10 取引

「シャンタル・シュマンの息子らしいぞ」

「あの裏切り者の? てことは、……族長の孫ってことか?」

「だからユーゴが庇っているのか」

「でも見ろよ、あの服装。粛清官じゃないのか?」

「密猟に加担してたらしいぜ――」

 物見高い群衆が、口々に憶測を交わしている。居並ぶすべてのひとみには、ペルマナント人への侮蔑が宿り、掲げられた松明のゆらぎを映して、めらめらと赤黒く燃えている。

(好き勝手言いやがって)

 痛みに軋む上体を起こし、口内に溜まった血をべっと吐く。後ろ手に縛り上げられており、切れた唇から垂れる血を、身をすぼめて肩で拭った。強かに殴られた左頬が痛む。歯列を舌でなぞってみれば、折れてなさそうではあるが、切れた粘膜のざらつきと、血と唾液の混ざったにおいが不快であった。


 ペルマナント教国への逃走は、あえなく失敗に終わった。

 警笛を鳴らされたあと、駆けつけたエルア族らはヴァンを見るなり、血が沸騰するような怒りをぶちまけた。なぜペルマナント人がここにいる。捕えろ。逃がすな。足の一本でも折ってしまえ――昂る興奮を抑える堰などあるはずもなく、ヴァンは早々に袋叩きの目にあったのだった。

 そのどろりとした異様な興奮は、ヴァンだけではなくエイムにも余波を及ぼした。裏切り者とのそしりを受け、ヴァンと同様、殴られ、蹴られ、毬のように地を転がる。「やめろ! そいつはおまえたちの仲間だろうが!」と何度叫んだとて、聞き入れられることはなかった。

 暴徒と化した彼らが唯一耳を傾けたのは、搾り出したようなユーゴの吐露であった。

「やめろ、そいつは――シャンタル・シュマンの子、族長ポトの孫だ!」

 水を打ったように、あたりが一気に静まり返る。

「こうなることがわかっていたから、……逃がそうとした。俺の判断だ、責めは俺が受ける。だから、どうか拳を収めてくれ」

 音ばかりが凪いでいて、こごった熱は冷めやらない。気色ばむ男たちの中で、いちばん初めにヴァンに拳を見舞ってきた、レイモンが声を張り上げた。

「この粛清官が森路シュマンの末裔だってのか? そんな馬鹿なことがあるわけない! こいつらのせいで、何人の同胞が犠牲になったと思ってる! 俺の兄貴だって――」

「嘘じゃない。こいつの赤ん坊の頃を知ってるし、シャンタルの面影があるのもわかる。俺は、実の両親が大地に還ってしまったあと、叔母であるシャンタル・シュマンに育てられたから。……年嵩の戦士たちは、よく知ってるだろう? 当時は散々問題になったことだ」

 ユーゴがそう言えば、思い当たる者がちらほらいるようで、周囲に首肯して見せている。

「信じられないなら、そいつに注意深く触れてみろ。精霊の気配を感じるはずだ」

 言われ、レイモンが倒れているヴァンの背に触れる。眉間に皺を寄せながら、呼吸ふたつ分ほど繰り返したあと。火傷でもしたかのように、急に手を引っ込めた。己の感覚を疑うかのように、掌とヴァンの背を交互に見ながら瞠目する。

「ペルマナント人から、精霊の気配……?」

 レイモンのこの一言は、疑念が満ちていた場に、動揺のさざめきをもたらした。族長の孫。それは即ち、代々エルア族を導いてきた、森路と呼ばれる一族の末裔だということだ。血統を重んじる彼らにとって、森路は最もきよらかな、古より連なる原初の血筋。次代へと繋ぎ、守っていかねばならぬものであるのだった。

「我々には判断に余る。……族長に取り次ごう」

 この場で最も年嵩の男がそう言うと、周囲の者らも戸惑いながらそれに倣った。

 かくしてヴァンは縄を打たれ、再び縁谷地へと引きずられていったのだった。


「あの愚か者の子が、まさか粛清官になっていようとは」

 身の丈ほどの杖を携えた族長ポトは、侮蔑の態度を隠しもしない。杖頭でヴァンのおとがいをくいと上げると、その顔貌を睨むように見つめながら、「おお、なんとおぞましい」と吐き捨てた。

「銀髪と翠眼は確かにシャンタルゆずり。しかしてその下賤なつり目は、憎っくき濁血の父親そのものよ」

 縁谷地はエイムの家。その庭でのことであった。

 ポトの前にひざまずかされた三人を、二十人ほどのエルア族が松明を掲げて取り囲んでいる。ユーゴは縄を打たれていないようだが、ポトが面を上げることを許さなかった。反対隣にいるエイムに視線を向ければ、跪くというよりは蹲っていて、少しも身じろぎすることがない。気を失っているようである。

「……エイムの手当をしてやってくれよ」

 言った直後、がつん、と蟀谷こめかみに衝撃を受けた。杖頭で殴られたのだ。三度みたび額の傷が開き、つうと血の雫が頬まで伝う。

「あいつはなにも悪くないだろ」

「黙りや。粛清官に肩入れした濁血なぞ知ったことではないわ」

 「それよりも」と、ヴァンの訴えを退けたポトが、今度はユーゴの肩に杖頭を振り下ろす。鈍い殴打音。ユーゴが呻きを飲み込んだ。

「儂を騙しおったな? 粛清官の存在を隠すなぞ前代未聞。森路ともあろう者が、エルア全体を危険に晒すとは何事か!」

 雷のようなポトの怒声。松明の灯りを背負った彼女の姿は影となり、深い陰影を刻んだ顔には憤怒を湛えたまなこが光る。その威厳にユーゴは頭が上がらないようで、雑草を握り潰しながら、応えの言葉を縺れさせる。

「シャンタルめ。腐っても森路の娘であるというのに、まさか同胞殺しを差し向けるとは」

「違う……! ヴァンが粛清官になったのは、母さんが死んだあとだ。だから――」

「あれはおまえの母ではない! 裏切り者の叔母崩れを母などと、金輪際呼ぶでないわ!」

 もう一度強く杖で打ち据えたあと、ポトはユーゴの前に屈む。面を上げさせた孫の頬に、小枝のような指をひたりと這わせた。

「何度も何度も、口を酸っぱくして教えたであろ。ゆめゆめ、己が立場を忘れるな。掟を遵守し、精霊とともに在るのがエルアのさだめ。おまえは皆を導く森路の末裔――守るべきものを見誤るでない」

 額と額が触れるほどの距離で言い含められるユーゴの手は、小刻みに震えていた。祖母の呪縛は蛇のように彼の心に絡みつき、長いこと縛り付けてきたのであろう。否とも、然りとも返せぬまま、ただ呻きを洩らすのみ。

 委縮するばかりのユーゴの手に、ポトはひと振りの短剣を押し付けた。

「不本意ながら、シャンタルのせいでおまえの育ちはある意味いわく付きとなってしもうた。そのせいで不信を抱く者もおる。過ちをただし、森路一族の覚悟を示せ」

 隣で跪かされているのは、族長の孫でも、森路一族の末裔でもない。粛清官――我らが仇敵であるのだと、族長がそう切り捨てる。

「過去と決別せよ、ユーゴ。道を外れた者にかかずらうな」

(ああ――)

 ふたりのやり取りを聞きながら、ヴァンは胸裡で諦めた。

 己が命運を悲観したわけではない。腹の底から抑えのきかぬ感情が、ふつふつと沸き上がってくるのである。粛清官を忌み嫌う、エルア族らの真っ只中。喉元にせり上がってくる苛立ちをぶちまけてしまったなら、自ら危険を呼び込むことになるのだろう。

 けれど、言いたいことは言わねば気が済まないのが、最早不可分な己のたち

(だめだ)

 我慢の、――限界だ。

「おい。ちょっと黙れよ、くそババア」

 堰であることを放棄した唇から、するりと言葉が滑り出た。

「……塵が、なんぞ言うたかえ?」

「聞こえなかったか? 黙れって言ったんだよ、くそババア」

 言い終えた途端、群衆の怒りが爆ぜた。四方から轟々とがなり立てられ、誰がなにを言っているのかも判じられない。

「この無礼者!」

 ポトのそばに控えていたレイモンが、ヴァンの髪を掴んで地面に引き倒した。嫌がらせのように地面に顔を押し付けられ、頬がざりと擦り切れる。

「ペルマナント人は口のきき方も知らないのか!」

「うるせえんだよ下っ端が。おまえは引っ込んでろ!」

「な、なんだと、貴様……!」

「おいババア!」

 レイモンを無視し、群衆の声に搔き消されぬよう、腹から声を張り上げた。

「怪我した子供を放ってるような人でなしが、他人に道なんぞ説くんじゃねえよ」

 命知らずな物言いに絶句するユーゴのそばで、ポトがゆらりと立ち上がった。夜気をひりつかせるおうなの威圧感。それにあてられ口を噤み始めた群衆が、固唾を呑んで成り行きを窺っている。

「……部外者めが、我らのさだめし道に口を挟むな」

「確かに俺はエルアのなんたるかも知らないけどな、それでも、おまえらがおかしいってのは十分わかるぜ。精霊を宿せるかどうかは、生まれつきの血統がものをいうんだろ? そんなもの、ここにいるだれもが自分で勝ち取ったわけじゃない。ただの運じゃないか」

「劣化した血は淘汰されて然るべきもの。精霊と交われぬ濁血にエルア全体が染まってしまえば、〈大いなる円環〉の均衡を崩しかねん。そのようなことは――」

「ごちゃごちゃうるせえな。あんたらの思想の正否なんぞ興味ない。俺はな、そのたまたま得た幸運を盾にして、己の残忍さを正当化するなって言ってんだよ」

 種としての正しき姿を持つ多くのエルア族にとって、濁血は、エイムは、同胞とはみなされない。

 心底、馬鹿馬鹿しいと思った。

「森路だの濁血だの、そんなもの関係ない。怪我した子供ひとり助けられないような、くだらないに誇りなんぞあってたまるか! 自分の足元さえ見れないやつが、崇高ぶってんじゃねぇよ」

 地面から懸命に睨み上げるポトの目元が、松明のゆらぎか、それとも怒りゆえか、ひくりと歪む。途端、ユーゴの手から短剣を奪い取ると、躊躇いもなくヴァンに向かって振り下ろした。

「――っ、だめだ!」

 咄嗟に、ユーゴが祖母の手を掴む。

「頼む、婆ちゃん。やめてくれ」

「止めるな! かような侮辱を浴びせられて、許すわけにはいかぬわ!」

「密猟されたエルア族を連れ戻すよ」

 短剣を奪い合う攻防に口を挟めば、ふたりの動きがぴたりと止まる。予想外の提案に、群衆さえもざわついた。

「俺は密猟者とつながりがある。おい、ユーゴ。腰鞄にあれが入ってる。出してくれるか」

 密猟者ロバールから引きちぎった、夜鷹の意匠のメダイユである。動けないヴァンに代わってユーゴがポトの目前に翳すと、ポトは目を細めて検めた。

「ただのメダイユではないか。これがなんだというのだ」

「夜行性の夜鷹は、教会関係者や至天教徒のメダイユには刻まれることはない。碧の御使いセレストワイエと同じ四枚羽なんて、尚更ありえない。おそらくこのメダイユは、異端組織を象徴するものだ。やつらと接触する鍵になる。うまく組織の内情を探ることができれば、囚われたエルア族の情報を得ることができるかもしれない」

「……我らのために間諜になると? そううまく事が運ぶものか」

「今回の密猟騒ぎで、このメダイユの持ち主は裏切り者おれを逃がすという失敗をした。そこを存分に強請ゆすってやるさ」

 にやりとしてそう言えば、ポトが苦虫を噛み潰したような顔をする。仇敵との取引など、不本意極まりないのであろう。

「運がよければ生体で、なけりゃあ遺骨を取り返すよ。どうだ? 粛清官ひとりの命と引き換えに、囚われた仲間を奪還する――悪い話じゃないはずだ」

 冷静さを取り戻しつつあるポトは、思案するように目を伏せる。正面切って粛清官から骨を奪い返すよりも、よほど犠牲の少ない奪還手段だと判じたようだった。

「しかしてその話、信ずる証拠は? おまえが裏切り教国へ逃げ去って終わりなら、我らがただ馬鹿をみる」

「そんなのないけど、母さんの顔に泥を塗るようなことは絶対にしない。信じられないなら、だれかが一緒に来ればいいよ。俺が裏切る素振りをみせたなら、その場で殺してくれてかまわない。母さんみたいに精霊を解放すれば、ペルマナント人と同じ見た目になれるんだろう?」

「それは……」

 意外にもポトが言い淀んだ。訝しく思い、「おまえはどうだ?」と自分を抑えているレイモンに振ってみれば、ぎくりとしたように目を逸らされる。

 視線をぐるりと巡らせたが、周囲を取り巻く者らの誰とも目が合うことはなかった。みな気まずげに口を閉ざし、自らの翼や蔦髪を惜しむように身構えている。精霊と交わり育んだあの姿は、エルア族であるという証そのもの。それを失うことは、存在の根幹を揺るがすほどのことなのだろう。

「……僕が行く」

 異様な静まりをみせる場に、か弱く呟く者がいた。

「外套で隠せるくらいの木面皮と翼しかないから、適任でしょ?」

「エイム! 気が付いたのか、大丈夫か?」

「ん、だいじょぶ……」

 よろつきながら身体を起こすと、ピュイ、と軽やかな指笛を吹く。すると家の屋根にとまっていた青い鳥が滑空してきて、ぴたりとエイムの肩にとまった。ユーゴがエイムのそばを不在にする間、彼を見守るために付けている鳥である。

「僕は……もしもヴァンが裏切っても、きっと殺せません。だけどこの子にお願いして、教国の情報をこまめに報告することはできます」

 ポトに向かって改めてこうべを垂れ、懇願するような声を絞り出す。

「うまくいけば、だれも犠牲にならずに同胞が帰ってこられるかもしれない。お願いします、ポト様。ヴァンと一緒に、教国へ行かせてください。僕……きっとみんなの役に立ってみせます。それに――」

 顔を上げ、真っ直ぐにポトを見て微笑みながら、エイムはこう言ったのだった。

「もしも僕が失敗して帰ってこなくても、だれも困らないでしょ?」

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