状を全て手運びで届けていた理由はそこにもあったのだろうとウーモは納得する。だが、そういった背景がわかると余計、ウーモがここに来た初めての日にラタンと舌戦を始めたエリオスの実直さを可笑しく感じていた。


「エリオスたちも来られたらよかったのにね」


 ラタンが言う。

 エリオスがウーモにきちんと謝罪したことを知って以降、カルダとラタンの彼への評価が高いのは、彼のそういった遠慮しない部分が大きい。ただ、彼ら夫婦が田舎に行き、誕生会に来られないのを知ったとき、二人が非常に残念がっていたのは、誰でもよいからウーモの知り合いがいた方が彼女の気が休まるだろうと思ってのことだったのだが、当人はそのことには気がついていない。彼女は今給仕係として、あくせくと人と人の隙間を縫って駆け巡っている。

 すると、そこにもう一組、人混みをかき分け、塔の家へとやってきた影があった。大きな荷物を持った二人組の男である。ガタイのいい色黒の男と、対照的に青白い顔をした帽子の男である。着こなし方に差異はあれど、どちらもエリオスと同じ郵便局員の制服を着ている。


「すみませーん、カルダさん宛のお荷物です」


 ガタイのいい男が声を上げる。


「はい、なんでしょうか」


 それにカルダが返事をする。

 たまたま近くにいたウーモもそちらに反応した。


「こちら……チャールさんからのお荷物になります。どちらに置けば良いでしょうか」


 男は伝票に書いてある文字を読み上げた。

 それを聞いて、ウーモは少し落ち込む。プレゼントを送ってくれた。それはもちろん嬉しいことだ。だが、彼女はついにこの会に現れてはくれなかったのだ。ここにいる大勢の人よりも、よっぽどかカルダにとって来て欲しかった人だろうとウーモは思う。そして、この残念な思いは、カルダも同じなのだということが、彼女の表情から周囲にも伝わった。だが、それでも彼女はホストとして気丈に振舞っている。すぐに笑顔を浮かべ、荷物をリビングまで運んでほしいと男たちに伝える。


「あれ、何って?」


 母親の悲しげな様子に気がつき、近づいてきたラタンがウーモに聞く。


「……チャールさんからの、荷物だそうです」


「あの子ってば……」


 ウーモの言葉を聞き、母の表情の理由を理解したラタンは姉としての怒りを露わにする。

 だが、二人のその姿を見てもウーモは全くチャールを責めることはできなかった。それは、自分はもっと勝手な理由で、母の元へ帰っていないのだという引け目からであった。それに加え、自分の力では彼女をここへ呼ぶことができなかったのだという無力感もあった。

 そうして、ウーモが彼女たちにかける言葉が見当たらず、所在なげにしていると、一人の女性が彼女に声をかける。丸い老眼鏡をかけたその女性は、見たところラタンと同じ年ごろか少し若いように見えた。


「あなたが、ウーモね?」


「はい、そうですが……」


「初めまして。私はラドレよ。この町で教師をしているわ」


 そう言ってラドレと名乗った女性は、ウーモに名刺を差し出す。これまでに名刺をもらったことがないウーモはそれを覗き込んで読もうとするも「もらってちょうだい」とラドレに言われ、慌てて受け取った。読むとそこには、彼女の名前とともにセルロの高等教育機関の名前と紋章、そして主任教員という彼女の役職が書かれていた。


「さっきカルダさんと話していたんだけれど、彼女、あなたにうちの学校の試験を受けてほしいと思っているみたいなの。あなたが気を遣うからと言えないでいるみたいなんだけど、私はこういうことはまず伝えて、本人の意思を聞くべきだと思ってるのよね」


 まさしく寝耳に水である。確かに、この折返しのお祝いの準備中に、ウーモは自身が学校を途中でやめたことをカルダたちに話していたが、まさか彼女がそんなことを考えているなどとは夢にも思っていなかった。


「でも、私は中等教育を修了していないので……」


「らしいわね。というか、そもそも、そんな風に誰かの知り合いだからって特別に試験を受けさせるなんて、私は反対だわ。カルダさんの言葉だけだったら、私は絶対に断っていた」


 毅然きぜんとした態度でラドレは言う。そして続ける。


「でも、あなたの名前を聞いて思い出したことがあるのよ。三年ぐらい前かしらね、セルロで大規模な数学の学会があったわ。そこで、一人の教師が自慢していたのを思い出したのよ。彼のクラスにいるたった十二歳の少女の天才ぶりをね」


 寸の間何のことかと疑問に思うが、レイシャで自分に数学を教えていたあの教師のことを思い出すウーモ。彼がまさか自分のことをそこまで評価してくれていたとは知らなかった。前回レイシャであった際、矛盾した自分自身への感情を肯定するために、彼の仕事ぶりを馬鹿にしてすらいた自分を思い出す。それを申し訳なく思うと共に、人を下げてまで自分を正当化しなければ誤魔化せなくなっていた自分は、空飛ぶ海が壊れずとも、遅かれ早かれ限界が来てしまっていたのかもしれないとも思えてきた。

 また、せっかくの褒め言葉ではあったが、ウーモにとってそれは素直に受け取められないものだった。


「でも、あれは全て父からの受け売りなんです。私は天才でもなんでもなくて、ただ色々聞いていたからってだけで……」


 ウーモのその言葉に、ラドレは眉間みけんしわを寄せ言い返す。


「何言ってるの。学問ってのはそういうものじゃない。先人たちの積み上げたものを調べ、聞き、学ぶ。そしてその積み上がった巨大な山に、自分で一粒の石を乗せるの。お父さんから聞いて、それでできるなら、それはあなたの力よ」


 当たり前のようにラドレが言うその言葉はウーモにとって、全く考えたこともないもので、目の前が拓けるような感覚を覚えた。自分が人よりもできることなんて空飛ぶ海を運転することだけだと思っていた。だが、彼女の言葉を信じるならば、それは空飛ぶ海と同じようにフーゴが自分に残してくれたものである。 


「まあ、試験までまだしばらくあるから、ゆっくり考えるといいわ。それに、今日はこんな話してる場合じゃなくなったみたいだし」


 そう言って、ラドレはウーモの背後に目線を送る。そこには駅前の広場に続く細い路地がある。ウーモもそちらを振り返る。すると、そこにはこちらに向かって歩いてくるチャールとその娘の姿があった。今度は贈り物ではない。

 その姿が塔の家に近づくにつれ、彼女たちに気がついた参加者たちによるざわめきが大きくなる。彼らの中には、彼女がこの家にしばらく戻っていなかったことを知っている者も多くいるのが、漏れ聞こえる会話からわかる。

 一歩、また一歩と彼女たちが塔の家へと、そしてカルダの元へと近づいてくる。それに合わせるように、参加者たちのザワザワとした話し声が静かになっていく。

 ついに彼女たちが家の前に着く。場はしんと静まり返った。今、この広場にいる人々はその中心にいるカルダとチャールのことを見つめている。

 緊張感が一帯に漂う中、チャールが口を開いた。


「ただいま、母さん」


「おかえりなさい、チャール。それにクーペも」


 そう言ってカルダは自分の娘と孫娘を抱きしめた。

 その光景を目にした客人たちから割れんばかりの歓声と拍手があがった。ウーモはまるで感動的な劇の終幕を見ているようだと感じる。それは、彼らの幸せに対する喜びとともに、自分は結局その外にいるのだという寂しさがそこにあるからであった。

 そんな疎外感を感じているウーモを見つけたチャールが彼女の名前を叫ぶ。


「ウーモから手紙をもらったのよ。空飛ぶ海が壊れてから、母さんとラタンにとてもお世話になってるって。それで、母さんたちのために、ぜひ来てほしいって」


 チャールが近くにやってきたウーモの肩に手を乗せ、そうカルダに伝える。


「クーペが泣いただけであたふたしていた女の子が、大事な汽車を失っても、それでも必死に頑張っているのに、私何してるんだろうと思って。それでやっと……やっと帰って来られたわ」


 それを聞いたカルダが目に涙を浮かべ、ウーモを優しく見つめる。


「あなたには、本当に感謝しかないわね」


 そんなカルダの愛と優しさのこもった言葉に応えようと、ウーモが笑顔を返す。その笑顔はまだ少しぎこちない。カルダたちからすれば、彼女はもう立派に家族の一員だった。しかしウーモだけが、いまだこの輪の外に自分がいると思っている。

 カルダはウーモのその笑顔を見て、この折返しの日から始まる彼女の新たな人生の目標を見つけた。今目の前でぎこちない笑顔を浮かべている女の子に自分たちを真に受け入れてもらえるよう、精一杯努力しよう。この子に気を遣わせないように、それでいて押し付けないように。それはきっと、失われてしまったラティとフーゴの友情への最大の手向けになると信じて。


「あ、そうだわ」


 だが、その目標への道を歩き出すよりも前に一つ、カルダはチャールへの文句を思い出す。


「そういえば、なんなの?あの大きい荷物は。あれだけ先に来たから、やっぱりあなたは来てくれないんだと思って、ひどく落ち込んだのよ」


 非難をするような口調ではあるが、それに本当に不満を持っているわけではなく、ただその場の雰囲気をより明るいものにしようとした冗談であった。実際、近くにいた人たちの笑い声があがる。

 だが、チャールだけはそれを聞き、笑うではなく、怪訝な表情を浮かべる。


「大きい荷物?プレゼントはこれよ」


 そう言ってチャールはクーペの持つ手提げを指差した。それとほぼ同時に、ラタンが家の中から飛び出してきて、叫ぶ。その声は、広場中に響いた。


「母さん!時計が盗まれてる!他にも、色々!」


 それを聞いた参加者たちが、その意味を噛み砕き、ざわめきを大きくするよりも一足早く、ウーモは広場中を見渡した。すると、先ほどの郵便配達員たちがいくつかの包みを小脇に抱え、チャールたちがやってきた駅に向かう細い路地に駆けていくのを見つける。二人のうちの青白い顔の男が塔の家を振り返る。ウーモは、その小柄な色白の男と目が合った。そして、思いだした。その男は初めてこの塔の家から離れる朝、エリオスに捕まりかけたあの朝、ちょうど今彼らがいる場所でぶつかった男であることを。エリオスはあの時、彼のことを知らなかった。


「近頃、郵便局員を騙って荷物を騙し取ったり盗みを働く奴らが現れたんだ」


 あの日、車の中でエリオスが言っていた言葉も思い出される。

 ラタンの叫び声に気がついた男たちが小走りで路地に消えるのと同時に、ウーモはここ数日乗り回していた小さな車に乗り込むため、走り出す。あの時計にはアサの羽根が使われていた。おそらくブッフォからの贈り物だろう。それに、盗んだものの中にはラタンたち家族の思い出の品が山のようにあるはずだ。もちろん、フーゴのものだって。それをこのまま見逃すわけにはいかないと、ウーモは車内に差しっぱなしのキーを回し、エンジンをかける。


「道を開けて!」


 ウーモの声が届いたかどうかは定かではないが、激しく轟くエンジンとアクセルの音に、その場にいた人たちは大慌てで立ち上がり、車の前を空ける。

 ウーモを乗せた車が勢いよく走り出し、猛スピードで、男たちが逃げた路地に入り込む。ほぼ一人乗りの小さな車とはいえ、その隙間はギリギリである。多少擦れることなど物ともせず、かといって、向かいから来る人に危険を知らせるためのクラクションを忘れずに鳴らしながら、ウーモは彼らを追いかける。

 辺りは暗くなり始めているが、先の方で彼らがひと足先に路地を抜けたのが見えた。後少しで追いつけるところだったというのに、広場に出た彼らが都会の人混みに紛れてしまう。ウーモはただでさえ限界ギリギリの速度で飛ばしている車のギアを上げ、アクセルをさらに踏み込む。このまま見失ってしまうかもしれないという焦燥で、心臓が少し痛くなる。

 広場がいつも通りの様相であれば、彼女はおそらく人混みに紛れた男たちを見つけられなかっただろう。だが、駅前の広場にいた人たちは、細い路地から猛スピードで飛び出してきた車に、叫び声を上げ、立ちすくんだ。その中で唯一足を止めない人影が二つあった。ウーモはできるだけ速度を落とさずに彼らを追いかける。街往く人や車は、今彼女にぶつかられるのを恐れ、全てその場から動かなくなっている。


「待てっ!」


 唯一、暴走する車の姿を捉えた警察官たちだけが、ウーモの後を追いかけ始めた。うっかり捕まってしまっては、彼らに間違いなく逃げられてしまう。ジグザグに人並みを駆け抜ける男たちを急ハンドルで必死に追いかける。近づいては離れ、近づいては離れを繰り返し、ジワジワとその距離を縮めていくウーモ。

 そして、ついに真後ろにつけたところで気づく。止まる気のない彼らをどうやって止めればいいのだろうか。まさかこのスピードの車でぶつかるわけにはいかない。しかし、前に回って生身の自分が押さえ込もうとしても、たちまち大男に吹き飛ばされてしまう。このままではうっかりその車体で男たちを吹き飛ばしてしまいそうなギリギリまで悩んだところで、彼女の脳裏に一つの光景が浮かぶ。

 すんでのところで彼らを横切るようにハンドルを左に切るウーモ。一瞬並走するように軽くブレーキを踏むと、ハンドルからは気持ち遠い側のドアの向こうに、大男の焦った顔がはっきりと見えた。ウーモは、その男の顔を睨みつけると、右足をアクセルから外し、ドアを力一杯切り蹴り飛ばした。勢いよく開いたドアは大男に直撃する。


「ギャアッ!」


 男は野太い叫び声をあげながら吹き飛ばされ、一緒にいた青白い顔の男を下敷きにした。

 車はウーモがドアを蹴った反動で左足でブレーキを踏み込んでしまったため、エンストを起こしながら、ガクガクと急速にその動きを止めた。少し後ろには二人重なって、呻き声をあげている男たちがいる。

 ふうと一息つき、ハンドルにおでこを当て、俯くウーモ。大きく息を吸い顔を上げると、フロントミラーに彼女を追いかけて来ている何人もの警察官が見えた。ウーモの目の前には、ラタンの運転許可証が置かれている。冷静になった彼女は自分がたった今起こした一連の騒動に顔を青くした。


――――


 だが現実はウーモが悲観していたものに比べて、はるかに味方をしてくれた。ウーモに対する注意は驚くほど簡易なもので終わったどころか、このままでは不便だろうということで、運転許可証の発行までしてもらう運びとなった。ウーモは初め、それがカルダの影響力によるものかもしれないと及び腰だったが、セルロの辺りにおいて、あの盗人二人組は彼女が思っていた以上に深刻な問題となっていたようだ。そんな彼らの悪事に対し、何も出来ていない警察はかなり面子が潰れていたようで、それを解決したウーモを逮捕したりなどすれば、当然市民からの反発は大きなものとなる。そこで、警察は彼女がセルロの市民でなく、その細かな個人情報を集めるのに手間がかかるのをいいことに、大事にはしないという判断をした。ウーモにとってもそれは何よりの結果であり、警察からの「代わりに君の協力を公にすることはできない」という言葉を一も二もなく受け入れた。

 警察からはさっぱり怒られなかったウーモだったが、塔の家に帰ってからのカルダたち一家の心配はひとしおであった。最終的には感謝と愛の言葉をくれた彼女たちだったが、ウーモはボロボロの車と共に塔の家に帰った途端、大粒の涙とともに説教されることとなった。唯一、チャールの娘であるクーペだけが、同い年のウーモの大活躍に拗ねた表情を見せていた。


――――


 そんな大波乱の折返しの日から一日経ち、今、ウーモは壊れたドアを天井にくくりつけ、セルロを離れていた。「そんなのいつでもいいわ」とカルダたちには言われたが、この車を修理するために、ブッフォのところへ向かっている道中であった。もちろん、車をめちゃくちゃにしてしまった申し訳なさもあったのだが、これを機に、久しぶりにブッフォに会いたいと思ったのが一番の理由だった。そう伝えると、すんなりとウーモは出発の許可を一家からもらうことができた。

 何もない道をひたすらに進む。エリオスとここを通った時は、視界の低さに違和感を覚えたが、今はもう一切それがない。むしろ、すでにそれが普通のことのように感じられた。

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