ある愛の記憶(2000)
Nemoto Ryusho
ある愛の記憶(2000)
11月ラン(2000)
(最初の一言)今から続く回想はすべて私の主観的事実です。すべて、記憶の奥底から引き上げてきたものなので多少の妄想が入っていること間違いなしです。
11月ランに、何でおれが行くことになったのか?その理由ははっきりと覚えてはいない。だけど、そもそも11月ランが行われた理由ははっきりと覚えている。10月ランが台風でぶっつぶれたからだ。
「やんなくてもい〜じゃん?」
ってな声が飛び交う中プランナーの一存で11月ランが断行されることになった。でも、いきなり11月にランをするなんて時期的にもスケジュール的にも無理があるってなもんだ。まあ、そんなわけで参加者がちょっと足りないって言うことになり、おれが参加することになったんだと思う。予想通り、出発前の夜には行きたく無くなったんだけど、朝起きると以外に気持ち良く結構上機嫌で用意をしてしまう。これも予想通り。ってな感じで家を出た。
11月ランの参加者は、プランナーの義男、ひでしさん、盛太さん、竜、リサ、あともうひとりのОYR(名前忘れたからジェーンにする。)。確かに参加者は少なかった。でも、ランはこのくらいの方がこじんまりとして好き。
前の9月ラン(98年)の時なんて、ОYRが参加した現役部員の2倍以上も参加してくれたため、すねた裕生に悪態をつかれまくった。大人数は大人数で面白いけど、行動の身軽さから言って少人数の方がやっぱ楽しい。
一方、プランナーの宮内は金がないからって事で来なかった。後、千代が朝6時の早朝ドタキャンを盛太さんにして、つられた軍司もキャンセル。軍司が途中参加の予定だったから、無理に参加してもらうことになっていた西野さんもキャンセルとなった。何かキャンセルが続いたことで義男がしょんぼりしていた。
朝、まずSCHへリサとジェーンを迎えに行った。11月の朝ってのは以外と冷え込んでいてちょうどいいくらいに気持ちがいい。天気も良くてまさしくラン日和だった。滑走路にはまだ紅葉しきっていない桜の木が寒さに我慢するように並んでいた。そこを突っ切るように疾走するおれ。自分としては最高に気持ちいいんだけど、はたから見るとやばいんだろうな。
SCHに行くと、リサやジェーンのほかに西野さんとブ様も手伝いに来てくれていた。どうもありがとう。それからみんなで東小金井の駅に行った。盛太さんがもう来ていたかな?よくそこらは覚えていない。覚えているのはリサさんの荷物が異常に多くて中にはパジャマなどが入っていた。確かに、初めてランに行くときに持っていく荷物とか服装とかはとにかく悩むもんだと思う。
5月の初ランの時、結局おれはジャージを着ていったけどそれも何だかね。
とりあえず、リサの多い荷物のうち無用なものはブ様が女子寮まで持っていっていくということで収まりがついた。
輪行ってのはいつやっても面白くない。手が汚れるからとか、面倒くさいとか理由はいっぱいあるけど、結局は性に合わないからだと思う。このときの朝もおれはもたもたと輪行していた。義男は自分のチャリを先にやった後で、リサさんの手伝いをしていた。遅れてきたひでしさんも、変種の輪行袋の中にさっさとチャリを詰め込んでしまった。もたもたしていたおれに、
「へヘッ、竜勝、輪行遅いゾ。」
とほほ笑みながら言ったのを覚えている。その後何とか無事輪行を終えた。
ふと、脇を見ると盛太さんがしゃがみながら、こそこそ、ちまちまと輪行していた。いつも思うのだが、盛太さんが輪行をしている姿はとても輪行しているようには思えない。とりあえず、「小豆あらい」ってことにしておく。もしあの「小豆あらい」を人形化したら、かなり売れるのではないのか?もちろん、チャームポイントは関節の動き。後、ランドナーも一緒に付けよう。もちろん「卵怒那阿」って漢字。
なんて、考えながらにやにや盛太さんを見ていたら、
「何じゃア〜、何か文句あるケぇ〜。」
と言われた。とりあえず、ひでしさんの真似をして、
「へヘッ、盛太、輪行遅いゾ。」
と言ってやる。
「馬鹿もーん。これがらんどなあのいいところなんじゃあ〜。」
盛太さんが「ランドナー」と言うと「らんどなあ」に聞こえると思った。
出発地点は相模湖駅だったと思う。あんま覚えていない。とにかく、輪行をし終え(組み立てる輪行はキライじゃない。)さっさとスタートした。体を突き抜ける秋風が何ともなく心地よかった。どんなオーダーかも覚えていない。班は一班だけだった。初日はひたすら坂を登っていくというコースだったかな。少なくても登りが圧倒的に多かったと思う。登り道が多いと言っても前半は全然気が付かない程度の坂だった。でも、基本的に走っているときはあんまり話はしない。峠とかサイクリングコースとかの時くらいしか話らしい話はしないんじゃないかな。だからその日もオープンサンドの時まで話はしなかった。したのは妄想くらい、そこまで覚えてはいない。
オープンサンドの場所は道に沿って流れる川の河原の傍のキャンプ場だった。オフシーズンで客は一人もいない。キャンプ場の管理人もいなかった。だから絶好の場所ということでオープンサンドを始めた。ちなみにオープンサンドの買い出しの記憶は全く欠落している。
オープンサンドについてはさまざまな思い出がある。一番の思い出は6月ラン(98年)だと思う。礼子さん達の班が違う道に行ってしまい、仕方なく残された人たちはみんな峠道の端っこでオープンサンドをした。その時、あいさんが一人で寒いと言って走り出しあっという間に視界から消えてしまい、かつ西野さんは土砂崩れの防壁に一人で登っていき彼も視界から消えてしまった。
11月ランのオープンサンドも少し変わっていたかもしれない。ポタージュスープをコヘルに入れMSRで温めてみんなで飲んだからだ。少々肌寒かったからものすごくおいしく感じた。それに秋の閑散とした河原の中で飲むってのもあったのかもしれない。っとほっとしていたら、軽トラに乗ったキャンプ場の管理人のおじさんが軽トラに乗ってやってきた。その瞬間、
「ヤベエ!」
とおれも、盛太さんも、義男も思ったと思う。結局、キャンプ場の入場料を払うことになった。理不尽と思ったけど、まあ仕方がない。おじさんは、上の管理事務所まできなさいって言っていた。そこで、ひでしさんが行くことになり、チャリで行こうとしたらおじさんが気を使って、上まで乗せてくれると言ってくれた。
「このおじさん、実はナイスガイ!」
と、またおれも、盛太さんも、義男も思ったと思う。
そして、一人でひでしさんが車に乗って行ってしまった。
「ひでしー、よろしくね〜。」
と義男が手を振っていたのを覚えている。少なくても問題が解決してほっとしていたのは確かだ。すると、
「なぜ彼女を一人で行かせたの!」
とリサが義男に詰め寄って言った。
「え?」
気の抜けた義男先輩♪
「彼女一人じゃあ、危ないでしょ。」
それから今ひでしさんがどれほど危険な状況にあるかを教えてくれた。もちろん彼女は日本語で話してくれた。おれと盛太さんは心配する必要はないと言ったが、彼女があんまり怒っているので、責任を感じた義男がとりあえず次から気を付けると言った。しかし、それでも何かあってからじゃ遅いということで、すぐに様子に行けと言う。その後どうなったかは覚えていない。ずいぶんと義男とリサは議論していた。そんな時に、
「Here is Japan!」
と吐き捨てるようにジェーンが言ったのが印象的だった。
盛太さんとおれの中ではアメリカという国は「ファイナル・ファイト」のメトロシティの様な存在となっていった。ってことは、ひでしさんはジェシカ。
「でやあぁあぁ〜。」
とくるくる回る暴力市長マイク・ハガーにおれと盛太さんはなりきって、ひたすらと見えないアメリカと戦い続けた。どうやらここら一体は今日はアメリカになったようだ。
結局、義男が様子を見に行こうとしたとき辺りにひでしさんが帰ってきた。
「お金、おまけしてもらってきちゃった♪」
とにこにこ笑いながら下りてきたひでしさんも印象的だった。
そのオープンサンドをしたキャンプ場から、少しずつ坂が急になっていったと思う。いわゆる峠道というやつで、目に言える坂を登り切ったと思うと実は唯のカーブでまだまだ坂は続いていく。そんな感じの連続だった。
でも実は、おれはこの道は初めてじゃなかった。初ランの5月ランで通った道だったのだ。小学校で運動会をやっていたところと言えばいいのだろうか。みんなその運動会に参加させてもらい、いっぱい記念品をもらった記憶がある。おれのランの記憶の中で、つらかったコースを2つ上げろといわれたら、北海道のニセコとここの小学校までの坂だと答える。
ギアチェンジの存在意義について分からなかった当時とは違い11月ランの時はもう余裕だった。盛太さんとひでしさんと3人でもたもた登っていったと思う。途中で、ひでしさんが、山芋の実のようなムカゴを一生懸命とっていた。周りは、木々に囲まれてほとんど日の入らない場所だったが、思いっきり山のにおいがしていて気持ち良かった。3人で何の話をしていたかは忘れた。健康とか内臓の話だったかもしれない。義男はリサに付きっきりだった。ジェーンはかなり体力があるらしく普通に登っていたが、リサはかなりつらそうだった。やっぱり初ランはつらいものだと思う。ギアとかチャリの乗り方とか自分のペースとかがわからないからだ。だけど慣れてしまえば楽なのも確かだ。結局、ラン参加者の初心者にはもう頑張れしか言えないと思う。それを乗り越えなきゃつらいのはずっと続くだろう。
登り道のカーブ(頂上と錯覚するところ)で、突然リサが何かを叫んだ。
「嫉妬?」
おれと盛太さんはそう聞こえ顔をお互いに見合わせた。まさかそんなことは言わないでしょうということであったが、どうやらそうらしい。次の、
「Fuck!」
で納得をした。実際に使う言葉だと知ったのもこのときだった。その言葉におれと盛太さんはどうしたらいいのか分からなかった。『ホントにいいの?』って言いあったかもしれない。彼女はチャリを降り止まって休んでいた。義男は必死に励まそうとするが彼女は聞かなかった。
「うそつき!」
泣かれてそう言われちゃあどうしようもない。
リサは落ち着くとまたチャリに乗り登りだした。良かったとみんな思っていたと思う。ひでしさんと義男はリサを励ましながら登っていた。おれも最初はそれに加わろうとしたが、つい英語で話しかけてしまい、
「日本語でわかる。」
といわれ、自分の情けなさを責めながら後ろの盛太さんの方へ戻った。
今度は盛太さんと二人で、死天王の話とか岡田さんの話とかで盛り上がった。そこへひでしさんも加わって、真面目なランのコースについての話し合いをした。論点は短期ランをどうするかということ。現役用に設定すると初心者にはついていけないし、初心者向けにしすぎると短期ランが唯の初心者歓迎ランになってしまうということである。この問題の結論は出なかったと思う。これからも出ないかもしれない。
何で11月ランでこんな議論になったかといえば、リサにはこのコースがきつすぎたからだ。盛太さんは義男の大変さを言い、彼の頑張りようを褒めていた。コース構成も最高だと言っていたが、もちろんおれも賛成する。唯、余計な一言を言ってしまうのがおれの癖なのか。
「紅葉してねーじゃん。」
義男、ごめんなさい。
紅葉はしていなかったが、ランに来てよかったなと心から思わせてくれるものと出会うことはできた。遠くにはっきりと富士山が見えたのだ。雲ひとつ友にすることも無く、夕陽とふたりで黄金色の服を来ていた。
今から(00年1月現在)思えば、こんなにはっきりと富士山が見えたのはこのときだけだったと思う。9月ラン(98年)、5月ラン(99年)、10月ラン(99年)どれも富士山を見ることが目的だったが、結局は見れずじまいだった。
本当に、このときの富士山は美しく何か胸に込み上げるものすらあったと思う。今思うと義男に感謝したくなる。ありがとう。
道の途中で夕暮れということは、当然目的地に着いたときは真っ暗ということになる。暗やみの山道ほど怖いものはないが、その時の記憶はあまりない。あるのはおれのチャリライト「Zefa弐号機」が壊れたくらいだ。
でも、「Zefa弐号機」を含め「Zefa」一族には本当に参った。「Zefa壱号機」は98年の夜、西野さんの家に行く途中のクラッシュで、主同様大破。「Zefa弐号機」はこの11月ランで壊れたが、急の故障で原因不明。「Zefa参号機」は春ラン(99年)の途中またもや、原因不明の故障。最後の「Zefa四号機」は夏ラン(99年)でなぜかおれは「Zefa四号機」を放り投げるという奇行を行ない見事故障。そして、「Zefa四号機」は今もおれのチャリにひっそりと付いている。
そんな怪しく点滅する「Zefa弐号機」の光の中、夕食の買い出しをする店を無事見つけだした。その店もまた「Zefa弐号機」の点灯に負けず怪しく輝いていた。当然外見通りしな揃えも怪しかったのは言うまでもない。
キャンプ場に着いたのは夜の6時15分ごろだった。すっかりもう寒くなっていた。体は完全に冷えきり、キャンプ場のおじさんの話を聞くにも堪えられないほどだった。思ったことは、早く風呂に入りてえ、それだけだった。
おじさんの話を聞いていた義男によると、風呂はひとつしかなく男女一時間交代で入っていくそうだ。それかちょっと行ったところに有料の温泉があるらしい。そして、今の時間帯6〜7時は男湯になっているそうだ。とりあえず、荷物を置きにバンガローに入るとかなりきれいなバンガローで、6畳と6畳の2部屋をふすまで仕切っていた。畳敷きだったから、かなりいい部屋だったと思う。
すぐに荷物を置いて風呂の話をみんなでした。結果、風呂に早く入りたいということと料理の効率ということから、女の子達は温泉に行く、男はキャンプ場の風呂に入るということが決まった。もちろん、女の子が払う温泉代は男が半分出すということになった。
話が決まれば、おれは即効で風呂場に突っ込んだ。だって寒かったんだもん。体を洗い、湯船に入って一息つく。そうだよ、この一息がランなんだよ、と思った。体がぽかぽかしてくる風呂の温かさってのはたまらない。ずっと入っていたくなる。道家が「大道、水の如し。」と行った意味が少し分かった気がした。それくらい気持ちが良かった。
けれども、盛太さんと義男がなかなか来なかった。不思議に思ったが、出ていくまでもないことだ。どうせもたもた用意でもしているんだろう。
そんな中、今日一日についていろいろ考えていたら盛太さんが一人やってきた。
「どうしたんスか?」
「『女の子だけじゃね、夜道は危険なのお〜。』ってリサさんがよっしーに言ってなぁ、よっしーを連れていったんだよ。」
結局、おれと盛太さんが風呂から出ても誰も帰ってこなかった。まず、おれ一人野菜を刻んだ。夕食は鍋だった。ここのキャンプ場は全体的に暗く、炊事場には裸電球がひとつぶら下がっているだけであった。ここの炊事場だけ暗闇から浮かび上がっていた。そんな炊事場で一人野菜を刻んでいた。吐く息すべてが真っ白に広がった。こりゃあ湯冷めするなあと思っていた。そこへ赤い人影がぬっと現れる。
「どおっ!」
驚いて奇声を上げてしまった。盛太さんだった。
「おれだ、馬鹿。」
とだけ言って盛太さんも野菜を切り始めた。
終始無言だったと思う。交わされる会話といえば野菜の切り方ぐらいだけだった。暗闇に浮かび上がる汚い格好をした男二人、無言で野菜を切り刻む。本当にしゃれにも何ねぇーなと思う。思い出すことができるのは、お互いに顔を合わせないようにしてたことだ。たぶん、今思えばお互いのはく白い息が混ざり合うのが嫌だったのかもしれない。おれも、盛太さんも。無論、今でも嫌だ。
ふと、材料をバンガローに置いてきたことを思い出した。
「ちょっと盛太さん、バンガローに忘れものしてきました。取りに行っていいっスか?」
「ああ、いいよ。」
材料を取りに行く途中、振り返ってみた。真っ暗な光に溶け込む盛太さんの後ろ姿はまさしくこの世のものとは思えなかった。朝起きて台所に行くとエプロン姿の若奥さんが朝食を作っている、それが男の理想なら、今夜の盛太さんは男の絶望だと思った。『そうさいるのさ、家のそばぁ〜』と鬼太郎のエンディングテーマを思い出し『ホントにいたよ〜』と思ってしまった。盛太さんにこう呼びかけた記憶がある。
「盛太さ〜ん!妖怪みたいッスよ。」
しばらくして、材料とMSRの準備をし終わった後に義男達が帰ってきた。要するに、料理のほとんどはおれと盛太さんが作ったことになる。ほんの3ヶ月前と比べるとわれながらたいした進歩だと思う。
夏ラン(98年)の時は全く仕事をせずに、遠くから物寂しそうに眺めていたからなあ。盛太さんに、
「仕事無いッスか?」
と聞いておきながら、
「じゃあこの仕事やれ。」
と言われても、
「イヤッス!」
って断った記憶がある。別にすねていたわけじゃないのだが、グレていた。
そんなおれが、おおかたの料理を作ってしまうってのはやっぱりすごいと思う。
「おくれてごめんね。」
とひでしさんが謝った。おれも盛太さんも全然怒ってなかった。唯単にあきれていただけだと思う。そこから先の記憶は、またあまりない。MSRをバンガローの中に持ち込んで鍋をしたことは記憶にある。その後、MSRの台替わりにしたまな板が変形して闇に葬ったことも覚えている。
鍋といえば、やはり10月ラン(99年)の思い出が強烈だ。MSRを3機も持っていったのに、ひとつしか使えなかった。そのため鍋の加熱にものすごく時間がかかってしまった。しかも、みそを買い忘れてしまい、キャンプ場の管理人さんに借りる始末。生ぬるい鍋のしょっぱいみその味が身にしみた。11月ランの時の鍋はとてもおいしく、和やかな雰囲気で食べたと思う。
食事の後のミーティングは結構すんなり進んだ。ちょっと、義男が富士山に行きたいと叫んでいたくらいであった。おそらく、普段のランならかなりうるさいくらいであったのであろうが、今回はあまり気にならなかった。とりあえず、おれと盛太さんとひでしさんが現在の状況ではとてもじゃないが富士山を見るために峠を上るというようなことをできないと判断し、断固反対した。加えて、OYRの二人も反対した。それでも、義男が食い下がったが、よほど、今日の坂がきつかったのであろう。義男がいくら、明日の富士山コースの坂が楽だと言おうと、
「You are a lier!」
といわれて信じてもらえなかった。
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