第四話:静かなる凱旋、鎧を解く者

* * 前話のあらすじ * *


 バッテリーの限界、嵐の中で【礼式ロック】が初めて萌芽し、匠は最後の老婆を救い出した。だが、その代償は大きかった。限界値まで酷使された【v0.9】は、老婆を家族の腕に託した瞬間、全機能を停止。膝をつき、沈黙する黒鉄の鎧武者と、その中から現れた青年・匠の姿が、SNSを通じて世界へと拡散された。


* * *


 長く続いた嵐は、まるで嘘のようにその勢いを弱め、東の空が白み始めていた。雨は小降りとなり、夜通し荒れ狂った風も、今は疲れたようにいでいる。そんな夜明け前の静寂の中を、黒鉄の鎧武者が、かいなに老婆を抱き、一歩、また一歩と、自らの工房へと向かっていた。藤林 匠ふじばやし たくみの意識は、【礼式ロック】の代償である極度の消耗と、安堵感がないまぜになった、奇妙な浮遊感の中にあった。ただ、腕の中の老婆の、か細くも確かな温もりだけが、彼を現実へと繋ぎ止めていた。


 工房の軒先が見えてきた。心配そうに駆け寄ってくる、救助された家族たちの姿も。あと、ほんの数歩。その時、【兜】の内側で、赤い警告表示が激しく明滅し、耳障りな警告音が鳴り響いた。


『動力、危険水域です。残り3%。 解装シークエンスに移行しますか? あるいは限界値(1%)まで行動を継続しますか?』


 MIYABIの冷静な、しかしどこか切迫した声が響く。


「……まだだ!」 匠は歯を食いしばった。「あと少し…! 1%まで、頼む…!」


『了解。行動を継続します。限界値到達時に再度通知、自動で【籠手こて】を解除します』


 最後の数歩を踏みしめる。駆け寄ってきた家族の腕の中へと、匠は腕の中の老婆を、まるで壊れ物を扱うかのように、そっと降ろした。「おばあちゃん!」「母さん!」家族の歓喜と安堵の声が、朝の静かな空気の中に響き渡る。


 まさに、その瞬間だった。


「プスン…」という短い音と共に、全ての駆動音が途絶えた。【v0.9】の全機能が、完全に停止したのだ。鋼鉄の鎧は、まるであるじを守る盾となるかのように、その場にゆっくりと膝をつき、ぴくりとも動かなくなった。朝焼けの柔らかい光が、その沈黙する黒鉄のシルエットを静かに照らし出していた。


『動力、限界値到達。安全機構を作動。【籠手】を解除します。 外部トリガーを使用し、手動で解装してください』


 機能停止した【兜】の中から、MIYABIのかすかな自動音声だけが、繰り返し響いている。


「ガコン!」


 鈍い金属音と共に、両腕の【籠手】ユニットのロックが外れ、力なく地面に落下した。


 夜が明け、雨上がりの澄んだ光が辺りを満たし始めていた。救助された家族や、異変に気づいて集まってきたのだろう、数人の近隣住民たちが、目の前で力尽きている黒鉄の鎧武者を、ただ呆然と見つめていた。その異様な光景は、まるで現実のものではないかのようだった。


 その静寂の中、鎧の中から、荒い息遣いが聞こえてきた。そして、藍色の【天衣あまごろも】に包まれた腕が、ゆっくりと伸びるのが見えた。その手が、自身の腹部…へそのあたりにある、通常は装甲と一体化して隠されている小さなポートを探り当てる。


「グッ…ガコン!」


 力を込めてトリガーを操作する、重い機械的な音。それに連動して、「ガシャン!」「バキン!」と、まるでせみが殻を脱ぎ捨てるかのように、【胴】、【袖】、【草摺くさずり】といった装甲パーツが次々とロックを解除され、重力に従って地面に落下していく。


 最後に、搭乗者が自らの手で、重々しい【兜】を押し上げ、外した。


 そこに現れたのは、汗と泥にまみれ、疲労の色を隠せない、しかしどこか見慣れた若者の顔だった。肩で大きく息をつき、地面に落ちた装甲の残骸を見つめている。


「た、匠君…!?」


 救助された家の主人が、信じられないものを見るかのように声を上げた。


「あんただったんか…!」


 別の住民も、驚きに目を見開いている。救助された老婆が、助けてくれた若者の顔を、しわの刻まれた手でそっと触れようとするかのように、まじまじと見つめている。集まった人々は皆、息をのみ、ただただ驚愕の表情で、藍色のボディスーツ【天衣】一枚の姿で膝をつく青年――藤林 匠を、見つめていた。全てを使い果たし、燃え尽きたかのような彼の姿は、しかし、朝の光の中で、不思議なほど静かで、そしてとうとく見えた。


 その光景は、誰かが手にしていたスマートフォンによって、静かに記録されていた。朝焼けの中、工房の前で膝をつき沈黙する黒鉄の鎧武者――その装甲の一部は無惨に外れ、中には藍色の【天衣】に包まれた青年が見える。それを取り囲むように、安堵と驚愕の表情を浮かべる救助された家族と、呆然と立ち尽くす近隣住民たち。それはまるで、古い絵巻物の一場面のようでもあり、あるいは、新しい時代の始まりを告げる祈りの儀式のようにも見えた。



 ――数日後。東京、市ヶ谷。防衛装備庁の一室。


 柊 静流ひいらぎ しずる一等陸尉は、大型モニターに映し出されたその「膝をつく鎧」の動画を、冷徹な、しかしどこか見定めるような鋭い眼差しで見つめていた。SNSを通じて瞬く間に拡散されたその映像は、不鮮明ながらも、彼女の専門家としての知識と直感を強く刺激していた。モニターに映る鎧の細部、破損した装甲の断面、そして何より、その異様なまでの存在感。これは、ただの機械ではない。明確な「意志」と「思想」を宿した、未知の器。


「――対象を特定。直ちに接触します」


 静流は、背後に立つ上官――防衛装備庁長官・榊原 誠さかきばら まことに振り返ることなく、静かに、しかし確信に満ちた声で告げた。彼女の瞳の奥には、新たな任務への決意と共に、まだ見ぬ「何か」への、抑えきれない好奇心の光が宿っていた。


 日本の片隅で生まれた小さな奇跡は、今まさに、国家という巨大な現実と交差しようとしていた。


* * 次話の予告 * *


 静かな工房に、戦いの余韻だけが残る。救った命の温もりと、人々からの無言の感謝。匠は相棒との対話を通じて、自らの未熟さと、祖父が遺した思想の深さを知る。だが、その束の間の日常は長くは続かない。MIYABIが告げる、次なる嵐の足音。そして、工房の扉を叩く者の名は――。


 第五話:戦いの後の静寂

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