第三話:タイムリミット、魂の輝き

* * 前話のあらすじ * *


 時間との戦い。泥と瓦礫に阻まれる道。匠は【八咫】【草薙】【勾玉】の三種の神器を駆使し、4人の命を救うべく【v0.9】を限界まで酷使した。だが、最後の老婆を救う瞬間、バッテリーは尽きた。動かぬ鎧の中で覚悟を決めたその時、【礼式ロック】が初めて萌芽し、奇跡が訪れた。


* * *


 瓦礫と泥濘でいねいの中、匠はまず、家屋の奥で身を寄せ合っていた母親とその腕に抱かれた幼い子供を発見した。母親は恐怖に目を見開き、子供は声を殺して泣いている。

【v0.9】の無機質な姿に怯えるかと思われたが、匠がゆっくりと鋼鉄の【籠手こて】を差し伸べ、静かに「大丈夫です。助けに来ました」と告げると、母親はせきを切ったように涙を流し、その手にすがりついた。

 匠は子供を自らの胸元にしっかりと抱きかかえ、母親の手を、まるでガラス細工に触れるかのように優しく、しかし力強く握りしめると、慎重に、だが迅速に二人を瓦礫の外へと導いた。降りしきる雨の中、彼らを安全な場所へと送り届けた時、匠の心にわずかな、しかし確かな達成感が込み上げた。


 次いで、崩れたはりに足を挟まれ、身動きが取れなくなっていた父親を発見。高周波ブレードで梁を最小限に切断し、父親の脇を抱え、その体重を【v0.9】のフレームで支えながら、ゆっくりと屋外へと運び出す。三人目の救出。これで家族全員を助け出せる――そう思った矢先だった。


『バッテリー消費、想定以上。残量、30%を切りました。推定活動限界時間、残り8分12秒』


 MIYABIの無慈悲な警告が、【真経津硝子まふつしょうし】のAR表示と共に、匠の意識に冷水を浴びせた。まだだ。まだ終わっていない。MIYABIのスキャンによれば、この瓦礫のさらに奥深くに、もう一人、生命反応がある。安堵しかけた心が、再び冷たい焦燥感に掴まれた。まるで、やっと岸に辿り着いたと思った瞬間に、足元の砂が崩れ、再び濁流へと引き戻されるかのような感覚だった。偽りの勝利。本当の戦いは、ここから始まるのだ。


『警告。二次崩落の兆候を検知。家屋構造の歪みが増大しています』

『バッテリー残量、20%。活動限界まで、推定5分』


 MIYABIからの報告は、まるで死へのカウントダウンのように響く。家屋がきしみ、天井からパラパラと土埃が落ちてくる。壁の亀裂が、目の前でゆっくりと広がっていくのが見えた。

 バッテリー残量を示すゲージは、今や不吉な赤色に変わり、【真経津硝子まふつしょうし】の視界の隅で、心臓の鼓動のように明滅している。それは、匠の焦りをあおるかのように、圧迫感を増していく。彼の持つ「力」――この最新鋭の鎧でさえも、時間という絶対的な制約、そして崩れゆく物理法則の前には、あまりにも無力だった。あらがいようのない限界が、刻一刻と迫ってくる。


 瓦礫の山を乗り越え、家屋の最も奥まった部屋へとたどり着いた時、匠は息をのんだ。古い箪笥たんすと崩れた天井の間に、老婆が倒れているのが見えた。バイタルサインはまだある。だが、彼女の上半身は、屋根を支えていたであろう太い梁の下敷きになっていた。


「くそっ…!」


 匠は【v0.9】の両腕に全パワーを集中させ、梁を持ち上げようと試みる。黒鉄の腕がミシミシときしむほどの力を込める。しかし、梁はびくともしない。それどころか、力を加えたことで家屋全体のバランスがさらに崩れ、周囲の壁がガラガラと音を立てて崩落を始めた。


『――バッテリー残量、5%。活動限界です』


 その瞬間、MIYABIの冷たい声が、まるで宣告のように響き渡った。全身から、スッと力が抜けていくのが分かった。鎧の関節部から「ガクン、ガクン」という異音が鳴り、駆動系がロックされ始める。【真経津硝子まふつしょうし】のAR表示が激しく明滅し、そして…不意に暗転した。視界が、完全な闇に閉ざされる。


 救うべき命を目の前にして、最強であるはずの鎧が、ただの重い鉄の塊と化した。動かない。持ち上がらない。声も、届かないかもしれない。完全なる無力感。それは死よりもなお深い、虚無の感覚だった。


 暗転した視界の中、何も見えず、何も聞こえない静寂の中で、匠は不思議と、祖父・宗一郎の声を聞いた気がした。それは、彼がまだ幼い頃、工房の隅で小さな傷を作って泣いていた時に、祖父がかけてくれた言葉だった。


『――限りある命なればこそ、その輝きはとうとし』


 そうだ。鎧のバッテリー(限りある力)は尽きた。だが、この鉄の塊の中には、まだ「俺」がいる。この【天衣あまごろも】に包まれた、生身の、限りある「命」が。問われているのは、鎧の性能ではない。この、限りある俺自身の命の使い方だ。鎧が動かずとも、この鉄塊ごと、最後の力を振り絞る。ただ諦めるわけにはいかない。まだ、できることがあるはずだ。思想が、鋼鉄の絶望を超えた瞬間だった。


「絶対に、助ける!」


 それは祈りではなかった。損得も、計算も超えた、魂からの純粋な「誓約」の叫びだった。その瞬間、【天衣】に張り巡らされた広域バイオ・インターフェイスが、恐怖からではない、純粋な「覚悟」から来る匠の異常なまでの心拍数の上昇、血流の加速、そして手のひらと足の裏からの爆発的な精神性発汗といったバイタルデータを検知した。


『――礼式、認証。感謝、誓約、覚悟……基準値をクリア。礼式ロック、第一次、解放します!』


 MIYABIの声が、【兜】の中で直接、彼の脳に響き渡った。次の瞬間、【v0.9】の胸部から腹部にかけて格納された【勾玉】モジュールが、内側から淡く、しかし力強い光を放った! それは予備電源ですらない、生命そのものが燃焼するような、「最後の力」が鎧に宿った証だった。


 暗転していた【真経津硝子まふつしょうし】が、不意に鮮やかな緑色の光を取り戻す。視界に映し出されたのは、自身の両腕――【籠手】から溢れ出す、眩(まばゆ)いばかりの燐光だった。それはまるで、鎧の内側から魂の輝きが漏れ出しているかのようだった。


「うおおおおおおぉぉぉぉっっ!!」


 匠は、獣のような雄叫びを上げた。それは、もはや彼自身の声なのか、鎧が発する駆動音なのか、区別がつかなかった。ただ、内側から湧き上がる、抑えきれない力の奔流があった。彼は再び、老婆を押し潰す梁に両手をかけた。先ほどはびくともしなかった重い木材が、今度はまるであしのように、ゆっくりと、しかし確実に持ち上がっていくのが分かった。


 ――【礼式ロック】。まだ誰もその真価を知らない、思想と技術が融合した奇跡の力が、今、確かに萌芽ほうがしたのだ。


* * 次話の予告 * *


 朝日が工房を照らす。救えた命の温もりと、人々の静かな感謝。だが、匠が手にしたのは束の間の安息だけではなかった。SNSに拡散された「謎の鎧武者」の映像。国家という巨大な現実が、今、彼の聖域に足を踏み入れようとしている。柊 静流、一等陸尉――二つの世界が交差する瞬間が、迫る。


 第四話:静かなる凱旋、鎧を解く者

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