ラスボスに転生したら、現代知識で美しくなりすぎてヒロインに間違われるんだが…
田中おーま
第1話 事故からの転生
(あ、落ちる……)
そう思ったときには、もう足が宙に浮いていた。
私、
今朝もコーヒーだけで出勤していたせいだろう。低血糖でふらついた私は、急ぎ足のサラリーマンの肩にぶつかり――そのまま、駅のホームに落ちていた。
ファンッ!
耳をつんざくような風切り音。見上げれば、急ブレーキをかけながら迫る急行電車の車体が、金属光沢をぎらりと光らせる。
(あ……もう、ダメかも……)
そのとき、視界の端にひらひらと桜の花びらが舞った。コンクリートの床が淡い桃色ににじみ、世界の輪郭がぼやけていく。
誰かの声が、耳の奥に落ちてきた。
――美桜。
――我が名と同じ名を持つ者。
――頼む……私を、咲き誇らせてくれないか。
その声とともに、光が胸に流れ込む。次の瞬間、世界は真白に弾けた。
◇
――やわらかな朝の光が、瞼を透けて差し込んでくる。
目を開けると、白木の天井が見えた。見慣れない彫り模様の梁、薄く香る畳の匂い。
(……あれ? 私……たしか、電車のホームで……)
ゆっくりと起き上がると、長い髪がさらりと肩に流れ落ちた。 淡い――桜色の髪。
(……え……?)
呆然と指先ですくい上げた髪は、陽の光に透けてきらりと輝く。見たこともない、けれどどこか懐かしい色。
襖の外から、やさしい声がした。
「……美桜様。お目覚めでしょうか」
控えめに開かれた襖の隙間から、年配の女中が顔をのぞかせた。丁寧に頭を下げ、静かに告げる。
「本日は剣術大会の日でございます。どうか、お支度を」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがはじけた。
――知っている。
ここは、『花の巫女と四つの刃』。 神に愛されし花の巫女・神崎桜子を主人公とし、彼女を守る四人の美丈夫が登場する、和風ファンタジーの乙女ゲームの世界。
そして、私――篠森美桜は、その物語で巫女に嫉妬し、妖怪に身を売り、世界を滅ぼそうとするラスボス。
人々からは、こう呼ばれていた。
無冠の女王――と。
全く同じ名前だから、ラスボスでもどこか親近感が湧いていた。まさか自分が転生するだなんて……。
(……どんな姿なんだろ、今の私)
恐る恐る鏡台に腰を下ろし、姿をのぞき込む。
映ったのは、焼けた小麦色の肌に、紫の瞳を覆うように落ちたぼさぼさの髪。しなやかな線に浮き上がる筋肉。握った手のひらは、分厚い皮と無数の豆でごつごつしていた。
(……う……なんか……私、ちょっと臭くない……?)
着物の袖をつまんでそっと鼻に近づける。 汗と鉄のようなにおいがふわりと立ちのぼった。
(こんな状態で外になんて出られない……!)
「あの……すみません。お風呂に入りたいのですが」
襖の向こうで、女中が一瞬言葉を詰まらせた。
「……本日は剣術大会で、そのようなお時間はないかと……」
困り顔が襖の隙間からちらりと見える。でも、私はこのままじゃ剣術大会どころか人前にも出られない。
「お風呂に入らないと、剣術大会には行きません」
一拍の沈黙のあと、女中は小さくため息をついた。
「……承知いたしました。少々お待ちを……」
女中に案内されて、屋敷の奥の湯殿へと向かう。
渡り廊下の先には、白い湯気がもくもくと立ちのぼる木造の建物があった。扉を開けると、ふわりと檜と薬草の香りが鼻をくすぐる。
(……思ったより本格的……!)
湯気にけぶる脱衣所には、木桶や手拭いが丁寧に並べられていた。女中が用意してくれた着替えと、香りの良い油の入った小瓶もある。
「ごゆるりと……。お背中をお流しいたしましょうか」
「あ、いえ、自分でやります!」
勢いよく断ってしまい、女中が目を瞬かせるが、そのまま出て行ってしまった。 桶で体に湯をかけると、汗と土のにおいがふわりと立つ。
(うわ、やっぱり汗くさい……!角質とか絶対たまってる……)
香油を手にとり、こめかみをぐるぐるとマッサージしてみる。ほんのりと甘い花のような香りが広がって、心が少し落ち着いた。
(スチーマーもクレンジングもないけど……ま、ないならないなりにやるしかないか)
檜の湯に身を沈めると、じわじわと熱が体に染み込んでいく。さっきまで張り詰めていた気持ちが、少しずつほぐれていった。
ふと、転生前のことを思い出す。
(……あれ、絶対死んでるよな)
あのとき目の前に迫ってきた電車の車体を思い浮かべると、ぞくりと背筋が震えた。なぜあそこまで痩せようと思い詰めていたのか――今となっては不思議だ。命ほど大事なものなんて、他にないのに。
ゆるりと腕を持ち上げ、湯に沈む身体を眺める。長い手足、余分な肉など一切ない引き締まった筋肉質の体。けれど、ところどころに紫色のあざや浅い切り傷が残っている。
日焼けしていない箇所は、真珠のように白い肌だった。きっと、ちゃんと日焼け対策をすれば、この肌はもっと白く美しくなる。
(……こんな素敵な身体なんだ。……ちょっと嬉しいかも)
小さく笑って、湯に肩まで沈む。
きっと――この身体の持ち主が、私を呼んだのだろう。電車にひかれる直前に耳の奥で聞いた声を思い出す。今、自分の口から出る声と、よく似ていた気がした。
(……第二の人生、一緒に楽しもうね。美桜ちゃん)
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