EP-002 ペスト医師

SCP-xxxx【“さらちゃん“と“はるくん“の日常】Object Class:Archon


補足:


③オブジェクトクラスについて。

20■■年11月25日

O-5評議会は本オブジェクトのクラス変更の要請に対して“Archon”が妥当と判断しました。

これは、本報告書によって非常に深刻な認識災害が引き起こされている証左であり、同時に本報告書の影響を受けない“我々”がアノマラスな存在として認識される可能性を示しています。

“我々”は、このオブジェクトをKeter相当のアノマリーとして認識し、慎重に行動することが求められます。

本オブジェクトの確保、収容、保護の為、“我々”は仲間を必要としています。


④本補足について。

本補足の存在は、このオブジェクトに対して直接的な関与が可能であることを示しています。

この事実がオブジェクトの異常性にどのような影響を与えるかは不明です。

また、本報告書の影響下にある職員が本補足を参照した場合、彼らの認識にどのような影響を及ぼすのかは調査中です。



特別収容プロトコル:

現在、SCP-xxxxは文字情報として記録されており、その性質上管理を必要としません。

財団の使命である確保、収容、保護にまつわる如何なる行動もSCP-xxxxに対して行われる事はなく、またその必要もありません。



本オブジェクトにおける特別収容プロトコルの詳細については“001”を参照してください。



説明:

SCP-xxxxは、本報告書における“補遺”です。

“さらちゃん”と“はるくん”については“001”を参照してください。


“補遺02”は、“さらちゃん”と“はるくん”の対話の内容を記しています。

SCP-049に類似する人型実体が登場しますが、実際のSCP-049との関連性は不明です。

また、この報告書を参照する財団職員は事前に“SCP-049【ペスト医師】“を参照しておくことが推奨されます。


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・補遺02


『私の治療はこの上なく効果的なのだよ』


銀の嘴が弧を描く。


『貴方に会うのは何度目かだが、今日も貴方の中に悪疫は見られない。実に素晴らしい。故に……』


医師が嗤う。


『貴方が致死性の病に犯されたとしても、それは問題ではない。真の悪疫とは、不可逆であり──』


その両腕をゆっくりと広げる。


『絶対的であり、恐怖の本質なのだよ。……思い出してみるがいい。貴方が、仲が良い友人から裏切られた、あの時のことを』


医師の言葉が、過去の記憶を無理やり呼び起こす。

同時に、何も無い空間に“スクリーン”が現れた。


僕にとって、彼は全てだった。

全ての体験を共有した、笑顔の記憶だ。

僕は、純粋で愚かだった。

そして、幸せだった。

スクリーンには、それらの様子が映し出されていき、暗転。

カッターナイフを握る彼と、恫喝されている僕が映る。

僕が困惑し、後ずさっている。

彼は、嗤っていた。


シーンが移る。

母親の財布から1万円札を抜き取る僕。


場面転換。

1万円札を彼に差し出す。

僕は恥辱に塗れて黙り込む。

彼が嗤う。


人を信じること。

それは罪だ。

彼は、僕の原罪を具現化したに過ぎない。

“スクリーン”が、まるで煙のように消えた。


ぐにゃり。

ペスト医師の冷たい嘴マスクが歪み、“彼”の顔に変化する。


君は僕を裏切った。

けれど、君は僕だった。

僕はただ、“審判”を受けたにすぎない。

そして、君という僕によって裁かれた。

そんなくだらない話だ。


『実に嘆かわしい。貴方はまだ真の理解には至っていない。その無知性は貴方にとっては残酷だが、救いでもある』


セラミック性の嘴が、僕の鼻先で揺れた。

ふと見ると、“彼”はペスト医師に戻っている。


……病室の外が少し騒がしい。

パタパタという足音。


「先生、佐藤さんのご家族がみえましたよ」


『ありがとうナースよ。私が直々に治療に向かおう。その間、君は黒胆汁の研究を存分に続けるといい』


おもむろに席を立つ医師。


『さて、私はこれから悪疫の治療に向かわねばならない。安心したまえ。死と絶望は、救済の光にもなりえるのだから』


一瞬鋭い視線を僕に送り、背を向ける。


『私の治療はこの上なく効果的なのだよ』


賛美歌を口ずさみながら遠ざかる医師。

僕はそれを、ただ眺める。


「……」


僕の中には何も無い。

まるで真っ暗な牢獄のだ。

呆然と虚空を見つめる。

SCP-049。

ペスト医師に治療された“化け物”を思い出す。

……彼らも、こんな気持ちだったのだろうか。


「はーるくん」


ペスト医師と入れ替わるように、さらちゃんが顔を覗かせる。


「遊びに来ちゃった」


えへへと舌を出したさらちゃんが病室に入ってくる。

さらちゃんの表情はよく動く。

笑ったと思えば、不思議そうな顔をして、ほら、また微笑む。


「先生とはどんな話してたの?」


僕はコミュ障だ。

でも、彼女とSCPの話をする時だけは、なぜか饒舌になってしまう。


「ペスト医師」


「え、ペスト医師?」


さらちゃんの声色が変わる。

表情から、逸る気持ちが伝わってくる。


「もしかしてSCP?」


黒いセミロングの髪が嫋やかに靡く。

小柄な身体が僕の方へと動移動する。

薄ピンク色の病衣が揺れる。

無邪気な子犬のような仕草。

清らかな笑み。

羨望の眼差し。

さらちゃんは、僕を見ていた。


「かわいい」


するりと言葉が漏れた。


「えっ?」


「……っ!?!?あっ!違っ……!」


息が止まる。


さらちゃんが首を傾げて僕を見ている。

心臓が制御できない。


「……!……!」


さらちゃんの不安そうな表情。

恥ずかしい。

僕はどうして、かわいい、なんて。

よりによって彼女に。

激しい後悔が僕の脳を揺らす。


「……わあああ!!!」


「うわぁ!?」


やぶれかぶれで叫ぶと同時にベッドから起き上がろうとして、バランスを崩す。

さらちゃんが駆け寄り、僕の身体を支えてくれる。


「はるくん大丈夫!?」


僕の肩に触れる、温かく柔らかい手。

さらちゃんの息遣いが、僕の首筋まで届く。

全然大丈夫じゃない。


「看護師さん呼ぶ?」


ゆっくりと首を振り、呼吸を落ち着かせる。

水を飲もうと床頭台に手を伸ばす。

……無い。


「はい、お水だよ」


「……」


さらちゃんがペットボトルを差し出してくる。

そのまま目が合った。

心臓はまだ落ち着かない。

じんわりした嫌な何かが、僕の手を止める。

未だ鐘をつく心臓にべったりと……。

僕は頭まで布団を被った。


「またそれかあ」


少し落胆したような声。


「まあでもさ、大丈夫そうで良かったよ」


「……」


病室内に沈黙が降りた。

遠くからナースコールのブザー音が聞こえてくる。

……そういえば、あったなそんなの。

一度も鳴らしてないから忘れていた。

隣の病室のラジオの音が薄らと聞こえてくる。

……またもや賛美歌、だろうか。

僕には、賛美歌の良さがあまりわからない。

もし僕に賛美する対象があったなら、少しは理解できたんだろうか。

布団の中は……少し蒸し暑い。


「……ペスト医師の話、聞きたかったのになあ」


「……」


布団から目元を出す。

何がおかしいのか、さらちゃんはニヤニヤと笑っている。


「落ち着いた?」


落ち着いてきたかもしれない。


「お水、飲んだ方が良いよ」


ペットボトルを受け取る。

胸がザワめくのはもう気にしないでおく。

冷水が、喉を通り、心臓を撫でる。

深呼吸して、口を開いた。


「SCP-049、ペスト医師」


さらちゃんが身体を揺らして反応した。

その表情がパッと、更に明るくなる。


「オブジェクトクラスはEuclid」


「えーっと、ゆーくりっどって……あの、なんか、中ぐらいのやつだよね!」


■■■■■■■


「このようにペスト医師は、医師として“病気“や“悪疫“に対する強い執着と、“感染“や“治療“についての強い信念がある」


うんうん。

さらちゃんが頷く。


「そのため、少しでも治療が必要だと認識すると、その対象を容赦なく“治療”してしまう。でも、このアノマリーが言う“病気”や“悪疫“の定義までは、この報告書に記されていないんだ」


「……ふうん」


会話が途切れる。

何か、窓の外の景色が一瞬だけ歪んだような気がした。

緑の木々の間に青白い光がかすかに揺れ動く。


……話し終えてしまった。

無力感が襲う。

無表情でどこかを見つめるさらちゃん。

どうして……そんな物憂げな表情を浮かべるのだろう。


「……ふ、ふまん?」


すでに硬くなってしまった喉元を必死でこじ開けた。


「え、そう見えた?別に不満って訳じゃないんだけどね」


えへへ、とさらちゃんが舌を出した。

安堵する。

口にできたのはたったの3文字だったけど、コミュ障なりの努力が、少し報われた気がした。


「……えっとね、ちょっと考えてたんだけど、その人に“治療行為”として殺されて化け物にされちゃった人達、本当に病気だった可能性って無いかなあ」


「……」


考えた事もなかった。

さらちゃんは「うーん、それとも……」と思案する。


「……あ!彼には周りの人の運命が見えていて、死期が近い状態を“悪疫”があるとみている、とか!」


うんうん、と笑顔で頷くさらちゃん。


「そういう人を一旦殺して化け物に変えることで、結果的に生き延びさせようとしている?」


さらちゃんが目を輝かせる。

「うん、面白いかも!」と、はしゃぐ。


僕は思考する。

あのペスト医師は、僕に対して“悪疫”は無いと言った。

しかし、僕はコミュ障だ。

人と話すと、胸が潰れそうになる。

それは、僕が咎人だからだ。

治療を受け、高次脳機能を失った化け物にも劣る。

確保、収容、保護がSCP財団の理念なら、その必要もないくらい罪深く、矮小だ。

だからこそ僕は、死ぬこともできない。


「……」


僕はまだ、1度だって死んでないんだ。


「ね、ね、どうかな、はるくん?」


まるで、夏休みの自由研究を親に見せる子供のよう。

……さらちゃんは、かわいい。


「おっ……面白、いと、思う」


変質した。

その瞬間に、何もかも。

赤黒く脈打つ何かが病室を覆っている。

さらちゃんのいた場所にはブヨブヨした肉の塊があった。

もぞもぞと不快に動いている。

どこか腐臭を漂よわせるそれは、“クトゥルフ神話”を彷彿とさせるような、酷く冒涜的な見た目をしていて……。



『これが貴方の罪であり、“悪疫”だと主張するとは』


当たり前のように現れたペスト医師が、さらちゃんだった“何か”を撫でる。


『やはり、貴方は私の“治療”を真に理解していないようだ』


ずるり。

肉が崩れ落ちる。

ペスト医師は、構うこと無く撫で続ける。


『貴方は、真実に目覚めていない平凡な医師を私に重ねる事で逃避行動とした』


腐臭が脳に絡みつく。

指先に冷たさが広がる感覚。

ぐにゃ、ぐにょ。

耳障りな音。

三半規管が、鼓膜から入ったそれに拒否反応を示す。


『これは、人間の防衛本能としては正常だともいえる』


撫で回した事でできた凹凸の隙間から、さらちゃんの髪留めが覗く。

僕は戦慄した。


『しかし──貴方自身の生んだ“ペスト医師“なる存在が貴方のもとへ何度も足を運んだにも関わらず』


ブヨブヨ。

蠢く。


『何もせず、何も学ばなかった』


その髪留めを中心に肉塊がうねる。

脈動が、“さらちゃん“の顔を形作る。


『あまつさえ、我が治療効果によって生み出された栄光の結果を引き合いに出し』


ボコン。

そのすぐ隣に新たな“肉”の柱が生まれる。

うねる。

“僕”に変わる。


『貴方自身の矮小さと比較するとは……』


いつの間にか、目の前の“僕”には両腕が形成されていた。

その手に握られているのは、いつか見たカッターナイフ。

“僕”はそれを振り上げ……下ろす。

滅多刺しにする。

髪留めが床に転がり落ちる。

肉を削ぐ音が、不吉に塗れた病室に木霊する。


『……私のプライドを踏みにじるに等しい』


ペスト医師がふと“僕”に目を向けた。


『おっと、これは大変だ。彼には悪疫がある』


肉を削り続ける“それ”は、ペスト医師が手を伸ばすと同時に弾け飛んだ。

びちゃびちゃと肉片が僕の身体に飛び散る。


『彼女の方は……活動を停止しているね。少なくとも悪疫は見られないか』


カッターナイフが、髪留めの隣に転がる。


『ところで、貴方に悪疫があるのかどうか、少し調べてみようか』


ペスト医師が僕に向かって手を伸ばした。

あまりにも自然な動作に、抵抗することも忘れ……。


目を開ける。

そこは元通りの病室だった。

さらちゃんがいる。

僕を見つめている。

病室の外からは、ナースカートが移動する音や、複数の足音、話し声。

カチ、カチ、と秒針が時を刻む。

雲の割れ目をぬい、暖かい陽の光が窓から差し込む。

さらちゃんのセミロングの黒髪に、鮮やかな“天使の輪“が作られる。

吐き気を催す何かが、網膜の残像として残る中。

彼女が微笑む。

僕も、自然と笑みがこぼれた。

さらちゃんが僕に近づいてくる。

彼女は、何かを言おうと口を開き、


『少しは理解できたかね』


ペスト医師の声で喋りだす。

ぐにょり。

存在しないはずの音。

脳裏に蘇る赤と黒。

さらちゃんの瞳に光はなく、表情筋は機能を失っている。

微笑んでいたはずの彼女の表情には、悲しくなるくらいの“無”が湛えていて……。

強烈な不安が心臓まで達し、恐怖に変わる。


『貴方は、世界を直視していないのだよ』


ドクンと身体が脈打つ。


僕は……いつだって冷静に“世界”を見てきたはずだ。


絶望的な何かが背中を叩く。

思考がうまく働かない。


『先程の情景は白昼夢などではない、真実だ。それが認められない貴方の愚かな思考回路は──』


体の芯が、ザワりとした不快感に握り潰されるのがわかる。


『この世界にとって、不必要だといえる』


何も考えられない。


『私の治療はこの上なく効果的であるが……』


嗚咽を抑えることができない。


『悪疫を持たない貴方に治療は必要ない。これは喜ばしいことだ。そして……』


耳を塞ぎたい。

一刻も早くこの場から逃れたい。


『健康な忌み子たる少年よ。自らの手で速やかにその生を終了させるのことが、この世界の秩序における君への救済と考えるのだが……どうかな?』


呼吸が乱れる。


「どうかな、はるくん?」


さらちゃんの声だ。


「さら……ちゃん?」


「あ……えっと……や、やっぱり“ペスト医師が運命が見える”なんておかしいよね!そんな異常性が備わってるなら、そもそも報告書に書かれてるだろうし!……あはは、変な事言ってごめんね!」


僕は、さらちゃんの頬に手を伸ばした。


「えっ、は……はる、くん……?」


さらちゃんが狼狽える。

構わず、触れる。

さらちゃんの感触が、指先に伝わる。

肉の塊なんかじゃない。


「さらちゃん」


目から涙が零れる。

溢れる。


「……も、もしかして私の天才的発想に感動しちゃったのかな?……な、なんちゃって!」


新緑に光が差し込むように、髪留めがその存在を主張する。

さらちゃんの悪戯な笑顔が跳ねる。


「えっと……、はるくん、大丈夫?」


全然大丈夫じゃない。

だけど、ありがとう、大丈夫だよ。

僕は涙を拭う。

拭ったそばから涙が溢れる。

拭う。

溢れる。

ぐにょり。

ねばついた体液が病衣に付着する。

こんなに泣いたのは、小学生以来だ。


━━━━━━━━━━━━━━━


20■■年■■月31日

サイト-19の研究セクター-02において、SCP-049の収容違反が発生しました。

目撃した職員の聞き取り調査から、およそ周囲5m範囲の職員を前触れなく殺害した後消失したことがわかっています。

セル内の監視カメラの映像データを確認したところ、収容違反の前後約5時間に渡り、視界の殆どを赤黒い物体が遮っている事が確認できます。

この為、本収容違反の原因を究明すことは困難です。


20■■年■■月01日

サイト-19内のSCP-049が収容されていた人型生物収容セル内にて、SCP-049のものと思われる書き置きが、セクター巡視中の職員により発見されました。

使用されたメモ用紙に記された言語は日本語であり、内容は「旅行に行ってくるよ」の1文のみ。

本来SCP-049が筆記する言語は未知のものです。

その為、何らかの外的要因によってSCP-049の性質の一部が変化した可能性があります。


20■■年■■月■■日

現在において、SCP-049の捜索は続けられています。

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