第3話:抜けない癖

子は親を選べないと、世間の普通を装っている大人達はよく言う。


だがそんなことを言う大人ほど事実の上部だけで知ったかぶりをして、その本質まで味わおうとしない存在はいないだろう。

身勝手にも己の正義を振りかざして、事の本質を理解しようとしない大人達が青嵐は嫌いだ。


青嵐が元々捨て子だと聞いた大人達はいつも憐れむか腫れ物のように扱うかの2択の行動しかとらない。

ただ責任のない親の下に生まれただけの青嵐を下に見る。


青嵐自身も仕方のない事だと割り切っていた。

親を選べないのなら自分のような境遇の子が生まれることもあるだろうと、記憶がないせいかまるで他人事のようにドライだった。



だがそんな青嵐を対等に扱った大人が1人だけいた。

彼の育ての親である魔女だけが唯一彼を自身と対等に扱ってくれた。

記憶のない今ではわからない事だが、青嵐はきっと自分は嬉しかったのだと思う。


それも青嵐が魔女を信じる要因の一つとなっていた。


以前どう魔女と共に暮らしていたであろう白が基調の一軒家の表札には五月雨の3文字が刻まれている。

高校生が1人で暮らすには大き過ぎる住居は、魔女が青嵐に残してくれた物の一つだ。



「ただいま」



誰もいない家に返ってくるはずもないのに声をかける。

明かりの消えたフローリングの廊下はしんと静まり返っていた。


魔女の残り香が開かれた玄関扉から出迎えてくれる。

入れ替わりに雨に冷やされた空気が家になだれ込む。

以前だったら出迎えてくれる人がいたのだろう。


リビングに続く扉を開けばそこには2脚の椅子が、お揃いになっている2つのマグカップが、明らかに青嵐が誰かと暮らしていた形跡が残されている。


荷物をソファに投げ捨て、テレビの横に佇む写真立てを手にとる。

写っているのは見目麗しい白髪の女性が笑いながら幼少期の青嵐であろう満面の笑みを浮かべる少年の肩に手を置いている。


写っているのは家族の和やかな日常。


「………母さん…」


純白の長髪に真紅の瞳の女性、彼女こそが捨て子だった青嵐を育て自らを魔女だと語った青嵐の義母である。

かつてこの家で青嵐と普通の日常を過ごしたであろう女性の姿はもう青嵐の知らぬところへと消えてしまった。

そこに青嵐がたどり着く方法はなかった。


「晩飯作らないと」


考え事をするにも栄養がいる。

青嵐はブレザーをハンガーに掛けクローゼットにしまうとキッチンへと向かう。


「どうしよっかな」


冷蔵庫を開けて今ある食材で何が作れるかを脳を回して自分のレパートリーと照らし合わせる。


「牛バラに玉ねぎ、卵か…」


青嵐の頭にピンと来るレシピはひとつだけだった。


「………牛丼でいいか」


男子高校生が外食でよく食べる物ランキングがあれば確実に上位に食い込む料理だ。

その例に漏れずに青嵐もよく作るし好物だ。


慣れた手つきで卵を溶き、玉ねぎを粗めに切る。

タレを混ぜ、フライパンで牛肉を煮込む。

食欲をそそる香りがキッチンを包み込み、玉ねぎが飴色になったのを見て仕上げに溶いた卵で閉じる。


簡単そうにこなしていくが、慣れるのに時間がかかる作業ばかりだ。

しかし青嵐はそれを記憶を失った数日後から平然とやってのけていたのだ。


「やっぱ母さん教えるのうまかった…んだよな?」


口から溢れた言葉はあやふやだった。


青嵐は料理ができた。

というか大体のことが出来てしまうのだ、やり方を知らずとも道具の使い方を知らずとも出来てしまう。


脳が覚えていなくとも、身体中の細胞一つ一つが刻み込まれた経験を、明確な方法ではなく“感覚”として覚えているからだ。


だから青嵐が何か初めてのことをする時は決まってなんとなく、何も考えずにやるのだ。

自身の知らない経験を感覚を頼りにしていれば大丈夫だと、謎の確信があった。


漆塗りの器に盛った米をぐつぐつと熱そうな音を立てている牛丼の具でドレスアップする。


「これで…よしっと」


青嵐は出来上がった牛丼をダイニングテーブルに運んで着席した。

そして気づいた。


出来上がった大盛りの牛丼は二杯だった。



「またやっちゃったな………」


青嵐は今日初めて誰かに対してではなく、自分自身に対して大きなため息をついた。


自分では気をつけてはいるのだが、感覚に任せて料理を作るとどうしても一人分多く作ってしまうのだ。

きっとそれが青嵐にとっては普通だったのだろう。


魔女から教わった料理を青嵐と魔女の2人分作って振る舞い、賑やかに食卓を囲む。

それこそが青嵐にとっての日常だったことを、彼の目の前にある2人前の牛丼が示していた。


「また運動量増やさないと太るかなぁ…」


途方に暮れながらも青嵐は2人前の牛丼を片付けることにした。

部屋に響くのはテレビ画面越しの笑い声、食卓に置かれているのは明日の小テストのページが開かれた英単語帳。

そこには食事に集中しなさいと怒る義母の姿も、親子の笑い声も、親に提出しなければならないプリントもなかった。


「母さんは食べたら美味しいって言ってくれるかな…」


青嵐は孤独に慣れている。

しかし家族の温かい会話が羨ましくないと言えばそれは嘘になる。


彼だって家族と食卓を囲みたいのだ。


写真に写る貴方はどんな顔をしてこの料理を食べたのだろうか、食べる時にどんな癖が垣間見えるのか、美味しいと言ってくれるのか、はたまた貴方が作る料理の方が美味しいのだろうか。


叶うはずのない想像を毎晩のようにしてしまう。

口に入れた牛丼は何故だか味気ないと青嵐は感じた。


貴方が同じ手順で作った牛丼ならもっと美味しかったりするのだろうか。



そんなことを考えているうちに、温かいはずなのに冷たさを感じる牛丼2人前は片付いていた。




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