40.逆現パロのロールプレイ
決着のあと。
戦場だった冥府の底には、冷たい空気が横たわっている。
極彩色の空はいつしか消えて、静かな夜を月が照らしていた。
俺はレナに歩み寄り、そっと声をかける。
アホの反応は忘れることにしよう。
「レナ。助かった。お前のおかげで、カイに勝てた」
「今のは、違うの。その、ケモ耳が衝撃的すぎて。なんか、つい攻撃指示をキャンセルし忘れちゃっただけっていうか」
「レナ。もう一度、俺と話してほしい」
真面目なやつだからケモ耳からは離れてほしいな、と思いつつ言うと、レナは指摘されるまでもなく俺の頭頂部から意識を逸らし、こちらを拒絶する。
「嫌だ、レイくんの言葉を聞くの、こわいよ。思い出したんでしょ。私のこと、き、嫌いだってこともっ、死っ、死ねって、死ねって言ったこともっ」
魂に触れて、俺は本当の過去を知った。
彼女の恐怖と絶望、その真実を。
レナは座り込んだまま、すぐそばで眠るアネットの小さな手をぎゅっと握った。
その手を離すことを、己の罪を恐れるように目を伏せて感情を吐き出す。
「ごめんなさい。わかってる。絶対に赦されないって。私のこと嫌いだよね。恨んでるよね。邪魔だよね。余計な事ばっかりして、自分でも悪いってわかってるの!」
レナは俺を殺した。
彼女にとって暴力とは忌むべき行為だ。
現実で、日常的に振るわれていた暴力。
ではレナのこの世界での自由な振る舞いは何だったのか。
殺人も暴力も窃盗も厭わない、合理的な悪。
それはきっと、ゲームという悪と暴力が許された虚構の中であったからこそだ。
『レイくん、おいてかないで』
小さなレナの姿を思い出した。
俺は本当のレナが臆病で気弱なことを知っている。大きな猛獣が怖くて、動物園でも檻で隔てられているのにびくびくしていたことを覚えている。
そして人を思いやり、親切にできることもわかっている。
熊に怯え、それでも人を助け、恐れながら立ち向かい、命を犠牲に戦う。
あの戦いの中にはレナの迷いと二面性の全てがあった。
そして、この戦いにも。
レナは地面に横たわってすやすやと眠るアネットに寄り添い、その小さな手を握っている。震える身体には、明らかに恐れと後悔が滲んでいた。
罪悪感。レナは、いま自分の中にある正しさに苦しめられている。
「つらいの。真っ黒な気持ちが止まらないの。もうあんな思いはしたくない。レイくんに、あんな目で見られるのなんて耐えられない!!」
強い拒絶にも構わず、一歩だけ踏み出す。
俺は嬉しかった。理解できないレナが、少しだけ理解できた気がして。
「断る。嫌がってくれてもいい。俺は俺で勝手にするから」
「やめて。どうしても帰ってくれないなら、今度こそ、本当に容赦しないから! 六王の力はほとんど燃えて封じられたけど、まだ私は戦える。ねえ、わかるよね? 星とステータスの差があり過ぎること!」
きっとこちらを睨みつける。虚ろな右の眼窩から、ばちっと火花が散った。
まだ雷撃は放てるようだ。
満身創痍の俺が一撃でも受ければ、きっと助からない。
それでも、俺は恐れなかった。
「生まれつき、どうしようもないことってあるよな。けど、いいんだ。もうそんなことでレナを諦めないって決めたから」
こちらの本気が伝わったのだろうか。
レナはいやいやをするように頭を振った。
それから、変わり果てた全身を示すように手で自分の胸に手をあてる。
腐臭のする半屍の肉体。
魂がもたらした変異は、彼女を俺とは異質なものにしてしまっていた。
「レイくんは遠くに行きたいんでしょ! アヤと仲良くレベルの高い大学に進学して、海外で働いたり移住したりキラキラした人生送ればいいじゃん!」
感情が黒く淀み、靄となってレナの周囲に溢れた。
変異し続ける肉体が、更に朽ちていく。
崩壊するレナの命は死に近づき、より死者らしくなっていった。
頬の肉が削げ落ちる。唇がめくれて、歯が剥き出しになる。
俺は内心の恐怖と焦りを隠しながら、レナに問い掛けた。
「なんだそれ。俺がいつそうしたいって言った?」
「言ったもん! レイくんは海外に行って、私のこと置いてくつもりなんだ! 誰も味方になってくれないのに。私のこと好きな人なんてどこにもいないのに。レイくんがいなかったら、私、ひとりぼっちになっちゃうよぉ」
削げ落ちた頬を流れる雫は黒い。
さめざめと泣くレナは、小さな子供のようだった。
頼れる存在の不在。愛してくれる誰かの欠落。
知らなかった。レナが俺に置いていかれることを怖がっていたなんて。
俺は、レナとずっと一緒にいたかっただけなのに。
こんな風に不安がらせたのは俺のせいだ。安心させてあげられなかったのも、俺の気持ちをちゃんと伝えていなかったのも、全部。
だから、今度は間違えない。
「言い忘れてたけど。天使、似合ってた。綺麗だったのに、汚してごめんな」
唐突な賛辞にレナは面食らっている様子だ。
構わずに続ける。頭の上にある耳をぴこぴこと動かしながら。
「遅れたけど、俺も仮装してみた。戻れないけど、いちおう狼男ってことで」
「かわっ、じゃなくて! そんなこと言われても」
「錬金合成で星上げした。死霊再生はもうできない。俺はもう霊にならない」
「それって、どういう意味?」
俺の現状を説明しただけだが、それだけじゃない。
これは、不退転の覚悟を示すための儀式だ。
「俺はもうお前に使役されるだけの存在には、二度と変化できない。もう魔獣と混ざり合って、怪物になったからだ。俺が自分で決めた。これからの俺は、欲望に従って動く。だから、お前だけが悪いわけじゃないんだよ」
「それは、だって、設定の話でっ」
それでも、この世界という現実の設定だ。
俺たちにとって、死者の陣営とか創造の陣営とか、死霊とか魔獣とかいったファンタジー世界の存在はもうとっくに確かな現実だった。
俺はもう、人間じゃない。
見た目通りの、けだものだ。
「レナ」
すう、と息を吸い込む。
勇気が必要だった。演技をする覚悟を決める。
こういうやり方でレナの心を動かしてやる、とマインドセットを完了する。
よし、行くぞ。羞恥心は冥府にでも捨てて置け。
「まずカイと別れろ」
「えっ、それは、だってもう終わった話っていうか! 別れたっ、もう別れたよ!」
「元彼とは二度と会うな。彼氏作るのも禁止。男と話すな。男の連絡先ぜんぶ消せ」
「う、うん? あの~、レイくん?」
「一生結婚するな。俺と一緒に住め。断ったら手錠で繋いで地下室に監禁する。スマホも食事も俺が全部管理してやる。毎日俺の小鳥として
予想通り、レナは引き攣った表情でドン引きしていた。
「こわっ! てか見たの? うそさいあく、プライバシーの侵害だよ!」
俺は口調をフラットな状態に保ちながら、淡々とあるタイトルを読み上げた。
必要なら精神攻撃も厭わない。
今の俺は残虐非道な怪物だからだ。
「【脳トロ催眠音声/M向け】激重溺愛ヤンデレ幼馴染に死ぬほど束縛されて監禁レ」
「ぎゃああああああああ!!! バカえっち変態きらい死ね死ね死ね!!」
絶叫するレナはほとんど半泣きで俺の台詞を掻き消そうとしていた。
死ね死ねと軽く連呼するが、その中に込められた感情は反射的なものだ。
「ほら、死ねくらい簡単に弾みで出てくるじゃん。あの時は悪かった。でもさ。嫌いなとこは嫌いだけど、喧嘩しててもレナのことは好きだよ」
「私だって喧嘩してても好きだけど! ずるいよ、レイくんはずるい! あれは違うじゃん! 本気で、本当に私のことっ」
俺の卑劣な欺瞞を暴くようにレナが糾弾する。
確かにあれは俺が悪い。冗談にしてはならないほど重い罪だ。
けれど、言ってしまったことは取り消せない。
あれだって俺の本心だから。
それでも、伝えるべきことがあった。
「傷つけてごめん。死ぬほど痛かったよな」
頭を下げるが、レナは納得しない。
向こうにだって罪がある。
前世の結末、その罪深さは簡単に解消できるようなものではない。
「そんなこと言われたって、私の方が取り返しのつかないことしたんだよ?! こんな、醜くて、ひどいことばかりして、レイくんから否定されてばっかりの私なんて、私なんてっ! せいぜい悪役令嬢がお似合いだよっ」
正直『こいつめ』と思ったが、これもまたレナのレナらしさである。
ケモ耳で気が抜けたのが良かったのかもしれない。
闇に染まっていた心が、知らず知らずのうちにいつものアホさを取り戻しつつあるような気がしていた。俺はなんだか楽しくなってきて、つい調子に乗り始めた。
「若干ヒロインへの未練あるじゃねーか。なら破滅だってまだ回避できるだろ」
「嘘だよ! レイくんは私の王子様なのに! 結婚の約束したのに! 婚約破棄を言い渡してきたもん! 隣にヒロインのアヤ侍らしてさ!」
「真壁には迷惑かけたけど! どこかに行くつもりなんてない!」
ちょっと気になる発言があったが、ひとまず脇に置いて俺は言うべき言葉を伝えることにした。レナの誤解をそのままにはできない。
「俺はレナと結婚したかったよ。海外で挙式するんだ」
「え」
呆けたようなレナ。
俺は恥ずかしい中一からの的外れな努力を明かすことにした。
「異母兄妹の結婚ができるのはスウェーデンくらいだろ。実現可能性とかは考えてなかったけど、あの頃はそう思ってたんだよ」
「そっ、そんなの知らないよ! そうなの?」
「そう言われると俺も自信なくなってきたな。そういう事例があるってだけで社会的なタブーとか遺伝子の問題とかは変わらないし。でも、俺の気持ちは嘘じゃない」
きっと幼稚だったのだ。あの頃の恋心と同じように。
それでも、俺はあの素直な気持ちを嘘だと思いたくはない。
ずっと否定してきた。蓋をしてきた。正しくないからと目を逸らしてきた。
もう我慢はしない。俺はいま、怪物に成り果てたからだ。
「レイくんは私なんてタイプじゃないでしょ」
レナは俺を甘く見ている。
狼男ということは、肉食系であるということ。
ここでぐいぐい行かなければ、俺は一生カイに勝てない。
気合を入れろ俺。レナの好みはカイみたいなガンガン攻めるタイプだ。
「レナは小さい頃から可愛いし、ふっくらしてた時も可愛いし、頑張ってスリムになっておしゃれしてた時もかわいいし、転生して姿が変わってもかわいいし、腐ったり巨大化したりおばあちゃんになっても絶対にかわいいよ」
「全肯定すぎて逆に嫌! 甘やかしボイスやめて!」
あれ、なんか違ったか。
ならばこれはどうだ。
「レナ。俺はもしやり直せるなら、元の世界でお前をさらってしまいたい。家族との縁を切ったっていい。遠い所に行って二人で暮らそう。レナを閉じ込めて、永遠に俺だけのものにしたいから。今度は絶対に離さない。逃げようとしたら足の腱を切る」
「重っ」
引き気味のレナ。やりすぎた。
でも、心からの素直な言葉だ。
気持ち悪い欲望も、レナに嫌われてしまいそうな衝動も、このやり場のない真っ黒な感情も、全部。幼い頃の純粋な思慕と混ざりあった今の感情が、これだ。
「レナ。結婚したいことも、死ねって言ったことも、どっちも俺の本心だよ」
びくりとレナが震えた。
怯える目でこちらを見て、悲鳴で耳を塞ごうとする。
それでも構わず、強引に全てを叩きつけた。
「俺を好きにならないお前が憎かった。誰かと恋人同士になったお前を恨んでた。こんな最低の初恋を終わらせたいのに、いつまでも終わらせてくれないお前にいっそ死んで欲しかった。死にたかった。忘れたかった。出会わなければよかった」
泣きたかった。レナのように全てを拒絶してしまいたかった。
レナに置いていかれたくない。
レナが他の誰かと幸せになるのなんて嫌だ。
レナが言った言葉は、ほとんど俺にも当てはまっていた。
「お前の元彼、全員に嫉妬してた。死ねって思ったのはむしろそっち。実質的にはお前より俺の方が残酷な人殺しだ。罪は俺の方が重い」
「え、ええ」
困惑しているレナは、きっと俺の感情を受け止めきれていないだろう。
それでもいい。気持ち悪いと思ってくれたって構わない。
全部を伝えたいから、何もかもをぶちまける。
「どんな事情があってもお前は人殺しで、俺も助けを求めてきたお前を見捨てたクズだ。何もかも間違いだった。お前が過ちから生まれたように」
震えながら、アネットの手をまた強く握るレナ。
縋るようだと思った。
「お前が押し付けられた命を、生かそうとしたことは間違いじゃない。俺も、カイも、この命を大切にしてやれなかった。レナの苦しみを理解してやれなかった。拒絶して、レナともう一つの命を奪ってしまった。これはレナだけの罪じゃないんだ」
だから俺も、小さくて勇敢な希望のような少女にそっと近づく。
レナが握っているのと反対の手を握った。
今度こそ、間違わないように。
「最初が過ちでも。不倫や暴力で命が生まれても。無理心中から生まれ変わっても。いまここにある命は、正しいはずだ。レナも、アネットも。俺は二人のことを、大切に思ってる。もう、二度と否定しない」
レナの『悪いこと』と、俺の『正しいこと』へのこだわり。
同じトラウマから生じた歪みは、ずっと俺たちを呪い続けてきた。
お互いがわからなくて、噛み合わなくて、交わらないし、時にはぶつかる。
そんな俺たちが並んで歩ける道があるとしたら。
それはきっと、この先にあるのだと信じたい。
「前世の俺たちの終わり方はどうしようもない。今のところは現パロエンドに希望を託すくらいしかできないと思う。だからちょっと保留にしとこう」
前世は前世だ。なぜか転生してしまった以上、目の前にある現実のことを考えなければならない。これからだって、きっと問題は山積みだ。
「俺は多分、遠くを見過ぎてたんだよな。海外のこともそうだけど。もっとシンプルで良かった。いま、ここにいるレナのことだけで」
「レイくん」
一方的に喋り倒す俺の言葉を、レナはぼうっと聞いている。
なんだか、いつもと逆だなと思った。
楽しそうに推しカプとかゲームとか、はまっているコンテンツの話をしてくれるレナ。俺はそれを聞いているのが好きだった。楽しそうなレナと一緒にいるだけで、俺は幸せだった。だからこそ俺は、こんな風にも考えたことがある。
「なあレナ。そっちの要求に付き合ったんだし、こっちの要求も聞いてくれ」
きょとんとするレナ。俺は言い回しを考えつつ、少し照れながら続けた。
「なんて言えばいいかな。その、『レナレイ』っての、結構悪くなかったよな。いきなりレナにロールプレイとか言われて戸惑ったけど、案外と楽しかった」
ごっこで書かされた、『レイ』の置き手紙を思い出す。
作り物の感情を綴ると言い訳しながら、俺はレナへの思いの丈をしたためた。
でもあれは『レイ』の言葉だ。
だから、俺は彼から勇気を借りて告白をしようと思う。
「これから俺たちは、二次創作をしよう」
「それ、って」
あの決戦前夜の夜。
俺がレナを拒絶した日。
レナが、俺に言ってくれた言葉だ。
「元の世界に戻れるまで、期間限定で構わない。『レナレイ』の、じゃないな」
やり直したい。
謝りたい。
それ以上に、もっと楽しそうなレナを見ていたい。
だから俺は、こんな要求を突き付けた。
「俺と『レイレナ』のロールプレイをして欲しい」
「どういう、意味?」
レナは俺の言葉の意味がわからなかったのか、怪訝そうな表情だった。
多分、俺も最初の頃は似たような顔をしていたような気がする。
だからこそわかる。心を込めて伝え続ければ、きっと気持ちは伝わる。
俺がしたいこと。俺がどう思っているのかを。
「俺たちにとっての
端的な説明は、ややわかりづらかったかもしれない。
それでも、文脈を共有するレナになら伝わるはずだ。
「俺はそんなに詳しくないけどさ。現パロって、古い時代や異世界のキャラクターを『もし現代に彼らが生きていたら』って想像して、平和な日常生活を送らせるタイプの二次創作でいいんだよな?」
「まあ、そうだけど。報われないキャラとか幸せになってたら嬉しいみたいな。え、それってあの、つまりそういうこと?」
伝わったようでなによりだ。
俺は提案を続ける。
「俺たちは悲惨な死に方をした。だから流山令と三島礼奈のやり直しを、まずはこの世界でしてみよう。俺たちはさ、まだ始まってすらいないんだと思う」
もっと話して、互いを理解し合って、噛み合わない部分をすり合わせて、それでも生まれてしまう溝をどうしたらいいのか一緒に考えて。
二人でいるために必要な努力を、どんなにぶつかることになっても、どんなに相手を傷つけることになっても、何度でも繰り返すべきだった。
「いや、なんか格好を付けすぎだな。つまりさ、俺は納得してないんだ。あの終わりに。俺とレナの人生がバッドエンドで、悲劇で終わったなんて、嫌なんだよ。本当は俺だって信じてた。『幼馴染同士で結婚してハッピーエンド』が大好きだった」
大げさに言ってみたが、実際はもっとみっともない理由だ。
本当は、ごっこ遊びにかこつけてチャンスが欲しいだけ。
『幼馴染で恋人同士』という役を演じていれば、レナが俺を意識して、もしかしたら、万に一つの可能性であっても、俺を好きになってくれるかもしれない。
情けない話だけど、距離が近すぎるのが当たり前でどうアプローチしていいかわからないから。もうこれくらいしか作戦が思いつかなかった。
「ここは現実だけど。フィクションで、ゲームで、幸せな結末が用意された異世界だ。そう信じていれば、きっと大丈夫だから」
座り込んだレナに、そっと手を差し出した。
おずおずと俺の手を取ろうとしたレナは、しかし怯えたようにすぐ手を引っ込めてしまう。逃がさない。強引にレナの手を掴んだ。
引っ張って、力づくで俺のそばに引き寄せる。
額が触れそうなくらい顔を近づけて、願いと決意を口にした。
「この世界で、
幼馴染どうしで結ばれるなんて幸福は、きっと虚構の中にしかない。
ならこの虚構の中でなら、きっと幸福を掴むことだってできるはずだ。
レナが俺のことを男として見れなくてもいい。
好きじゃなくたっていい。
必要だから利用するのでも構わない。
俺はレナが大嫌いで、嫌いなところも含めて、全部が好きだ。
ぐちゃぐちゃになった感情なんて、幸せのために薪にして燃やしてしまえ。
俺が欲しいものは、たったひとつ。
「どうしてレイくんは、こんな私にそこまでしてくれるの? 私と、そういうことはしたくないんでしょ? 拒否したじゃん。それにもう私なんてボロボロのゾンビだし! ヤれないなら、私に価値なんてないよ」
「クソみたいな元彼は忘れろ! 俺は生まれた時から死ぬ時まで一緒にいたいんだよ。形じゃない。思い出が大事なんだ。これまでと、これからの」
いや本当はめちゃめちゃそういうことしたいけど。
正直そればっか考えてた。レナに軽蔑されたくないから隠してるだけで。
だとしても、それが全てじゃない。
「小さい頃から同じ気持ちだよ。ただ、レナと一緒に楽しく遊んでいたい」
顔を背けようとするレナに向けて、懸命に言葉を紡ぐ。
ずっとそうだった。最初は単純な心地良さしかなかった。
本当は、たったそれだけでよかったのに。
レナの流す涙を、そっと拭う。
「私、レイくんにひどいこといっぱいした」
「まあそれはそう。砂場で傑作のお城を崩されたり、花瓶壊した罪を擦り付けられたり、勝手に来客用のお菓子全部食べたの俺のせいにされたり、おもら」
「ごめんだけどそれは言わないって約束だよね?!」
「色々あったけど、次の日には何だかんだで一緒に遊んでた。あの頃は好きとか嫌いとかもっとシンプルで、それだけでよかった。ただ、楽しかったんだよ」
悲しみと絶望の中なんて、レナには似合わない。
馬鹿なことを言って欲しい。俺と口喧嘩をしてほしい。
失敗して、ふてくされて、俺に縋りついて、俺は仕方ないなって助けて。
これからは、きっと逆のパターンだって起きてもいいはずだ。
もっといろんなことがしたい。
死んでしまっては、それもできなくなる。
「一緒にいて、同じ時間を過ごすだけでいい」
死の闇に手を伸ばして、変わり果てたその身体に触れる。
穢れているとレナは言った。
醜いとレナは嘆いた。
それでも俺は、レナがいい。
「俺と生きろ、レナ」
強引に抱き寄せて、そっと唇を寄せた。
触れたのは剥き出しの歯。
肉体が朽ちたことで唇を失ったレナへのキスは、俺の一方通行で終わった。
それでもよかった。
届かなくても、俺はずっと届かせようと努力を続けるから。
強い拒絶はなく、レナはただ俺をじっと見つめ返していた。
虚ろな眼窩の奥に、俺には窺い知れない彼女の本心がある。
恐ろしいと思った。
恐れないと思い直した。
静かすぎるほどの沈黙が続き、レナはそっと視線を地面に落とす。
それから、根負けしたように呟いた。
「やくそくして。もう私から離れないで。抱きしめて。そばにいて」
言葉が、意思が返ってくる。
それはきっと、ただ温もりを求めただけ。
幼い頃の仄かな感情と同じもの。
俺の片思いとはきっと違う。
残酷な擦れ違いと、死にも等しい痛み。
それでもいい。この痛みごと、全て抱きしめよう。
「約束する」
要求通りに手を伸ばす。
折れそうな身体だった。
そっと両腕で包み込んで、その輪郭を確かめる。
レナがいる。俺のそばにいる。
俺の言葉を聞いてくれた。
俺に願いを伝えてくれた。
それだけなのに、涙が出そうだった。
「それで、それで」
レナはもどかしそうに自分の中の言葉を探す。
互い違いにすれ違う頭を引いて、真正面から相手を見る。
必要な想いは、最初からそこにあった。
「私といっぱい、現パロしてね」
愛する人と、幸せになりたい。
その祈りだけは、きっと死んだって朽ちたりしない。
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