先輩のみらい図。

@usapon44

第1話 あ、せんぱい。

 なにげなく、ネットニュースをみていた。住宅のアスベストもんだいで、わたしは、まったく、存じ上げませんでした、と、2020年にマスクをして、謝罪しているひとのなまえは、わたしが、中学二年生のときに、おっかけをしていたせんぱいとおんなじなまえで、よくよくみると耳のかたちが、おんなじであった。

 ひとは変わる。もう何十年もたっているから、白髪交じりの短髪の、市役所の市営じゅうたく課長のふつうの課長になっている。むかしは黒髪で、悪魔のはなよめっていう漫画の悪魔そっくりの、顔にかかるおしゃれな髪形だったのに。ちがうひとかな。よくよく目を凝らす。白いマスクをしているので口元はみえないが、やっぱり先輩だ、想った。先輩は、眼鏡こそ、おしゃれな、ロイド眼鏡風をかけているけれど、もう、ふつうの、市役所の住宅担当課長である。そうして、わたしは、先輩のおとうさんが高校の数学のせんせいである、ということを想い出していた。やっぱり、男子の将来の職業は、意外とおとうさんの職業が関係している。工業系の大学に進学されたことまでは知りえていたが、神戸市住宅担当課長になられていた。高校生の頃、わたしは、自分は、医学部へいって、だんなさんは、神戸市市役所の人と結婚し、地下鉄沿線に庭付き一戸建ちに住むんだー、などのたまっていた。神戸市の市役所のひとが優先的に神戸市が開発する庭付き一戸建ちに住めるというはなしを母から聞いたのは、1972年くらいである。その頃は、なんでも抽選、抽選で、学が丘という場所に、住めるような気がして、申し込んだものであるが、何回申し込んでも当たらなかった。そうして、母が誰かからそういう話をきいてきて、神戸市役所に勤務すれば、庭付き一戸建ちに住めるけどねぇ、と、結局、3LDKの団地が当たってそこに移り住んだ。もうそんなはなしもずいぶんむかしで忘れていたら、まさかの先輩が、そのような理想の花婿としてこの世に存在していたことを知った。たぶん、中学のときに、その先輩が歩いていると、わたしをわざとぶつけたりしていたともだち、のいもうともおんなじところに勤務している。だけども、もう、誰とも疎遠になってしまっているし、妹の職場に、あの、先輩がいる、というはなしも耳にもしていなかった。40年の時を超え、突然、先輩が、登場し、目を凝らしてみて、名前も、珍しい名前だし、よくよくみると、耳のかたちが、先輩のような気がすると思った。そうして、40年前の電車の中の風景を思い出していた。冬になると、部活を終えて、電車に乗ると、もう真っ暗で、電車の窓が、鏡みたいになるのだ。わたしは、その先輩の顔を、夜の街を走る電車の中でよくみていた。人の波に押されて、先輩と向かい合うようになったこともあった。わたしが、中学二年生で、恋愛は、大学に入ってからにしろ。そうしないと、誰でもいける高校にいけないぞとりかの先生に説教をされたのは、中学いちねんせいのおわりで、その恋の相手も横浜に転校していってしまって、もうフェリスのあたらしいかの女できたらしいぞ、というはなしを梅雨時にきいて、そうして、あるとき、先輩が、体育館の階段の下で白いベースエレキギターをもって音楽を奏でているうつむき加減の横顔が、素敵と想った。わたしたちの通っていた学校では、統合コースというものが設けられていて先生が、コンセプトを提案し、生徒が、それをみて申込み、いわば、カルチャーセンターみたいな感じで、先輩はバンドを組んで文化祭で発表をする、というコースにはいっていた。わたしは、両想いになる哀しみを知ってしまっていた。だから、でも、学校の中で、かっこいい、と想う先輩がいることは、たのしいことでもあった。わたしは、風紀委員になって、入り口で、名札チェックをするようになった。せんぱいはいつも、名札をつけずに、校門を通り過ぎようとし、わたしは、そのたんびにここから名札をつけないと校則違反になって風紀ノートにつけますよ、といっていた。そうしたら、先輩は、ポケットから名札をとりだし、わたしの目の前につきだしてから、胸に名札をつけていて、それが、おまえみたいな雑魚と絶対に会話はしないぞ、という感じでそれがまた白いベースエレキギターが似合っているミュージシャンみたいなところがよい、と想っていたわたしは、その、ぜったいに、ぜったいに、おまえみたいな雑魚と口はきかないぞ、という印籠をわたさんばかりの名札を目の前につきだすしぐさが、楽しいように想えていた。わたしもわたしで、真面目な風紀委員の強めの口調で、ここから名札をつけないと校則違反になりますよ、と、いっていた。クラスの男の子が、おまえが好きだっていうことを、伝えてあげると、上の階にいって伝えにいってすぐに帰ってきて、どうやった、とわたしが聞くと、


 そんなことしっとるわい。


 だった、ということだった。あー、と想った。先輩はバスケ部でよく夕方、上半身裸でぼんやり、階段の踊り場にあったロッカーの前に座ってぼんやりしていて、その姿も、少女漫画によくあるシーンの一コマみたいだった。クラスメートでも先輩がかっこいい、ということで、N倶楽部というものを4人でつくっていたりもした。風神の門という水曜日の8時からの司馬遼太郎のドラマが始まって、おなにげなく、ネットニュースをみていた。住宅のアスベストもんだいで、わたしは、まったく、存じ上げませんでした、と、2020年にマスクをして、謝罪しているひとのなまえは、わたしが、中学二年生のときに、おっかけをしていたせんぱいとおんなじなまえで、よくよくみると耳のかたちが、おんなじであった。

 ひとは変わる。もう何十年もたっているから、白髪交じりの短髪の、市役所の市営じゅうたく課長のふつうの課長になっている。白いマスクをしているので口元はみえないが、やっぱり先輩だ、想った。先輩は、眼鏡こそ、おしゃれな、ロイド眼鏡風をかけているけれど、もう、ふつうの、市役所の住宅担当課長である。そうして、わたしは、先輩のおとうさんが高校の数学のせんせいである、ということを想い出していた。やっぱり、男子の将来の職業は、意外とおとうさんの職業が関係している。工業系の大学に進学されたことまでは知りえていたが、神戸市住宅担当課長になられていた。高校生の頃、わたしは、自分は、医学部へいって、だんなさんは、神戸市市役所の人と結婚し、地下鉄沿線に庭付き一戸建ちに住むんだー、などのたまっていた。神戸市の市役所のひとが優先的に神戸市が開発する庭付き一戸建ちに住めるというはなしを母から聞いたのは、1972年くらいである。その頃は、なんでも抽選、抽選で、学が丘という場所に、住めるような気がして、申し込んだものであるが、何回申し込んでも当たらなかった。そうして、母が誰かからそういう話をきいてきて、神戸市役所に勤務すれば、庭付き一戸建ちに住めるけどねぇ、と、結局、3LDKの団地が当たってそこに移り住んだ。もうそんなはなしもずいぶんむかしで忘れていたら、まさかの先輩が、そのような理想の花婿としてこの世に存在していたことを知った。たぶん、中学のときに、その先輩が歩いていると、わたしをわざとぶつけたりしていたともだち、のいもうともおんなじところに勤務している。だけども、もう、誰とも疎遠になってしまっているし、妹の職場に、あの、先輩がいる、というはなしも耳にもしていなかった。40年の時を超え、突然、先輩が、登場し、目を凝らしてみて、名前も、珍しい名前だし、よくよくみると、耳のかたちが、先輩のような気がすると思った。そうして、40年前の電車の中の風景を思い出していた。冬になると、部活を終えて、電車に乗ると、もう真っ暗で、電車の窓が、鏡みたいになるのだ。わたしは、その先輩の顔を、夜の街を走る電車の中でよくみていた。人の波に押されて、先輩と向かい合うようになったこともあった。わたしが、中学二年生で、恋愛は、大学に入ってからにしろ。そうしないと、誰でもいける高校にいけないぞとりかの先生に説教をされたのは、中学いちねんせいのおわりで、その恋の相手も横浜に転校していってしまって、もうフェリスのあたらしいかの女できたらしいぞ、というはなしを梅雨時にきいて、そうして、あるとき、先輩が、体育館の階段の下で白いベースエレキギターをもって音楽を奏でているうつむき加減の横顔が、素敵と想った。わたしたちの通っていた学校では、統合コースというものが設けられていて先生が、コンセプトを提案し、生徒が、それをみて申込み、いわば、カルチャーセンターみたいな感じで、先輩はバンドを組んで文化祭で発表をする、というコースにはいっていた。わたしは、両想いになる哀しみを知ってしまっていた。だから、でも、学校の中で、かっこいい、と想う先輩がいることは、たのしいことでもあった。わたしは、風紀委員になって、入り口で、名札チェックをするようになった。せんぱいはいつも、名札をつけずに、校門を通り過ぎようとし、わたしは、そのたんびにここから名札をつけないと校則違反になって風紀ノートにつけますよ、といっていた。そうしたら、先輩は、ポケットから名札をとりだし、わたしの目の前につきだしてから、胸に名札をつけていて、それが、おまえみたいな雑魚と絶対に会話はしないぞ、という感じでそれがまた白いベースエレキギターが似合っているミュージシャンみたいなところがよい、と想っていたわたしは、その、ぜったいに、ぜったいに、おまえみたいな雑魚と口はきかないぞ、という印籠をわたさんばかりの名札を目の前につきだすしぐさが、楽しいように想えていた。わたしもわたしで、真面目な風紀委員の強めの口調で、ここから名札をつけないと校則違反になりますよ、と、いっていた。クラスの男の子が、おまえが好きだっていうことを、伝えてあげると、上の階にいって伝えにいってすぐに帰ってきて、どうやった、とわたしが聞くと、


 そんなことしっとるわい。


 だった、ということだった。あー、と想った。先輩はバスケ部でよく夕方、上半身裸でぼんやり、階段の踊り場にあったロッカーの前に座ってぼんやりしていて、その姿も、少女漫画によくあるシーンの一コマみたいだった。クラスメートでも先輩がかっこいい、ということで、N倶楽部というものを4人でつくっていたりもした。風神の門という水曜日の8時からの司馬遼太郎の大坂冬の陣から夏の陣に至る戦国末期を舞台にした風神の門というドラマが始まって、主人公たちの敵対組織徳川家のさる隠密獅子王院という人の白塗りの顔が先輩にすごく似ていたのであって、N倶楽部の面々たちは、獅子王院のファンにもなった。


 そんなことしっとるわいから40年後に、わたくしは、まったく存じ上げませんでした、と髪もふつうのサラリーマンみたいにして、いう先輩は、好きだといってるよ、といわれて、そんなことしっとるわい、といった時期のことを、懐かしくおもいだしてくれただろうか。髪型も、すごくいけていて、素敵だったのに、白いすべすべのお肌も素敵だったのに、もう、まったく普通のひととなっていた。


 ほんとうにあれから時間が流れたんだなあ、ってその、あまりよいはなしでない、アスベストが含まれていて健康被害がでている、というたぶん。たぶん、その建物は、わたしたちが、そうやっていたころに建てられたものであろうか。市の住宅課課長として、わたくしは、まったく存じ上げませんでした、という先輩は、ふつうの静かなひとだった。


 先輩は、わたしがファンだったことを、懐かしくたまには思い出しているのだろうか。わたしくらい先輩の熱狂的なファンはいなかったのではなかろうか、など、ガラスの窓に映った先輩の顔を遠くからただただその顔をみていた女子中学生のわたしのことを、あほやったなあ、とおもいつつも、懐かしく、思い出した。ネットをみていると、相手に気に入られることをいいましょう、みたいな恋愛ノートブックみたいなものがあるけれども、そうできなかった自分がいて、それは、それで、そういう時期の自分もかわいらしいような一本気だったような、恋に恋をする乙女だったような、気がする。


 先輩の未来をもう四十年経ってみてしまったわけだけれども、先輩が将来どうなるかとかまったく考えずに、白いエレキギターを奏でていたり、バスケットをしたり。そういうすがたをみるだけで、あ、せんぱいだー、と想って、わたしには決して笑顔を傾けなかったせんぱいの未来をみてしまって、せんぱいの職業選択はたぶん、堅物そうなおとうさんの影響かなあ、と、想った。


 わたしはまったくぞんじあげませんでした。


 責任者らしく静かな口調でいう先輩は、固い将来を選択し、その道を真面目に歩かれたんだなあ、って、想った。


 そんなことしっとるわい。


 わたしが好きだっていってるよ、と伝えたらそういう返答がかえってきた、ということをいわれても、先輩らしい、って、わたしは唖然としながらも、そんなことしっとるわい的対応をしてくれていはったんかなあ、と想ったりもした。その頃は、にきびができて、そのにきびの場所が、ふられ場所だー、ってよく、先輩が通るとわざとぶつけてたおんなのこにいわれたり、笑顔が暗いよ、もっと明るくわらわないと、とか、ブルマの履き方、足が短くみえるよ、もっと、こうはかなきゃ、とか、いわれてて、そういう立ち位置の自分もちょっと甘えん坊みたいで懐かしい。


 そんなことしっとるわい。


 じぶんできいたわけではないけれどもその口調をまねしていたクラスメートの口調からして、そういいはったんだなあ、と想う。それ以上でもなくそれ以下でもなくてよかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

先輩のみらい図。 @usapon44

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る