ベラ・ユニバース42

ぶるーろぜ

一頁 白紙の教科書



 プロローグの始まり方ってのは、大きく分けてふたつあると思う。


 ひとつは、主要人物の独白だ。メインキャラクターの心理描写から始まり、物語の根幹に関わるような持論を並べていく。いわば、含みたっぷりの成分不明な導入剤。勿論、その未知は読者の好奇心を掴んで離さないし、なんなら、より強い刺激を求めて自らページを捲ったりもする。

 ふたつは、いきなり物語が始まってるパターン。緞帳が上がるまでの待ち時間もなく、目を開けたら既に世界が広がってる。登場人物達がどんな状況で、どんな人柄で、これから何が起こるのかを推測しなければいけない読者は、前のめりになってその世界の情報を拾い集める。その時、彼らは自分が前傾姿勢になっていることに気付けない。


 では、この文章はどちらにあたるのだろうか?と、考えたところで、禅堂蓮寺ぜんどうれんじはタイプを辞めた。この導入を書いたところで何になるのだろう、と俯瞰した自分が野次を飛ばしてきたからだ。

 行き場を失った指先は、やがてJとFに着地する。数秒その凹凸を味わったのち、そのままパソコンを流れで閉じた。イマジナリー蓮寺の方が正しかった。書いたところで無駄だった。


 背伸びをする。あらゆる関節からバキバキと音が鳴った。壊れてるんじゃないかと心配になるくらいだ。しかし、同時にデスクチェアも似たような悲鳴を上げたので、それは杞憂に終わったのだが。


「進捗はどう?」


 後ろから、聞き慣れた声がする。振り返る。ふわりと、香ばしい香りがした。眼前の彼女はティーカップを両手に持っており、片方を俺のデスクに置いた。紅茶、だろうか。彼女は特に気にすることもなく、隣の椅子に腰をかける。


「これ、前に俺が言ってたやつ。」


 閉じたばかりのパソコンを開き、ティーカップに口を付けた彼女に画面を見せる。彼女は思案した後、なるほどね、と呟き、自らのパソコンに指をかける。

 紅茶特有の匂いが鼻腔をくすぐる。デスクに置かれたそれを見た時、ありがとうを言い忘れたことに気付いた。隣を見る。彼女は完全に仕事モードに入っており、今更言うのも気が引けた。


 同時に、先程書いた文章が無駄ではない事に気付いた。どちらかと言えばこの文章は前者、主要人物の独白に等しいが、全てが独白で構成されているわけでもないので、ある意味後者、とも言える。

 なんだ、中途半端な俺に相応しい人物描写じゃないか、と一人結論を出したところで、再びキーボードに指を置く。先程とは打って変わって、JとFの凹凸を味わう時間は、殆どなかった。




・・・ 




 廊下に、自分の忙しない足音だけが響き渡る。流れゆく窓の隙間から漏れ出る冷気が、少し肌寒い。外の景色は桜色に染まっていて、新学期に相応しい満開の桜…とはいかず、若干散っているのが現実だ。おかげで、それをわざわざ見ようとする人もいない。

 走りながらスマホを取り出し、時刻を確認する。時は四月八日、午前九時四十五分。そう、入学式である。俺は今、ビジュチェックをしたいがために、必死にトイレを探している!のだが、いかんせんトイレが見つからない。まずい、それは非常にまずい。

 何せ、ここに着くまでの記憶がないのだ。緊張しすぎて、記憶を飛ばしてしまったのだろう。それ故、朝に髪をセットしたのかさえ思い出せない。

 高校生デビューだというのに、自分の朝の行動すら思い出せないとは、なんという痴態だろうか。新たな環境、見知らぬ同級生。華の高校生活。第一印象を違えたら終わりだ、三年間を棒に振ることになる。その恐怖心だけが、今の俺を突き動かしている。


 しかしまずい、本当にまずい!開式まで残り十五分、トイレにたどり着くどころか人とすらすれ違っていない。この廊下だって三回くらい見た気がする。もしや、同じところを回っている…と、考えたところで足に急ブレーキをかけた。人だ。廊下の先に人が居たのだ。

 見たところ、彼女は俺と同じ制服を着ていた。加えて、足取りが辿々しい。新入生だ、と直感で理解した。

 なりふり構っていられない。ここでどう思われようが、どうせ後で出会う人数の方が多い。一人にどう思われようと、俺は完璧な高校デビューを果たさなければならない!そんな使命感に突き動かされ、覚束ない足取りで進む彼女を後ろから呼び留めた。


「すみません!そこの、えー…ピンク髪の方!」

「……っえ、あっ、はい!」 


 恭しく返事をした彼女は、桜色のサイドポニーテールを揺らし、こちらに振り返る。まんまるに見開かれたその目がイエローアンバーのようだったこともあり、なんだか月みたいだな、なんて思ったりもした。

 息を整えながら、彼女の前まで小走りをする。あたふたと慌てふためいている彼女は、きっと悪い人ではない。


「トイレが何処にあるのか、教えてほしくて…。」

「…ごめんなさい、私もあまりよくわかってないんです。あっ、もしかして、緊急事態だったりします!?」

「えっ?多分、緊急です!」


 開式まで残り十五分を切っている。緊急事態であることに間違いはないだろう。 

 俺の言葉を聞くなり、彼女は顔を青くして、突然前方へ走り出した。突拍子もない彼女の行動に、ワンテンポ遅れて後を追いかける。走るスピードがあまりにも早くて、そんなにキモかったかと内心ちょっと、いや、かなり傷付いた。


「私も探します!!」


 彼女は声を張り上げてそう言った。前言撤回、めっちゃいい人だった。


「あとどれくらい保ちそうですか!?」

「保ちそう…?十分、十分くらいです!」


 正直、五分前には移動しておきたい。入学早々遅刻は嫌すぎる。 


「え、それ本当に緊急ですか!?いや、緊急ですね!スピード上げます!」

「え、なんで!?てか、これ何処に向かってるんすか!」

「わかりません!見つけるまでです!」


 明らかに上げられたスピードに、先程まで走っていた疲労も相まって、息も切れてきた。肺が痛い。ビジュチェックをする為にトイレを探していたはずなのに、走ったせいで余計に崩れてしまった気がする。


「マジで何処に向かってんすか!?」

「え!?強いて言うならお花畑です!」

「はぁ!?」

「ぴっきんぐふらわーずです!!」

「はぁ!?!?」


 本当に意味がわからない。彼女の後ろ姿を二歩後ろで眺めながら、そういや、この人の前髪は崩れないのかな、なんて思い返していたところ、ある可能性にたどり着く。そのまま、慣性に任せて勢いよく彼女の腕を掴み、静止の声をかけた。


「あの!手鏡、持ってませんか!」

「え、手鏡?トイレ行かなくて大丈夫なんですか?」 

「ビジュ確認したくて、鏡探してたっ、だけなんすよ!」




 案の定、俺は髪の毛をセットしていなかった。

はねた黒髪を横に流し、気休め程度に櫛を通す。借りたケープで軽くそこを固めれば、若干見栄えが良くなった。本当はワックスで固めてしまいたかったのだが、そんな贅沢は言っていられない。

 左右を確認し、正面を見る。前髪が少し目にかかっていて、陰気臭いように思えた。二週間前くらいに切っとけよ、過去の俺。


「銀色なんですけど、これでよければ。」


 彼女がそう言って、ケースから二本、アメリカヘアピンを取り出す。ありがたくそれを拝借して、左側に差し込めば、顔がよく見えるようになった。左側だけに差したのは、ただの気分とイキリである。


「すみません、色々お借りしてしまって。」

「いえ、私の方こそ…その、勘違いしてたんで!」


 彼女に櫛やケープを返却して、共に体育館へと歩き出す。ゆっくりしている時間はないが、今は少し休みたい。

 彼女曰く、俺が漏れそうだと勘違いした、とのこと。確かに、俺の言い方が悪かった。加えて、あれほど躍起になってトイレを探していたのだから、説得力マシマシ、そう思わざるを得ないだろう。


 二人の間に流れる気不味い空気に何とか堪えながら、体育館への連絡通路を歩く。走っている時は気にならなかった肌寒さが、今になってぶりかえしてきた。

 互いに無言は居たたまれないので、俺の方から言葉を切り出す。微かに、強張っていた彼女の表情が緩んだ気がした。


「俺は禅堂蓮寺ぜんどうれんじって言います。名前、聞いてもいいですか。」 

古鳥瑞華ことりみかです!瑞華って呼んでください!」

「瑞華さん」

「はい!なんでしょう、蓮寺くん?」

「蓮寺でいいすよ。」

「出会って数分で呼び捨ては、ちょっと難しいですね〜」


 しくった、少し距離を詰めすぎたか?とりあえず笑っておく。内心冷や汗だらだらである。一般的な女子への接し方というのがまるでわかっていない。肝を冷やしてる俺を他所に、瑞華さんは特に気にしていない様子だった。

 他愛もない会話を続けていると、体育館への入り口が見えてきた。そこでふと、足を止める。瑞華さんはこちらに気付かず、前だけを見ている。



 普通、入学式の前って、一度は教室に集まるものじゃないの?



「瑞華さん、もしかしてですけど、集合場所が違うんじゃ_____、」

「あ、蓮寺さん!話し声が聞こえますよ!」


 彼女はそう呟くと、引き寄せられるように体育館の入り口へと駆けていく。俺に、それを引き留める勇気はなかった。違和感と呼べるくらいの確信がなくて、それいて、明らかに何かがおかしいと本能が訴えている。


 入学式であるにも関わらず、外に人一人いなかった。生徒ならまだしも、親一人ですら。

 校内を散々走り回った。それでいて、見つけられたのは瑞華さんだけだった。

 どうやってここに来たかもわからず、校舎内は物音一つしない。

 クラス分けも、在校生も、教職員も、親でさえ、そこにはいなかった。


 ここは本当に、俺が想像する"一般的な高校"なのだろうか?




「随分と遅かったな。」


 体育館の入り口から、上背のある一人の美丈夫が顔を覗かせる。黒縁のスクエア眼鏡をかけ、腰あたりまである長い襟足を後ろで纏めた、怜悧な印象を与える黒髪の男だ。ほんの一瞬、彼が教員であるようにも思えたが、無論、彼も俺らと同じ制服を身にまとっている。


「えっと、入学式の会場って、ここであってますか?」

「ああ、合っている。」


 瑞華さんは彼の言葉に安堵すると、軽やかな足取りで体育館へと入る…が、すぐに足を止めてしまった。

 瑞華さんに追い付く。彼女は目を見張り、体育館を見つめていた。つられて俺も視線を流すと、そこには。


 椅子一つない、まっさらな状態の体育館があるだけだった。


「…え、ここ…ですよね?」

「そうだ。間違いない。」

「他の生徒は…?」


「私達だけよ。」


 声のした方に目をやると、ギャラリーへと続く階段から、一人の女性が降りてくる。シルクのような白髪を靡かせ、人間、と言うより、人形に近い、人外と言って差し支えない美しさを持った彼女は、悠然とした態度で続ける。


「三十分前から、この人と一緒に色々探してたの。いくら待っても、他の生徒が来ないから、暇してたのよ。」

「……なにか、見つかったんすか。」

「いいえ、何も見つからなかった。生徒はおろか、教師も、教室の机や椅子さえも、全てがね。」

「嘘を吐くな。妙な紙が一枚、あっただろ。」

「…ああ、あれね。忘れてたわ。」


 ついてきて、と言って、彼女は体育館のステージ側へと歩き出す。隣に立っていた眼鏡の男を見やれば、さっさと行け、と言わんばかりの目線を返された。

 瑞華さんと顔を見合わせ、大人しく彼女の後ろをついて歩く。体育館の空気は冷え切っており、今日が入学式であると言うことを除けば、至って普通の、何の変哲もない体育館だった。


「これよ。説明するより、読んだ方が早いと思う。」


 彼女はそれだけを端的に述べ、一枚の用紙を瑞華さんに手渡す。瑞華さんがこちらを伺ってきたので、促すようにして頷けば、恐る恐る、その用紙に目を通し始めた。


内容は以下の通りである。



____________________________


令和八年四月八日

新入生の皆様へ


 本校にご入学賜りました皆様に、心より厚く御礼申し上げるとともに、謹んでご祝詞を申し上げます。このたびのご入学は、誠にお慶びにたえず、光栄に存じ奉ります。

 こちらの資料は、新入生の皆様にご案内申し上げる学校の説明資料となりますので、何卒ご一読賜りますようお願い申し上げます。


【 本校の教育方針について 】

 本校は政府承認の元設立された学校であり、生徒の自主性を育て、創造性に満ちた、社会にとって必要不可欠とされる人材の育成を目指しています。本校には、学校教育法施行規則は適応されず、生徒を縛るいかなる規則(以下校則とさせていただきます)も規定されていないものとします。また、教職員も同様、本校には在籍しておりません。


【 本校が目指す生徒像について 】

 上記の通り、社会にとって必要不可欠とされる人材の育成を目指すと共に、思い遣りや自主性に加え、創造性を併せ持つ自立した生徒像を目標とします。


【 授業及び試験について 】

 上記の通り、本校には教職員が在籍しておらず、生徒自らが学びの姿勢を持つことが求められます。

また、後期期末試験においては、成績によるランク付けが行われ、成績優秀者には政府より報酬による還元が行われます。(これを、"人生では凡そ得ることのできない幸福"と呼びます。)

同様に、成績不振者にも、それ相応の処置が為されます。(これを、"矯正"と定義します。)


【 一期生について 】

 本日ご入学賜りました皆様は、本校の一期生となります。一期生の選出基準は以下の通りです。


・政府によって"特別な高校生"と判断された者。

・本校の入試において、成績不振者と判定された者。


 在籍生徒は計八名であり、生徒は順次入学予定です。

 一期生は以下の通りです。(五十音順)


 金城陽依花かなぎひよりか

 古鳥瑞華ことりみか

 宮戸龍雅みやどりゅうが

 禅堂蓮寺ぜんどうれんじ

 計四名。


【 成績開示及びその他備品について 】

 入試の成績開示につきましては、二階コンピューター室にて、成績開示の申請を行なってください。

 また、学校生活及び日常生活において必要と判断された備品についても、同様に申請をお願い申し上げます。

 

【 日常生活について 】

 本校の三階は、全て生徒専用の生活スペースとなっております。是非、気軽にご活用ください。



 本校は生徒の意思を重んじ、尊重することを第一としています。皆様が、創造性溢れる健全な学校生活を送れるよう、心よりお祈り申し上げます。



____________________________





 

 それらの文章を読み終えた時、ただひたすらに唖然とした。恐怖、衝撃、怒り、そう言った類の感情による物ではない。理解不能。膨大な情報量を前に、俺の脳は、処理の時間を要していた。言葉も出ない。何を言うべきなのか、今の俺には皆目見当もつかない。


「まあ…要するに私達は今、こいつらの言う"矯正"されるべき立場にいるの。」

「そんな、こと…。何されるんですか、"矯正"って、なんなんですか…?」

「知らん。その"矯正"をされない為に、ここに居るんだろ。成績不振者が他の生徒に引けを取らないアドバンテージ得るために、一期生として入学させられた。違うか?」


 反応がない瑞華さんに、痺れを切らしたのか、彼は舌打ちを鳴らす。そのまま、状況が飲み込めない俺達に、ゆっくりと、流し込むようにして言葉を紡いだ。


「…そこにある通り、ここには校則も教師も、察しの通り学校名すらもない。何もかもが白紙で、俺達が自由に書きこめる状態にある。つまるところ、"俺達が規則になれる"んだ。俺達が、規則を、文化を、一から構築することができる。それが、俺達に与えられたアドバンテージ……成績不振者の、唯一の特権だ。」


 彼は、自嘲するようにそれを吐き捨てると、再び入り口へと踵を返す。

 体育館に、彼の固い足音だけが響き渡る。この場に充満した冷気を、気にできるほどの余裕はなかった。外の景色は桜色に染まっていて、新学期に相応しい満開の桜…とはいかず、若干散っているのが現実である。



 そう、この春。俺達に配られた、落丁だらけの教科書は、授業開始のチャイムと共に、ゆっくりと、開かれてしまったのである。

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