1 空飛ぶ海

 この国では、空高くにモクモクと青い煙を立てながら走る蒸気機関車が見られる。空にありながらも、その煙の青はまるで海のように深い色をしており、いつからか人々はそれを〈空飛ぶ海〉と呼ぶようになった。

 中心都市のドルマにある一番高い建物ですら、その飛行高度の半分にも及ばないこの国で、空飛ぶ海の姿は遠く離れたところからでも見つけることができた。ただ、機関車と言っても、小さな機関室と運転席、それから汽車守きしゃもりの生活スペースが詰め込まれている先頭車両の他には、客席である二両目があるだけだ。地上を走る蒸気機関車が十や二十の車両を悠然ゆうぜんと引き連れているのに比べると、非常に小柄なものである。

 地上を走るそういった大型機関車は今や新しいものでは無くなったものの、その恩恵を十分に受けられるのはいまだ都市部ばかりで、地方に住む人々は大きな病院に行くために馬車で半日以上揺られて過ごすこともザラにある。中には車を持つものもいるが、整備されていない田舎道ではすぐに壊れてしまうため、あまり好まれていない。

 そんな不便な思いをしている人々にとって、時に寄り道しながらも、田舎の町村を巡回し、人々を各地へと送り届けている空飛ぶ海は、二十年ほど前に現れて以降この地域に無くてはならないものであった。だが一方で、その運転士と車掌の仕事をたった一人で行なっている〈汽車守〉ウーモのことをよく知らない者は多い。いまだに多くの客が、この無骨な鉄の塊に乗り込む際に、若い女性がたった一人で切り盛りしているのを見ては、ギョっとした表情を見せている。

 現在、空飛ぶ海の二車両目には、ドルマで行われた盛大な結婚式から各々の町村へ帰る人々が乗っている。以前訪れた町でウーモは相談を受け、今日は彼らだけの貸切となっている。そんな状況からか、車両にはいつもとは比べ物にならないほど大きく話し声が響いている。


「ねえ、お姉さんはどうして汽車守になろうと思ったの?」


 その貸切客の中の一人の少女がウーモに声をかけた。

 どういう仕組みか、空飛ぶ海が安定して動いている間、運転席をしばらく無人にしても問題が無いらしく、どこかの町村が近づくたびに彼女は後ろの車両に来て、降りたい人がいないかを直接確かめに来ていた。以前は運転席にあるベルから客席に長いロープを渡し、それが鳴ったら降下していたのだが、子供や初めて乗った乗客が関係ないところで鳴らしてしまうことが多いので、やめてしまっていた。

 ただ、このタイミングで乗客から個人的なことを話しかけられることは滅多にない。車両を埋め尽くす親戚や友人一同という空気がそうさせたのだろう。だが、予想外のタイミングと、今も車内の至るところで交わされる賑やかな会話によって、少女の問いかけはウーモの耳にしっかりと入ってこなかった。


「何?」


 ウーモとその少女は頭一つ以上の背丈の差があるのに加え、少女は座席にしっかりと腰を下ろしている。少女はウーモにそのつもりがないことを重々承知だったが、自分の父親ほどの背丈の女性が、その大きな目だけをギョロリと見下ろして放った短い言葉に、一瞬たじろいでしまった。

 すると、ウーモはその少女の怯えに気がついたようで、ゆっくりと少女の方に向き直し、相手の目線まで腰を落とし、もう一度聞き返す。


「ごめんなさい、よく聞こえなかったの。なんて言ったの?」


 笑顔でこそないものの、ウーモのその優しさを声から感じ取った少女は、自分の緊張を振り払い、ハキハキと話し始める。


「お姉さんは、どうしてここで働こうと思ったの?って聞いたの。今日は従姉妹いとこの結婚式があったんだけどね、私が今親戚で一番年下なの。だから、今日の結婚式でお前は将来どうするんだって質問攻めにあって……。でも、そんなにすぐに将来のことなんて決められないわ」


 もともとお喋りな性分なのだろう、少女はウーモが話をしっかりと聞いてくれるとわかると、どんどんと早口になっていった。


「それは……大変ね。でも、私だとあまり参考にならないと思うわ」


「そんなことないでしょう?一人でこんな立派なお仕事してるんだもの」


「立派なことないわ。あなたにだってできるわよ」


 そう返すも、平坦に話すウーモの言葉はどうやら説得力にかけるようで、少女は納得しかねている。彼女のその表情から更なる質問がやってくるかもしれないとウーモが身構えていると、隣にいる少女の母親が「お仕事の邪魔をするんじゃないの」と少女を厳しくたしなめた。

 ウーモは「大丈夫ですよ」とその母親に言うが、あまり自分が接客を得意としていないことを自覚していたので、内心そのことに感謝していた。母親の注意を重く受け止めたのか、渋々座席に深く座り直した少女を見て、話を切り上げ、運転席に戻ろうとするウーモ。だが、先ほどの少女の言葉の中で一つひっかかっていることがあった。



「ところで、あなた今いくつ?」


「この前の揺れの月で十五になったわ」


「じゃあ、私はお姉さんじゃないわ。同い歳よ。雨雲の月生まれだから、少しお姉さんかもだけれど・・・」


 ウーモの言葉に少女は文字通り口をあんぐりと開ける。近くで会話に聞き耳を立てていた他の大人たちすら顔を見合わせ言葉を失っている。

 頬の丸みにこそそのあどけなさをほんのりと残しているが、成人男性に並ぶ身長に、意志の強さを感じる目と先の尖った鷲鼻わしばな、耳すらはっきりと見えるほどに切られた短髪から、ウーモは自分が年相応の外見を持たないことを理解していた。仕事をする上でそれはむしろプラスに働いていると感じていたし、自分からそう思われるようにしている部分もある。だが、やはり同じ歳の少女にお姉さんと呼ばれるのはむずがゆい気持ちになる。そう思っての訂正だったのだが、将来に悩むその少女にとって、それは二重のショックになってしまったようだ。


「そう……同じ歳なのに、こんなに立派に……」


 たった今、文字通り乗客全員の命を預かり、立派に働いている人物が自分と同じ歳の人間であるという事実に、みるみる表情が暗くなる少女。


「でも、本当にそんなすごいことじゃないわ。二年も働いているから、慣れているだけ」


 フォローのつもりでかけたウーモの言葉が少女に追い打ちをかける。それはつまり、その少女が働くなんてことを考えたこともなかった時から、ウーモが彼女の言う立派な仕事をしていたことに他ならないからだ。

 ウーモは自分の失敗に気がつくと同時に、その少女に対して、なんと表情豊かな子だろうかと見惚みとれてしまう。さっきまで笑顔だった少女の目にはうっすらと涙が溜まっているのが見える。自分にも少しぐらいその能力があれば、怒らせずにすんだ人がいたかもしれない。そんな考えに思いを馳せていたのも束の間、客を泣かせてしまったという問題の大きさに気がつくも、自分にできることが何も思いつかず、手をこまねく。



「その……」


「あら、ごめんなさいね。大丈夫よ」


 そんなウーモの様子を見て、先ほどからチラチラと二人の会話を気にかけていた少女の母親が、ウーモに救いの手を差し伸べる。


「もう……あんな言葉なんか気にしなくていいって言ったじゃないの。そんなメソメソと!」


「だって……!」


 少女が言う。


「気にしたいならいいけど、急いだって変わらないことの方が多いんだから。それよりも自分の部屋の掃除してほしいわ」


「それは今関係ないでしょ!」


「そういうことの積み重ねが大切なのよ。だいたいあなたは昔から……」


「あの、誠に申し訳ありません」


 母娘のテンポのいいやりとりに、言葉を挟むタイミングを逃してしまっていたウーモは、何に謝っているのかもはっきりしないまま、とりあえずの謝罪の言葉を伝えた。すると、その母親が「別にあなたが謝ることじゃないじゃない」と笑いながら言う。

 その母親の言葉は至極しごく真っ当なものだ。だが、一度してしまった謝罪を「確かにそうですね」と懐に戻すのも難しく、もにょもにょと「そんなことはないですよ」といった言葉を繰り返す。

 ウーモは涙ぐみうつむいている少女に、顔を上げて今の自分の姿を見て欲しいと思った。こういった小さなミスを積み重ねている自分の姿を。もし、この汽車を運転しているのがもっと大人の誰かであれば、上手にこういった局面を切り抜けられる方法を知っているのではないかという気がしてならなかった。だが、それでも彼女は車掌である。何かこの場を収めるための言葉を必死に探す。

 そんなウーモの姿を見かねたのか、少女の母親は「そうだ」と呟き、何か思いついたように、床に置いていた旅行用の大きなカバンに手を入れ、ガサゴソと何かを探す。


「いいことを思いついたわ。そんなに気が咎めるなら……、一つお願いしたいことがあるんだけれど……どうかしら?」


 そう言って、彼女はついにカバンからお目当ての小包を取り出す。


「あなた、セルロにも行く用事はある?」


 セルロはこの国で二番目に大きな街である。実際のところ特別な用事がなければ、ウーモがセルロを訪れることはなかった。あまり都会に良い印象がない。それでも、その母親の言いたいことを察し、一言「はい」と答える。


「そこにね、私の母が住んでいるの。足が悪くて、結婚式に来られなくってね……。住所はそこに書いてあるとおりだから、もしよければこれを持っていってくれる?ちゃんと郵便代は払うから」


 そう言って、その母親はたった今取り出した、片手で持つには少し難しそうな、けれどさほど重くはない四角い小包をウーモに手渡した。贈答用にそれをラッピングしている綺麗な紙の上に、宛名書きの紙が重ねて貼られている。

 ウーモは、これが客を泣かせてしまったことの償いとしてちょうどいいのかはわからなかったが、自分が始めてしまった終わりの見えないやりとりを終わらせるには、ありがたい提案だった。


「わかりました。お預かりします」


「ありがとう。あなたに女神のみ恵みがあらんことを」


 女性はウーモに祈りの言葉を唱える。ウーモが一度も信じたことのない女神の力を借りて。

 ウーモは、目の前で小さくなっていた少女のか細い「ごめんなさい」の言葉に対して、一向に上達しない笑みを返し、やっと運転席に戻るタイミングを手に入れられたことに安堵あんどする。

 不幸中の幸いか、彼女の涙によって乗客からは先ほどまでの騒々しさが幾分か抑えられていたので、ウーモはまもなく到着する町の名前を乗客たちに告げる。すると、ほとんど全員がそこで降りると手を挙げた。


「では、これから上陸します。大変揺れますので、座席に座って、しっかりと手すりなどに捕まってください」


 そう言って一礼し、ウーモは先頭車両へと戻ることに成功した。

 運転席に座り「ふう」と息を吐くウーモ。どれだけ回数をこなしても、人前で話すのは苦手意識があった。

 ちらりと棚の上にある写真立てに目をやる。そこには笑顔で小さな少女を抱える、白髪混じりの癖毛の男性が写っている。


「よし!」


 ウーモは自分に気合を入れ直し、地上にある目印に目をやる。何年も前に町の人々が空飛ぶ海のために作ってくれた停留スペースがそこにはある。

 グルグルと螺旋らせん状に回りながら、空飛ぶ海は少しずつ降下していく。その姿を見つけた地上の子どもたちが指をさし叫んでいる声が聞こえ始めた。

 三・二・一・ドスン!という大きな音とともに車内には激しい振動が伝わる。乗客たちの「わ!」という声が聞こえる。

 空飛ぶ海は空高くから地面へと帰ってきた。


「お父さんみたいにはいかないな……」


 着陸から数分の後、停留所の目印の上で完全に停止した空飛ぶ海の運転席で、ウーモはひとりごちた。

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