第4話:招かれざる客**

### **小説『夜の校舎で、あなたを待つ』


#### **第四話:招かれざる客**


なぎとの再会は、わたしの日常に静かだが確実な波紋を広げた。

学校の保護者会に顔を出せば、PTA役員の鈴木恵子さんあたりが中心になって、「佐藤さん、風見先生と同級生なんですって?」「昔から美人だったんでしょ?」と、好奇の目で探りを入れてくる。わたしは「ええ、まあ」と完璧な笑顔の仮面を貼り付け、当たり障りのない会話でやり過ごすしかなかった。

美咲は、そんなわたしたちのぎこちない関係に、まだ気づいていないようだった。ただ、「最近、ママと先生、なんか変」と、子供の直感で何かを感じ取ってはいるらしかった。


なぎとの関係は、奇妙なままだった。

業務連絡のメールを数回交わしただけ。会えば「佐藤さん」「先生」と呼び合い、20年後の他人として、完璧な距離感を保っていた。

あの進路指導室での再会以来、わたしたちの時間は止まったままだった。

謝りたい。でも、何を? どうやって?

20年前の罪は、あまりにも根が深くて、どこから手をつけていいのかわからなかった。


そんなある日、わたしのサロンに、招かれざる客がやってきた。

施術を終え、バックヤードで休憩していると、スタッフが少し困った顔で呼びに来た。

「オーナー、お客様が……佐藤さんをご指名なんですが」

予約リストに、その名前はない。

わたしが訝しげにフロアに出ると、そこにいたのは、上品なスーツを着こなした、見覚えのある女性だった。


「……こんにちは、優奈さん。突然ごめんなさいね」

そう言って、柔和に微笑んだのは、なぎのお母さん、風見志津子さんだった。



近くのホテルのラウンジ。

わたしたちは、テーブルを挟んで、ぎこちなく向かい合っていた。

志津子さんは、昔と変わらず、物腰の柔らかい、優しい人だった。でも、その笑顔の奥に、何か固い決意のようなものが滲んでいるのを、わたしは見逃さなかった。


「なぎから、聞きました。優奈さんの、娘さんの担任になったと」

「……はい」

「あの子、ずっと、あなたのことを気にしていたから……。再会できて、よかった」

その言葉が、本心なのか、それともただの社交辞令なのか、わたしには判断がつかなかった。


志津子さんは、カップの紅茶を一口飲むと、静かに続けた。

「あの子ね、一度、婚約までしたことがあったのよ」

「え……」

「でも、ダメになってしまった。……お父さん(泰三)が、反対したから」


彼女の言葉に、わたしは息を飲んだ。


「お父さんは、昔の人だから。なぎとあなたの間に流れた、根も葉もない噂を、ずっと信じ込んでいたの。『うちの娘に傷をつけた』って……。なぎが誰かと幸せになることを、心のどこかで許せなかったのかもしれないわね。……あの子を、自分の手元に縛り付けておきたかったのよ」


それは、わたしが想像していたよりも、ずっと重く、息苦しい2un年間の物語だった。

なぎは、わたしへの罪悪感だけでなく、父親の歪んだ愛情という名の呪いにも、ずっと苦しめられてきたのだ。

わたしは、この街から逃げた。

でも、なぎはずっと、その呪いが渦巻く家で、息を潜めるように生きてきたのだ。


「優奈さん」

志津子さんは、まっすぐにわたしを見た。

「あの子を、許してあげて、とは言わないわ。……でも、これ以上、あの子を苦しめないでちょうだい」

「……!」

「やっと、あの子は教師という仕事を見つけて、自分の足で立とうとしているの。あなたの出現は、あの子の心を、また掻き乱してしまうかもしれない。……母親として、それが怖いの」


それは、娘を想う母親の、切実な願いだった。

そして、わたしに対する、明確な「警告」でもあった。


「……わかっています」

わたしは、答えることしかできなかった。

「わたしも……風見先生とは、保護者と教師として、きちんと距離を保つつもりです」

嘘だった。

本当は、もっと話したい。謝りたい。あの頃みたいに、笑い合いたい。

でも、その願いは、あまりにも自分勝手で、なぎをさらに苦しめるだけなのかもしれない。


わたしは、強い女なんかじゃない。

大切な人一人、幸せにすることもできない。20年前も、今も。

わたしは、ただの臆病な逃亡者だ。


ラウンジを出て、初夏の眩しい日差しの中を歩きながら、わたしは唇を噛み締めた。

もう、なぎに関わってはいけない。

彼女の人生を、これ以上めちゃくちゃにしてはいけない。

わたしは、美咲の母親として、彼女の「保護者」という仮面を、完璧にかぶり続けなければならないのだ。

たとえ、心が張り裂けそうになっても。

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