映画「国宝」と共感覚

判家悠久

映画「国宝」と共感覚

 お盆休み、今年新装開店したイオンシネマ新青森に行ってきました。お目当ては映画『国宝』です。大ヒットのおかげでロングランとなり、ああ終わるかも、いやこの勢い、そう観られるとは思ってもみませんでした。以前の映画館(コロナシネマワールド)であれば、夜1回の上映で終了していたはずなので、本当にありがたいことです。


 一言言わせてください。もしあなたが感受性が強いと自負しているなら、かなりの覚悟をして観るべきです。感性が揺さぶられます。上映から数ヶ月経って何を今さら、という感じですが、忠告が遅れて申し訳ありません。


 朝6時半に起きて、10時台の上映に行くというタフさ。東青地域からバスで向かうのは本当に大変でした。青森は東から西へまっすぐ移動するだけで、こんなに時間がかかるのかと思いましたね。


 乗り換えのバス停、古川でふと気づきました。「もしかして、満席になるのでは?」という予感はかろうじて的中しました。その時点でウェブの予約表を見ると、残り10席程度だったのです。前日はまだ3割しか埋まっていなかったのに、すごい。リピーターが多いとは聞いていましたが、青森でもこんなことになるとは思わず、冷や汗をかきました。その場で予約しようとしたものの、なぜか弾かれてしまい、もう直接映画館に行こうと決めました。万全の準備で臨んだのに、まさかの満席ではシャレになりませんからね。


 イオンシネマ新青森に到着。キャッシュレスの券売機も無事に通り、入場しました。そして、高をくくっていたのですが、スクリーンは前の映画館と似たサイズであるものの、音質が軽く2ランク上です。コロナシネマワールド時代は、大きな音が出ると軽くフィードバックしていましたが、イオンシネマの音質は均一で、デジタルに近いナチュラルさでした。これはセリフが多い映画向きの音質ではないでしょうか。もちろん音楽も強く、高音から低音までしっかり聞こえるので、都内のシネコンと同じレベルと言っていいでしょう。新装開店、本当にありがとうございます。


 映画『国宝』が持つ「共感覚」の力


 さて、映画『国宝』についてです。この映画が尋常ではないリピーターを生み出すのには理由があります。おそらく日本で初めて、共感覚をより強く設定した映画になっているからです。


 共感覚とは、本来結びつかないはずの五感(視覚、聴覚、嗅覚など)が結びついてしまう現象のことです。生まれつき備わっているものだとされ、大人になるとほとんどの人が失ってしまいます。


 この映画では、聞こえるはずのない所作音がすべて拾われています。そして、演舞場の拍手音も、そのスケール感に合ったそのままの響きで、臨場感あふれるものになっています。これは、ADがキューの手信号を送ったものではなく、心からの震えで鳴っている拍手のように感じられ、信じられないほどです。


 さらに、細かい点を挙げれば、NHKの芸能番組よりも接写した、絶対に見られないアングルの映像。柔らかい女方の関節のしなりが聞こえる(聞こえるはずはありませんが)。舞台の重さが全く感じられず、無音でくっきりと重力を感じないように見える。何より、セリフの音階がより音楽的で、古典的な内容でもなぜか分かる。情緒的な分解術を披露し、観客にも理解させているのです。


 また、役者の声のキーがほぼ同じなので聞きやすく、セリフのやり取りがスムーズに理解できます。脇を固める役者も、喜久雄と俊介のキーやトーンに近い人を選んでいるため、30年の物語の一部分にもかかわらず、唐突さを感じずに見られるのです。


 つまり、映画『国宝』の作り込みが、共感覚を持つ人には分かるのです。通常の人でも琴線に触れるように、共感覚を刺激するアプローチを巧みに用いています。これは、李監督が意図せずとも、題材である歌舞伎の特性を深く踏み込んだ結果ではないでしょうか。


 この映画の共感覚的なアプローチが、多くのリピーターを生み出しているのだと思います。観客は、この共感覚が一体何なのか分からず、考察するために何度も劇場に通ってしまうのです。原作本が日本中で売れているのも同様の理由でしょう。しかし、原作を読んでも、物語の奥行きは分かっても、この共感覚は残念ながら分からないはずです。もしこの謎を解き明かしたいなら、身近に感受性の強い人がいれば、一緒に観に行くことで、その謎がより紐解けるかもしれません。


「共感覚」を持つあなたへ


 この共感覚は、これから問題になる要素をはらんでいます。事前情報なしでこの映画を観て共感覚に打たれ、家に戻って三日三晩うなされた人もいるはずです。ある意味、『国宝』は怖い映画なのです。


 日本では共感覚を持つ人が少ないので、まだ大きな文化問題には発展していませんが、近々海外で上映されれば、鋭く指摘する解説者が現れるでしょう。共感覚を刺激するアプローチは、サブリミナル広告に抵触するのではないか、と。ハイブリッドな文化に造詣が深くない人々が多い海外では、気づきが遅れ上映禁止になる前にブームが来るかもしれませんね。オスカー賞のエントリーで議論になる可能性もあるでしょう。


 最後に、このエッセイを読んで、共感覚について信じるか信じないかは、どちらでも構いません。ただ、共感覚とどう向き合うかについて、ここで事前に言っておきたいことがあります。


 これは作られた物語です。あなたの物語ではありません。また、他人の物語に共感しすぎてしまう人もいますが、これは50年かけて傷を癒す、たった3時間の物語なのです。自らの共感覚を自覚せずにリピーターになっている方には、ここを冷静に噛みしめてほしいと思います。


 別に映画の上映を邪魔するつもりはありませんが、自覚していない共感覚の積載は危険なのだと、私は思います。

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