日比谷翔、17歳。彼の人生は、鏡の中に映る自分の顔から始まった。いや、正確には、その顔のせいで始まった悪夢だった。腫れぼったい一重の目、団子鼻、薄い唇。どれもこれも、彼が「不細工」と認識するのに十分すぎるパーツだった。その「不細工」という言葉が、いつしか彼の名前よりも頻繁に呼ばれるようになった。

​家庭は安息の場ではなかった。

母・早苗は、翔を「家の恥」と罵り、父親の巧は、見て見ぬふりをするどころか、「そんな顔で外を歩くな」と突き放した。姉の茜と兄の士郎からは無視され、歳の近い妹の夏希と弟の優からは嘲笑の対象とされた。家にいる間は、まるで空気のように扱われ、食事の席も一人、自分の部屋で済ませることが多かった。彼にとって、家は「いない者」としての役割を完璧に演じなければならない舞台だった。

​学校もまた、地獄だった。

小学生の頃、顔関係なく遊んでくれた幼なじみの天野光も、中学に入ると一変した。彼は翔をいじめる中心人物となり、「おい、ブサイク」と呼びかけるようになった。クラスメイトからの無視、陰口、教科書への落書き。翔は透明人間になった気分だった。特に辛かったのは、廊下で人とすれ違う際に向けられる、蔑んだ視線や嘲笑だ。その視線は、彼の存在そのものを否定しているようだった。

​そんな絶望的な日々の中で、唯一の居場所がバイト先のカフェ「ル・リエーヴル」だった。

接客の仕事は、人と顔を合わせるのが苦手な翔にとって苦痛だったが、唯一の救いが、先輩の四ノ宮雪の存在だった。雪は、彼の容姿をまったく気にすることなく、いつも笑顔で優しく接してくれた。

​「翔くん、今日の新作ケーキ、最高に美味しいから味見してみなよ！」

​そう言って、翔のために特別に小さな一切れを皿に乗せてくれたり、「今日は忙しかったね、お疲れ様」と、疲れて落ち込んでいる時に声をかけてくれたりした。彼女は翔の容姿について一切触れず、ただ彼自身の人柄を見てくれていた。それは、日々の生活でひたすら蔑まれ、無視されてきた翔にとって、初めて与えられた“存在の肯定”だった。雪の優しさは、翔が何とかこの過酷な日々を生き延びるための、唯一の灯火だった。

​しかし、雪の優しさが彼を癒す一方で、彼の心には別の感情が芽生えていた。

それは、この顔さえなければ、という強い願望。

そして、いつか、この顔を捨てて、新しい自分になりたいという、切なる願いだった。彼は、来る日も来る日も、カフェでのバイト代を少しずつ貯金箱に入れていった。そのお金は、彼が新たな「語り」を始めるための、最初の「声」となるはず＿＿＿。しかし、雪の優しさが彼を癒す一方で、彼の心には別の感情が芽生えていた。

それは、この顔さえなければ、という強い願望。

そして、いつか、この顔を捨てて、新しい自分になりたいという、切なる願いだった。彼は、来る日も来る日も、カフェでのバイト代を少しずつ貯金箱に入れていった。だが、目標の金額には程遠く、彼はただひたすらに、耐え忍ぶしかなかった。毎日、鏡を見てはため息をつき、貯金箱を振っては、まだ足りない金額の重みを感じていた。

​彼は知っていた。この苦痛から解放されるには、まだ時間がかかることを。

それまで、彼はただひたすら耐える。

嘲笑にも、無視にも、侮辱にも。

希望は、貯金箱の中にだけあった。

​カフェでのバイトだけでは、到底目標金額には届かない。そう悟った翔は、高校の授業が終わり次第、まっすぐ別の場所へ向かうようになった。駅前のビル清掃の仕事だ。ここは人と顔を合わせることがほとんどなく、黙々と作業に没頭できる。ゴミを回収し、床を磨く。自分の存在を誰にも知られることなく、ただただ時間を消費し、お金に変える。まるで、今の彼自身のようだと思った。

​そして深夜には、コンビニの品出しの仕事も始めた。午前2時から5時までの、街が眠りにつく時間帯。陳列棚に商品を並べながら、彼はただただ無心に手を動かす。この時間だけは、誰からも見られない。誰からも蔑まれない。顔のことを気にせず、ただ作業に集中できる。

日に日に増えていくバイトのシフトと、それに反比例して減っていく睡眠時間。彼の顔には、疲労の色が濃く刻まれていく。だが、それでも彼は手を止めなかった。学校の休み時間や、昼休み、放課後のわずかな時間をすべて宿題に充てた。家に帰れば居場所がなく、勉強する気力も湧かない。だから、学校にいる間にすべてのやるべきことを終わらせてしまう。そうすれば、あとはただひたすら働くことだけに集中できる。

​彼の生活は、勉強とバイトの繰り返しだった。友人との会話も、部活もない。ただ、貯金箱の重みだけが、少しずつ、しかし確実に増していく。その重みこそが、彼がこの苦痛から解放される唯一の希望だった。

​嘲笑にも、無視にも、侮辱にも、彼はひたすら耐える。希望は、貯金箱の中にだけあった。

俺、日比谷翔。17歳。

俺の人生は、鏡の中に映る自分の顔から始まった悪夢だ。

目が腫れぼったい一重で、鼻はだんご鼻。唇は薄くて、とにかく不細工。

小さい頃は、近所の幼なじみだった光と顔なんて関係なく遊んでいた。でも、中学に上がるとアイツは俺をいじめるようになった。

俺を「ブサイク」と呼ぶ声が、いつしか俺の名前よりも頻繁に呼ばれるようになった。

​家は、居場所なんかじゃない。

母さんは俺を「家の恥」と罵り、父さんは俺を見て見ぬふりをする。

姉の茜と兄の士郎には無視され、妹の夏希と弟の優には笑われる。

食事も一人、自分の部屋で済ませることがほとんどだ。俺は家族にとって、いない者として扱われている。

​学校も地獄だ。

廊下を歩くだけで向けられる蔑んだ視線、陰口、教科書に書かれた「キモイ」「死ね」という落書き。

俺は透明人間になった気分だった。

光には、何度も裏切られた。

「おい、ブサイク」

そう言って、アイツが俺をいじめる中心人物になった時、俺の心は完全に壊れた。

​そんな俺が、唯一ホッとできる場所が、バイト先のカフェ「ル・リエーヴル」だ。

接客は苦手だけど、四ノ宮雪先輩だけは、俺の顔なんて気にせず、いつも笑顔で優しく接してくれる。

「翔くん、お疲れ様」

そう声をかけてくれたり、新作のケーキを味見させてくれたりする。

先輩は、俺という存在を否定しない。

雪先輩の優しさが、俺がこの毎日を生き延びるための、唯一の光だった。

​だけど、俺は気づいてしまった。

この顔さえなければ、雪先輩みたいに優しくしてくれる人がもっと増えるんじゃないかって。

だから俺は、整形することを決めた。

カフェでのバイトだけじゃお金が足りないから、放課後は駅前のビル清掃、深夜はコンビニの品出しのバイトも始めた。

学校の休み時間や放課後、わずかな時間はすべて宿題に充てる。

家に帰れば居場所なんてないし、勉強する気力も湧かないから。

​勉強して、バイトして、またバイト。

睡眠時間はどんどん削られていく。

疲労の色は濃くなっていくけど、それでも俺は手を止めない。

嘲笑にも、無視にも、侮辱にも、ひたすら耐える。

貯金箱の重みが、少しずつ増えていくのを感じるたびに、俺の心に微かな光が灯る。

希望は、貯金箱の中にある。

幼なじみの天野光視点＿＿＿

あいつを「ブサイク」と呼び始めたのは、いつからだっただろうか。

​日比谷翔。俺の家の近所に住んでる、私の幼なじみ。

小学生の頃は、顔なんて関係なく遊んでいた。セミを捕まえたり、秘密基地を作ったり。その頃の翔は、もっと楽しそうに笑っていた気がする。

でも、中学に入って、私たちの周りの空気は変わった。

​「あの男の子、顔ヤバくない？」「キモい」

そう囁く、女子たちの声を聞くたびに、私の心はざわついた。翔と仲良くしていると、私までバカにされるんじゃないか。彼を笑いものにする女子グループの輪に入れないんじゃないか。そんな怖さが、私の胸にじわじわと広がっていった。

​最初は、ただ無視しただけだった。

廊下で目が合っても、見て見ぬふりをする。

でも、それでは足りなかった。

「ねえ、光も一緒にいじめようよ」

そう言ってきたのは、女子グループの中心的な存在の、A子だった。

私は怖かった。

嫌われたくなかった。

だから、私は加担した。

​「おい、ブサイク」

私が初めて翔にそう言った時、あいつの顔がどんなだったか、今でも鮮明に覚えている。

一瞬、驚いたような、悲しいような、でもすぐに無表情になった顔。

私はそれを見て、罪悪感を感じるよりも先に、安堵した。これで、私はあの子たちと同じグループに入れたんだって。

​それから、私は翔をいじめる中心人物になった。

みんなが私を認めてくれるのが嬉しかった。

翔が私を見て見ぬふりをするようになって、さらに私は安心した。これで私は、あいつから解放されたんだって。

でも、心のどこかで、ずっと違和感があった。

​いつだったか、夜中にコンビニへ行ったら、制服姿の翔が品出しをしていた。

あいつ、こんな時間までバイトしてるのか。

俺の家の恥だから、と家族にこき使われているという噂は聞いたことがあった。

でも、あいつはただ黙々と商品を並べていた。その姿は、私が知っている翔とはまるで違って見えた。

あいつの顔が、疲労でやつれているのが分かった。

​私は、声をかけることもできず、ただレジを済ませて店を出た。

あいつの顔をまともに見られなかった。

あいつが、この顔のせいで苦しんでいる。その原因の一つに、私がいる。

そう思うと、私は自分の顔を鏡で見るのが怖くなる。

私は、あいつをいじめることで、自分の醜さを隠しているだけなんじゃないか。

そう考えるたびに、私はまた、翔を「ブサイク」と呼んでしまう。

そうでもしないと、自分を保てないからだ。

バイト先の先輩・四ノ宮雪視点＿＿＿

日比谷翔くんがうちのカフェでバイトを始めて、もう半年になる。

初めの頃は、いつも下を向いて、お客さんの目を合わせようともしなかった。言葉も少なくて、何か話しかけても「はい」か「いいえ」だけ。正直、接客業は向いてないかなって思った。

​でも、ある時、ケーキを運ぶときに少し手が震えているのに気づいた。聞いたら、家族から家ではほとんど無視されてるって。学校でもいじめられてるみたいで、いつも顔には疲労が滲んでいる。

​彼の容姿について、周りのバイト仲間は裏でいろいろ言ってた。「あの顔じゃ、接客は無理でしょ」とか「なんで雇ったんだろうね」とか。

​でも、私にはそんなことどうでもよかった。

​翔くんは、黙々と仕事をこなす真面目な子だ。

お客さんを怒らせるようなことは一度もないし、言われたことは完璧にこなす。

それに、時々見せる、ちょっとした優しさがある。

私が重い荷物を運んでいると、何も言わずにさっと手伝ってくれる。

忙しい時間帯に、水を差し出してくれたこともある。

口下手だけど、言葉にしなくても伝わるものが、彼にはあった。

​ある日、新作のケーキの試食を勧めてみたら、少しだけ顔を上げて、小さく「ありがとうございます」と言ってくれた。

その時、彼の目が少しだけ輝いたような気がした。

​私は、彼の顔しか見てない人たちの言葉が理解できなかった。

どうして、そんなに顔ばかり気にするんだろう？

彼の優しさや、真面目さ、そして内に秘めているであろう悲しみを、どうして誰も見てあげないんだろう。

​私はただ、彼にとって、このカフェが唯一安心して過ごせる場所であってほしいと願っていた。

翔くんがいつも持っている、パンパンに膨らんだ貯金箱。あれはきっと、彼の未来への希望なんだろう。

疲れていても、眠そうでも、彼はいつもそれを大事そうに持って、黙々と働いている。

その姿を見ると、私は無性に胸が締め付けられる。

​彼が、いつか心から笑える日が来るように。

私は、ただその日を待っている。

そして、その日を迎えられるように、彼に優しく接し続ける。

それが、私にできる唯一のことだから。

コンビニバイトの同僚・三笠麗視点＿＿＿

夜中の2時。コンビニの自動ドアが開いて、あいつがフラッと入ってくる。

日比谷翔。

名前は知ってる。高校生で、私と同じ品出しのバイトだ。でも、全然話したことない。ていうか、話しかけづらい。

いつも下向いてて、挨拶しても声が小さいから、聞こえるか聞こえないか。

顔は正直、うーん、って感じ。周りの女子もみんな「キモい」とか「無理」とか言ってる。

​私は別に、顔で人を判断したりしない。

でも、あいつはなんか、こっちの世界にいない人って感じ。

いつも疲れてるし、クマもひどい。

でも、仕事はめちゃくちゃ丁寧だ。商品の向きもきっちり揃えるし、賞味期限もちゃんとチェックしてる。私が適当に並べたお菓子を、そっと直してるのを見たこともある。最初は「感じ悪いな」って思ったけど、別に怒ってるわけじゃなさそうだった。

​ある日、休憩中にスマホでゲームしてたら、あいつが近くでペットボトルの山を黙々と作ってた。ふと見たら、指に絆創膏を何枚も貼ってる。

「どしたの、それ」

思わず声をかけたら、あいつ、ビクッとして、絆創膏を隠した。

「あ、いや、なんでもないです」

そう言って、また下を向いて作業に戻った。たぶん、他のバイトも掛け持ちしてるんだろうな。時々、制服も違うの着てたし。

​あいつは、いつも無表情で、何を考えてるか全然わからない。

でも、なんか必死な感じは伝わってくる。

あんなに疲れた顔してまで、何のためにバイトしてるんだろう。

彼氏との旅行代？新しいブランドバッグ？

いや、なんかそんなんじゃなさそうだ。

彼の目が、全然そういう色をしてない。

ただひたすら、何かを求めて、この深夜に働いてる。

​この間、レジで客が「お前、ブサイクだな」って言ってるのを聞いた。

翔は何も言わずに、ただ下を向いてレジを打ってた。

その時、私の中で何かがカチッと音を立てた。

何も言えなかった。

でも、心の底で「何言ってんだ、この人」って思った。

あいつは、顔だけで生きてるわけじゃない。

私には、あいつの必死さが、その顔の奥にある何かが、少しだけ見えた気がしたから。

日比谷翔視点＿＿＿

夜中の3時。

コンビニの床をモップで磨く。蛍光灯の光が、ピカピカに光る床に反射して、俺の顔を映し出す。

また、ブサイクな顔が映ってる。

早くこの顔を捨ててしまいたい。

俺の顔は、俺の人生そのものだ。

この顔のせいで、家族から無視され、幼なじみの光からもいじめられた。

この顔のせいで、俺は透明人間になった。

​でも、コンビニのバイトはいい。

この時間帯は、ほとんどお客さんが来ないから、誰の視線も気にしなくていい。

それに、同僚の三笠さん。彼女はギャルっぽい見た目だけど、俺の顔を気にしてないみたいだ。

たまに俺の顔を見てるけど、蔑んだ視線じゃない。

この間、レジで客に「ブサイク」って言われたとき、何も言わなかったけど、怒ってるような雰囲気だった。

もしかしたら、彼女も俺と同じように、顔で判断されることに嫌気がさしてるのかもしれない。

なんて、勝手に思ってるだけだけど。

​午前5時、バイトが終わる。

眠くて体が重い。でも、家に帰って寝るわけにはいかない。

家に帰れば、また居場所がないことを思い知らされるだけだから。

始発の電車に乗って、ファミレスへ向かう。

誰もいない店内で、朝食セットを頼んで、宿題を広げる。

眠気で頭がぼーっとするけど、ここでやらないと、また誰かの視線に晒される。

学校で宿題をやるのは、誰かに見られるから嫌なんだ。

だから、誰もいないところで、誰にも見られずに、すべてを終わらせる。

これが、俺の日常。

誰にも見られない俺の、終わりなき日課だ。

​すべては、貯金箱のため。

ビル清掃、カフェ、そしてコンビニ。

3つのバイトを掛け持ちして、睡眠時間を削って、ひたすらお金を貯める。

疲労で手が震える。指には絆創膏が何枚も貼られてる。

それでも、俺は手を止めない。

この苦痛から解放されるために。

この顔を捨てて、新しい自分になるために。

貯金箱の重みが、俺の心を支えている。

その重みが、俺の希望だ。

この貯金箱が、俺の人生を救ってくれると信じている。

翔以外の日比谷家視点＿＿＿

母・早苗の視点

​あの子を見るたびに、胸が重くなる。日比谷翔。

なんであの子だけ、あんな顔に生まれてきたんだろう。

兄の士郎も、姉の茜も、夏希も優も、みんなそこそこ見れる顔をしているのに。

あの子が家にいると、近所の目が気になる。

「日比谷さんのとこの子、どうしたの？」

そう聞かれるたびに、家族の恥を突きつけられているような気持ちになる。

だから、なるべく顔を見ないようにしている。

食卓にも呼ばない。部屋にいるなら、それでいい。

あの子の顔を見るたびに、私の人生が、この家が、汚されているような気がするから。

存在しないものとして扱うのが、一番の解決策だと思っている。

​父・巧の視点

​俺は見て見ぬふりをすることにしている。

翔の顔のことで、早苗がヒステリックになるのはもう慣れた。

俺だって、あの子の顔を見るたびに、ため息が出る。

だが、どうすることもできない。

「そんな顔で外を歩くな」

そう言ったのは、別に悪気があったわけじゃない。ただ、事実を言っただけだ。

あの子が必死にバイトをしていることは知っている。

夜遅くまで帰ってこない日もある。

だが、何をしようと、あの顔は変わらない。

どうせ何も変わらないのだから、下手に期待をかけるより、放っておくのが一番だ。

あの子が何をしようと、この家にとっての「恥」である事実は変わらない。

​兄・士郎と姉・茜の視点

​士郎：あいつ、最近家にいねえよな。どうせまたバイトだろ。あの顔でよく働くよな。正直、俺たちのクラスにいたら、絶対に関わりたくないタイプ。あいつが俺の弟だって知られるのが本当に嫌だ。

茜：翔？あー、いるっけ？なんか、家の中で会わないから、いるかいないかわかんない。昔は普通に話してたけど、あんな顔じゃ、こっちだって恥ずかしいじゃん。学校でも、友達に「兄弟いるの？」って聞かれても、「いないよ」って答えてる。あんな弟、いない方がマシだもん。

​妹・夏希と弟・優の視点

​夏希：ねえ、優。翔兄の顔ってマジでやばいよね。

優：うん、キモい。なんであんな顔なの？

夏希：わかんない。でも、ママもパパも、見て見ぬふりしてるし、私たちもそうすればいいんだよ。翔兄が部屋から出てきたら、無視すればいいだけ。

優：うん、そうだね。翔兄のせいで、家族旅行とか行きたくないもん。だって、周りの目が怖いじゃん。

夜中の3時。

コンビニの床をモップで磨く。蛍光灯の光が、ピカピカに光る床に反射して、俺の顔を映し出す。また、ブサイクな顔が映ってる。

早くこの顔を捨ててしまいたい。俺の顔は、俺の人生そのものだ。この顔のせいで、家族から無視され、幼なじみの光からもいじめられた。この顔のせいで、俺は透明人間になった。

​でも、コンビニのバイトはいい。

この時間帯は、ほとんどお客さんが来ないから、誰の視線も気にしなくていい。それに、同僚の三笠さん。彼女はギャルっぽい見た目だけど、俺の顔を気にしてないみたいだ。

たまに俺の顔を見てるけど、蔑んだ視線じゃない。この間、レジで客に「ブサイク」って言われたとき、何も言わなかったけど、怒ってるような雰囲気だった。もしかしたら、彼女も俺と同じように、顔で判断されることに嫌気がさしてるのかもしれない。なんて、勝手に思ってるだけだけど。

​午前5時、バイトが終わる。

眠くて体が重い。でも、家に帰って寝るわけにはいかない。

家に帰れば、また居場所がないことを思い知らされるだけだから。

始発の電車に乗って、ファミレスへ向かう。誰もいない店内で、朝食セットを頼んで、宿題を広げる。

眠気で頭がぼーっとするけど、ここでやらないと、また誰かの視線に晒される。学校で宿題をやるのは、誰かに見られるから嫌なんだ。

だから、誰もいないところで、誰にも見られずに、すべてを終わらせる。

これが、俺の日常。

誰にも見られない俺の、終わりなき日課だ。

​希望の計算式

​ファミレスの席で、スマホを広げた。

授業中にこっそり調べていた美容整形のサイトを改めて開く。

クリニックのホームページをいくつか見て、施術の相場を調べていく。

​二重整形（埋没法）： 10万〜30万円。これは必須だ。

鼻整形（隆鼻術）： 30万〜80万円。俺のだんご鼻をシャープな鼻筋に変えるには、これが必要だ。

輪郭形成： 50万〜150万円。これは高額すぎる。でも、顔全体のバランスを考えると、必要になるかもしれない。

​合計金額は、ざっと見積もっても100万円は超えるだろう。

いや、もっとだ。理想の顔になるためには、いくつかの施術を組み合わせる必要がある。

俺が憧れる顔、シュッとした鼻筋に、ぱっちりした二重の目、そしてV字の輪郭。そんな完璧な顔になるには、最低でも200万円は必要かもしれない。

​頭の中で、計算機を叩く。

コンビニの時給、カフェの時給、ビル清掃の時給。すべてを足し合わせる。

1日あたりのバイト代。1ヶ月あたりの収入。

そこから、学校の昼食代や交通費を引いて、貯金できる金額を割り出す。

​計算結果は、ため息が出るほど現実的だった。

今のペースで働いても、目標の200万円を貯めるには、あと2年はかかる。

2年。

この地獄のような日々が、あと2年も続くのか。

絶望的な気持ちになる。

​でも、指先は止めなかった。

俺には、この苦痛を耐え抜く理由がある。

雪先輩みたいに、俺を見てくれる人がいるかもしれない。

光みたいに、俺をいじめた奴らが、俺の顔を見て後悔するかもしれない。

家族も、俺を認めてくれるかもしれない。

​そう考えると、俺はまた立ち上がれる。

貯金箱の重みだけが、俺の心を支えている。

この貯金箱が、俺の人生を救ってくれると信じている。

日比谷家は、年に一度、祖父母の家に集まる。俺にとっては、最も苦痛な時間だった。

家族全員で車に乗る。兄貴の士郎は助手席でスマホをいじり、姉の茜はイヤホンをして外を見ている。後ろの席には、妹の夏希と弟の優が座り、楽しそうに話している。俺はいつも通り、一番隅で、誰にも気づかれないように座っていた。

​祖父母の家は、郊外にある古い一軒家だ。

玄関に入ると、祖父が笑顔で迎えてくれた。

「お、みんな来たか。上がれ上がれ」

父さんや兄貴、夏希たちは笑顔で祖父に話しかけている。俺はただ、黙って後についていく。

​居間に通されると、祖母の玲が座っていた。

認知症が進んでいると聞かされていた。

俺は、祖母に挨拶するために、一歩前に出た。

「おばあちゃん、こんにちは」

俺の声に、祖母は反応しなかった。焦点の合わない目で、俺の顔をじっと見つめている。

「あれ、どちら様？」

そう聞かれて、俺はまた、自分の存在が消えていくのを感じた。

​しかし、そのとき、祖母の玲が俺の顔ではなく、俺の手を取った。

そして、かすれた声で言った。

「その手は…かけるだね」

彼女は、俺の顔ではなく、俺の語り...いや、俺の存在そのものを感じ取っているようだった。

家族全員が驚いた顔で俺たちを見ていた。

母さんの早苗も、父さんも、みんなが不思議な顔をしていた。

​俺は何も言えなかった。ただ、祖母の温かい手を感じていた。

その手は、俺の人生を初めて、この世界に繋いでくれたような気がした。

俺の顔ではなく、俺自身を「語って」くれたのは、祖母が初めてだった。

俺は、この顔を捨てて、新しい自分になりたいと思っていた。

だが、この瞬間、俺の人生は顔だけじゃないのかもしれない、そう思えた。

祖母の温かい手が、俺の心を救ってくれた。

それは、何百万かけても手に入らない、かけがえのないものだった。

ファミレスの席で、スマホを広げた。授業中にこっそり調べていた美容整形のサイトを改めて開く。

二重整形、鼻整形、輪郭形成。最低でも200万円は必要かもしれない。

頭の中で、計算機を叩く。今のペースで働いても、目標の200万円を貯めるには、あと2年はかかる。2年。この地獄のような日々が、あと2年も続くのか。絶望的な気持ちになる。

​でも、指先は止めなかった。

俺には、この苦痛を耐え抜く理由がある。

雪先輩みたいに、俺を見てくれる人がいるかもしれない。光みたいに、俺をいじめた奴らが、俺の顔を見て後悔するかもしれない。家族も、俺を認めてくれるかもしれない。

​そう考えると、俺はまた立ち上がれる。

この間、祖母の家に行ったとき、認知症の祖母が俺の顔じゃなくて、俺自身を見てくれた。

「その手は…かけるだね」

そう言って、俺の手を握ってくれた。

俺の顔を初めて、この世界に繋いでくれたような気がした。

俺の人生は顔だけじゃないのかもしれない、そう思えた。

​この苦痛と疲労は、俺の人生を変えるための対価だ。

疲労で手が震える。指には絆創膏が何枚も貼られてる。

それでも、俺は手を止めない。

この顔を捨てて、新しい自分になるために。

貯金箱の重みだけが、俺の心を支えている。

その重みが、俺の希望だ。

この貯金箱が、俺の人生を救ってくれると信じている。