EP3.長く短い旅路
地下で生活していると体内時計が狂うと、どこかの研究者が言っていたことを思い出した。ぐっすり寝て朝起きたと思ったら、実はまだ夜明け前だったのだ。この空間で起きているのは僕だけ。時計がないため時間の確認ができないのが不便だが、天井についている扉を開ければ大体は把握できた。
早起きは三文の徳。僕は外へ出る。涼しい風が全身に当たり、そして過ぎていく。この優雅な時間だけを考えれば、世界が崩壊したなんて夢のようだった。ただ、僕の前に広がっているものは、薄暗い空と、まぎれもなく町としての機能と、せわしなく生きる人の騒音を失った静寂だった。
「起きてたのか。早いな」
地下の扉を開け頭だけ出したレイがそういう。すでに着替えていたが、髪は整っていない。ところどころはねていて、まさに寝起きといった見た目だ。
穴から出ると、レイは扉を閉めて、僕のもとまで歩いてきた。
「世界が崩壊したなんてにわかには信じがたいが、この景色見たら納得しちまうよな」
ため息をつく。きっと僕と同じことを思っているんだろう。深く息を吸い込む。しばらくは目の前に倒れこむビルを眺めていた。ビルは尊厳を失ったかのように、ぐったりと倒れこんでいた。
「今日ここを発つ」
地下に戻り、朝ごはんの缶詰を食べているとき、レイからそう告げられた。
「長くここにいると時間がもったいない。それに食料も底を尽きる」
レイはすでに朝食を済ませていて、荷造りを始めている。大きいバッグだ。穴を修繕した形跡もなく、終末世界にはふさわしくないほどきれいな状態を保っている。どこに向かうの、缶詰をつつきながらそう聞くと、レイは、仲間との合流地点だ、と答えた。
「生き残りってまだいたんだ…」
「そりゃそうだろ。まだ4人いる」
生き残りがいたという事実だけでなく、4人もいるということに心底驚いた。なるほど。大量に積まれていた缶詰も、きれいな状態のバッグもこれなら説明がつく。
「お前は荷物がないしな…。そこのタンスから何枚かくすねてけ」
もともとは人が住んでいた場所。タンスの中には多種多様な服が入っていた。僕はパーカーとズボンを何着か手に取り、転がっていた中くらいのバッグに押し込む。そこまで大きいバッグではなかったため、着替えだけではちきれそうになった。
「うし、じゃあ行くか」
支度を終え、地上に出てきた後、レイがそういった。相変わらず違和感のある床に着いた扉を閉める。命の跡形を後にし、僕たちは歩き出した。
「どれくらい歩くの?今日」
既に足が限界を迎えている。足がごぼうになるとはまさにこのことだ。今はただ体を前のめりにして、無理やりにも足を出している。
「あと50キロくらいじゃねえか?詳しい距離はわからんな」
あと50キロ。すでに限界なのに、スタート地点からまだ全く進んでいない。崩壊のせいで開けているというのは大きいと思うが、まだ遠くに寝泊まりしたところが見える。
「もう限界か?」
「いくら何でも何年振りかに目覚めて、次の日に50キロ越えは地獄だって」
「この現実が地獄みたいなもんなんだからマシだろ」
「いや…まあ……」
とうとう反論する余力もなくなってきたので、完全に省エネモードになる。目は死んでいて、口で呼吸するのがやっとだ。じりじりと照らしつける太陽は、僕の体を隅までこんがりと焼く気満々だ。
「しゃあねえ…。あと10キロ歩いた先で一回休憩するか」
レイはそういうと、先ほどよりさらに早く歩き始めた。追いつこうとして足を速く動かす。疲労は大敵だ。脳からの信号を受け取れなくなったごぼう足は、やがてお互いが喧嘩しだし、絡まる。体が前に傾く。ビルの外壁の残骸がズームされたように近づく。一瞬の痛みとともに、ふっと意識が遠のいていく。
「…まあ…そうなるよな。急にこんなに歩くなんて無理だもんな…」
レイはポケットから古びた懐中時計を取り出す。
「こいつが太陽光で動くもんでよかったぜ。まだ何年の何月か確認できるからな」
2053年。7月19日。時計はまだ軽やかなリズムで秒針を動かしている。シェーンは切れていて、どこにも掛けることができない。
隣では気絶したアルルが横たわっている。レイはふと目線をアルルに落とした。
―昨日感じた心地よさは何だったんだ…?
レイは、「この人になら何でも話せる」という安心感を確かに感じていた。しかし、レイ自身もアルルと同じく記憶をなくしている。これ以上のことは思い出せない。
(脳が覚えていたんだ。感覚的な何か…)
レイはそこまで考えると、懐中時計をポケットに仕舞い、近くにあったフライパンとお玉を持ち、アルルの前に戻る。ひどく原始的な方法でアルルを起こそうと図ったが、残念ながら目を覚ますことはなかった。
(さすがにこの疲れじゃあ当分起きねえな。起こすのも酷か)
レイは隣に座り、アルルが起きるまで目を閉じずにその場でじっとしていた。
涼しい風が体を抜けていく。髪がなびき、服が嬉しそうに踊る。夢の途中で目が覚めたアルルは、しばらくの間ぼうっとしていた。
何人かがアルルをのぞき込む。皆の顔は曇っていて、心配している目だった。なのに不思議と居心地がいい。このまま余韻に浸っていたいほどには、いい夢だった。
「起きたか。体動くか?」
見ると、レイはリュックを背負っ てすでに準備万端だ。
「すこしすれば…多分」
それだけ交わすと、また沈黙がやってきた。レイは相変わらず遠くを見ている。体を起こし、伸びをする。リュックを背負って、レイに追いつく。
「待たせた」
「ほんとうに。もう朝だ」
日がすでに上っていた。目の前に広がっている赤は、夕焼けではなく朝焼けだったのだ。
「ただ。ゴールはもうそこだ」
レイが指をさした先には、何とか形を保っている中くらいの旗の立ったビル。感覚的には10キロもなさそうだった。
僕らはまた、黙々と歩き始める。どれだけ歩いただろうか。息が切れ始めたころ、レイの声で我に帰る。
「ついたぞ」
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