ハイブリッドレシピ

 夏休み。

 化学室の遮光カーテンの隙間から陽射しが斜めに差し込んでいた。少し開けてある窓から、セミの鳴き声とグラウンドの野球部の音が押し寄せてくる。


 今日は、越後高校化学部の活動日。

 2年男子の飯野いいのと俺——戌井いぬいは、県の自然科学系部活動研究発表会に向けて、研究テーマを考えていた。



 俺は実験机にばたっと覆い被さって、ため息をつく。

「はぁ、何が理系の希望の星だよ。部員二人で星座は描けねえっての」


 白衣を羽織った飯野は、タブレットをスワイプしながら応じた。

「二つの星が互いを回り合っているアルゴル。古代人はそれを見て神話を作った。つまり我々は神話になれる可能性を秘めている」

「お前、そうやって煙に巻くの得意だよな」


「事実を述べているだけだ」

「はいはい、そういう屁理屈こねてるから新入生部員ゼロだったんだろ」


 そう、今年は入部する一年生が誰もいなかったのだ。


「我々は時代を追い越しすぎたんだ」

「追い越したんじゃなくて、ズレたんだよ!」


 毎度のことながら、飯野の言動には突っ込まれずにはいられない。

 3年生が引退した現在、化学部員は飯野と俺の二人だけ。ここに顧問の先生が混ざって、絶賛二人三脚で活動中なのである。

 もし、来年も勧誘に失敗したら、化学部は廃部となってしまう。危機感を持っているのが俺だけじゃないと信じたい。



 飯野は、立ち上がると、隣の準備室の冷蔵庫から顧問の差し入れのプリンを取り出してきた。

 一緒に、マヨネーズや醤油、缶詰なんかも抱えている。なんかやる気だ。


「何すんの?」

「ハイブリッドレシピ」

「もっと具体的に」

「プリンに醤油をかけるとウニの味になるやつ」

「聞いたことあるな」


 飯野はノートを開き、レーダーチャートを描き始めた。項目は、酸味、塩味、苦味、旨味、渋味、そして甘味。


「味覚の項目が重なると味が一致するのだよ」

「測定の仕方は?」

 何を言うか結果は見えるが、一応聞いてみた。

「私の味蕾7500個の舌で」

「やっぱりかよ!」

「味覚測定装置は、学校には無いからな。私の舌がセンサーだ」

 俺は頭をかきむしる。


 次に、ふわりと甘い香りが室内に広がった。飯野がプリンと一緒に持ってきた桃の缶詰を開けたのだ。


「落ち着けよ」

「誰のせいだよ」


「ほら、ソルビトールの効果を感じろ。測定装置がなくとも考察はできる」

「でたな、何とか効果」


「桃にはソルビトールという糖アルコールが含まれている。その風味には幸福感を高める効果が——」

 飯野は「さあさあ」と桃缶を差し出し微妙な優しさを見せる。

 ただし、カロリーオフ食品の甘味料としても有用だとか、ウンチクを続けることは忘れない。通常運転である。



 その間、桃の甘い匂いが、理科室から廊下へと漏れていたようだ。

 

 ふと気配を感じて入り口をみると、赤い靴ひも——1年生の女子がこちらを見ていた。

「おい飯野、今日って、理科室で夏期講習の予定とかあったっけ?」

「ないはずだ」


 髪をひとつにまとめ、リュックを背負ったその子は、俺たちと目が合うと吸い寄せられるよう理科室に入ってきた。

「あの、何してるんですか?」


「研究だ」と飯野が即答する。


 プリンと桃缶並べて、研究はないだろう。俺は、コホンと小さく咳払いして聞いた。


「誰?」


 白衣の飯野と、ジャージ姿の俺を交互に見る彼女。

「あ、すみません。一年の木村明里です。夏期講習の帰りで……その……いい匂いがして……」


「匂いにつられて来たのか——つまり、食いしん坊の犬だな」

「初対面の子に犬はやめれ!」


 もしかしたら、入部希望者かもしれないじゃん。春、その口調で新入生が引きまくったことを思い出せよ。


 だが木村明里と名乗った女子は、少し考えてから、ちょこんとお手をするように少し右手を上げた。

「きび団子ください。桃太郎さん」

「は?」

 斜め上を行く返しに俺は固まった。

「ほら、完全に犬だ」

 飯野は勝ち誇った顔だ。

「いやいやいや」

「このあと、猿とキジも来るに違いない」

「来るかいっ!」


 木村明里は、机に置かれたプリンをのぞき込み目を輝かせる。


「これから食べるところですか」

「君の分は想定してないぞ」

 飯野は、基本的に誰が相手でも態度が変わらない。

「え、残念……でも匂いだけで幸せになれますね」

「やはり君は犬だな」


 ……俺はまた頭を抱える。


 数分後。

 木村明里きむらあかりは、まるで以前からのメンバーのように理科室に馴染んでいた。


「桃だけじゃなくて、りんごの蜜もソルビトールなんですね」

「そう。だから、蜜があるのは香り豊かで美味しそうに感じるのだ」

「なるほど」

「ただし、甘さはショ糖の6割くらいで控えめ。鼻をつまんで食べたら味は変わらない」

「へー、そうなんですか」

「そして私は、りんごの中では『ふじ』が好きだ」

「さすが化学部ですね」


「最後の、化学関係ないじゃん!」


 まったく変な子が来たもんだ。

 だけど俺は、入部してくれるかもしれないという淡い期待で、今日の活動に彼女を引き入れることにした。


「せっかくだしさ、木村さんも一緒に食べようよ」

「わあ、やったー」

 素直に喜ぶ1年女子。

「そうだな、明里あかりも加われば、味覚センサー3倍だしな」

「言い方! ってか、もう呼び捨ての仲?」

「名前と役割を述べただけだが、何か?」


 動じない飯野と、何食わぬ顔で「戌井先輩も、あたしのこと明里って呼んでください」と呟く彼女。

 こいつら同類か?


 構ってはいけないと気を取り直し、小皿とスプーンを配膳する。


「じゃあ、どれから食べる?」

「まずはプリンに醤油をかけるとウニ味になるか、だな」


 飯野の指示に従って、小皿にプリンをひと掬いわけ、醤油をかける。さて、お味は?

「……普通に醤油とプリンだな」

「口に入れた瞬間は、なんか混ざってる感じがしますけど、すぐただのプリン味ですね」

 明里も同じような感想だった。


「そんなバカな。理論が間違っていると言うのか」

「大袈裟だな。とんでも科学の理論かもしれないじゃん」

「いや、これは論文があるちゃんとした研究んだ」


 おかわりをして次の一口を食べた明里が口を挟む。

「先輩、これ混ぜて食べた方がウニっぽいですよ」

 

 飯野は、ゼンマイ仕掛けのロボットのようにゆっくり首を振り明里を見た。

「天才か!」


「そうだな。測定器にかけるなら、俺らだって潰してしっかり混ぜるじゃん。味だって混ぜてなんぼだろうな」

 俺も、プリンに醤油をかけ軽くかき混ぜてから食べてみた。

「うん、確かにウニっぽいな」


「お前たち、天才だ」


 素直さ。

 それは飯野の長所だ。こういうところが、飯野とつるむ楽しさだ。

 明里も同じことを感じたようだ。目を輝かせ嬉しそうな表情を浮かべている。


 俺たちは、そのまま塩掛けプリン、マヨネーズプリン、醤油かけ桃缶……次々と混ぜては食べを繰り返した。


「ふう、結局、何かの味に例えられるのは、醤油プリンのウニだけか」

「だな。普通に食べる方が美味い」


「でも、おもしろかったですよ」

 明里が満足そうにスプーンを置いた。


「そうか?」

 俺は身を乗り出して、半ば勢いで言ってしまった。

「なあ、明里。もしよかったら化学部、入らないか?」


「ふむ」

 飯野が腕を組み、得意げに顎をしゃくった。

「1年部員、ゼロからイチは大きな一歩。物質量で0モルが1モルなら、6.0×10^23個の増加!」

 俺はすかさず突っ込む。

「たのむ、普通に言ってくれよ」


 俺の声に、明里はぷっと吹き出した。肩を揺らして、楽しそうに笑う。

「なんか、いいですね。こういうの」


 笑いながら、明里ははっきりと宣言した。

「先輩たち、あたし、化学部に入部します」


 理科室に、あたらしい仲間が増えた日となった。

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