EP-003 正体不明

SCP-xxxx【“さらちゃん“と“はるくん“の日常】Object Class:Archon


特別収容プロトコル:


現在、SCP-xxxxは文字情報として記録されており、その性質上管理を必要としません。

財団の使命である確保、収容、保護にまつわる如何なる行動もSCP-xxxxに対して行われる事はなく、またその必要もありません。



本オブジェクトにおける特別収容プロトコルの詳細については“001”を参照してください。



説明:

SCP-xxxxは、本報告書における“補遺”です。

“さらちゃん”と“はるくん”については“001”を参照してください。


“補遺03”は、“さらちゃん”と“はるくん”の対話の内容を記しています。

対話中、SCP-055について言及されますが、実際のSCP-055との関連性は不明です。

また、この報告書を参照する財団職員は事前に“SCP-055【正体不明】“を参照しておくことが推奨されます。


━━━━━━━━━━━━━━━


・補遺03


「苦しくて、怯えてたんだあ」


怖かった、と物憂げに呟く。


「呼吸が浅くなって、心臓の音が大きくなって、それ以外は何も聞こえなくて」


目を伏せ、静かに顎肘をつく。


「その原因が確かに目の前にあるのに、うまく掴みきれない」


悪夢。


「目を凝らしても、何もわからないんだ……」


こんな夢、私、本当に見たのかな。

ぽそりと呟く。

窓の外に視線を移す。

鮮やかな緑が初夏の陽光に揺れる。

花壇は色めき、病衣姿の子供が走る。

すぐ向こうには住宅地。

凹凸の激しいビル達がそれを見下ろしている。


「変な夢だよね」


君の瞳には、一体何が映っているんだろう。


「ね、はるくん、なんだと思う?」


「……ゆめ?」


普段働くことの無い声帯を無理やりこじ開ける。

僕はコミュ障だ。

だけど、さらちゃんとなら少しだけ話ができる。


「ううん、あそこの、ほら、よく分からないやつ」


「……」


目を凝らす。

“よく分からない”ものを探す。

視界に不自然に入り込む何か。

……あった。

謎のオブジェ。

棟の屋上に接続されている。

ビルの隙間に両端が隠れ、全体像は把握できない。

上下が連続した流線形で構成される造形。

存在の意味を見いだせない無機質さが、まるで“悪意”を象徴しているよう。

……心が乱れる。

文字やロゴ等は書かれていない。

色は……黄色にも見えるし、白にも見える。


「看板……じゃないよね」


ゆっくりと頷く。

……一体なんだろう。

所謂浅草の「金の排泄物」オブジェに雰囲気が似ている。

あれは確か、本当は聖火台の炎を表していたんだっけ……。


「そういえばはるくん」


さらちゃんが顔を上げる。


「実は君に、見せたいものがあるんだあ」


見せたいもの。

なんだろう。


「ちょっと待っててね」


立ち上がり、遠ざかる。

おじいさんに挨拶している。

小さな子供が手を振って、振り返す。

看護師のお姉さんが笑う。

遠くでは誰かが、「災害」や「避難」、「異常気象」がなんだと話し込んでいる。

外の世界にいる彼らは、どうして不安になるような話ばかりするのだろう。

僕はこのベッドから離れられない。

けど、さらちゃんはそんな僕を鮮やかに“外”へと連れ出してくれる。

さらちゃんはかわいい。

透き通る瞳。

朝露に濡れた唇。

笑った顔はお日様のよう。

シルクの黒髪。

芍薬みたいな華奢な輪郭。

膨らみがはっきりわかる……大きな胸。


「……」


首元から耳の先まで高熱が伝わる。

ジンジンする指先で布団を掴む。

頭までくるまった。


「はるくん、ただいまあ」


ギリギリのタイミング。

ざわりとした鼓動が、血管を巡る。


「あれ、はるくんどうしたの?」


「……」


深呼吸。

布団の中の熱気が高まる。


「はーるーくん」


「……」


雑念を振り払う。

僕はいつだって冷静だったはずだ。


「せっかくプレゼントもって来たのに」


「……」


「いいや、他の人にあげよっと」


バッ!と布団を捲る。

びっくりして固まるさらちゃん。

目と目が重なる。


「……あっ」


喉元から声が漏れた。

罪悪感のような何かが、喉の奥で詰まる。

失敗した。

……かもしれない。

思考がぐちゃぐちゃに巡る。

さらちゃんが僕を見つめる。

彼女の肩が震える。

何かを飲み込む口元。

たまらず吹きだす。


「あははっ」


お腹を抱えるさらちゃん。

引いてきていた体温が再燃する。

少しの安堵。

ねばっとしたものが身体から抜ける。

恥ずかしい。

でも……不思議と悪くなかった。


■■■■■■


「どうぞ」


差し出された何かを受け取る。

手のひらに硬い感触。

青い、クリップ型の髪留めだ。

「ほらここ」と、さらちゃんがコメカミを指さす。

同じ形をした緑のヘアクリップ。


「お揃っちだね」


えへへと舌を出す。

パッチリと片目を閉じる。


「ぼっ、僕……おとこ」


「大丈夫だよ、胸ポケットに刺してみて」


「……」


言われるがまま病衣にパチンと留める。


「よし、一流ビジネスマンの誕生だ」


ビジネスマンかあ。

ドラマや映画に出てくるスーツ姿の人達を思い出す。

確かに、胸ポケットにこんな感じのものを付けていた気がする。

さらちゃんが微笑む。

立ち上がり、胸を張る。


「ある時は儚き旋律の奏者」


謳うようにポーズを決める。

何か始まったようだ。


「またある時は現代を生きる鋼の戦士」


目を瞑り、次々とポーズをとる。


「闇より出でて闇を裂く!その人物こそが、そう……!」


謎の迫力。

演舞がクライマックスを迎える。

生唾が喉を通る。


「正体不明の大怪盗、その名もはるくん!」


「……」


すごい。

さらちゃんって、なんだかすごい。


「なんちゃって」


ぺろりと舌出す。

今度は僕が吹き出す番だった。

正体不明不明の大怪盗かあ。

……なんとなく誇らしい。


「あはは、変な感じで面白いね」


ほんとだね。

目立つぐらい明確に存在するのに、誰も正体を知らないという、“大怪盗”について回る謎の情報圧。

矛盾が面白──


「……」


僕の脳裏に何かが過ぎる。

……変な夢、不明瞭な情報、正体不明。

カテゴライズされた“タグ”を組み合わせることで浮かび上がる、ひとつの“アノマリー”

僕は、このSCPを、知ってる。


そうだ、これは。


「SCP-055」


「……あ、SCPの話だ!」


やった、と喜ぶさらちゃん。

僕は、さらちゃんとSCPの話をする時だけは、饒舌になれる。


「今日のはるくんはどんな覚醒を見せてくれるのかな?」


視界が鮮明になる。

喉と顎の筋繊維が流れるように動く。

脳内物質が溢れていくのがわかる。

覚醒。

確かにそうかもしれない。


「“夢”のこと、覚えてる?」


「え、夢?」


「変な夢の話」


「変な夢……あ!さっきの!」


ポンと、手を叩く。


「忘れてたよ」


えへへ、と赤面する。


「夢の内容は、楽しくなかったんだよね?」


「……うん、楽しくはなかった」


反転。

少しこわばる表情。

思い出すように視線が彷徨う。


「夢に登場したのは、概念的なものじゃないよね」


「えっと……うん。多分概念的なものじゃなかったよ」


「それは生き物ではない?」


「え、わかんない……」


生き物だ。

僕は確信する。


「普通ではなかった?」


「……普通、ではなかったな」


「ひとつではない?」


「……ひとつではなかったよ」


普通ではない生き物が複数。

苦しくて、怯える状況。

情報のピースが組み上がっていく。


「“それ”は静止していなかった」


「うん、静止していなかったよ」


「さらちゃんも静止していなかった」


「そうだね、私も静止してなかった」


「それは……人型じゃなかった」


さらちゃんが大きく頷く。


「人型じゃなかったよ」


暗中模索からの解放。


「まとめるよ」


さらちゃんの表情がピクリと動く。


「さらちゃんの見たものは、『複数の異形の何か』に追いかけられる夢だ」


「……」


「当たった?」


「……すごいね。うん、当たってると思う」


■■■■■■


「SCP-055【正体不明】」


「正体不明……報告書なのに?」


「存在していることはわかるのに、だれもその存在を認識できない……という異常性なんだ」


「……え、それって……どういうことだろ!」


彼女の好奇心伝わってくる。


「オブジェクトクラスはketer」


「けてる……確か、収容できなくて危ないやつ!」


そうだね。

正確には、収容におけるコストが現実的ではない。

あるいは、収容を不可能とする危険なオブジェクト。


「このオブジェクトは、認識災害によって、その詳細を“何だかよくわからなくさせてしまう“」


「に、認識災害?」


ぽこぽこと疑問符が浮かぶ。


「3色信号の色、言ってみて」


「えっと、赤、黄色、青だよ」


「よく考えて。赤、黄色、緑が正しくない?」


「うわっ、ほんどだ、気付かなかった」


さらちゃんが驚いたように目を瞬かせる。


「これは、信号機において、『 青』が『 緑』を含むという“ミーム”のせいで、正常な認識が出来なかった結果なんだ」


うん、うん。

頷く彼女。


「認識災害は、この“誤認”を強制的に作り出す」


「ということは……SCP-055は、“何だからよくわからない”を強制してる?」


僕は頷く。

“わからない”ことすら数分で忘れてしまう。

このオブジェクトは、特殊な“反ミーム性”をもっている。

では、SCP財団はどうやってその存在を認識しているのか。


「それが、否定による証明なんだ」


「……否定による……じゃあ、さっき私達がした事って」


そう。

だからこそ、もしかしたらって思う。


「さらちゃんはSCP-055の断片に触れたんじゃないかな」


「触れたって……SCPは創作物だよ?」


動揺。

少しの焦燥感。


「関係ないんだよ、さらちゃん」


「か、関係ないって……」


もじもじと両手を合わせる。


「この世界は多層のレイヤーに組み込まれている」


SCP財団の作品群は、いわば下層。

僕達の認知できない上層もまた、存在するんだ。


「そして、SCPオブジェクトの異常性は、その階層を度々曖昧にする」


空気がピンと張り詰める。


「……私、なんだか怖くなってきたよ」


同感だ。


肩から力が抜ける。

語り終えてしまった。


「は、はるくん……?」


喉の筋肉が急激に硬直する。

代わりに笑みを送った。

目を白黒させる。

何かを考えるような仕草。

理解した、といわんばかりに肩を下げる。

僕は掛け布団で口元を隠した。


「もう、ほんと怖かったよ〜」


唇を窄めるさらちゃん。

さらちゃんには笑っていて欲しいのに。

僕はコミュ障だ。

だけど、君となら少し話せるようになったんだ。


「だ、だいかいとう」


胸元の髪留めに手をかざす。

さらちゃんが少し驚く。

瞳を伏せ……。

静かな笑顔。

どこか人間離れした美しさ。


「そうだね、心奪われちゃってたよ」


窓の外は夕刻。

茜差す世界に、太陽が溶けていく。

不意に光る“謎のオブジェ”。

……そういえば。

さらちゃんはいつから緑の髪留めをしていたんだろう。

少なくとも、彼女と最初に出会った時は身につけていなかったと思う。


そうだ。

この世界には正体不明が溢れている。

僕は、僕の心がわからない。

今日の晩御飯だってわからない。

さらちゃんの苗字すら、僕には……。


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20■■年■■月02日

この報告書を参照したとみられる職員の一部に、突発的な認知機能障害が生じている事が発覚しました。

当該職員は、時間、場所、物、人についての認知が著しく困難であることが判明しています。


20■■年■■月23日

サイト-866内の全職員において、認知症スケール(HDS-R)を用いた認知機能テストを実施しました。

これはサイト-866において毎年同時期に実施されます。

また、本テストは20■■年■■月に追加実施されたものであることに留意が必要です。

以下は、その結果を踏まえた評価の一部を抜粋したものです。


「前回と比べ、全体的な認知レベルの低下が見られます。

全体の半数のスコアでは特別な変化はありませんが、一方で半数の職員には5~10のスコア低下が見られ、一部職員においては15~20のスコア低下が見られます。

一部の当該職員は重度認知症患者と同等の認知レベルであり、これは非常に顕著な変化といえます。

前回テストの平均的なスコアが26/30であり、20を下回るスコアがみられなかったことを踏まえると、異常といえる結果です。

また、この状況を鑑みるに、現在高スコアの職員にもこの“異常因子”が潜伏している可能性があります。

サイト-866はこの結果を重く受け止め、速やかにその原因を明らかにする必要があります。」


20■■年■■月■■日

サイト-866内において、職員による暴行事件が発生しました。

これにより、研究室内の複数の機材が破損。

数名の職員が全治1ヶ月程度の怪我を負いました。

犯人である職員は自身を“我々”と呼び、意味不明な主張を繰り返していたことが複数の目撃者の証言によりわかっています。

被害状況を鑑み、服務規程違反による彼への終了を実施する事で事件は収束しました。

この件において、彼が優秀な研究者であり、多数のアノマリーを収容に導いた実績があったことは非常に問題です。

これ以上財団への損失を生まない為に、サイト-866は職員へのガイドラインを強化し、職責に対する教育を徹底する必要があります。

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