第5話 羅睺


 ある村の農家に二人目の子が生まれた。

 名は次郎。捻りもない名前だが、そこらの農民なら皆そんなものである。

 兄の一郎と共に特に病気もなく育ち、農家の幼子として畑仕事を手伝いながら育った。次郎の身体は少し一郎より小さかったが、弟ならそれが普通だろうと思った。

 そこから更に子宝に恵まれ、三郎、四郎と一佳が生まれた。

 次郎は、一郎がそうしてくれたように精一杯下の子達の面倒を見た。その甲斐あって三人の弟妹はすくすく育った。そこまでは良かった。


 三郎と四郎の背丈が次郎を上回った時、潮目が変わった。

 次郎の背丈はある時期を境に伸びなくなった。年を重ねるほどにその差は広がり、次郎は他の兄弟より一回り年下の幼子のようにすら見えた。それでも家で農作業を手伝っていれば食い扶持は得られた。どれだけ扱いが惨めであろうとも。

 

 ある年、例年稀に見る猛暑が村を襲い、凶作となり大規模な飢饉が起きた。

 同じ年に、次郎は一佳にまで背丈を抜かれた。次郎の命運はその時点で決まった。


 口減らしの相談をする父母の話を聞いてしまった次郎は恐ろしくなり、泣きながら家を飛び出した。畦道を走り、山道を抜け、洞穴でひとしきり泣いた後に「口減らしを恐れながら山に逃げたのでは何にもならぬ」と気付いた次郎は村に帰ることにした。

 村に帰り着いた時、村は武士の略奪に襲われていた。家と田畑は燃え、農民達は泥に顔を埋め死んでいた。なんとか武士の目を盗み家に逃げ帰ると、一際立派な侍大将と思しき武士が一佳を犯していた。父母と一郎は既に斬られ、三郎と四郎は失禁しながら震えている。家の間仕切りで呆然としている次郎に気付いた武士が次郎の頭に手を伸ばす。

 しかしその極限状態で次郎の目に映っていたのは、助けを求める妹でもなければ父母の亡骸でもなかった。ただ、武士が腰に差した綺羅星のような美しい太刀に目を奪われていた。漂白された思考のまま、小さな体で武士の腕を掻い潜り太刀の柄に手を伸ばす。


 気が付けば、皆死んでいた。武士も妹も弟達も皆血を流し事切れていた。

 そして、次郎の身体は少しだけ大きくなっていた。

 次郎は太刀を手にしたまま振り返る事もなく家を出て、そのまま山に消えた。

 『怪物斬りの高次郎』を名乗る剣豪が世間で活躍を始めるのは、それから十年後のことである。

              


 

「……ぅ、あ」


 高次郎が走馬灯から目を覚ましても、状況は何一つ変わっていなかった。

 この窮地を脱出する術はどこにもない。既に両脚の骨は砕け、左腕の感覚もない。かろうじて太刀を握った右手の感覚だけは残っている。

 ならば、それで充分だった。この怪物の正体も分かった。


「そうか。お前も俺と同じなんだなあ……」


 節操なく生やされた獣の脚に人の腕。口内の刀を見た今なら全てが納得行く。殺した相手を取り込んで、刀と共に成長してきた。何故なら自分もそうだったから。

 刃毀れ無く、曇りも無く、殺して血を啜る程に持ち主と共に大きくなる理外の魔剣。蛭が脚まで生やしているのは血だけでなく溶かして丸ごと啜った故か。

 いずれにせよ、初めて同類に会えた。だからこそ、譲る訳には行かなかった。


「俺はなあ!もっと、もっとでかくなりてぇんだよ!誰よりもでかくなって、この世のてっぺんで見返してやるんだ!だからどけえ!」


 残された力を振り絞り、右腕を梃子に蛭の拘束から這いずり出す。両脚が取り残され千切れたが気にしない、どうせこの後釣りが来る。決死の形相の高次郎に初めて蛭が怯えを見せるが全ては遅かった。太刀で口をこじ開け、体ごと蛭の口に飛び込み、蛭の刀に感覚の無い手を伸ばす。握りさえすれば刀は力を貸してくれる。手放さなければ裏切らない。高次郎は、自分の人生における唯一の信仰を手にする。


「ピギィィィィ―――!」


 蛭の背を、内側から十文字に切り破った。

 息絶えた蛭の背中から上半身だけ突き出して、高次郎は粘液と血の雨を浴びる。


「はあ、はあ……」


 蛭の体から抜け出し高次郎はその身を横たえる。文字通り一歩も動けないが、一日も休めば回復するだろう。山の暮らしで腕や足が千切れた事は何度もある。その度に太刀で獣を殺して食って治してきた。二本あるなら効果も二倍だ。高次郎はカッハッハと声を上げて笑った。


 日は中天を過ぎた頃、季節を考えれば未の刻であろう。体を横たえたまま、夏空の日差しを浴びていると不意に空が暗くなった。はて日にかかる雲もないはずだがと高次郎が首を傾げていると、少しづつ日輪が欠けていき、やがて完全に黒に覆われた。

 皆既日食。

 知識としては寺の坊主に教わり知っていたが、目にするのはこれが初めてだった。


 「……」


 両手に太刀を手にしたまま黒い日輪を眺めていた高次郎はある感覚に襲われた。

 見ている。全ての理屈を超越して分かる。太刀から実感が流れ込んでくる。

 黒い日輪の中に。俺は今それと目があっていると。


 「お前がこの太刀を、いや鉄を寄越したのか」


 全てが分かる。お前は何かに負けて、そこに封じられている。

 お前は助けを求めている。この大地で何よりも大きくなった誰かが、封を解いてくれるのをそこで待っているんだな。そのためにお前はこの理外の鉄を寄越したのだ。

 この世の誰とも共有できない確信が高次郎を支配する。

 高次郎を人に保っていた最後の枷が外れていく。


 「ふふ、ふふふ。ははははははは」


 山を降りた後、寺の坊主から学んだ伝説を高次郎は思い出す。

 龍をも喰らう大百足を射抜いたやじり

 山をも跨ぐ大蛇の尾から出た神剣。

 この鉄は一体いつからある?

 この刀は後何本ある?


 「ハハハハハハハハハハハ!」


 良いだろう、待っていろ。

 俺が助けてやる。立身出世ももう止めだ。

 人の世などには収まらぬ、天地を覆うほどの怪物になってお前を迎えに行ってやる。その後で、お前を負かしたという星の果てに居る何かを一緒に殺して喰ってやろう。そして、この世で一番でかくなろう。この世界を全て喰らい尽くせる程に。

 全身を貫く凄まじい多幸感と情熱を胸に、高次郎はそう決意する。


 「だって、俺を助けてくれたのは、この世でお前だけだったもんな」


  黒い日輪は何も言わず、ただほんの少しだけいつもより長く、空を淋しく照らしていた。

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羅睺鉄 不死身バンシィ @f-tantei

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