2 セルロの休日
結婚式帰りの乗客を全員送り届けたウーモは、その次の日の朝、あの母親との約束を果たすためにセルロへとやってきた。運良く途中の町々にセルロへ向かいたい人が数人いたので、彼らも乗せている。普段はあまり大都市には直接向かわないため、乗客からも助かったよと礼を言われた。都会に停留しようと思うと、いくらか代金を払わなければならない。その分ぐらいは彼らの運賃で賄えそうだとウーモは喜んだ。例の小包の郵便代としてお金をもらったが、正直なところそれだけではセルロに一日汽車を停めるだけで、そのほとんどがなくなってしまう。どうせセルロへ行くなら少しは観光したいと思っていたウーモから見れば、彼ら乗客の方こそが渡りに船となった。
今回の道中では誰かに話しかけられることもなく、スムーズにセルロに着き安心していたのだが、着陸後すぐに一人の駅員に
上空だけでなく、
ウーモが鍵を探しながらうろうろと車両の端から端まで歩いていると、
「もう、か……」
一人
鍵のことを一度頭の片隅に追いやり、ベッドへと向かう。彼女はベッドの下の隙間にいくつかの金庫を隠している。それらの中で最も頑丈なものを取り出し、一番右端だけがすり減ったダイヤル式南京錠のその右端を三つ分回す。カチリと音がして、
ウーモはその石を
「ふう」と息を吐くウーモ。側から見れば誰でもできそうな作業だが、やっている本人は神経を張り詰めている。どっと疲労が体に押し寄せた様子で、機関室を出て、そのままベッドへと向かい、倒れ込んだ。
「ちょっとだけ、寝よう……」
ウーモは自分が朝から休まずここまで運転していたことに気がついた。膝を抱え込むように丸くなる。すこしズキズキしている自分のふくらはぎを撫でていると、あっという間に眠りについてしまった。
――――
ほんの少しの時間のつもりだったのだが、ウーモが目を覚ますと、すでに日が落ちかけている。せっかく観光できると思っていたというのに、半日もベッドの上にいたなんてと少しがっかりする。
だが、あまり後悔を引きずっても仕方がない。ササッと服と髪を整え、肩からカバンを下げ、郵便の小包とともに外へと出る。鍵はもう諦めた。目の前には駅で働く人たちがいるのだから、怪しい人影があれば、さすがに彼らが言ってくれるだろう。いくら自分の着陸がうるさいからと言って、彼らが泥棒を見過ごすほどに意地悪ではないはずだとウーモは信じることにした。
――――
街を少し歩くと、その賑やかさに驚く。いまだ外を走り回る子供達に、呼び込みをする店の人々。田舎中から集めたほどの数の車が、たった一つの道路を行き交っており、なぜだかそこかしこに傷をつけていた。都会に出たのが久しぶりだったので、ウーモはセルロに生きる人々の時間感覚を忘れていた。この時間に初対面の人の家を訪ねることを少し
肩掛けカバンに入れるには少し大きなその小包を両手に抱えながら、ウーモはこれを届けた家の近くで食事場所を探そうと考えていた。街の中心地にある食べ物はその味に比べて値段が高すぎるが、住宅街の方であれば、安くて美味しいものが見つけやすい。ウーモが空飛ぶ海で国中を周るようになり、最初の一年で学んだことである。
もしかしたらこれを届けた際に、あの乗客の母親から良いお店を教えてもらえるかもしれないと考える。ウーモが美味しいご飯に思いを馳せながら進んでいると、思っていたよりもすぐにメインの大通りは過ぎ、住宅がちらほらと見えてきた。この辺りになると、セルロでも道は広く、人もまばらになってくる。気をつければ空飛ぶ海でも通れそうだなとウーモは思う。
小さな広場に何軒か並ぶレストランから漂う香りで、自分がすでに腹ペコであることに気がついたウーモは、小包から片手を離し、自分のお腹をさすった。やはり、先に食べてしまおうか。そんなことを考える。すると、グラッと小包が重心をずらし、ウーモの手から滑り落ちそうになる。咄嗟にそれを庇おうとしゃがむも、今度は自分がバランスを崩し「きゃっ」と叫ぶとともに尻餅をついてしまった。なんとか、小包と地面の間に自分の体を滑り込ませることには成功したが、通りのど真ん中で、
ただでさえ、この辺りでは見かけない背の高い女性が街中をキョロキョロと見まわしている状況だというのに、それに加えて子供のような叫び声とともに急に転んだのだ。否が応でも視線を集める。
「あ、あの……」
そんな周囲の視線に気がつき、慌てて立ちあがろうとするも、両手を塞いでいる荷物と焦りからすぐに立ち上がれない。ウーモはこれが先ほどのメイン通りでなくて本当に良かったと思う。すると、そこへ一人の男性が近づいてきた。二十歳を少し過ぎた頃だろう。柔らかい印象だが、がっしりとした
「大丈夫?」
そう言って、その男性は見た目通りの筋力で、片手で小包を、もう一方の手でウーモの手を掴み、立ち上がらせる。
「あ、はい……。ありがとうございます」
「いやいや、お礼なんていいんだよ。怪我はない?」
「大丈夫です。ちょっと転んだだけなんで」
感謝の意を込めて、必死に口角を上げたウーモだが、すぐにそれが失敗だったと気づく。立ち上がってすでに一呼吸間を置いたというのに、その男の手がウーモの手から離れない。自分の胸の真ん中にある管のような何かがキュッと縮むような気持ち悪さを覚えた。
「君、あまり見ない顔だけれど、どこから来たの?」
男の質問に、ウーモは以前別の大きな街に行ったときのことを思い出した。そこでも似たようなことがあったのだ。なぜこういう手合いは善意をこうも
「手、離してください。私十五ですよ」
「あ、そうなの。ところで、そこの露店で素敵な髪飾りが売っているんだ。きっと君の美しい髪に似合うよ。どうかな?」
十五歳であるというその言葉を信じていないのか、そんなことを気にしない異常者なのか、男はウーモをより自分の近くへと引き寄せる。簡単に体ごと引きずられた恐怖と嫌悪感から目頭が熱くなるのを感じたウーモは必死にそれを堪えた。もし少しでも涙を浮かべたら、こういう人間は自分を弱い生き物だと認識する。それが許せなかった。右手に力を込めるも、その男から離れられない。周囲にいる人たちの多くは、若い男女の微笑ましいやり取りとしか捉えていないようだ。脳内に、ふと翼を広げたロロの姿が浮かんだ。
「離してっ……!」
ウーモが叫ぼうとするも、それに慣れない
男がそれにニヤリと笑みを浮かべ、露店の方へと足を一歩踏み出す。その瞬間、近くにある家から、鉄の塊を叩きつけたようなガシャーンという大きな音が鳴った。その音のあまりの激しさに、そこにいた人々がビクリと体を震わせた。
「こらっ!ケテール!」
その大音量を響かせた家から、鉄のフライパンとおたまを持ったエプロン姿の女性が出てくる。ウーモの目の前の男よりもさらに十ほど年上に見える彼女は、小柄ながら
どうやら、その女性は男の知り合いのようで、おたまをまっすぐ彼に向け、ずんずんと近づいてくる。
「その手を離しなさい、ケテール!」
ケテールというのは男の名前だろう。そう叫ばれて、彼は気まずそうにウーモの手を離した。
「なんだよ、ほっとけよ!」
「ほっとけるわけないでしょ!人の家の前で何してんのよ!」
「あんたには関係ねえだろ!」
「関係あるわよ!私が何回あんたのお母さんの代わりにオムツ変えてあげたと思ってるの?」
「てっ……」
相手の言葉というよりはケンカ口調のその音に反応し何かを言い返そうとしたケテールだったが、その言葉が口から出るよりも前に、女性の言葉の意味をしっかりと理解し、何も言い返せなくなる。顔を耳まで真っ赤にしながら口をパクパクとさせるケテール。
先ほどまであのような態度でウーモに接していた彼のその間抜けな表情に、ウーモは思わず「ぷっ」と吹き出してしまう。すると、それがさらに彼の自尊心に追い打ちをかけたようだ。先ほどまでウーモを捕まえていた手を力強く握り締め、腕に抱えていた小包をウーモに押し付けると、逃げるようにどこかへと走っていってしまった。広場にいた人々はそこまで見てようやく状況を理解したようで、口々に「怖いわねえ」だとか「お前も気をつけるんだぞ」などと今更緊張感を持ち始めたようだ。
一方、ケテールの後ろ姿が消えるのを見届けたウーモは、今度は安心からしゃがみ込む。
「はあ……」
「大丈夫?」
たった今ケテールを追い払ってくれた女性がそのウーモの姿を心配し、声をかけた。
「は、はい。大丈夫です」
ウーモの返事を受け、先ほどまでの迫力とは打って変わって、女性は優しさに溢れた笑顔をウーモに向けた。
それは荒んだ他人の気持ちですら、すぐにほっとさせてくれるような暖かい笑顔で、ウーモはその笑顔を羨ましく思う。
「本当に、ケテールには困ったものだわ……。前はあんな子じゃなかったのよ。それが背が大きくなるのと一緒に態度まで……」
何か言い訳のように言う女性。だが、正直ウーモはあまり彼についての話をこれ以上続けたくなかった。出来ることなら無かったことにしたいが、今だに右手には握られた感触が残っている。今度はゆっくりと一人で立ち上がりながら、その右手をシャツの
「本当に、ありがとうございました。あまりこの辺りの勝手がわからなくて……」
「いいのよ、気にしないで。それに、あんなバカはあの子ぐらいだから、もう安心して。次会ったら、こっぴどく叱ってやるわ」
「ところで」ウーモは無理やりケテールから話を変える。「この荷物をお届けしたくて……。こちらの住所ってわかりますか」
そう言って、ウーモは女性に小包の外側に書かれた住所を見せる。うっかりとウーモが自分から読める方向で箱を出してしまったので、その女性は首を体ごとグイッと傾けながら、その箱を
「えっと……あ、カルダおばあさんね!もう、ほんとにすぐ目と鼻の先よ。あそこの赤い屋根ののっぽなお家見える?」
そう言って彼女は、目の前にある角を曲がった通りの先の方を指差す。
彼女は「家」と言ったが、その指の先にはどちらかと言うと「塔」のほうが似合いそうな石造りの細長い建築物が、他の建物の屋根と屋根の間からグンと突き出していた。
「もしよかったら、一緒に行かせてちょうだい」
おそらく、子供の頃からケテールを知っているからだろう。その態度から、どうやら彼女は先ほどの一件について責任を感じているらしいのが見て取れた。ウーモに対してどことなく申し訳なさそうな表情を常に浮かべている。だが、ここから見えるその家は、彼女の言ったとおり、ほんの少し歩くだけで辿り着けそうなところにある。
「いえ、大丈夫です。本当にすぐそこみたいなので。ご親切にありがとうございます」
なるべく丁重に断り、返事を聞かずに俯いたまま歩き出すウーモ。押し問答になってしまうと、断れなくなってしまう自分を理解しているのだ。「あっ」と手を伸ばしウーモを止めようとした女性だったが、ウーモのその雰囲気に声をかけられず、ゆっくりとその手を下ろした。
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