第4話 死地

 「ケアァァァッ!」

 

 ずにゅうんむ。


 獣の皮とも人の肌とも違う、これまで感じた事のない弾力が高次郎の一刀を弾く。

 袈裟懸け、横薙ぎ、切り上げ、振り下ろし。

 渾身で斬撃を見舞うこと四度、その尽くが防がれた。

 大熊を脳天から両断した唐竹割りすら通じない。

 そしてこの四撃を捻出するために既に三十を超える突進を躱していた。

 山の獣を素手で捕獲する高次郎の遥か上を行く機動力。巨大な蛭が何故こんなにも動けるのか。蛭とは土や草木に紛れ、ぬるぬると這う生物ではなかったか。本来なら有り得ぬその怪奇は、更に奇っ怪な二つの理由で成立していた。


 「よくもまあ、そんなばらばらの脚を器用に動かしやがる……!」


 一つは脚。

 長大な蛭の胴から獣の脚が生えている。熊狼猪狸兎鹿。一見、百足むかでのようではあるが、脚の長さがまちまちなせいで高さが揃わず、その動きはむしろ毛虫や尺取虫に近い。更に背から尾にかけては猿や人の手も生えている。これらによって、蛭は熊を超える突進力と野兎の旋回力を両立していた。

 しかしそれだけなら高次郎は捉えられた。熊も野兎も狩り飽きている。捕まえることなど造作もない筈だった。しかし現実には高次郎は蛭の動きにまるで追いつけず、体力も底が見え始めていた。何故か。それが二つ目の理由、即ち蛭の粘液であった。


 「ビュロロロロロロロロ」


 「糞が!蛭ならせめて地を這ってこい!飛ぶな!舞うなッ!」


 悪態をつきながら頭上からの急降下を全力で躱す。少しでも掠れば致命的だった。

 蛭は体表から常に粘液を分泌するのみならず、口部からも水鉄砲のように粘液を射出できた。口からの粘液は特に濃度が高いらしく、それを蜘蛛のように自在に使いこなしている。


 樹を掴み飛び上がる。

 樹間に縄を張り駆け回る。

 粘液の上を滑る。逆に高粘度にして急停止する。


 逆に高次郎は振りまかれた粘液に触れられなかった。これまでの修羅業で培った知識と直感がそうさせた。まず踏めば滑り足を取られ、転べば動けなくなり一巻の終わり。更に口から吐かれた粘液は恐らく消化液も兼ねている。捕まればゆっくり溶かされ、肉塊となるは必定だった。


 「ふぅ、はぁ、ふぅぅぅー……」


 この先の流れに好転の兆しが無い事を悟った高次郎は、次の一撃に命を賭すことにした。賭けるに足る勝機は見えている。口だ。


 「スゥー……」


 脚を開き、腰を落とし、背を捻り、両手で肩口に構える。

 刃筋は上に、切っ先は前に。

 あまりにもあからさまな突きの型。

 人同士では有り得ぬ形だが、蛭相手に読みも駆け引きも不要。

 ただ己の全身を打ち出すのみ。

 

 「ビルルルルルルルル」


 足を止め力を貯める高次郎に、蛭が正面から突進してくる。

 ここまでの観察で発見した蛭の癖。正面から突進してくる時、必ず口が開いているのだ。そこを突く。そのあとどうなろうが知るものか。貫けさえすればそれで良い。


 「ビュロロロロッ」


 何かを察したか、蛭が突進を止め頭を持ち上げ口を開き、距離を開けての粘液噴射に切り替えた。蛭らしからぬ知性だったが、高次郎はそれを見て勝利を確信する。


 「見誤ったな」


 瞬時に沈み込み、撥条ばねのように飛び掛かる。

 高次郎のこの突きは、十五尺の距離を瞬時に詰める。

 狙いは過たず、蛭が粘液を吹くよりも速く切っ先は口に吸い込まれ――


 ガキン、という金属音に阻まれた。


 「……は?」


 一瞬、歯で防がれたかと考えた。この蛭ならあってもおかしくはない。

しかし違った。刃だ。

 刃毀れも、曇り一つも無い美しい太刀が蛭の喉奥で煌めいている。


 「お前は」


 高次郎の思考が蒸発する。生じた空白は致命の隙となり、蛭はそれを見逃さなかった。瞬時にその長大な身体をぜんまいのように巻き、高次郎を締め上げる。

 肉と骨が軋みをあげ、内臓が圧迫される。

 握った太刀の感触を確かめる。まだ太刀は己の手にある。その事実に光明を感じながら、それでも高次郎の意識は闇に沈んでいった。


 

 

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