春眠

無花果ヨツメ

第1話

今週末にかけて日に日に気温が上昇し、いよいよ春本番の陽気に。九州から東北の広い範囲で花粉の飛ぶ量が「非常に多い」予想となっております。花粉症の方は万全な対策の下、お出かけの際はマスクに加え__________




天気予報のニュースを垂れ流すテレビを尻目に、俺は横で眠る幼馴染の髪をそっと撫でた。


「おーい颯、寝ぼすけさーん、そろそろ起きたらどうだー?」


そう言いながら髪から手を離し、代わりに丸い頬をツンツンと突くと、颯は「んん、」と小さく唸った。

一見すると、ただ眠っているだけ。





そんな幼馴染が目覚めなくなってから

今日で二十日目である。














「春眠、暁を覚えず」

という、唐の詩人が謳った詩歌。

その意味は、春の夜があまりに寝心地がいいため、朝が来たことにも気付かず、寝過ごしてしまうこと。




この詩から則り名付けられたとある奇病、「春暁イープノス症候群」、通称春暁病は、まだ近年発見されたばかりで、原因も治療法は完全に不明。


その概要は、春になると夏が来るまで一度も目を覚ますことなく眠り続けるということである。


俺の幼馴染は、2年前からこの病気を患っていた。


眠るだけなら大丈夫だろう、と思うかもしれないが、この病気はかなり深刻であるのだ。

寝ている間は当たり前だが食事をすることができない。かろうじて点滴を繋いで、生きる上で必要な栄養は摂取しているが、それでも約3ヶ月を食事なしという過酷的な環境の中過ごさなければならない。

そもそも夏頃に起きるというのは目安であって、起きるという確証はない。

春が来ると同時に眠り、そのまま目覚めることなく死んでいった患者たちも少なくはないのだ。

 

だから、颯も去年までは春が近づくと入院をしていた。


しかし颯本人の強い希望により、今年は自宅療養という形になったのである。

 

入院せずに春を迎えるのは、今年が初めて。

定期的に医師が自宅を訪問してくれると決まっているものの、俺は漠然とした不安を感じていた。




 

颯が春暁病にかかってから、俺は必死になって調べた。

春暁病を研究している医療チームによると

眠っている間、患者たちは自身の夢の世界に居るらしい。

人によって夢の中で感じる時間、感覚は違っているが、大抵の人は、それが夢だと気付けないそうだ。

少し前、颯に夢の世界について聞いたことがあった。

 

真っ暗な夜の道路と、灯りのついた蛍光灯が一つ。

それが颯の夢の世界だと言う。


夢の世界は本人の心理状況、過去での体験に反映されるそうだが、一体なぜ颯の世界がそんな閑散としているのか、俺には分からない。

颯とは保育園から大学の今までと、随分長い付き合いである。

物心が着いた頃からずっと一緒にいたので、俺には一層颯の世界についてが分からなかった。

夢の世界、それが春暁病に関連していることは明らかだ。

その世界をどうにか出来れば病気が治るんじゃないか。

そう思い立った俺は毎日数時間、外に出て春暁病について調べることにした。







1日目


3/28

今日は颯の状況報告のついでに、先生に春暁病について詳しく聞いてみることにした。

予想してた通りだったけど、先生の教えてくれた事は皆すでに知っていることだった。



今日の進展:なし





2日目


3/29

図書館に行って、新しく入荷した春暁病についての資料を読んだ。

結果的に言うと、今日も成果はなし。

一度読んだことのある海外での春暁病患者の観察と結果の記事が日本語に訳されていただけだった。



今日の進展:なし





3日目


3/30

大学の医学教授にアポを取って会いに行った。春休みだと言うのに快くこの件を了承してくれて嬉しかった。

教授は研究チームに知人がいるらしく、その人に電話をかけてくれた。

期待していたが、病気の原因と治療法の進展はまだないらしい。



今日の進展:なし













 





.

 

.

 

.





毎日外に出かけて色々調べたが、結局進展は何一つなかった。

春暁病について調べ始めてから21日目の今日。

原点回帰

と、まあ響きは良いけど、実際はただ疲れて懐かしい思い出に浸りたくなった俺は電車に乗って地元へと帰って来た。


家では颯が待っているから日帰りにはなるけど。

俺はとりあえず昔の学校から家までの帰り道などを一通り見て回った。

案の定進展はゼロ

行き場のなくなった俺は昔よく遊んだ公園のブランコに座って、ぼーっと空を眺めた。



「どうしようも、ないのかなぁ…」



柄でもない弱音を吐くと同時に、鼻がツンと痛んだ。

視界が涙で滲んで、溢れてゆく。



「っ、颯…、おれ……」



俺、何してるんだろう。

こんなところで泣いてる場合じゃないのに

早く、颯が目覚める方法を探さなきゃいけないのに。


身を縮こませて、とめどなく込み上げてくる涙を必死に拭う。










涙が乾いた頃には、もう夜になっていた。


「…もう、帰らなきゃ」



駅に続く道を歩く。すっかり暗くなっていて、淡く光る蛍光灯の光を頼りに歩いていた。


暗い夜道に、蛍光灯…


こんな寂しい世界に、颯は1人でいるのだろうか。

寂しがりで泣き虫のくせに。

あいつ、夢の中で泣いてるんじゃないかなぁ



「…早く目が覚めればいいのに、」



足が止まって、また俯いた。

__昔みたいに、俺が引っ張って連れ出してやれたら。


そんな考えが悶々と浮かんできて、ふと持っているスマホがわずかに震えた。


光る画面には、なんてことのない広告の通知。

それから、昔に俺がふざけてロック画面に設定したままの颯の写真。


写真の中の颯は、笑っていた。


颯は確かに夢の中の世界に囚われている。

でも、春の間に見る夢だけが全てじゃない。

夢の中の世界については本人しか知らないし、結局どれだけ調べようと、夢の内容を一番知っているのは颯だけ。俺にできる事は、目の前の颯に向き合って、目覚めるのを待つことだ。





俺は、その日をきっかけに外に出て調べるのをやめた。



やがて、長い梅雨が始まった。

雨は数日にも渡って降り続けていた。

そんな合間。雨が止んで、雲の間から差し込んだ日差しが部屋中に溢れた。

白い日差しを一身に受ける颯の姿がなんだか眩しくて、そっと目を瞑った。

再び目を開けると、颯のまつ毛がふるりと震え、潤んだ双眸が視界に現れた。



「…イチカ、おはよ」



「…っ、ばか、」



驚きと安堵を必死に隠しながらそう言うと、颯は目を丸くした後にゆっくりと口を開いた。


「えっ、そんな急に?!…てか、おはようって返してくれないの?」



「……ほんっとに大バカ……、……おはよう…颯」



外を見ると、空はカラリと晴れていた。

これからも、春が来るたびに眠り続けるのかもしれないし、もしかしたら今年で終わりかもしれない。

夢の世界のことだって結局は分からず終いだし、

来年も春を乗り越えられるかの確証だってない。

そもそも、こんな生活をいつまで続ければいいのか、

たくさんの問題が山積みになっている。

 


それでも目覚める時、瞳に一番最初に映るのは互いであって欲しい、なんて

君には一生言えない。

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