第5話
日の輪郭が半分ほど沈んだ頃。
肩を落とした七種に加え、仲介先であるレレンまでもを連れて自身のアトリエへと帰宅したイリア。
人影のなかったアトリエは時間の流れに置き去りにされたかのように沈黙を決め込んでいる。
イリアが照明器具のスイッチに触れて、ようやく呼吸を取り戻した。
相も変わらず値もつけられないであろう絵画や、骨董品の立ち並ぶ独特な雰囲気は、七種の心を引き込んでやまない。
「よかったら夕飯食べに来ない? なんて誘いに乗ってきたまではいいの。けど……要件ってホントにそれだけなの?」
「まさか、昼間この子の依頼を仲介する時に言ったでしょう? この子の方が急を要するから私の方は後でいいって。これからは私個人の依頼よ」
「珍しいの。……依頼人の仲介以外でお前さんから声がかかる時は大体面倒事に巻き込まれる時なの。なーんか嫌な予感がして来たのね」
「七種、お茶を入れてきて」
「は、はい。えと、キッチンってどこですか?」
「突き当たりの裏手にあるわ。茶葉は戸棚の一番上よ」
「早速こき使ってるの……ただでさえあの娘、
「それを解決したのは貴女でしょう? ……けど、どうして今回だけは戦ってくれる気になったの? これまでも何度か討伐依頼を持ちかけたけど、全部断ってきたでしょう?」
「……別に、ただの気まぐれなの。それに先行投資って言ったの。あの娘、なんとなくだけど良い未来の匂いがしたのね。儂の舌はそれこそ未来視すら可能、そんな舌が嗅ぎつけた匂いに間違いはないの」
「貴女の言う良い未来の匂いってなんなの?」
「儂が人の情報を嗅ぐ時、いろんな匂いが舞い込んでくるの。過去にあった嬉しかったこと、悲しかったこと。これからなにをしようとしているか、それによって何が待ち構えていそうか。目まぐるしい無数の情報から対象の過去を嗅ぎ分け、未来を予知し、現在に伝える。それが儂の感知能力のカラクリなの」
「貴女の感知能力の精度は今更疑うまでもないわ。だからこそ不思議なのよ。そんな貴女が良い未来の匂いなんて漠然とした表現をするのは」
「……儂の感知能力の精度は確かに百発百中、けど正確に嗅ぎ分けられる未来は精々一日二日程度なの。先になればなるほどそれはどんどん漠然としていくのね」
「それが未来視と占いの境目と言ったところかしら」
「そんなとこなの。それであの子からは、なんか……これから先なにか良いことが待ってそうな匂いがしたの。匂いの強さからして今日や明日じゃないけどのう」
「ふぅん……」
「お待たせしましたー。銘柄とかよく分からなかったんですけど……」
「一番手前にあるのがお客様用よ。あの量で五千円はくだらないから気をつけてね」
「…………えっ」
「ふふ、冗談よ」
「ちなみに値段はガチめなの。ネットで調べてちょっとビビったのね」
「えぇ……」
今更ながら来店時に振舞ってもらった紅茶とその値段に恐々としつつ、七種はイリアの指示に従って茶菓子を用意する。
触れるもの全てが日常まずお目にかからないようなものばかり。
大した労働でないにも関わらず、七種の額やこめかみには精神的な疲労が冷や汗となって現れていた。
「本題に戻りましょうか。さっき私個人の依頼と言ったけど、厳密には少し違うの。本来の依頼者はロイ・クレスカロン、王権の魔女よ」
「あやつかぁ。え、あやつ来日しとるの?」
「ええ、二週間くらい前にね。彼女も顔が広いから、貴女とはまた違う情報網を持ってるわ。その彼女からある調査を依頼されてね。今週中に報告書を提出する運びになってるの」
「王権の調査……めんっどくさそうなの」
「察しの通りよ。本来は今日その件で会談しようと思っていたの。突発的に依頼が入ってきたから後回しになっちゃったけど」
「な、なんかごめんなさい」
「儂としてはおかげさまで面白そうなオモ──じゃなくて、友人ができたからよかったの」
「……今オモチャって言おうとしました?」
「そんなことは置いといて、調査に少し協力してほしいの」
「ふぅむ……
「しょうがないわね……」
「あの、魔晶ってなんなんですか? あのガラスみたいな石っていったい……」
「文字通り魔力の結晶よ。魔女同士の取引では基本この魔晶が通貨になるの。勿論場合によって現金も取り扱うけどね」
正式名称、
魔力を急激に凝縮した際に結晶化したものであり、魔女は自身の魔力を抽出、結晶化させたり悪魔を討伐した際に契約している悪魔の力を用いて生成する。
仕組み自体の理解は容易い。
自身の魔力や悪魔の討伐による報酬を通貨として置き換えただけなのだから。
しかし七種の着眼点はその一歩先だ。
魔晶の価値、そしてその価値を裏付けるカラクリにこそ疑問がある。
「魔晶を作るのってそんなに大変なんですか?」
「……どうしてそう思うの?」
「だって塔條さん言ってましたよね、私への依頼は高校生の給料なんかじゃ賄えないって。なのにお二人はさっきからその石一つや二つで取引をしています。それってつまり、その魔晶にはそれだけの価値があるってことですよね。少なくとも数百万以上の価値が」
「くはははっ! 七種、お前さん面白いの! 魔女の才能があるかもしれないのう」
「察しの通り、魔晶を作るのはとても大変なのよ。多量の魔力を凝縮して初めて小指の爪程度のものができあがる。それにそもそも、魔力を結晶化させるまで凝縮すること自体が大変な作業なの。でもその結晶があれば、魔女は好きな時に魔術を使える。自分の限界以上の魔力をストックできるんだから」
「だからこそ魔女はこの魔晶を、人間の価値に換算するなら最低でも数百万で取引するの。それに大抵のことを魔力や魔術で解決できる魔女にとって、人間の通貨なんて大した価値がないの。だからこそ魔女はこの魔晶で取引をするのね」
「そうだったんですね……じゃあ魔晶二つって」
「サイズにもよるけど、およそ四〇〇万くらいね」
「よん……!? あ、あの、私の依頼って……いつぐらいに返済できるんですか?」
「さあ、私の気分ね。安心しなさい、なにも高校生相手に阿漕な商売しようなんて気はないわ。貴女は一般的な高校生が普通にするように、このアトリエで雑用をこなしてくれさえすればいい」
「そうなの、今度儂のマンションに来て手伝ってくれればいいの。そうすれば儂の方からも少し返済に協力できるようにしてあげるのね」
「蛇喰さん……!」
「どうせ部屋の片付けでしょう、貴女の場合。貴女って本当に家事とか整理整頓苦手だものね」
「人間誰しも得手不得手があるの。ならこうするの、今後優先的に儂の手伝いに七種をよこすと約束するのなら、今回の依頼は魔晶一個で手を打つのね」
「はぁ……乗ったわ。こちらとしてもその方が遥かに安く済むし」
「な、なんだか私いいように右往左往させられるような気が……」
本人の意思などよそに魔女二人の間で謎の取引が成立。
物の見事に本人の目の前で都合のいい派遣社員としての未来が確立された。
早速人数分の夕飯を作らされている七種。
一人暮らしとは思えないほどに、様々な食材の取り揃えられた大型冷蔵庫から、適当に目についたものを見繕い、ごく普通の庶民的な料理をこさえていく。
早くもメイドとしての佇まいが板に着いているのは、同じく私生活に必要な技術や経験を一人前以上に身につけているが故か。
高校生離れした手際でキッチンにて舞い踊る七種を尻目に、イリアは再び王権の依頼内容について語り始めた。
「それで、王権の依頼内容はなんなの? お前さんの欲しい情報とやらは」
「近頃起きている異変についてよ。これに関しては錬成からも以前噂話を持ちかけられたわ」
「錬成からの噂に王権の依頼……与太話ではなさそうなの」
──
近頃魔女の間で噂になっている異変の通称である。
道行く人が突如として発火し、虚空より現れた正体不明の悪魔によって食い尽くされてしまうと言う。
法則性らしきものは今のところなにもなく、時間帯や性別、年齢などに関わらず前触れもなく発火する。
魔女と関わりのない一般人には悪魔を認識できないため、通行人にはあたかも人間が突然発火したように映るのだ。
燃え尽きる寸前の人間が花開く前の蕾に見えることから、
初めてその現象が確認されてから今日までおよそ一月。
未だどの魔女も件の究明には至っていない。
「なるほどのう、
「五日ほど前に王権からそれを実際に目撃したと報告があったわ。私とは違うパイプを持つ君に情報収集を頼みたい、だそうよ」
「あいっ変わらず仰々しいの、あの王様は」
「でも富、名声、力、何をとっても一級品よ。彼女に憧れ付き従う魔女やその見習いも何人もいるくらいだもの」
「それで? その憧れの王様からの依頼はどうするの? 今週中とか言ってたのに、今週あと三日しかないの」
「だから困ってたのよ、貴女に頼るくらいには」
「ふぅむ……ボティス、なんか心当たりないの?」
『発火させて喰う悪魔……それだけではなんとも言えんのぅ』
「儂も気がかりだし、協力するのは吝かじゃないけど、情報源が曖昧すぎるの。儂の
「特定にはあともう一つ、ピースが必要と言うことね」
「……あまり気は進まないけど、飢餓に相談する方が得策かもしれないの」
「そうなるわよね……あまりアウターには頼りたくなかったんだけど」
「お待たせしましたー。簡単なものしか作れなかったんですけど……」
ようやく一つの結論に至るかと言うタイミングにて、キッチンより活気のいい声。
簡単なものと言いながら、ちょっとしたレストランさながらのメニューをテーブルに並べるその様は、やはりメイドそのもの。
日頃高価なものを目にしているイリアでさえ、そして日頃の散財癖のせいで庶民的な食生活しかしていないレレンは一際大きく口を開けた。
それはなんの変哲もないオムライスだった。
しかし今にもとろけてこぼれ落ちてしまいそうな卵のヴェールに包み隠された、プロ顔負けのクオリティに驚きを禁じ得ない。
とても小一時間程度でこさえたとは思えないほど、深みのある香りを放つデミグラスソースに彩られたそれは、否応なしに二人の食欲を駆り立てた。
香りと見た目、その二つで思い知らされる。
この時二人の魔女の脳裏に過った言葉は、
──この娘、できる……!
「じ、十分よ。と言うかよくこれだけのものを作れたわね」
「小さい頃からずっと自炊してたので」
「こりゃ驚いたの……! ねぇ七種、やっぱり儂専属で働かないの? 大きめの魔晶一つで一年契約、どうなの?」
「えーと、魔晶一個って約二〇〇万くらいですよね。大きめってことは……えっまさか、さんびゃ──」
「はいはい、そこまでよ。人のものを欲しがる性格、相変わらずねレレン」
「何でもかんでも独り占めしようとするその性格もなの、イリア」
「お、お二人ともほんとに仲がいいんですね」
「「どこが(なの)!」」
──かくして、魔女に魅入られし少女、名取 七種の奇妙な生活が幕を開けた。
魔女のアトリエなどと大仰な場所にいながら、やっていることは完全にメイドそのものなわけだが。
魔女に魅入られたとはどちらの意味なのか。
少なくとも現状、本来の意味と真逆にある光景であるのは想像に難くないだろう。
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