初恋はコーヒーの味がする

大塚 匠史

初恋はコーヒーの味がする。

よく初恋が,「甘酸っぱい」とか,そういう言葉で片づけられたりすることがある。「キュンキュンしちゃう」とか,「青春だったなあ」とか,そう言って終わることがある。しかし,この言い方はいかにも客観的である。初恋の甘かった部分,酸っぱかった部分だけを切り取って,記憶の中に貼り付け,後になって「良かった」と感じる。こんなのいわば自慰行為ではないか。人間の頭はそうやって,辛かった部分を消していく。だから,「また恋愛したい」などという感情が現れるのだ。

忘れたいと思っていた。忘れられたと思っていた。しかしそんなことは全くなかった。忘れるには彼女と過ごす期間が長すぎた。未だ彼女の写真をみるだけで頭に雷のようなものが落ちてくる。心臓が高鳴る。手が震える。目の前の人の話なんてまるで入ってこない。ただひたすらに虚空を見つめ,その間,頭にはいろいろな思い出が蘇ってくる。

自分が悪かったのだ。彼女のことをまるで考えられていなかった。焦って,いろいろなところに連れ回そうとした。自分がまだ高校生であると錯覚していたのだ。金を出すだけだせば年上の体裁は取れると思っていた。だからLINEがいつの間にか届かなくなっていた。返信も,いつしか間をかなり空けて,そんな感じ。

疑似遠距離のような状態だからこそ,俺はより多く,長く一緒にいたいと思っていたが,自分の高校生の時と同じように,そんな余裕は彼女には全くなかった。それに,多分,他に好きな人がいたんだろう。俺と付き合った時点で。それはなんとなく高三の三月ごろから感じてはいた。当時はこのままここに俺の初恋を置いていこう,なんて思っていたが,俺は我慢なんてできるはずなく,そのまま付き合った。


昨晩,俺は久々に彼女のことを思い出して涙が出てきた。それがなぜかなんてわからない。後悔か。トラウマか。それとも過去へのノスタルジーか。そして同時に,またあの嫌な吐き気が襲ってくる。

もしかしたら明日会えるんじゃないか。そう思って,いつも思い詰めた時に通っている稲荷神社にお参りをした。ふと頭の中に,須賀神社の映像が流れてきた。拝殿でお祈りを終え,振り返ると彼女がいる。そんな映像である。もしこれが預言なのだとしたら,本当に明日会えるんじゃないか。そう思って,須賀神社に行くことを決心した。須賀神社は,「君の名は。」においても,「再会」の象徴となっていた。仮に預言で須賀神社が出てくるのだとしたら,それは間違いなく再会を象徴していた。

しかし,俺が須賀神社に行くことなんて彼女は知る由もない。せめて伝える手段はないか,LINEはもうなしだろう。気持ちが悪い。そうだ,インスタのストーリーに載せればいいんじゃないか。しかし,俺の他の知り合いまで広まってしまう。そうだ,親しい友達に彼女だけを設定してみればいいんだ。インスタは久々の投稿だと通知が行くようになっている。その晩のうちに,「今日の昼は須賀神社へ」と書いたストーリーを投稿した。

案の定,今朝起きると,彼女からハートが送られてきていた。これは行くしかない。今のところ全て予定通りである。

四谷の駅を降りた。心臓がバクバクしてきた。BGMをなんでもないやに変える。また目頭が熱くなってきていた。しかしふと我にかえる。一体何を期待しているんだ?俺は一人で,定期的なお参りに来ているだけなのだ。そう思いつつ,しかし期待は止まらなかった。何への期待だろう。今考えれば,純粋に彼女と久々に話せる,という期待。その先があるんじゃないか,という期待。果たしてそれがいい選択なのかはどうかわからない。きっとまた崩れ落ちるんだろう。だけど,部内での一件も,塾での一件も,彼女には到底及ばなかった。後にも先にも,あれほどの大恋愛をしたのは初めてだった。だから愛の肉白まで,人生で初めて到達したのだろう。とはいえ,全て非リア男子大学生の妄想である。

昼,十二時丁度。須賀神社。相変わらず観光客が大勢いて,三葉と瀧が再開したあの赤い手すりの階段は,通るのを憚られるほどだった。近づくにつれ,鼓動が早くなっていく。目の前の鳥居をくぐれば,そこはもう神聖な世界。もしかしたら──。が罷り通る世界。でも会えたら会えたで,それは純粋に喜べないことだ。何から話せばいいのか。いや,こればかりはもう決まっていた。謝罪である。俺に費やしたのは,大勢にとってはたった二ヶ月と言う短い期間かもしれない。しかし,高校生の二ヶ月だ。大学生のそれとは訳がちがう。だから,誠実に,二人になれたら,謝ろうと思っていた。

異世界。珍しく手水で手と口を清めた。準備万端。拝殿で手をあわせる。気持ちのいい音だ,これは「確定演出」かもしれない。また再開できますように,振り返れば彼女がいますように。そう純粋にいえばよかった。だけど,神様の手前,なぜかそんな純粋な願望は阻まれた。とにかく,なんらかの形で良いから,自分が最終的に幸せになれますように,と言った気がする。

幸せ──現時点のそれは,間違いなく彼女に会うことだった。これが叶うなら,振り返ればそこにいるはず。しかし,体が固まった。居なかったら,いや,居たとしても,という恐怖。耳には蝉の鳴き声がうるさいほどに聞こえてくる。汗が額から滴り落ちる。意を決して振り返るとそこには──


何も居なかった。


誰一人としてそこには居なかった。蝉がミンミンと鳴いている。そこはまるで,自分の知らない世界だった。

そうだ,ここは夢じゃない。現実なんだ。

この感情をどこかへやる術もなく,そばにあるおみくじを引いた。

大吉だった。しかし裏面の御言葉には,「自分に都合のいい時ばかり神に縋っていないか」と書いてあった。図星だった。

そして待人。


──「来ない」。


そうか,来ないらしい。では今日のこの期待を,俺はどこにぶつければいんだ。もしかしたら会えるかもしれない。ゆっくり話せるかもしれない。あの時の弁明ができるかもしれない。

しかし冷静に考えると,これもまた自分の都合の良いように物事を考えている。なぜ一昨日まで全く忘れていた彼女のことを,今になってまた追いかけようとしているんだ。それは無理な話だ,本当にその気があるなら,Sのようにご飯会でも組めば良いのだ。しかし,そんな度胸,俺にはなかった。

ただ,忘れられた,と思っていたものを,忘れられていなかった。これがトリガーになったのだろう。

どちらにせよ,また俺の一喜一憂で終わってしまった。

今日もこれは第何話で,一体いつまで続くのだろう。エンドロールが流れ始める。


インスタのリールに流れてきた,平井堅の「ノンフィクション」──それからずっと聴いているのだが,まさしくこの曲は,今の俺の感情を忠実に描いていた。


今日,久々にコーヒーを飲んだ。彼女と一緒に,よく高校の頃は飲んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

初恋はコーヒーの味がする 大塚 匠史 @Takushi28

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る