サイレント・リスナーの君に

モノを描く人

第1話 無音の転校生

 僕の名前は音無音也。どこにでもいる、平凡な高校二年生だ。

 特徴は、特にない。声も、顔も、成績も、全部が平均点。友達からは「背景に溶け込むプロ」なんて、ありがたくないんだかよく分からないあだ名で呼ばれている。別にそれが嫌なわけじゃない。むしろ、その他大勢に紛れて、波風立てずに過ごす毎日は、それなりに快適だった。そう、彼女が現れるまでは。


 始業のチャイムが鳴り終わり、担任が教室のドアを開ける。


「えー、今日から新しい仲間が増える。響さんだ。さ、自己紹介を」


 息をのむ音が、教室のあちこちから聞こえた。男子だけでなく、女子からも感嘆のため息が漏れる。

 色素の薄い髪に、大きな白いヘッドホン。人形みたいに整った顔立ちの彼女――響奏は、黒板に自分の名前をさらさらと書くと、感情の読めない声で、短く言った。


「……響奏です。趣味は、音集め。以上」


 教室がわずかにざわつく。「音集め?」「ヘッドホン、すごい高いやつじゃない?」そんな囁きが飛び交う中、彼女は全く意に介さない様子で、指定された席――僕の隣の席に、音もなく座った。

 一日中、彼女は誰とも話さず、ただ窓の外を眺めたり、ヘッドホンに耳を澄ませたりしていた。まるで、この教室の喧騒なんて、何も聞こえていないかのように。


 やがて、放課後のチャイムが鳴る。生徒たちが騒がしく立ち上がる中、僕もカバンを持って席を立とうとした、その時だった。


「……あの」


 すぐ隣から、小さな声がした。


「えっ、俺? な、なに?」


 初めて、彼女の顔を間近で見た。ガラス玉みたいな瞳が、まっすぐに僕を射抜いている。何を言われるんだろう。もしかして、教科書を見せろとか……?


「あなた、名前は」


「お、音無音也だけど……」


 ゴクリ、と喉が鳴る。彼女の唇が、ゆっくりと開く。

 告白? いや、まさか。でも、こんな静かな放課後の教室で、二人きり。漫画みたいな展開が、万が一……。


「音無音也。あなたの『音』、録らせて」


「……はい?」


 聞き間違いだろうか。今、この美少女は、なんと言った?


「だから。あなたの音を、録音させてほしいの。ずっと探してた。こんな音、初めて」


「お、音って……俺の声、別に普通だと……」


「声じゃない」


 彼女は僕の右耳にそっと顔を寄せ、囁いた。その息がかかって、心臓が跳ねる。


「あなたの、心の音」


「こ、心の……!?」


 彼女は満足したように小さく頷くと、今度は左耳に囁きかける。


「私には聞こえる。人の心臓が立てる、本当の音が。ほとんどの人間は、雑音だらけ。見栄や、嘘や、不安のノイズが混じって、濁ってる。でも、あなたは違う。あなたの心臓は、音がしないの」


「死んでるってこと!?」


「違う。完全な『凪』。どこまでも静かで、透明で、揺らぎのない、完璧なサイレンス。奇跡みたいな音。だから、お願い。あなたの『無音』を、私にちょうだい」


 キラキラした瞳で、とんでもないことを言っている。

 これが、僕と響奏の出会い。

 そして、僕の静かだった日常が、様々な「音」で満たされていく日々の、始まりの音だった。

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