夜の誘い、煙草の後

瀬良

夜の誘い、煙草の後



 

 最初は、人肌を求めていただけだった。ただ好き勝手に生きていることに苦は感じなかった。……でもいつしか、同じことを繰り返すだけの人生に虚しさを感じていた。

 それに気がついたのはつい最近。

 そろそろ男でも作るか……と思い立ち、服装の系統を変えて出歩いた晩のこと。

 


 大通りに行く前。

 人気のない喫煙所で、私は一人寂しく煙草を吸っていた。

 

 全面、すりガラスで覆われているここは足元だけが透明のガラスで、人が通れば簡単に把握できる。だから、扉の前に立ち止まった女性の靴を視界に捉えてすぐに壁から背を離し、そそくさと端っこに移動した。


 取っ手を捻って煙草の匂いが充満するこの狭い空間に入ってきた仕事後らしきスーツ姿の女性。


 「隣、お邪魔するわね」


 てっきり、私から離れたところに立つのだと思い込んでいたから、私を見た瞬間に迷わずこちらへとやってきたお姉さんには不意を突かれた。


 私が断る隙もなく隣へと立つお姉さんの横顔を見つめる。断るつもりはなかったけれど、なんというか、気が強い人なのかなという印象を持たされた。


 彼女はポケットから取り出した煙草を咥え、カチッと音を立てたライターで火をつける。なんとも手慣れた仕草だった。

 ライターをしまいながら紫煙を吹き広げる姿は恐ろしいほどに似合っていて、嫌でも目を引かれてしまう。


 出る所は出て引っ込むところは引っ込んでるみたいな理想的な体型。それに加えて、背も高くて、脚も長いときた。横顔だって恐ろしいほどに白い肌で、全体的にスラっとしている。


 軽く伏せられた目が妙に色っぽい。


 だけど、少々私は彼女に警戒心を抱いていた。けれど、同じ空間にいる時間が長くなるほど、その印象は吐き出す煙と共にどこかへと消えていきそうになる。


 彼女はゆっくりと、咥えられた煙草を外して、その小さく開いた口から煙を吐く。


 薄暗い証明しかないこの空間もあり、レトロな写真を切り取ったみたいに映った。

 思わず美に殴られたのかと錯覚してしまいそうなほどに。


 自然とその美しさに誘い込まれるかの如く鮮やかな赤が乗った唇に視線がいって、柔らかそうだと思うと無性に触れてみたいという願望が浮いてきた。

 

 そんな私の目にお姉さんが気づかないわけがなくて、彼女は指に挟んだ煙草を顔の前に留めて、静かに口を開いた。


 「そんなに見られると、恥ずかしいわ」


 艶色を含んだ柔らかい声。


 「……ごめんなさい。つい、きれいだなーって思って」


 思っていたことをそのまま口に出すが、案の定言い慣れているのか照れたような反応もなく、ただ「そう。ありがと」とだけ言ってまた正面を向いてしまう。


 私も薄く笑って彼女から視線を外す。彼女に気を取られて忘れかけていた煙草を咥え直し、そっと腕を組む。


 ずっと、初めて見た時の彼女の目が気になっていた。

 二度、目が合って確信する。


 一度目の見定めるような視線。

 二度目の可愛い子に狙いを定めた時の目。


 同じことをしている私だからこそ気が付いたのだろう。少し分かりやすすぎる気もするが……これほどの美人にそういう目で見られたとしても不快には思わなかったのは流石だと賞賛せざるを得ない。


 しかし、服とか髪型の系統変えただけでこうもすぐに弊害がでるものなのか。


 私はあなたの思っているような健気な女ではないですよ……って、誤解を解くべきなのか、そそくさと断って去るべきか……どう動こうか考えながら、静かに白い息を吐き出す。でもやっぱり……


「ねぇ」

「あの」


 そして、どちらからともなく声を発した。どちらもお互いの顔を見ている。

 私は先に言うよう視線で促がして、お姉さんは呑み込みかけた言葉を紡ぐ。私の、想像していた通りの言葉を。


「今晩、時間あるかしら?」


 そう誘惑的な笑みを浮かべ、手を伸ばしてくる。

 頬に触れた手は、冷たい雨のようだった。 


 撫でるように彼女の親指が滑り、私よりも高い視線に見下される。

 体ごと食べられてしまいそうな圧を含んだ蠱惑的で、妖美な視線だった。

 私でなければこの時点ですでに落とされていたかもしれない。

 この人はきっと、こうやってたくさんの女を抱いてきたんだろう。だからこんなにも勝ちを確信したみたいに笑えるんだ。

 

 誘惑される側の気持ちを初めて理解した気分になる。


 それと同時に、二つの選択肢意外の考えが浮かび上がってきた。

 そうして、


 「……私も、同じことを言おうと思ってました」


 思ってもないことを囁いて、私はにこっと笑顔を向けた。


 「本当に?偶然ね」


 でも、多分あなたが思っているような意味とは違う。

 

 だって私、抱かれる側好きじゃないし。


 「……誘う相手を、間違えましたね」


 「……?」


 その言葉を彼女が咀嚼する前に、頬に添えられた手をのけた私はグイっと身体を前へと踏み出す。いきなり体と体の距離が狭まって、お姉さんが驚いたように目を見開くのを目に焼き付けつつも、彼女の視界をふさぐように顔を近づけた。

 見た目通りの柔らかい唇にうっとりしそうになる。

 嬉しさに言葉もなく目を細めた。

 何度も角度を変えながら啄む傍らで、離れていきそうになった腰を抱く。

 そうして、ようやく逃げられないと理解したのか、彼女も負けじと彷徨っていた腕を私の背中に置いた。


 お姉さんの煙草を奪い取って、二つの火を消しゴミ箱に放り込む。


 今もまだ、彼女の目は閉じられていない。ずっと、きらきらと輝く黒い瞳が私をまっすぐに見つめている。


 きっと、いつもの癖で開けてしまっているのだろう。

 私もキスしているときの相手の顔は好きだから、閉じてしまうのはもったいないという気持ちはわかる。


 されるがままキスされている抱かれる側の顔は、何ににも代えがたいほどかわいいから。


 でもキスしながら見つめられるのは、滅多になかったから少しくすぐったくて。


「……目、閉じて?」


 呼吸する合間に小さく囁けば、思いのほかすんなりと閉じられる瞼。


 同時に、背中に置かれていた手のひらが、くしゃりと私の服を握った。

 布越しから伝わる暖かい熱の中には悔しそうな感情も密かに混じっていたが、それでも逃げない様子に、彼女の気の強さが覗える。


 だけど、抵抗したいという意志は感じても本気で嫌がる仕草を見せない。

 なので遠慮する必要もないかと考え、一気にキスの深度を深めていく。


 強くなるフレーバーの味。


 入り込んでくることがわかっていたみたいにしっとりとした舌が私を迎え、やり慣れた舌先で絡めとられる。


 すかさず捕食側に回ろうとした彼女にまだ諦めていなかったんだと思いながら、油断していた無防備な耳に手で触れた。


「……っ、?!」


 わずかに勢いがやんだその瞬間を逃さずに、さっきまで私を食い尽くそうとしていたそれを捕らえる。


 並行して右手を耳の縁に沿うように動かす。

 そうすれば閉じられたままの目蓋がぴくっと震えて、きれいな眉が歪められる。


 でも、口の端から漏れる吐息は不快そうには思えなかった。


 耳元から首筋に手を下ろしていって撫でていると、だんだんと零れる息が苦しげになっていく。


 それがもう限界なのだと知らせる合図だったのだとしても、捕食者が捕食者に食われる過程をまだ見ていたいと思ってしまって、やめられない。


 そうして調子に乗ってしまった私に、すぐさま天罰が下る。


「……いっ!?」


 舌を噛まれた。せっかく捕まえたばかりなのに、瞬間的に離れてしまう。

 ジンジンとした気持ちの悪い痛みに耐えられずに、私は手の甲で口元を抑えながら、少しだけ非難するように彼女を見る。


「ちょっと、急に噛まな──」

「……っ、長い……!」


 私よりも怒りを孕んだ声で殴られる。


 彼女も彼女で私に負けず劣らずの険しい顔で肩を上下させていて、力が抜けたようにぽてっと壁に背を預けた。

 その頬はうっすらと赤らんで、幾ばくかぶりに開けられた瞳は仄かに水の膜を張っていた。


 それに、無意識なのか、彼女の指先が私の袖をきゅっと握っている。


 いくつもの気の強い行動があったからか、そんな仕草が余計にかわいく思えたし噛んだ傷も自然と言えていくような気がした。


 胸中にくすぶっていた興奮の嵐が吹き荒れ、おさまる気配がない。


 その顔をもっと近くで見たくて、彼女の正面へと体をひねる。 

 

加減を見失った私が悪いので、舌を噛んだことに怒る資格はない。むしろ私が謝る方だろう。


「お姉さんかわいくて。つい夢中になっちゃった。ごめんね」

 

 少し味見する程度にしようと思っていたのに、あんなわかりやすい反応するから……問答無用でその気にさせらちゃった。あんな露骨なところに弱点あるとは思わないじゃん。

 私は舌先で上唇を濡らした後「それはそうと」と呟き、今しがた触れていた耳元へ口を寄せる。


「ここ、弱いんだ?」


 僅かにトーンを落とした声音で囁く。

 そして、包み込むようにそっと耳朶を食んだ。


「……そ、んなこと……っ」


 顔の傍で、こらえるような声が聞こえてきた。

 流し目で顔を見てみると、手で口を抑えてぎゅっと片目をつぶっている彼女の姿に不覚にも心臓が高鳴る。


 私達を囲うすりガラスから彼女を隠すみたいに覆いかぶさると、空いた手で赤く染まった片方の耳に視線をやる。ゆっくりと手を伸ばし、すりっ……と耳の外側を撫でて、指を数本……中へと潜り込ませる。それだけで、漏れだす声に熱がこもっていく。もっと、いい反応が見たくて、軟骨を噛んでいた口で軽く舐めてみる。


 途端に、湿っぽい吐息が響き、彼女の額が私の肩に落ちた。


 力が抜けもたれかかってきた体重を身体で支える。腰を強く引き寄せたことで更に身体との距離が0距離となり、煙草の香りに混じる色鮮やかな香水の匂いが一層際立った。

 耳を弄くる手は動かしたまま、ふと疑問に思う。


 なんでこの人、今まで抱く側なんてやってたんだろう?って。

 こんなにも感じやすくて可愛い顔ができるのに。


 もったいない。


 そう思ったら、未確認の宝石を見つけた気分になった。

 誰も知らない一面を見たみたいで、すごく興奮した。


 「ねぇ……お姉さん、こっちのほうが似合うよ?これまでよく、私みたいなのに捕まらなかったね」


 そんな言葉が口をついて出る。

 未だに私の手は耳を弄っていて時間が経つごとにお姉さんの余裕がなくなっていっている。

 だからかその言葉に返事はなくて、聞こえてくるのはあっつくて今にも溶けそうな吐息だけ。


 ああ……やば。



 「今日帰せるかなぁ……これ」

 

 

***



 理性を丸ごと揺さぶられているような刺激を受け続けて、ついに私はお姉さんの手を引き喫煙所を後にする。


 少しばかり早歩きで大通りを抜け、些かライトアップの激しい自動ドアをくぐる。

 身を焦がすような思いで高級感満載のシャンデリアや赤い絨毯が敷かれたエントランスを歩き、まるで流れ作業のような手際で受付を終え、即刻エレベーターのボタンを押した。


 

 部屋の鍵を開けてはじめに目を移したのはキングサイズのベッドだった。


 かなり値の張った内装に目をやることはなく、後ろ手で扉を閉めた私はすぐにお姉さんの唇を奪う。

 

 ただ触れるだけのキス。


 油断していなかった彼女だったが、幾度か抗争があった末に私が勝って、覚束無い足でベッドのそばに辿り着く。

 お姉さんを少々乱暴に座らせて、その膝に跨るように膝をつく私。


 タイトスカートに入れ込まれたブラウスに手を掛け、引き上げる。

 しかし、片手でぱちぱちといくつかボタンを外したところで、お姉さんから声がかかった。


 「まっ……て……」


 「なに?」


 「シャワー……して、からじゃだめ?」


 「無理。待てない」


 迷わず断って、トンっと肩を押す。

 

 お姉さんはシワひとつないシーツへ押し倒されて、見慣れない景色に複雑な顔をした。


「ねぇ、名前は?」


「名前……?」


「そう名前。教えてください。呼びたい」


 一瞬怪訝な表情をしたが、少しだけ考えてから小さく「……雫」と口にする。


 「雫?そっか……雫、ね」


「……なに?」


 「ううん。なんでも。かわいい名前だなって思っただけです」


「馬鹿にしてる?」


「まさか。本心ですけど」


 まったく信じてない顔。


 本当にかわいいと思ってることを信じてもらうために額と額を合わせて、じっと目を見つめる。

 照れたほうが負けってわけじゃないのに、根気強く見つめ返してくるから、それすらもかわいいと思ってしまう。


 本当に、前まで抱く側にいたのが不思議だ。こんなにも簡単に私に覆されてしまうなんて。


 彼女に抱かれた顔も名前も知らない女の子に対して、激しい優越感が芽生える。

 それが顔に出ていたのか彼女の瞳に移る私はひどく鋭い目をしていて。

 雫さんには「……怖いのだけど」と文句を吐かれてしまった。


「……それで、あなたの名前は?」


「私ですか?私は……瀬里っていいます」


「……ふぅん。名前は見た目通りなのね。可愛い顔してるから騙されちゃった」


 彼女が垂れた私の髪をかき上げて、今から抱かれるとは思えないほどに挑発的な笑みを浮かべた。

 いつの間にか余裕を取り戻している。そんな雫さんから思わぬ言葉が飛び出してくる。


「いつもそうやっていろんな人引っかけ歩いているの?人をだまして食べるのが趣味なの?」


「ちょ、言い方。……そんな趣味の悪いことしないですよ」


 少し考えて答えてしまったせいで、訝しげに見上げられる。


 「本当に?」


「ほんとです。いつもはもっと大人っぽい格好してるから抱かれる気満々の子しか寄ってこなくて。だからあなたみたいな人が釣れるのは初めて」


「それって同じじゃない?」


「……私は釣ろうと思ってやってないです。女の子が好きな格好してれば勝手に誘ってくるんで。……そっちこそ、つられるほうが悪いんじゃないですか?」


 現在進行形で雫さんの服をめくりあげて、中へと手を滑り込ませている私は、そうやって、疑問詞混じりに耳元で囁いた。


 顔の横で、小さく漏れる艶っぽい声。


 熱い腹を彷徨っていた指の先が、二つの膨らみを覆う布に触れる。

 でもそれ以上深くはいかないで、一度ブラウスの中から手を抜いた。そっと上から体を起こす。


 それから、跨ったお腹に手のひらを乗せ、わかるよね?って視線を送る。


「それとも、私に脱がせてほしい?」


 わざとからかうように言えば少しだけ私の服を引っ張りながらもむくっと起き上がる雫さん。


 「ほら。早く脱いで?」


 臍が見えるところまで捲って、促す。そうすると、雫さんは何も言わず私の手を外してきた。


 「ちゃんと、やるから……」


 目を伏せつつも着々とボタンを外していって、服の端に手をかける。

 そしてゆっくりとはだけていき、少しずつ、見える肌の面積が増えていく雫さんの身体。


 黒いブラの紐と綺麗な鎖骨、雪のように真っ白な肩が露になったとき、雫さんはちらりと目線を上げた。

 その上、じっ……と私の目を見てくる。どこか変態を見るような目で。


「見すぎ」


 本当にそんな目だったみたいだ。


「いや、雫さんがえっちなのが悪いんですよ」


「言い訳はモテないわよ」


「そんなことないです」


「あるわ」


 彼女はそのような言葉を吐いて、ばさりとベッドの隅に服を投げる。


「……下も?」


「嫌ならいいですよ?洗うことになるけど」


 そう言えば、すっと眉を顰めて。


「じゃあ、退いて」

 

 不機嫌を隠さない声で言った。

 素直に従って退こうとして、やめる。

 雫さんは見られながら自分で脱ぐのと、人に脱がされるのとじゃあ、どっちのほうが恥ずかしそうにするんだろうって興味が湧いてきたから。

 さっきは見られていてもそこまで恥じらうそぶりは見せなかった。

 たぶん、抱く側でも脱ぐことはないわけじゃないし……その時も抱かれてる相手に見られてるわけで。


「ねぇ、早く退いて。じゃないと脱げないわ」


「……」


「聞いてる?」


「ん……やっぱり私が脱がせてあげたくなってきた」


「は?」


「だから私が脱がせてあげ──」


「絶対に嫌」


 言い直す前に即答されてしまった。

 さらには警戒されて短いスカートの根元を抑えられる。


「なんで?あんまり変わらないじゃないですか」


 「わからないけど……。………なくなりそう、だから」


 「ん?」


 「なんでもない。とにかく、嫌なの」


 触れている太腿はやんわりと熱い。


 確かに、私も彼女と同じ状況になったら嫌だと答えるはずだ。


 でも、私にはそんなの関係ない。

 もっと雫さんの恥じらっている姿が見たいから、諦めずに食い下がった。


「いいから」


 腰を引き寄せて、肩の上に顔を乗せる。

 少しだけ雫さんの耳のほうを向いて、


「早くほしいでしょ。これ」

「は?」


 中指と薬指で臍の下に触れる。

 わざとその指を意識させるようにグッとそこを押し、感覚を想像するように促す。


「……っ、なに?」


「わかんない?ほら、想像して。この指が雫さんの中に入るの……」


「……っ」


 「やっぱり。雫さんが上やるようになったの、最近ですよね?」


「どういう、こと?」


「ずっと食べられる側だったんじゃない?ってことですよ。じゃないとこんなすぐに、かわいい顔なれないよ」


「ちが、うから」


「ふーん。まあどっちでもいいけど」


 居場所を定めかねていた雫さんの両手を引っ張って、膝立ちになるように諭す。   

 されるがままにベッドへ膝をついて私の肩に手を置いた雫さん。

 

 私は満足気に頷いてスカートのホックに触る。

 しかし、まだ抵抗する気はあるのか、もぞもぞと身を捩って逃れようとするから。


「だーめ。じっとしててください」


 漸くホックが外せて、するすると緩んだスカートは膝元まで滑り落ち、咲いた花のようにベッドの上へと広がる。


 「あんまり、見ないで……」


 そう言われた私は、腰下に下ろした視線を上げ、雫さんの顔を覗き込む。


「そんなこと言って、期待してるんじゃないですか?」


 隠すものを失い露になった下着の外側を、包むみたいに手を這わせる。

 うっすらと滲んでいるそれの暖かみを感じて、見えないところで笑みを描く。


 すると、頭上から耐えるような吐息の音が降ってきて、肩を掴む力も強くなった。  

 

 少しだけ痛かった。


 空いていた片手を彼女の背に腕を回す。そして、一度この態勢を変えようと優しく雫さんの軽く体重をかけ、ベッドに仰向けに倒していく。

 すると、肩に乗せられていた手はベッドに滑り落ちて、ポスンと軽い音を立てた。

 

 目を見つめて微笑むが、彼女は手の甲を口に被せて、一向に見つめ返してくれはしない。


「ほら、聞こえる?……音」


「っ……言わないで……わかってる、からっ」


「えーかわいい」


 背けられた顔をじっと見ながら、膝にとどまっていたスカートをふくらはぎまで脱がしていく。


「足、あげて?」


 「ん……」


 浮かされた足からスカートを抜いて、シャツと一緒のところに投げる。

 脱がされるとは想定してなかったはずだから皴になるの嫌かなと思い、ぐちゃぐちゃになった服に手を伸ばそうとして、腕を掴まれる。


「……そんなの、いいわ」


 声のしたほうに顔を戻す。


「……皴になっても、文句言わないでくださいよ」


 私を引き留めた彼女はすでに、熱に浮かれた目をしていた。

 もうこれ以上焦らされたくないと言っているも同然な目だ。


 私は下腹部に跨っていた腰を浮かばして体を前方に倒すと、背中に腕を回す。

 しつこく探ることもなくブラの留め具に触れて、パチッとホックを外した。

 そして持ち上げるように取り払って、前のと同じように放る。


 首筋に埋めていた顔を上げて、何もなくなった胸に舌を這わせる。

 しばらく、彼女が一番反応してくれる場所を探ってみたが、


「やっぱり、耳……ですね」


 濡れた耳元で呟いたそれに反応して、手のひらで塞いだ口から、声にならない声が漏れる。


 しかし、首を振って否定する雫さん。

 

 強がっても、無駄なのに。

 

 ここまで頑固な人は初めて。

 

 のけぞった喉にツーっと人差し指で線を引く。

 その瞬間、伸びていた脚がびくっと動いて、三角に曲がった。


 なんともわかりやすい答えに薄い笑みが浮かぶ。


 「こんなに反応してるのに?」


 「んん……すき……すきだから……っやめて……」


 そう懇願しているのに雫さんの腕は私の首に回って縋っていて、本当に、愛おしくてたまらなくなる。

 そんな恋心じみた感情を抱きながら、遊び終えた手を下肢に持っていく。


 指先が、蜂蜜を掬い上げたみたいなドロドロとした感覚に包まれる。


 耐えられずに零れた甘い声が、私の理性をパリパリと割っていって、かわいいが止まらない。

 これほど夢中になるのはいつぶりだろうか。

 本当は、こんなつもりじゃなかった。

 けれど思わぬところで彼女と出会ってしまって、気が変わった。初めは面白半分だったが、今ではそうして正解だったなって思う。


 初めて見る、このいい意味での変貌っぷりが、私に感じたことのない興味を抱かせていた。


 自分がおかしくなったんじゃないかって思うくらい、なぜか可愛さで思考が埋め尽くされる。


 狂いたくなるような感情が渦巻いて、抱かれているわけでもないのに、私の口からは雫さんと同じような熟れた吐息が溢れだしていた。


 信じられないことに、一秒が経つごとに私の余裕は擦り減っていくばかり。


 「……っ、ねぇ、……」


 そんな私のすぐそばから、激しく息を吸う音に紛れて声が響く。

 とても霞んでいて、私達の吐息の中に消えてしまいそうなほど小さな声だった。


 「ねぇじゃないでしょ……瀬里って言って。雫」


 「……っ」


 徐々に限界に近づいてきていると分かっていながらも、私は無意識に彼女を苦しめるような発言をしてしまうなんて、どうしようもない性根だなとつくづく思う。

 それは自分すらも追い詰めるというのに、なぜ抗えないのだろう。


 「……っ、瀬里、ちょうだい……せり……っ」


 初めて名前を呼んで、縋りついてくる雫。

 今の彼女に最初の妖艶なお姉さんの面影はなかった。

 ただただ快楽に溺れそうになるだけの被食者になって、私を見上げている。


 「……瀬里、っ」


 「っ……ん?」


 雫の瞳が切なそうに潤んだ。


 「キスっ、して……?」


 私は、不意に落とされたその言葉に激しく狼狽えた。


 意図せず指の圧力を強めてしまうくらいに。


 まずい、そう思って手を引いた時にはもう間に合わなくて。


 「あ、ごめん……っ、びっくりしたね……」


 突然訪れた快楽に涙を流す雫を、宥めるように優しく抱き締める。

 ポンポンと落ち着くまで頭を撫でて、過呼吸気味だった息が治まって来た時、彼女とは反対で呼吸を忘れていたことに気付いた。


 不足しかけた息を吸って深く吐きながら、雫の首に顔を埋める。


 この胸の鼓動はなんだろう。

 

 可愛さに胸が締め付けられるようないつもの興奮とは違って、吐きそうなほどに痛い。


 なのに嫌な感じはしなかった。

 でも、なぜだか雫の顔が見えなかった。


 なにより、見られたくなかった。


 だから、少しだけ気持ちを整理したかったけど、雫の指が私の手に絡まってきて顔を上げる。

 恋人繋ぎになった手から不安そうな感情を感じたから。


 「私が、キスしてって言った……から、嫌だった……?」


 「っ……」

 

 あぁ、なんでそんなに泣きそうな顔するの。


 そんな顔されたらこっちまで悲しくなるの、わかんないかなぁ。


 「ううん。ただちょっとびっくりしただけだから。そんな、顔しないで」


 慈しむように目を細めて、頬に手を添える。


 そして、私は彼女に陶然と酔いしれるみたいに甘いキスをした。


 嚙まれた舌が少しだけ染みたけど、そんなの気にしないくらい、私の心の中は情熱に満たされていた。

 


 

 狂いそうなほどに燃え上がり、全身が焼き尽くされそうなほど熱いこの感情が、恋に焦がれているのだと気付くまで。


 それによって私が、この夜を最後の夜遊びにしようと決意するまで。



 ───あと少し。


 


 


 



 

 

 

 

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夜の誘い、煙草の後 瀬良 @nasubi_er

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