恋とハサミ
コード
前髪数ミリの恋
月曜日の朝は、だいたい恋が動く。
うちの小さな美容室「ハレノヒ」は、天気に関係なく誰かの決断で晴れるからだ。
「すみません、予約ダブってました」
アシスタントのユイがタブレットを持って青ざめる。
11時にインフルエンサーの生配信カット&カラー。11時半に花嫁さんの前撮りヘアのリハ。しかもドライヤーの一台は昨夜、私が落として天に召された。
隣の理容室「潮風バーバー」の扉がガラリと開き、店主の渚(なぎさ)が顔を出した。ライバルで、たぶん、私の鼓動の原因の半分くらいを占める人だ。
「朝から騒がしいね、翔(しょう)くん。ドライヤー、また壊した?」
図星だ。私はハサミをくるりと回して強がる。
「落ちただけです。重力の陰謀ですよ」
「機材のせいにする美容師は、恋愛もうまくいかないって聞いたけど?」
「恋愛は、最近メンテ入ってまして」
***
11時。生配信の愛さんが入ってきた。
「今日は“宇宙ネイビー”でお願いします! 暗めなんだけど、光で青、陰で黒、角度で謎!みたいなやつ!」
“謎”はレベル表に存在しないが、やってやろうじゃないか。
ブルーベースに少しバイオレット、6%オキシで決まりだ。襟足は前上がりで、表面にだけ短いレイヤーを忍ばせる。カメラが回り、コメントが流れる。
・《担当さんイケメン!》
・《手つきが良すぎて恋した》
いや、それはハサミが優秀なだけだ。たぶん。
11時半。花嫁・茜さんが駆け込んだ。
「すごい急なんですけど、当日、元カレも来るらしくて……“勝ち確ハーフアップ”にしたいんです。気迫で勝つ感じの」
気迫は得意だ。けれど、ドライヤーが一台足りない事実は変わらない。私は覚悟を決めて、隣の店に走る。
「渚さん、ドライヤー貸してください!」
「条件がある。手が空いたら、シェービングのブラシ立て、3Dプリンタで作ってあげる」
「今じゃない交渉をするなあ……! わかった、後で作ります。PLAでいいですか?」
「ABSで」
こだわりが強い。恋も、たぶん。
渚はドライヤー二台を抱え、ついでのように私の店に来た。
「配線、タコ足すぎ。これ、ブレーカー落ちるよ」
「かわいいタコ足です」
「かわいさで電流は流れないだろ」
***
忙しい時間は、恋を小走りにさせる。
渚はドライヤーを持って愛さんの根元を丁寧に乾かす。私は茜さんの編み込みに取りかかる。
「分け目はどっちが“勝ち確”ですか?」
「左! あいつ、左に座る癖があるから、こっちから見せつけたい」
「なるほど、“視線誘導勝ち確左分け”で」
そこにユイが走ってきて、小声で耳打ちした。
「先生、大変です。ブルーのカラー剤、同じ番号のグリーンと入れ替わってました。外側は宇宙ネイビー、内側が地球緑です」
絶句した。私の心拍数が高鳴る。愛さんはまだ鏡の前、配信中。画面には《地球も愛して》のコメント。違う、今は宇宙を愛したい。
私は渚と目が合った。
「助けて」
彼女は短くうなずいた。
「緑は、ピンクの補色で消せる。根元はネイビー生かして、毛先は薄いSV(シルバーバイオレット)でトナーを。時間差でいける」
「あなた、実は宇宙飛行士?」
「理容師は、いつだって無重力で戦ってる」
渚が愛さんをシャンプー台へ運び、私は素早く調合する。6分でグリーンを打ち消し、2分で艶を置く。戻ってきた髪は、夜の海の底みたいに深く、光に当てると星が浮かぶ。
画面がざわついた。
・《え、すご!》
・《宇宙来た!》
・《美容師と理容師のタッグ尊い》
尊いのは化学反応と努力である。あと、ちょっとだけ渚。
茜さんのヘアも仕上げに入る。
「やだ、私、強い女の匂いがする」
「それはナチュラルオイルのローズマリーです」
「違う、内側から沸き立つやつ。元カレが“やり直せる?”って言ってきても、丁寧に断れる感じ」
「それは……“勝ち確”のさらに上、“余裕勝ち”ですね」
「語彙が好き!」
***
そのとき、パチン、と店の照明が落ちた。
見事にブレーカーが飛んだ。コメント欄が暗転し、
・《怪談?》
・《演出?》が踊る。
「私、見てくる」渚が配電盤へ走る。「翔くん、スマホのライトでフォローして!」
私はライトを掲げ、彼女の後ろ姿を照らす。壁に映る横顔の影が、恥ずかしいくらい綺麗だ。ブレーカーを上げる彼女の手元が震えないのが、私を余計に震えさせる。
明かりが戻る。
「戻った!」
店内に小さな拍手が起き、コメント欄に
・《理容師ヒロイン》
・《嫁に来て》の文字が流れた。
「嫁は行かない」渚が笑う。「自分の店が好きだから」
「じゃあ、たまにうちで“同棲”しましょう。機材だけ」
「軽率に同棲を申し込むなよ」
***
午後、全てが終わった。愛さんは宇宙を頭にのせて帰り、茜さんは“余裕勝ちハーフアップ”で背筋を伸ばした。ユイが安堵のため息をつく。
「先生、今日は恋も仕事も、なんかグラデーションでしたね」
「ああ、悪くないグラデだった」
渚がドライヤーを返しに来る。
「ありがとう。助かった」
「私も。緑を宇宙に連れて行くなんて、普通できない」
「補色と、勇気と、たぶん運」
「運は、自分で掴みにいくものだよ」
気づいたら、私は彼女の前髪に手を伸ばしていた。
「渚さん、前髪、少しだけいい?視界に入る“悩み”の量が変わるから」
彼女が、ほんの少し、顎を引く。照明が柔らかくなり、ハサミが小さく鳴った。
数ミリ、切っただけで、彼女の目に光が差す。心臓が、私の胸の中で不器用に踊った。
「どう?」
「見える、いろいろ。翔くんの耳が赤いのも」
「それはライトのせい」
「言い訳もうまい」
沈黙が落ちそうになった瞬間、ユイが空気を切った。
「先生、3Dプリンタ、温めておきました! ABSで!」
渚が吹き出す。
「“同棲”の準備、早いね」
「機材だけ、です」
「……機材だけね」
私は思いきって言葉を切った。前髪みたいに、怖くて、気持ちいい瞬間で。
「渚さん、今度、ちゃんと“ふたりだけ”でご飯行きませんか。配信も、停電も、タコ足もなしで」
彼女は、少しだけ目尻で笑って、うなずいた。
「じゃあ、火曜日。理容師は火曜日が好きなんだ」
「美容師も、急に火曜日が好きになりました」
ハサミを閉じる音が、小さな約束の音に聞こえた。
恋ってたぶん、前髪の長さに似ている。切る前は怖いけれど、切ってみると、世界が少しだけ見やすくなる。
月曜日の空はまだ曇っていたが、「ハレノヒ」の看板の下だけ、確かに晴れていた。
恋とハサミ コード @KAMIY4430
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