11 嘘
サリーダから朝食と共に「昨晩のこと、本当にお願いすると思うわ」という言葉をもらった。彼女の子供の世話をするというお願いである。まだまだ先にあるその日に自分が何をしているかは想像ができなかったが、自分にできることであればとウーモは前向きな返事をした。
それから彼らに別れを告げ、ほんの少しの道を歩き、塔の家のドアをノックをする。今度は曲がり角を間違えなかった。中からは驚いた様子のカルダとラタンが二人して現れた。現在空飛ぶ海があんなことになっているなどと彼らは知る由もないのだから仕方がないのだが、こんなにも早くウーモが来ることを予想していなかったらしい。手紙が空飛ぶ海に届くまでに、またウーモが来る決心をするまでにかなりの時間を要すると考えていたようで、カルダの誕生日までにまだかなりの日数が残っていた。
それを聞いて、これではとてもじゃないが手伝うには早すぎるはずだと、何か別で仕事を探そうかと考えていたウーモだったが、彼女たちはそれを許さなかった。二人は驚きこそしたものの人手は全く足りていなかったのだと言った。カルダの誕生日にはかなりの準備が必要であり、ウーモが来るまでは別の人を雇おうかと考えていたらしい。それを聞いて、自分を助けるための方便ではないかとウーモが疑っていると、彼女たちはこの国の歴史について語り出した。
ここセルロは古くは一つの小さな王国であり、その王はかならず六十五歳の誕生日を迎えるまでに次の王に位を譲るという決まりがあった。その王の退位する年を前向きに捉えようということから、この地域では六十五歳の誕生日を折返しの日と呼び、人々は盛大にそれを祝う文化があった。そして、カルダはまもなくその折返しの日を迎える。
レイシャでは全く聞いたことのない風習だったが、本棚から分厚い本を取り出してまでされた説明には強い説得力があった。画して、汽車守から離れたウーモの最初の仕事は大量の招待状の作成とそれの配達であった。
この塔の家には一台だけ小さな車が置いてある。子供であれば助手席のようなところに乗れるかもしれないが、基本的には一人乗りのものである。昔ラティとブッフォが二人で作ったものだそうだ。ウーモは午前中に書いた手紙をその車に乗ってそれぞれの住所に送り届けていく。ウーモはなぜ郵便局に配達を頼まないのかと不思議がっていたが、そこにはカルダとラタンの、多くの人にウーモのことを知ってほしいという思いが込められていた。
この仕事を引き受けるにあたり、先日エリオスから、この街で車を運転するためには許可証がいることを聞いたとウーモが言うと、外から見えるところに誰かのものを置いておけば、それが誰の許可証かなどということは誰も気にしないとラタンが答えた。この街で見かける車の多くに傷が見られるのはそれが理由かとウーモは察する。その車の何倍も大きい空飛ぶ海を二年も運転したからだろうか、実際運転してみるとそれは意外なほどに簡単で、ウーモはなかなか車の運転も気に入り始めていた。
そんなセルロでの生活が数日続いて今朝、塔の上で目を覚ましたウーモはまたも朝日に起こされた。ベッドの周りには、ラティが残した大量の研究ノートが山積みになっている。殴り書きで全く読めないようなものもあれば、非常に興味が惹かれるものもある。少し読み進めては足踏みするのを繰り返しながら、それでも夢中で読んでしまう。知れば知るほど、彼の知識は空を飛ぶことに留まらず、多岐に渡っていたことがよくわかった。自分も学業を続けていれば、こんなことができたのだろうかと夢想する夜を過ごしていた。
ウーモはベッドから起き上がり、散らばったそれらのノートをきちんとまとめながら、窓の外を見下ろす。空飛ぶ海には遠く及ばないこの高さですら、今の彼女にとっては、飛び抜けた高度であった。
下に降り、カルダたちと朝食を取った後、リビングの机で黙々と招待状を書いていくウーモ。今彼女が使っている目の鋭い鳥の型取られた黄色い机も、ラティの残したものである。見る人が見れば、それを書き物の台にするだなんてと卒倒してしまうほどの芸術品なのだが、そんなことを知らない彼女は紙越しに薄く筆跡をそこに残していく。
初めのうちは、こんなことでお金をもらって良いのだろうかと考えていたウーモだったが、短い文章とはいえ、流石にそれが数十枚となるとだんだん手が痛くなってくる。また、同じ内容を何度も何度も書いていると、だんだん自分が何を書いているのか分からなくなり、目が回ってくる。そうして、ウーモの疲労がたっぷり体中を満たした頃、ラタンが乗ろうとした昇降機が大きな音を鳴らした。見事に集中力が切れたウーモは、良いきっかけだと一度立ち上がり、大きく伸びをした。
すると、今度はブスンと何かの電源が落ちる音が響く。ラタンの方を見ると、困った様子で昇降機のボタンを何度も押しているのが見えた。
「どうしたんですか?」
ウーモは体を大きく伸ばしたまま声をかける。
「昇降機が動かないの。壊れたのかしら……」
「動力はどこですか?もしよければ、見てみますけど」
ブッフォほどの知識や技術はないが、空飛ぶ海を自分でメンテナンスしながら二年間の生活を送っていたウーモである。招待状を大量に書き続けるよりは、自信を持って手伝えるのではないかと思い、提案する。少し気分転換をしたかった気持ちも十二分にある。
それを聞き、ラタンはパッと笑顔を浮かべる。
「助かるわ!そこのドアから地下に降りる階段があるから、その下のはずよ。明かりは降りたところにボタンがあるわ」
「わかりました」
「でも、気をつけて。普段使ってないからすごく散らかってて汚いのよ。難しかったら、すぐに業者を呼ぶわ」
そう言うラタンに見送られ、ドアを開けっぱなしにしながら、リビングから入る光を頼りに地下へと降りていくウーモ。この家に来てもう何日も経つが、このドアの存在を気にしたことはなかった。ラタンの言葉通り、階段の時点で既に黒ずんだホコリが暗い部屋でもわかるぐらいに積もっていた。何か口当ての布でも用意すればよかったと思いながら、シャツの
下まで降りると、右手の石造りの壁に凹みがある。ウーモはおそらくここだろうと目星をつけ、そこをさらにグッと押し込む。すると、音を立てて壁の一部が動き、部屋中に外からの光が駆け巡った。昇降機のような大型の機械を所有しているにもかかわらず、この家は明かりのほとんどを自然光とランタンに頼っている。この部屋も同じで、地下であるにもかかわらず、日中であれば集光窓から入る光を部屋中に行き渡らせられるような建築になっているのだ。
こういった計算され尽くした家の造りを見ると、乱雑に収集したように見えるあの奇抜な家具たちも緻密な配置のように見えてくるから不思議だとウーモは思う。
明るくなった室内を見渡すと、おそらく昇降機の真下に当たるところに、その装置の一部と思われる複雑な機械が山となっていた。これだけホコリだらけの部屋に精密機械が詰め込まれているのを見て、ウーモはゾッとする。彼女たちは機械という機械にてんで興味がない。せめて、定期的な掃除はするように二人に伝えなければと思う。
その装置の天井と接地するパーツから丁寧に一つずつ見下ろしていくと、導線を固定するパーツの接続が甘くなっているのを見つけた。試しにそのパーツ同士をグッと押しつけると、昇降機に電源が入る音が聞こえた。ここだけでなく全体のパーツをきちんと締め直して、綺麗に掃除すれば、大掛かりな修理は必要なさそうだと安心する。
おそらくこの部屋に工具もあるだろうと、ウーモは部屋の探検を始める。と言っても、立ちながら全体がすぐに見渡せる程度の広さである。部屋の隅にこれまた雑に箱が並べられた棚を見つけ、それに近づく。すると、何か固いものを蹴り飛ばしてしまい、それは激しい音を立てた。
「大丈夫?」
その音の騒がしさと、ウーモの「痛い!」という叫び声に反応し、リビングからラタンが駆けつけてきた。
「大丈夫です!」
反射的に痛いと叫んだものの、その実あまり痛くなかった自分のつま先をさすりながら、ウーモは返事をする。
そして、こんな恥ずかしい思いをさせた物の正体を確認するために屈んでみると、そこにあったのはウーモの上半身ほどの大きさの金属でできた装置であった。片側から伸びるレバーのようなものを倒すと、中心部分が二つに分かれ、中から小さな鏡文字の凸凹がこぼれ落ちてきた。
「あら?それ、そんなところにあったの?」
先ほどの叫び声から心配して降りてきたラタンが、散らばった文字を拾い集めるウーモを見て言う。
「これって……活版印刷機、ですよね?」
「父が使ってたんだけど、もう捨てちゃったんだと思ってたわ。あ!それ使ったら招待状簡単なんじゃない?」
「そうですね……」
自分の素敵な思いつきに喜ぶラタンに対し、ウーモは少し沈んだ声を出す。自分のこれまでに書いた招待状のことを考えると泣けてきそうだが、文句を言っても仕方がない。早々に切り替えなければと思うウーモ。それにしても、こんなにも小型の印刷機が家庭にあるというのは流石である。これもラティがブッフォと共に作ったのだろうか。すると、その疑問はラタンの口からあっさりと解決する。
「それね、フーゴさんが作ったのよ」
「え!」
先ほどの「痛い!」よりも大きな声で叫んでしまい、慌てて口を押さえるウーモ。それに大笑いするラタン。
「それの裏側見てごらんなさい」
そう促され、素直に裏側を覗くウーモ。するとそこには「きったない字のお前にピッタリだろ」という言葉と共に、フーゴの名前が刻まれていた。
「これを、父が?」
「ええ、フーゴさんらしいわ」
そう言われ、ウーモは目を丸くする。自分の父親がこんな言葉遣いで話しているのを見たことがなかった。だが、すぐにサリーダとの会話を思い出す。ウーモは彼女と話して以来、思い出そうとする父の顔が、以前までよりもその鮮明さを失っているのを感じていた。あの誰よりも物知りで、優しかった彼が彼の真の姿だったのであれば、あのターニャの傲慢さを押さえられたのではないかという、これまで考えもしなかった矛盾が浮かぶようになった。「愛していたから」サリーダの言ったその言葉は、あれ以降ウーモの頭の中でモヤモヤとした煙となって充満していた。愛していたのなら、ターニャのためにも自分たち子供のためにも止めるべきだし、フーゴにはそれが出来るだけの知恵と勇気があったと彼女は信じていた。
「ところで、昇降機どうかしら?やっぱり誰か呼んだ方がいいかしらね?」
その言葉に現実に引き戻されるウーモ。自分だけで簡単に直せそうなことを伝える。
「それで、工具ってどこにあるかわかりますか」
「それなら、多分その中だわ」
ラタンが、奥の棚に並べられた箱の一つを指さす。よく見るとそこには「工具」の文字がホコリに隠され書かれていた。だが、そこに辿り着くには、さらに多くの箱を
「もしよければ、ここの片付けをしてもいいですか。あ、本当に嫌じゃなければなんですけど」
どうせなら、一気に掃除してしまったほうが便利だろうと思っての提案だった。それに印刷機が使えれば楽になるし、もしかすると、更なる父の姿を見つける手掛かりが、この中に隠れているのではないかとも思ったのだ。だが、思いの外ラタンは返事に詰まる。それを不思議に思ったのは束の間、ウーモは塔の上にあるラティの書斎がそのままになっているのを思い出した。この倉庫もラティのもので溢れている。差し出がましいことを言ってしまったと自分の提案を引っ込めようと「すみません」と言うと同時に、ラタンが「お願いしてもいい?」と被せて言う。
「難しい機械がいっぱいあって、どう触ったらいいかわからないものが多いのよ。助かるわ」
ウーモは、そう言う彼女が自分に頼む理由がそれだけではないことは分かっていたが、わざわざそれに触れることはせず、承諾する。自分のための言葉であったことを少し後ろめたく思った。「ありがとうございます」と言いつつ、ウーモは、まず手近なところから整理を始めることにした。
一つ一つ箱の中身を確認し、用途の近いものは一箇所に集めていく。そうして地下室を一人で整理整頓をしている中、一つの小さな箱を開ける。すると、そこにはラティたち家族だけが写っている写真が数枚収められていた。一番上にあるものを手に取る。それはラティとカルダ夫妻をラタンとチャール姉妹が挟んでいるものだった。照れから他の写真以上にムスッとした表情のラティを満面の笑みで囲む女性たちの写真である。ウーモは以前ここに来た時に聞いた、チャールがラティとの喧嘩以降、ここに帰って来ていないという話を思い出した。
ウーモは印刷機を使う前に、もう一枚だけ手書きで招待状を書くことにした。
――――
準備の日々は瞬く間に過ぎていった。
ウーモにとって久しぶりの他人との共同生活であり、新しい経験が山のようにあったので、これがたった一月ほどの出来事だったことを信じられずにいた。カルダもラタンもこれ以上なく、ウーモのことを温かく受け入れていた。まるで彼女のことを生まれた時から知っているかのようだった。時に注意をし、しかしそれ以上に優しく、陸で人と共に生きることの喜びを伝えようとしていた。近所の人たちも同じである。ウーモが苦手意識を持っていた都会の人々でさえも、同じ社会を共有し、言葉を交わすと、さして自分と変わらないように思えた。
初めのうちは塔の上で生活していたウーモも、毎日上に行くのは大変なので、次第に自分で整理整頓した地下倉庫に住むようになっていた。それに加え、空を飛ばなくなったことで、彼女が日中外に出る時間は例年に比べ極端に短くなっていた。すでに夏も近づく聖母の月であるにもかかわらず、彼女は以前よりも肌の色が青白くなっているのを感じる。それが理由か、今朝から外を歩いていると、いつも以上に全身の肌が日光に刺激されているのがわかった。
カルダの誕生日を夜に控えた今日、ウーモは朝早くから町中の市場を歩き回っていた。初めは一緒に料理を準備するはずだったのだが、何度作り方を教わっても、ウーモはセルロの味付けを習得することができなかった。レイシャ料理であれば美味しく作れるのに、不思議なものだとカルダたちにも言われた。であれば、レイシャ料理を出そうかとも提案したのだが、折返しの日の料理というのはセルロ料理に限ると決まっているらしい。そこでウーモは買い出し係を自ら買って出ることとしたのだ。
だが、今、ウーモは自分のその言葉を後悔している。準備のあまりの多さから、彼女はすでに一度家に食材を持ち帰ったにもかかわらず、またも両腕を食材でいっぱいにしなければならなかったのだ。一人で大丈夫と言った手前、今更手伝ってとは言い出せず、汗だくになりながら、今日一日で去年の肌の色を取り戻すほどに外を歩き回っている。塔の家の車に両手で持てるほどの荷物すら載せられるようにしなかったブッフォとラティを恨む。その上、今年の聖母の月は例年よりも暑く感じる。それはどうやらウーモだけではないようで、休憩のために立ち寄ったカフェは、テラスにしか空席がなかった。
日光を遮った
このまま店先で派手に倒れてしまうのだろうか。そんなウーモのした予想に反し、彼女の体は不思議と地面に着いていなかった。代わりに誰かがそのがっしりとした腕で自分の体を抱き抱えてくれている。本来ならばその幸運に感謝すべき状況だが、なぜか嫌な予感がウーモの脳裏によぎった。徐々に中心から彼女の視界が戻ってきた。
なんという日だろう。自分を支えてくれた人の顔を確認して、ウーモは思う。
そこには、あのナンパ男ケテールが立っていた。
体が強張るウーモ。急いで体勢を立て直すと、相手の腕を振り払うようにして離れる。警戒からケテールのことを睨みつけた。
そもそもが意志の強さを感じさせるウーモの目でジロリと睨まれたものだから、ケテールはひとたまりもなく身をすくめる。実のところ、彼はその時まで、彼女のことを完全に忘れていた。たまたま行きつけのカフェに入ろうとしたら、目の前の女性が倒れそうだったので手を差し伸べたのだ。そのただの親切心に対して、こうも警戒されたことを不思議に思っていたのだが、彼女のその目を見て、数ヶ月前のウーモとのことをはっきりと思い出した。
「君は、あのときの……」
ケテールにとっては、本当にたった今思い出したからこそ出た言葉だったが、警戒しているウーモからすれば、それすらも芝居がかった言葉に聞こえ、その警戒をより深める結果となった。それゆえに彼女が選んだ次の行動は、無視して反対方向へと歩き出すというものだった。
「本当にごめん!」
だが、数歩踏み出したところに、大きな声での謝罪を受けて、ウーモはうっかりとその歩みを止めてしまった。ただでさえ暑い日差しの中ヘトヘトだったところに、大荷物を抱え、突然の最悪の出会いである。そんな状況下で、一度止めてしまった足をもう一度ゼロから動かすには、かなりの体力が必要である。急な相手の謝罪によって混乱した彼女の感情は、先ほどそれを可能にしてくれた怒りの力を少しばかり抑えてしまった。
「いや、申し訳ありませんでした。怖がらせてしまって」
ウーモは別に話を聞くために止まったわけではなかったのだが、この機会を逃すまいとケテールは言葉を続ける。数歩分離れた距離を詰めることはしない。
「その……好きな人がいたんだ、幼い頃からずっと。いや、多分今も変わらず好きなままだ」
それだけで、ウーモの頭にサリーダの顔が浮かんだ。おそらく彼が話しているのは彼女のことだろうと直感的に思った。
「でも、あの男が急に現れて……。そしたら、急に自分が一人ぼっちになってしまう気がしてしまって、でも彼女に想いを伝える勇気がなくて……。その寂しさを埋めるように、手当たり次第いろんな人に声をかけたんだ。でも、彼女のお腹がどんどんと大きくなって、それを幸せそうに撫でる彼女を見て、そして気が付いたんだ、自分の過ちに。他の人たちにもだけど、君にも悪いことをしてしまったと思っている。本当に――」
「本当にそう!」
ケテールの独白にも似た言い訳をウーモは強く
「別に謝ってもいいけれど、私は絶対に許さないわ。許す道理なんて一切ないし、その謝罪だって、悲劇の主人公になりたいためのあなたのエゴじゃない」
そう言いながら、ウーモはそんなことを大声で言っている自分に内心驚く。
「私が一生許さないから、それを肝に銘じて、二度と他人にああやって迷惑をかけないで!」
さらに声を張り上げ、その力を利用し新たな一歩を踏み出すウーモ。
そんな彼女をケテールはあっけに取られて見送る。人に許されることに慣れていた彼にとって、それは初めての経験であり、感銘を受けるでも、怒りに震えるでもなく、ただただそこに突っ立っていることが精一杯のできることであった。
一方のウーモも、顔を真っ赤にしながら、必死に足を前へ動かす。街中であんなにも大きな声を出してしまったことは初めてだったし、人にあんな態度を取ったのも初めてのことだった。
別に本心はどうであれ、その場は適当に謝罪を受け入れて、今後無視し続ければ、それで平和に過ごせたはずである。しかし、それでもウーモが声を荒げずにはいられなかったのは、強い言葉で彼を退けずにはいられなかったのは、彼の苦しみが自分の苦しみと同じ物であると感じたからに他ならなかった。
手当たり次第に女性に手を出すことと、空飛ぶ海で人を運ぶことには結果として大きな差がある。だが、そこに至った原因として、自分は彼と同じように、ずっと孤独に怯えていただけだったのだと気がついてしまった。一人になるのを選んだのは自分なのに、話すのだって仲良くなるのだって苦手なのに、それでも一人が寂しかったのだ。他者に感謝されることでその穴を埋めようとしていたのだ。人に絶対に感謝されることをすれば、多くの人が自分に優しく接し、自分が孤独であることを誤魔化すことができた。乗客のために、父のために空飛ぶ海を飛ばすのだという自分の言葉が、実は心からのものではなかったのだと気がついてしまった。ただ、他者からの感謝にしがみついていたからこそ、自分の命が削られていようとも、それをやめることができなかっただけだったのだ。気がついてしまった自分自身への嘘。ウーモは自分の心臓の音がこの辺り一帯に聞こえそうなほどに大きく鳴っているような気がした。今それほどにいっぱいいっぱいになっているというのに、自分にあんなことをした人間はあっさりとその孤独を乗り越えて次のステップへと行ってしまったかのように振る舞っていた。つまり、あの大声はウーモにとって正当な理由を味方につけた八つ当たりでもあったのである。
それでも、起こした行動が他者のためであるところにウーモの優しさがあり、だからこそ人々は彼女に手を差し伸べるのだが、今この場にはそれを彼女に教えてくれる人は誰もいなかった。
額から流れる汗が、ウーモの目に入る。拭おうにも、彼女の両手は塞がっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます