第1話

 夜を歩くのは、ユカにとって日常だった。


 毎日、毎日、灯りに群がる羽虫のように、暗闇に煌々と浮かぶコンビニまでの道のりを、とぼとぼと歩いていた。欲しいものは、特にない。行かなければいけない、こともない。ただ、じっとしていると、自分が生きているのか死んでいるのか、その境目がよくわからなくなってくる。

 でも、太陽の光は嫌い。だから夜を待っていた。真夜中の、行きかう人もいない、息絶えたように感じる街が、好きだったからかもしれない。


 いつもの時間、いつもの散歩コース。あの人は、いるんだろうか、あの場所に。そんなことを思いながら、ユカはぼんやりとした視線を彷徨わせる。


 ―― いた。


 胸の中で呟く。胸の奥が、呟いた言葉に反応して、とくんと鳴る。


 もう何カ月も前から、夜のコンビニの前にたむろする、グループの中心にいるその人が、ユカは気になっていた。一度だけ、傍近くを通ったその人の、陶器のような横顔が忘れられずにいた。キロリと向けられた黒目ばかりの瞳の、空洞のような昏さ。驚くほど整った顔立ちに、その瞳の無機質さは、ゾクリとした悪寒すら覚えさせた。


 怖い、と思った。


 けれどそれ以上に、興味を惹かれた。あの瞳には、この世界はどんな風に映るんだろう。声を聞きたいと思った。あの何も考えていないような瞳で、どんな風に話すのか、知りたかった。言葉には、体温を感じられるんだろうか。


 それからは、コンビニに行くたびに、その人がいるかどうか確かめた。その人がいる夜は少しだけ長く、コンビニにいた。


 狭い駐車スペースにいるのは、いつもだいたい同じ顔ぶれで、何をするでもなく、ただそこに集まっているだけのような、そんな雰囲気だった。奇妙に明るいコンビニの灯りの下、彼らはいつも、餌を分け合う野良猫のようにひとつのものを食べている。誰かがいなくなったり、戻ったり。その人も、いる時といない時があった。時々、二度と見なくなる人もいて、それが、その人でなければ良いと、思っていた。


 彼らに対する好奇心は、日毎に募っていく。それでもユカは、彼らを真っすぐに見てしまわないように、視線を逸らして彼らの前を横切っていた。


 その日は二人しかいなかった。でも、あの人もいた。ユカにはそれだけで十分だった。


 いつものように、適当な雑誌を手に、ユカは硝子越しにその人を見つめる。声は、時々聞こえる。でも、あの人の声かどうかは、わからなかった。あの人は、大きな声では話さないようだから。今日も声は、聞けないのかもしれない。


 諦めて帰ろうと雑誌を戻し、目的もなくコンビニの中を歩き回る。目に付いた菓子パンやジュースを灰色の買い物籠に入れて、レジに向かおうと思った、その時、ドサッと何かが、ユカの持っている籠に入れられた。振り向くと、さっきまであの人の隣にいて、あの人と同じものを食べていた背の高い男が、にっと笑った。


「これも一緒に買ってくんない?」

 入れられたのは、幕の内弁当とお茶。

「金無くってさ。俺ら最近、まともなもん食ってないんだ」

 わざとらしくポケットを探るふりをするけれど、それが見せかけだけだとすぐわかる。


「一個ずつで良いの?」

 問いかけると、びっくりしたように目を丸くする。

「じゃ、じゃぁ、これ、この弁当、もう一個、良い?」


 どもって焦る男は、一時前のふてぶてしさが消えて、妙に幼い表情になる。おどおどしているようにも見える男に、ユカはまるで弟にするみたいに笑いかけて、同じ幕の内弁当とお茶をもうひとつずつ、自分で籠に入れた。


「外で待ってて。持ってくから」

「うん!」


 男は無邪気に頷いて、素直に外に行く。ちらりと硝子の向こうを見ると、あの人がユカを見ていた。

 目が合う。視線がぶつかる。無表情な瞳が、同じ感覚で瞬いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る