SCENE#64 親愛なる友へ…
魚住 陸
親愛なる友へ…
第一章 告白:歪んだ友情の始まり
親愛なる友へ…
君がこの手紙を読んでいる頃、僕はもう遠い場所にいるだろう…いや、正確には「遠い場所へ行ったことにしたい…」というべきか。僕の人生は、君と出会う前は平凡だったよ。大学のカフェテリアで、僕はただ静かに本を読んでいた。将来は小さな出版社で働く、そんなささやかな夢を抱いていたんだ。
あの日のこと、覚えているかい?君の誕生日だった。僕らはいつもの居酒屋「灯火(ともしび)」で馬鹿騒ぎをして、ベロベロに酔っぱらっていた。あの、いつも座っていた窓際の席。日付が変わる頃、君は突然、僕の耳元で囁いたよな。
「なあ、実は俺、人を殺しちまったんだ…」
僕はジョークだと思ったよ。君がそんなことをするはずがない。いや、そう思いたかった。でも、君の目は真剣で、震える声には恐怖と後悔が滲んでいた。僕が何か言葉を発するよりも早く、君は畳み掛けるように続けた。
「偶然だったんだ。事故だった。でも、俺は逃げた。こんなこと誰にも言えない。お前だけだ、話せるのは…」
僕は息を飲んだ。酔いが一瞬で覚めた。君が信じられないほどの重荷を背負っていることを、その時初めて知ったんだ。僕にできることは何か?親友として、君をどう支えるべきか?僕の頭の中は、真っ白なまま、疑問符だけが渦巻いていた。
その夜、君は初めて、昔、学校でいじめられていた頃の、まるで世界から切り離されたような孤独を打ち明けたよな。あの日々、君は誰にも助けを求められず、独りで耐えていたと。だから僕は、君を独りにしたくなかったんだ。その孤独に、僕が寄り添うべきだと思ったんだ…
第二章 共犯者:深まる闇
あの夜から、僕らの関係は音もなく、確実に変容していった。君はいつも僕と一緒にいるようになったよな。常に僕の顔色を伺い、何かを恐れているようだったよ。僕もまた、君の秘密を共有する共犯者としての意識に苛まれていたんだ。
ある日、君は震える手で一枚の新聞記事を僕に見せた。そこには、数日前に起きたひき逃げ事故の被害者の顔写真と、警察が捜査を進めているという短い記事が載っていた。君の告白と、記事の内容が完全に一致した。僕はその場で吐きそうになった。それと同時に、君を庇おうとする自分に驚いたんだ…
「どうしよう、捕まるかもしれない…」
君は青ざめた顔で僕に尋ねた。
「大丈夫だ、証拠なんかないよ。俺が何とかする…」
僕は咄嗟にそう答えていたんだ。
その瞬間から、僕は君の秘密を守るため、いや、僕自身の平穏を守るために、様々なことに加担していくことになった。僕らは真夜中に君の車を人里離れた場所に運び、血痕を徹底的に拭き取った。特に、ライトカバーに付着した微細な破片を見つけ出し、土の中に埋める作業は、吐き気を催すほどだった。警察が現場検証を行ったと新聞で報じられるたびに、僕らの胸は締め付けられた。
連日、君の家の周りを不審な車両がうろつき、僕のマンションの前にも見慣れない顔が現れた。刑事だろうか?彼らの視線を感じるたび、僕は君に「冷静になれ!」と声をかけ、僕らは二人で、まるでパズルを解くように、完全犯罪のシナリオを練り上げていった。そこには、親友を救いたいという純粋な気持ちと、同時に自分の人生が巻き込まれることへの恐怖が入り混じっていたんだ…
第三章 歪んだ絆:狂気の芽生え
僕らが作り上げたアリバイは完璧だった。警察の捜査は行き詰まり、事件は迷宮入りとなった。近所のコンビニでコーヒーを買った帰り、警察車両が君の家の前をゆっくりと通り過ぎるのを見た時には、心臓が止まるかと思ったよ。僕らは安堵し、抱き合って喜んだ。その時、僕は初めて、君が僕の人生において、もはや切り離せない存在になってしまったことを悟ったんだ。僕らの間に生まれたのは、歪んだ、しかし強固な絆だった。
しかし、平穏は長くは続かなかったね。君は悪夢にうなされるようになり、昼間でも突然泣き出すことが増えた。僕は君を慰め、寄り添った。しかし、君の精神は蝕まれていく一方だった。そして、君は僕に、想像を絶する願いを口にしたんだ。
「もう一人、殺さなければいけない…」
僕は耳を疑った。君は怯えながら、しかし、はっきりとそう言った。
「あの時、俺を見ていた奴がいたんだ。あいつは俺を、まるで虫けらを見るような目で見ていた。目撃者がいるんだ。そいつを消さないと、俺たちは終わりだ…」
君の目には、狂気が宿っていた。僕は一瞬、君を突き放そうと思ったんだ。僕の良心は警鐘を鳴らしていた。しかし、僕の心はすでに、あの最初の事件から毒されていたんだ。あの時、君を守ることができたのだから、今回もできるはずだ、と。それに、君の孤独を知る僕は、この手を離すことができなかった。そんな自己欺瞞に囚われた時、僕は再び、君の願いを聞き入れてしまっていたんだ…
第四章 新たな犠牲:堕ちていく魂
新しい標的は、ごく普通の女性だった。君が言うには、偶然その場に居合わせた通行人で、君の顔をしっかりと見たという。僕は君の指示に従い、彼女の行動パターンを調べ、彼女の自宅を特定した。日中に彼女の家の周りをうろつくたびに、近所の目が気になった。まるで自分自身が犯罪者になったような、言いようのない罪悪感が全身を蝕んでいったんだ。
そして、その夜が来た。僕らはひっそりと彼女の自宅に忍び込んだ。心臓の音があまりにもうるさくて、まるで爆弾が胸に仕掛けられているようだった。君は躊躇なく、その女性に襲いかかった。僕はその光景を、ただ呆然と見ていることしかできなかった。手足は鉛のように重く、声も出なかった。殺人に加担したという現実が、僕の精神を確実に破壊していった。
任務を終え、僕らは闇の中に消えた。僕は何も感じなかったんだ。恐怖も、後悔も、罪悪感さえも。ただ、全てが終わったという虚無感だけが残った。
「ありがとう。お前がいなかったら、俺は駄目だった。これでやっと、心が落ち着くよ…」
君は僕に、そう囁いたね。その言葉は、僕の魂を深く抉った。確かに君は救われたのかもしれないが、僕はもう、あの日の僕ではなかった。居酒屋「灯火」で笑い合った、あの頃の僕はもういないんだ…
しかし、その「ありがとう」が、僕をさらなる深淵へと突き落とすことになるとは、その時の僕は知る由もなかったんだ。
第五章 親愛なる友へ:最後の選択
親愛なる友へ…
君は今、どこにいるだろうか?僕がこの手紙を書き終える頃には、君はもう、僕が知る君ではなくなっているだろうな。
あの夜以来、君は人が変わったように残忍になっていったね。僕の指示に従うのは当然のこと、とばかりに、次々と新たな「標的」を見つけてくるようになったね。
「こいつ、俺の邪魔なんだよ。排除すべきだと思わないか!」
「あいつは許せない。社会のゴミだ!」
そんな言葉を平気で口にし、些細なことで逆恨みし、自分に不利益をもたらす者は全て消し去るべきだと、本気で信じるようになっていったね。警察が再び動き出したという噂が聞こえてきたが、君は全く動じなかった。むしろ、楽しんでいるようにすら見えた。まるで、最初の事故で踏み越えた一線が、君を解放したかのように。
僕はもう、君を止めることはできないよ。いや、止める気力すらもう、失ってしまった。君の目の奥に宿る狂気は、僕が知っていた優しい君の面影を完全に消し去ってしまったから。君を助けたいと願った僕の願いは、いつの間にか君の狂気を加速させる道具になっていたんだ。かつて夢見ていた出版社で、好きな本に囲まれて暮らす未来は、もう僕にはやって来ないんだ…
だから、僕は決めたよ。僕が、君の狂気を終わらせなきゃ。僕が、君の最後の「標的」になるよ。これ以上、君に手を汚させたくないんだ。そして、これ以上、僕自身を汚したくないんだよ。
君がこの手紙を読んでいる時、僕はきっと、君が僕にくれたあのナイフで、自らの命を絶っているだろう。あの時、君が「護身用だ」と言ってくれた、あの銀色のナイフのことだよ。そうすれば、警察は僕の死を不審に思い、捜査を始めるだろう。そして、僕の部屋に残されたこの手紙が、君の所業を暴くきっかけとなるはずだから。
僕が死ねば、君は逮捕されるだろう。君の罪は全て、白日の下に晒されるだろう。でも、それは君が蒔いた種だ。そして、僕もまた、その種を育ててしまった共犯者だ。
親愛なる友へ…
君との出会いは、僕の人生を狂わせた。君を守りたいと願った僕の愛は、いつしか毒となった。でも、後悔はしていないんだ。君は僕にとって、かけがえのない親友だったから。この歪んだ絆を断ち切るには、これしかなかったんだ…
どうか、安らかに。君も、そして僕も…
君の永遠の友より…
そして、数日後。
薄暗い取調室で、男は机に置かれた手紙を読んでいた。その男の顔に、表情は一切ない。刑事たちは、男の顔に浮かぶ、僅かな微笑みを見逃さなかった。それは、悲しみでもなく、後悔でもなく、ただ静かで、底知れない、そしてどこか満足げな笑みだった。
「あの手紙は、彼が君宛てに書いたものだ。これで全てが明るみに出た…」
男はゆっくりと顔を上げた。その瞳には、かつての親友が宿していたような、恐怖や後悔の色は微塵もなかった。
「そうか…あいつ、結局俺を裏切ったんだ。でも、それは仕方のないことだ。アイツも、もう終わりにしてほしかったんだ…」
刑事たちは、男の言葉に背筋が凍りつくのを感じた。男の目には、狂気の完成形が宿っていた。それは、もはや誰にも止められない、絶対的な闇だった…
SCENE#64 親愛なる友へ… 魚住 陸 @mako1122
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