第13話
最後の砦と思われていた、名も知れぬ魔女二人を容易く退けたエリスの元に、とある声が降り注ぐ。
正面の階段より真打登場と言わんばかりに姿を見せたのは、一人の魔女。
プレッシャー、その重み。
素人ですらが肌を刺すような、痛みを感じるほどの圧力に、七種は意思とは無関係に膝から崩れ落ちた。
「ななちゃん、今度は離れてなよ。流石にコイツは……守りながら戦える保証はできないから」
「そんなにヤバい人なの……?」
「あーんま会いたくなかった人、かなぁ……」
全身に絆創膏を貼り付け、包帯まみれの満身創痍に見せかけたその姿。
パステルカラーに彩られたネイル。
その指先にはやはり、一冊の
赤いメッシュの入り交じる黒髪を簪で束ねた少女は、腹部を深く引き裂かれた人間を、その細腕で容易くエリスの元まで放り投げた。
それはドラッグ密売グループの頭。
エリスがしとめた二人の魔女が警護していたはずのターゲットだった。
「お初、あーしはミーシャ・ブルード。冥海の魔女やよ」
「ミーシャ……コイツうちの獲物だったんだけど」
「んぁー、コイツ足元見てきてムカついたから殺したや。おめー前金持ってるやろ、それあーしにちょーだいや」
「はぁ? なぁ〜んでうちの報酬をあんたにやらなくちゃなんないのさ」
「んぁー? んなもん決まってるや、あーしが欲しいから」
「……気をつけなよ、ななちゃん。アウターはこんなんばっかだから。うちみたいなのが特殊なんだよ」
「んやぁ、別に人の金ぶんどって生きてるわけじゃないんやけど……そこに転がっとるヤツが報酬渋ってきてさぁ。飢餓のを相手にすんなら三千万は用意してくんなきゃ割に合わないやな」
「だってさ、嬉しいよね。うちとやるなら三千万だって」
「な、なにが嬉しいのか分かんないよエリちゃん……それにこ、この人……し、死んで……っ」
「あーソイツはもういいよ。ほんとは情報引き出せれば追加報酬って話だったけど、殺されちゃったもんはしょーがないよ」
「そう言う問題じゃ……人が、殺されたんだよ……!?」
「分かんない? 今度はうちらが殺されるかもしれないんだよ、この状況」
「そ、そうだけど……!」
「そーいやさっきから気になってたんだけどさ……後ろに隠れとるガキなんなん?」
「うちの連れ。手ぇ出したら殺すからよろしくぅ」
「んぁー、じゃあ──そのガキ殺されるのと前金渡すのどっちが」
「どっちもなし、お前殺すだけだから──エリス・コルネリアスの名の元に命ずる。拓け、
「ちぇ、交渉決裂かぁ……めんどくせ──ミーシャ・ブルードの名の元に命ずるや。拓け、
全身から沸き立つ魔力の奔流。
陽炎の如く虚空を歪めるほどのそれは、いとも容易く七種を気圧して店内の壁に叩きつけた。
恐らく七種が初めて目にする、解放状態の魔女同士のぶつかり合い。
二つの巨頭の放つ魔力の余波が、ぶつかり合う衝撃が、大気を揺らす。
──火蓋は切られた。
「くっ……いつ、つ……エリ、ちゃん……! 怪我しないで……っ」
『キキッ……おい久々だなァ、フォルネウス』
『その声は……グシオン、相変わらず下卑た声ね』
地面と言う名の水面より飛び跳ねたのは一匹の鮫。
青ざめた鱗に覆われた手脚、下半身には逆立つ鱗の連なる尾びれが、倒れた人やテーブルを弾き飛ばす。
半魚人、否、人魚と評するに差し支えないその姿。
冥海の魔女ミーシャ・ブルードの契約する悪魔、フォルネウスである。
「いくよグシオン、
「んぁー? おいおい失礼なヤツだなぁ、挨拶もなしに目の前から消えるなよ」
自身の立っていた地面を舐め溶かしたエリスは、溶かした地中を伝ってミーシャの背後へと急接近する。
十メートル近く離れた距離を、わずか二秒足らずで詰めるエリスの回し蹴りが、背後よりミーシャのそっ首に狙いをつけた。
しかしミーシャも背後へ振り返ることもなく、その細い右腕を挟んで直撃を避け、わずかにその場より後ずさる。
「
「んぁー、マジで殺る気やん……ほんならあーしも、
弧を描く刃、チャクラムと呼ばれる形状をした
異様な形にねじ曲がった長柄の先端に据えられた、恐竜の鉤爪を彷彿とさせる婉曲した刃は、濡れているかのような光沢を放つ。
「二度と飯が食えないようにしてやるよ、
「これは……吸収能力のある弾やな」
銃の形を模した指先より放たれたのは、先ほど二人の魔女を絞り尽くした液体を凝縮した弾丸。
エリスの能力、及び魔術の弱点はずばり速度。
範囲や効力は無類だが、それを広げるまでに時間を要する。
しかし弱点をそのままにしておくほど、エリスも愚かではなかった。
吸収能力のある液体、
ミーシャはそれを身を翻し、また大鎌レイズィーズドで切り裂き、液体との接触を避ける。
当然、一流であるエリスが愚かではないように、エリスの警戒するミーシャもまた、そうおいそれと危険と知る液体に触れるほど愚かではなかった。
「んぁ、弾丸とほぼほぼ変わらんやん。避けてばっかじゃダルいやな……
「へ、きゃあ──っ!」
無造作に足踏みしたミーシャを震源として、突如階段から地面が波打ち、エリスの放った液体の弾を弾いてみせた。
物言わぬ地面すら波に変質させる。
それが冥海の魔女と謳われるミーシャ・ブルードの能力の一つだ。
「ちっ……無機物に干渉できるのが自分だけとか思うなよ。
蓮の花の描かれた壁が牙の並ぶ大口へと変形。
空腹に耐えかねたように、波打つ地面へと喰らいつく。
先ほどまで暴れ馬の如く店内を荒らしていたはずの地面の波は、壁より迫り出した牙そのものに噛みつかれて繋がれた。
無機物の奏でる大行進、余波は漏れなく七種を何度も転がす。
「うちの親友が怪我するだろ、手荒な真似すんじゃねーよ」
「守ってみなよ、そんな大切なもんなら尚更やな」
七種は安堵とともに畏怖の念を抱いた。
初めて見る親友の顔、殺意に染まったアウターとしての顔。
これこそが頸城 エリとしてではなく、エリス・コルネリアスとしての本来の顔だ。
「……ここに居たら巻き込むか。しょーがない……ななちゃん!」
「へ、なにエリちゃん?」
「絶対守るから、そこにいてね」
「うん……エリちゃんの傍から離れない、絶対に」
「すぅ……はぁ……ひっさびさだなコレ。行くよ、グシオン」
『キキッ──? やるのかァ? おい、七種は大丈夫かよ』
「守るよ、うちの大事な友達だし。それに、目下最大の脅威はミーシャでしょ」
『そりゃ違いねェな、おい。キキッ♪』
飛び跳ね、高笑い、はしゃぎ、やがて咆哮する。
グシオンは七種への憂いと言う被り物を脱ぎ捨てて、久しく忘れていた歓喜に酔いしれた。
──魔女とは、悪魔と契約した少女のことを指す。
「────……
歪みに歪んだ地面へとスターヴヴェインを突き立てたエリスは、グシオンと一つとなった。
渦巻きとともに自身の肉体を、エリスへとまとわせていく。
両腕に巻き付く背骨のような関節まみれの骨。
その下から這い出る青い傷跡は、全身の至るところへ広がり脈打つ。
力の奔流を人の形へ押し込めるように。
ヘアピンのみで無造作にまとめられていた髪は、見る見るうちに伸びていき、真っ青に染まって金色の装飾に彩られた。
髪をかき分け面を上げた両角は天をつく。
やがて薄汚れた毛皮を羽織ったエリスの変容は、そこで終幕を迎えた。
悪魔の姿を身にまとう、その形態の名を
魔女が己の力を余すことなく発揮し、敵対するものを殲滅するための姿である。
「ふぅー……よし、壊すか」
「んぁー? 物騒だな、そんな力持ち出して。こっちも本身を抜くしかなくなるや。ほな行くべ、フォルネウス──
悪魔と力を束ねたエリスへ対抗するように、ミーシャもまた自身の相棒であるフォルネウスの力を解放する。
独りでに煽られる水柱に囲われ、ミーシャは荒波のヴェールをまとう。
背中から這い出す多数の触手は、クラゲよろしく発光し血管のように脈打っていた。
肩や太ももなど体の一部に浮き出た鱗。
その隙間より吹き出した薄い水の膜が、半透明のフリルとなってミーシャの体を彩っていく。
その頭に戴く、湾曲しながらも左右対称を保った両角は、さながら深海に漂う少女を讃えるティアラの如く。
漆黒に染まった結膜、宝石の如く光を乱反射する双眸。
冥海の魔女は、その身に悪魔を宿し水柱のカーテンを解き放った。
「んぁーだっる……ここまでしたんだし、金でも貰わなやってられんやな」
「二人とも、その姿は……」
「あんま見られたくなかったな、この姿……目の前の敵をグチャグチャにしたくなる衝動が抑えられないんだよ」
一歩前に踏み出した、そう七種が認識した次の瞬間には、二人の距離は今にも抱き合えてしまいそうなほどに潰れていた。
ミーシャの持つ武器は大鎌の形状をしたレイズィーズド、荒波を滾るものの意味を込めて名付けられた
自身の身長よりも長い柄に、振り回すことに特化した刃の形状。
どう考えても至近距離での斬り合いは想定されていない。
対してエリスの武器は弧を描く刃、スターヴヴェイン。
直径は精々拳二つから三つ分程度しかない。
投擲武器としての側面もあるチャクラムだが、携えての白兵戦であれば敵の懐に飛び込む方が遥かに使いやすい。
エリスの身体能力にものを言わせた接近戦と、短い刀身のスターヴヴェインの相性は言わずもがな。
不意をつかれた点を差し引いたとしても、ミーシャの反応は明らかにワンテンポ遅れていた。
「っ……ちっか──
バックステップとともに辛うじて直撃を避けたミーシャは、すぐさま周囲の水を操って反撃へ転じた。
生きているかと錯覚する動きで水が渦巻き、槍となってエリスへ迫る。
液体にも関わらず店内に転がるテーブルや、照明器具すら容易く砕く貫通力。
速度こそエリスほどの身体能力があれば難なく回避できるものの。
如何せん店内はプールと見間違うほどの水に埋め尽くされているため、どこへ回避したとしても回避した先でまた水流の槍で迎撃される。
ひとたび距離を開けられてしまえば、ミーシャの振るう鎌の動きに従って波が殺意を剥き出しに襲ってくるのだ。
狭い空間ではすぐに大量の水が埋め尽くす。
このまま店内で戦い続けるには、あまりにも分が悪い。
「ちっ……ななちゃん伏せて!」
「へ、わ、分かっ──」
「
「ひぃやぁっ!?」
七種の返答を聞くよりも早く、エリスが全身を捻った力を乗せて振り回されたスターヴヴェインによって、店内が斬られる。
文字通り、なんの比喩でもなく、スターヴヴェインより放たれた衝撃波らしきものが店内を横になぎ払い、上半分が消し飛んだのだ。
その余波に当てられて、結局下半分まで吹き飛ばされてしまい、その場は店内のインテリアだったものが転がる不毛の地へと姿を変える。
エリスに言われた通り、頭を抱えてその場に伏せていた七種はと言うと……。
「いっ……つ……周りが水に浸かっててよかった……」
「ごめんななちゃん! 怪我したとこはあとでちゃんと治してあげるから、二つ隣の建物まで離れてて!」
「二つ隣……? わ、分かった!」
あまりに現実離れした光景に、いよいよ驚くことに疲れた七種。
もはや恐怖すら薄れ、生きるためにと七種は指示の通りに二つ隣の建物まで、ひたすらに地を蹴った。
今この場で信じられるのは、長年の付き合いである親友のエリスの言葉のみだ。
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