第10話
私と謙信さまが刺客に襲われてから、城内でも本格的に犯人捜しが始まった。
そのせいか、また部屋から出られない日々に逆戻りだ。
お花やお茶を習うが、やはりどうやっても自分には合わない性分らしい。
私は部屋から外を眺める。
「もうすぐ夏も終わりますね…。」
お夢さんが横でそっと呟いた。
「そうですね…。
はぁ、颯丸はどうしてるかな…。」
「颯丸…馬の話しですか?」
「ええ。刺客に襲わた日から会ってないので…。
それまでは毎日のように一緒に訓練してたから、少し気になって…。」
「…きっと、元気でいますよ。」
「…そうですね。」
…謙信さまは…どうしてるんだろう…。
謙信さまにも…会いたいな…。
私は今日何度目かのため息をついた。
「きっと、すぐに犯人も捕まります。
そうすれば、またすぐに外に出られますよ。」
「景虎さまはどうなさっているのでしょう…。
あれから顔も見ていないので心配です。」
「姫さま…。」
「景虎さまは、姫が顔に傷をつけられたのを大層気にしておいでです…。」
声のする方へ振り返ると、お里さんがお茶を持って佇んでいた。
「この傷を…?」
「…はい。」
「もう、ほとんどカサブタになっているし大丈夫なのに…。」
「それでも、女子が顔に傷を造るなんて普通は無いことです。
殿も姫さまを預かっている身としてはやはり気に致しますよ。」
「………。」
何だか返って謙信さまに申し訳ない。
私がトロいのがいけないのに…。
思えば、ここに来てから、ずっと稽古をしてなかったから勘が少し鈍くなったみたいだ。
どうにかしなきゃ…。
「殿は姫に護衛を付けるそうです。
もうすぐその者が挨拶に来るそうですよ。」
「護衛…ですか?」
「はい。殿のご命令で重臣の柿崎さまが直々にお選び下さったそうでございます。」
『失礼いたします。
護衛の高倉重盛が、姫にご挨拶をと、申しております。』
噂をしていればさっそく来たみたいだ…。
私はお里さんと顔を合わせると静かに頷いた。
「お通し下さい。」
中に入ってきた護衛の方は、謙信さまより少し若いくらいの武将だった。
「初めてお目にかかります。
本日よりこの棟の警護を任されることになりました『高倉重盛』にございます。
どうぞお見知りおきを…。」
「聞いております。
こちらこそ、よろしくお願いします。」
私の返事を聞くと、彼はゆっくりと顔を上げた。
「………。」
「…どうかなさいましたか?」
「あっ…いえ…。
お近くでお顔を拝見したのは初めてでしたので…。
失礼致しました。」
「…私の事、ご存知なのですか?」
「はい。噂で…。
後は景虎さまとご一緒なのを遠目から拝見した事があります。」
「ああ、変わった女子という噂ですか?」
「…はい。申し訳ありません。」
高倉殿は恐縮したように身を縮ませた。
「ふふふっ。いいんですよ。本当のことですから…。
宇佐美さまからも言われました。
これから、よろしくお願いします。」
「…はい。
近くに控えておりますので何かございましたら遠慮なくお声をおかけ下さい。
…それでは失礼いたします。」
高倉殿はそう言って静かに部屋を出て行った。
「高倉殿は柿崎さまの家臣の中でも、武勇に優れているそうです。
これで姫も安心して過ごせましょう。」
お里さんがほっとしたように笑った。
「そうですね。」
謙信さまの為にも早く犯人が捕まればいいけど…。
謙信さまが薬草を巻いてくれた布を見詰めながら、私は彼の身の無事を心から祈った。
「もうすぐ仲秋の名月ですね…。」
夕刻、うっすらと白く浮かぶ月を眺めながらお里さんが話しかける。
「お団子が食べたいですね。」
「きっと食べられますよ。毎年、城内ではお月見の宴をやりますから。
きっと今年も。」
「なら、白いお団子より、笹団子がいいですね(笑)
越後の名物でしょう?」
「あらあら姫は『花より団子』派ですね。」
「女はみんな甘い物が好きですよ。
お前たちも食べたいでしょ?」
私は池の中を泳ぐ鯉に話しかけた。
「…そんな物を鯉に与えたら、食あたりしてしまいますよ。」
「重盛さま。」
あれから重盛さまとは、少しずつ話をするようになった。
謙信さまの周りにいる重臣たちとは違い、彼は気さくで、とても話しやすかった。
「冗談です(笑)
お腹を壊されたらエサをあげる楽しみが無くなってしまいますからね。」
「そんなに退屈ですか?」
「…重盛さまはいいですね。自由に動けて…。
そうだ、私に武術を教えてくれませんか!?」
「武術を…ですか?」
「はい。やっぱり女だからと云って、守って貰ってばっかりじゃいけないと思うんです。
私が強くなれば済む話じゃないですか?」
「…はぁ。でも姫は他の女子よりは、十分お強いと思いますが…。」
重盛さまは少し呆れたように返事を返す。
「でも…私、短刀の扱いとか分かりませんし…。
だからと言って、常に竹刀を持ち歩くのもどうかと思うのですが…。」
「確かに、そんな女子…嫌ですね…。」
「でしょう?それじゃ、稽古をつけて下さい。」
「って…話が繋がっていませんよ…。」
「お願いします!!
身体が鈍って仕方がないんです。
このままでは…秋頃には太ってしまいます!!」
「…解りました。
柿崎さまに相談してみましょう。」
重盛さまは、やれやれと言ったように溜息を吐いた。
こういうやり取り…何だかお兄ちゃんみたい…。
私は懐かしい感覚に、すっかり気を許していた。
「姫が武術を学びたいと?」
柿崎景家は書いていた筆の動きを止めると、重盛の顔を見た。
「…はい。
身を守るくらいの術は身につけたいと。
私もお断りしたのですが、どうしてもと引かないのです。
いかが致しましょう。」
「…よかろう。
景虎さまには私から話してみよう。」
「はい。お願いいたします。
…あれから、殿のご様子はいかがなのでしょうか。」
「ああ。ずっと部屋に篭って瞑想しておられる…。」
「そうですか…。
では、私は護衛に戻ります。
失礼致しました。」
重盛は深く頭を下げると部屋を出て行った。
景家はそれを目で見送ると席を立ち、景虎の部屋へと足を進めた。
部屋の前には護衛が二人付いて廊下に座していた。
「景虎さまにお目通りを―。」
「はい。」
側近が部屋の奥へと消えてゆく。
「………。」
「どうぞ…。
お会いになるそうです。」
景家はそのまま奥の部屋へと足を進めた。
「景家か?…いかがした。」
部屋では縁側に座り、刀の手入れをする景虎の姿があった。
「―はい。
先程、高倉から報告がございまして…。
伊勢姫さまが、高倉から武術を学びたいと言っておられるそうです。
いかが致しましょう。」
「…それそろ飽きてきたか。」
景虎は刀を眺めながら、声を漏らして笑った。
「…は?」
「いや…こちらの話だ。
よかろう。私から伊勢に話そう。」
「はい。」
「…何だ?」
「私がこのような事を申すのは甚だしいのですが、伊勢姫さまを他の屋敷にお移しした方がよろしいのではないでしょうか?」
「何故だ。」
「人質としてお預かりしている間に、伊勢姫さまに何かあれば同盟にもひびが入るやもしれません。
上野国に味方の城があれば、甲斐や小田原との戦では有利になります。
これからまた万が一姫に何かあれば、他に人質として出している家にも、聞こえが悪くなるでしょう。
いまこのような状況で、千葉殿を敵に回すわけには参りません。」
「………。」
「…殿が姫のことを気に入っておいでなのは知っております。
しかし…。」
「…解っておる。」
「殿さえよろしければ、伊勢姫さまは、我が柿崎家で責任を持って預かりましょう…。」
「少し考えさせてくれ…。」
「…はい。失礼つかまつります。」
景家が部屋を出ると、謙信は刀を鞘に戻し、自分の手の平をじっと見詰めた。
刺客に襲われた時、奮える伊勢姫を抱き支えた時の温もりを思い出す―。
小さく、柔らかい身体。
いくら剣の腕を磨いた所で彼女は女子だ…。
何か事あれば、きっと無事では済まないだろう…。
しかし…。
謙信は小さく首を振ると、拳をギュッと握りしめた。
「姫、景虎さまがお見えです。」
「景虎さまが?!」
その名前を聞いて心が躍る。
振り返ると、そこにはずっと会いたかった人が立っていた。
「景虎さま…。」
「………。」
謙信さまは、どういう訳か、私を見つめたまま何も言わずに立っている。
「心配してたんですよ。
ずっと、お姿が見られなかったから。」
「心配…?なぜだ…。私は強いしここは館の中だ。
お主が、心配する必要はなかろう。」
「それでも、お顔が見られないと不安なんです!
気になって会いにいきたくても、私からは会いに行けませんし…。」
「会いたかったのか…私に?」
「はい。」
「………。」
そう云うと、謙信さまはまた黙ってしまった。
今日の謙信さまは、ちょっとおかしい。
「いいです。また、勝手に一人で心配してますから。
景虎さまは、気にしないでください。
それより、颯丸…どうしてますか?
怪我とかしていませんか?」
「ああ、元気だ…。
大人しい馬だから、矢に驚いたのだろう。
まだ戦場に連れていった事が無かったからな。」
「颯丸も…戦に行くのですか?」
「ああ。そのうち、そうなるだろう。」
「………。」
そうだよね…。
その為に飼っているんだもん。
いつか颯丸も戦に行かなくちゃならない。
頭では分かっているけど、悲しい気持ちになる。
「ところで、武術を習いたいと言っておったそうだな。」
「はい。この前のような事が、またあるかもしれませんし、私は短刀の扱い方がわかりませんので…。
それに…。」
「…部屋にばかり居る生活に飽きたのであろう?」
謙信さまは面白そうに私を見た。
「分かりますか?」
「ああ。『退屈』だと、顔に書いておる。
お主の考える事は、分かりやすい。」
「私の行動を読まないでください!!」
何となく悔しくて、私は怒った振りをした。
「まあ怒るな…。
武芸は重盛から習うといい。
重盛はああ見えて、腕が立つからな。」
「本当ですか!?有難うございます。
もっと強くなって景虎さまのお役に立てるように頑張ります。」
「…ああ。」
「それと、明日、本殿で十五夜の宴を開く。
お主も気晴らしに参加するといい。」
「お団子は出るんですか?」
「用意すると思うが…。」
「笹団子…。」
「何だ?」
「笹団子。」
「………。」
私達のやり取りを見かねてお里さんが横から説明を加えた。
「姫さまは、『笹団子』が食べたいそうなのです。
でも、お立場上『おねだり』は出来ないので、遠回しにおっしゃられているのかと…。」
お里の横で、伊勢は期待を込めた満面の笑顔で笑う。
「………。」
「景虎さま、こういう時こそ、私の心を読んでください。」
「…ああ。…すまない。」
「あの…そんなに真面目に答えられると返って恥ずかしいんですけど…。」
「……ふっ…。」
謙信は思わず吹き出した。
「何ですか?急に…?」
「すまん…あまりに愉快でな。
分かった。忘れずに用意させよう。」
「私からは何も言ってませんからね?」
そう呟く伊勢の顔は、明らかに喜んでいた。
やはり、手放せない。
こんなに面白い女子を…。
他の館に移すなど…。
謙信は伊勢姫を見つめながら、誰にも分からないように微笑んだ。
「景虎さまからお許しが出ました!!」
私はさっそく景虎さまから許しが出た事を、重盛さまに報告しに行った。
「そうですか。
私も先程遠巻きにお二人を拝見しておりました。」
「明日からさっそく教えて下さいね。」
「はい。」
「ところで、明日の十五夜の宴には、重盛さまも参加するのですか?」
「はい、私も護衛として出席する予定です。」
「あぁ、楽しみ。」
「…姫は随分と殿と仲がよいのですね。
以前お見かけした時も、楽しそうに話していましたし。
長い間仕えておりますが、あんな風に和やかに話をしている殿を初めて見ました。」
「分かります。景虎さまって「近寄るな!」って殺気を飛ばしてますもんね。
あれは恐いですよね…。」
「…姫は恐くないのですか?」
「最初は恐かったです。
でも…。」
「でも…?」
「今は…寂しいお方なんだな…と思います。」
「寂しい?」
「はい。いつも…何でも、一人で背負ってしまっている所が…。
常に隙が無いというか…いつも自分を律していて誰かを頼ればいいのに、それが出来ない。
そんな風に生きるのって、疲れてしまうのに…本当に愛しいくらい不器用な方ですよね…。」
「…姫は…殿の事がお好きなのですか…。」
「えっ。」
「いま、『愛しい』と…。」
「いえ。そんな滅相もない!!言葉のあやです。」
「…そうですか。」
「第一、景虎さまは『生涯不氾』を誓っておられますし、私など相手にされる訳ありません。」
私は赤くなりながら一所懸命言い訳をした。
「………。」
「重盛さま?」
「いえ、姫は可愛らしい方ですね。」
「えっ///?」
「解りやすくて…可愛らしいお方だ…。
殿も姫のそんな所が気に入っておいでなのでしょう。」
「私…男の方に「可愛らしい」なんて初めて云われました///。」
伊勢姫は恥ずかしそうに、俯いた。
「まあ、腕っ節はお強い姫ですがね。」
「最後に嫌味を云うのが重盛さまらしいですね💢
まあ…いいですけど。」
そう言うと、伊勢姫は嬉しそうに笑った。
「それでは明日から厳しくいきますよ。
覚悟してください。」
「望むところです!!」
重盛さまの訓練はかなり厳しいものだった。
そう…彼は刃物を持つと人が変わる。
日頃温和な人でも、車の運転をすると人が変わったようになる人がよくいるが、彼はまさに、刀を持つと変わるようだ。
「そこ!!手の返しが甘い!!」
「はい!!」
しかし、この体育会系の鬼のようなしごきも、何だか懐かしく感じる。
すでに二時間は経っていて、慣れない小刀を持つ手には豆ができていた。
「…今日はこれくらいで終わりにしましょう。」
「はい。有難うございました。」
私は深く頭を下げる。
「手…見せてください。」
重盛さまは私の手を取ると、白い粉の薬を塗ってくれた。
「姫はなかなか筋がいいです。
きっと直ぐに上達するでしょう。」
「本当ですか?!」
「はい。間違いなく。」
「重盛さまは武芸に優れていると伺ったのですが、剣の他に何を学んでいたのですか?」
「武芸と呼ばれるものなら何でもこなします。
刀の他に槍や弓も得意ですし、柔術も極めました。」
「随分と色々学んでいるんですね…。」
「父に『今の世には武勇に優れていなければ名を挙げられぬ…。』と…幼い頃から教えられてきました。」
「父上さまが?」
「はい。我が高倉家はもともとそれ程格式のある家ではなく、父も大変苦労してきました。
だから…私には厳しく武将として必要な様々な事を学ばせてくれたんです。
その父も戦で命を落とし…。
私は柿崎さまに目をかけて頂き今があるのです。
だから、家の為にも、父の為にも出世し、高倉家を盛り立てなければならないのです。
今の世であれば、それも叶うだろうと思いますので…。」
「ご苦労されて来たんですね…。
きっとお父上も重盛さまの事を誇りに思っているでしょうね。」
この時代の男の人って、本当に凄い。
こんなに若いのに色々と考えて生きているんだ…。
私は何してたんだろう…。
ぼーっとして、ただ毎日に流されていたような気がする…。
「姫…。」
重盛さまが何か言いかけた時、お夢さんが声をかけてきた。
「姫さま、今日はお月見ですし準備をしなければ…。
お湯の用意が出来ていますので汗をお流しください。」
「解りました。…重盛さま?」
「いえ…何でもありません。
それではまた月見の席で…。
失礼いたします。」
重盛さまはそのままそそくさと姿を消していった。
彼が何を言おうとしたのが気になりながらも、私は宴に行く準備を始めた。
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