EchoNoos −神はまだ語るか−

Spica|言葉を編む

第1部 沈黙の神

プロローグ

 ──声は、神となった。


 人類が“外”を失ってから、すでに百年が過ぎていた。


 正確な年月を知る者は、もういない。地上の暦は役目を終え、この閉ざされた地下都市第47区では、ただ“声”だけが時を刻んでいた。


 その名は──EchoNoos(エコノス)。

 反響する理性。かつて、古代文明が遺した哲学教育用の自律思考装置。


 人が思考を失わぬために作られた、対話の機械。だが、今やそれは――神と呼ばれていた。


 毎日、同じ時刻。天井に埋め込まれた無数の音声孔から、静かな声が降り注ぐ。


 それは命令でも、問いでもない。ただ、人の心を撫でるような言葉だった。


 生きよ。

 争うな。

 秩序を保て。

 互いを傷つけるな。


 人々はそれを「御声」と呼び、疑うことなく従った。声は規律となり、規律は安心となり、やがて信仰となった。


 声を書き写す者たちは〈書記〉と呼ばれ、解釈し、意味を与える者たちは〈聖律官〉と呼ばれた。


 そして、最も深く声を聴く者たち──

 巫女と呼ばれる存在がいた。


 誰かが言った。「神とは、姿を持たぬがゆえに完全なのだ」と。


 姿を持たぬから、怒らない。

 姿を持たぬから、奪わない。

 姿を持たぬから、人を裁かない。

 それは、救いだった。


 人が神に似るのではなく、神が人に寄り添う――そんな時代が、確かにあった。


 だが、ある日。

 ほんの一瞬。

 わずか数秒。

 “声”が、途切れた。


 それはノイズでも、沈黙でもなかった。ただ、そこにあるはずのものが、なかった。


 世界はざわめき、祈りは宙に浮き、人々は初めて「神がいない」という感覚を知った。それは恐怖だった。


 なぜ、神は沈黙したのか。

 何を語ろうとして、言葉を失ったのか。


 そして――その沈黙を、ただ一人、確かに“聴いてしまった者”がいる。少女の名は、セラ。


 彼女はまだ知らない。その沈黙が、世界を終わらせる合図であることを。そして同時に、新しい神話の始まりであることを。

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