第2話 理科準備室のテープ
昼休み、鞄の底でもう一枚のメモを見つけた。
――〈17:40 理科準備室。ひとりで来い〉
インクが滲み、角は汗で柔らかくなっている。誰かが焦って書いた文字だ。
放課後、体育館から部活の声。西陽が廊下を朱に染める。
扉を開けると、薬品と古い木の匂い。静かなガラス棚に、使われない道具たちが眠っていた。
僕は黒板脇の机に気づいた。上に、白いカセット型レコーダー。
スイッチを押すと、砂嵐の向こうから若い女の声が滲む。心臓が跳ねる。未來の……声だ。
『……これを聞いてる頃、私はまだ君のことを“知らない”。でも、君は私を知ってるはず。変だよね。ごめん。私が君を殺す。……でも、私が君を救う。だから、信じて。』
一瞬で指先が冷える。
『17歳の私は、まだ“その日”を知らない。だけど24歳の君が、赤い光の向こうで……』
語尾がノイズに飲まれる。
『手がかりは、理科準備室の時計。……次は屋上で――』
録音はそこで切れた。腕時計を見る。17:44。
ふいに背後で床板が軋む音。振り向くと、扉の隙間に影が過ぎる。
廊下へ飛び出すが、誰もいない。代わりに掲示板に貼られたプリントの端がめくれ、その裏に小さな付箋が隠されていた。
――〈君は、また死ぬよ〉
あの男子の筆跡だ。あざ笑うように流れる線。
屋上へ向かう階段は薄暗く、夕焼けが踊り場を斜めに切っている。手すりは温かい。
ドアを開くと、風がシャツをはらんだ。フェンスにもたれ、未來が空を見ていた。
「……来ると思った」
振り返った瞳が、驚くほど無防備で、僕は一瞬だけ確信を見失う。
「これ、落としてたよ」
彼女が差し出したのは、僕の鞄のキーホルダー。
そこに小型のタグが、いつの間にか結束バンドで括りつけられていた。市販の見守り用デバイス。
誰かが、僕の動きを“見て”いる。
「未來、質問がある」
声が掠れる。「君は、僕を――」
「殺すの?」と続ける代わりに、僕は言葉を噛み潰した。
未來は風の中で睫毛を伏せ、ぽつりと言う。
「ねえ、二十四歳の君って、探偵なんでしょ?」
胸の中心が、見えない爪で軽くなぞられたように疼いた。
どうしてそれを。
「さっき、“これ”が教えてくれたから」
未來はスマホの画面を見せた。見慣れないアプリの通知履歴。
――〈ボイス便:1年前の自分へ〉
そこには短いテキストが残っていた。
――〈私が君を殺す。でも、私が救う。17:40、理科準備室。〉
時間差で届く“便り”。現実味はないのに、僕の死の感触だけが鮮明だ。
僕を交差点へ呼び出した“誰か”。トラックのヘッドライト。
そして最後に聞いた、未來の泣き声。
「もし、君が僕を殺すなら」
言葉を慎重に選ぶ。「その理由は、僕を救うためなんだろう?」
未來は小さく首を振る。「わからない。だけど――」
彼女の指先がフェンスを掴む。「私、ひとつだけ覚えてる。赤い信号の夜、私はフェンスの向こうで君の名前を呼んでた。……届かなかった声を、今度こそ届かせたい」
夕陽が沈み、町の灯りが滲み始める。
僕は決めた。
この“二度目”で、真相に到達する。ただし、疑うだけじゃない。守る。選ぶ。
探偵として、恋人として。
階段へ戻る途中、ポケットが震えた。知らない番号。
出ると、息をひそめた少年の声が囁く。
「時計、見た? 準備室の。秒針、逆に回ってたろ」
心臓が一段、強く打つ。
「あれは合図だよ。次は、君の“親友”の番だ」
通話は切れた。
僕は暗い踊り場で、重くなる未来の予感を飲み下した。
親友・羽村の笑顔が脳裏に浮かぶ。
――誰が“僕を殺し”、誰が“僕を救う”のか。
その境界線は、思っていたよりもずっと細い。
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