第8話 解放と束縛

 学園に戻った翌日。

悠真は朝早くから、特別処置室へと呼び出された。

封印解除の儀式が執り行われる——そう告げられたのは、昨夜のことだった。

廊下を歩く間、左手首の封印がひび割れたまま脈打ち続けている。まるで時限爆弾のように。

特別処置室の前に立つと、扉が開いた。

中には、学園長、結城教官、そして氷室先輩が待っていた。


「朽木悠真、入れ」


学園長の声は穏やかだが、有無を言わせぬ威圧感がある。

悠真は一礼して室内に入った。


 部屋の中央には、封印の時と同じ陣が描かれていた。

だが、今回の陣は逆向きだ。力を封じるのではなく、解放するための術式。


「座れ」


学園長が指示し、悠真は陣の中心に正座した。

学園長は悠真の前に立ち、静かに語り始めた。


「朽木悠真。お前の封印を解除する。だが、これは決して喜ばしいことではない」

「……はい」

「封印は、お前を守るためのものだった。それを解除するということは、お前自身が力と向き合わなければならないということだ」


学園長の目が、悠真を見据える。


「お前の中には、書の力だけではない、別の何かが眠っている。氷室からも報告を受けた」


悠真は氷室先輩を見る。

先輩は無言で頷いた。


「言霊——」


学園長が口にした瞬間、室内の空気が変わった。


「古の術式。言葉に力を宿す技。我々書士の源流とも言われるが、同時に最も危険な力でもある」


学園長は一歩近づく。


「お前がそれを持っているかどうか、まだ確定ではない。だが、可能性は高い」

「……俺には、まだ分かりません」

「分からなくていい。今は」


学園長は筆を取り出した。


「だが、いずれ分かる時が来る。その時、お前は選択を迫られるだろう」

「選択……?」

「力を受け入れるか、拒絶するか」


学園長の声が、重く響く。


「どちらを選んでも、代償は大きい。覚悟しておけ」


 儀式が始まった。

学園長が筆を空中で走らせる。

墨の粒が光となって舞い、陣が明滅する。


「我、筆の理に従い——」


詠唱が響く。

封印の時とは逆の言葉。


「——この枷を解き放つ」


その瞬間、悠真の左手首が熱を帯びた。


「っ……!」


ひび割れた封印の環が、激しく光り始める。

痛い。

封印される時以上の痛み。

まるで、内側から何かが溢れ出そうとしているような——。


「耐えろ、朽木!」


結城教官の声が聞こえる。

だが、痛みは増していく。

封印の環の亀裂が広がり、そこから黒い墨が染み出す。

墨が手首を這い、腕へと伸びる。


「……うああああっ!」


悠真は叫んだ。

そして——

パリン。

硝子が砕けるような音。

封印の環が、粉々に砕け散った。


 静寂。

悠真は荒い息をつきながら、左手首を見た。

封印の環があった場所には、もう何もない。

ただ、かすかに赤くなった皮膚だけが残っている。


「……終わった」


学園長が筆を下ろす。


「封印は完全に解除された」


悠真は左手を握り、開く。

震えている。

だが——それは、いつもの震えとは違った。

恐怖からくる震えではなく、力が溢れそうになるのを必死に抑えている、そんな震え。


「朽木」


結城教官が近づき、懐から銀色の輪を取り出した。

矯筆環だ。


「これを装着する」


悠真は黙って右手を差し出した。

結城教官が矯筆環を手首にはめる。

カチリ、と音を立てて固定される。

冷たい金属の感触。

そして——筆を持つ感覚が、わずかに変わった。


「これで、お前の筆の動きは制限される。基本字以外は書けない」


結城教官は厳しい顔で続ける。


「これは命令だ。矯筆環を外すことは許されない。分かったな」

「……はい」


悠真は右手首を見つめる。

左手首の封印が解けた代わりに、右手首に新たな枷がついた。

(これが……俺の選んだ道)


 儀式の後、悠真は学園長に呼び止められた。


「少し、話がある」


二人きりになると、学園長は窓の外を見ながら言った。


「お前は、氷室鏡華を知っているか」

「……はい。氷室先輩の姉で、行方不明だと」

「そうだ」


学園長は目を細める。


「彼女もまた、言霊の使い手だった」


悠真は息を呑んだ。


「鏡華は天才だった。だが、同時に危険でもあった」


学園長の声が、わずかに沈む。


「彼女は言霊の研究に没頭し、やがて禁忌に触れた」

「禁忌……?」

「言霊には、段階がある」


学園長は振り返り、悠真を見た。


「初段は『言葉の力』。文字を使わず、声だけで現象を起こす」


悠真の喉が、かすかに反応した。


「二段は『響きの共鳴』。他者の言霊と共鳴し、力を増幅させる」

「そして、三段——」


学園長の声が、一層重くなる。


「『真名の開示』。すべての存在には真の名がある。それを知り、呼ぶことで、絶対的な支配が可能になる」


悠真は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「鏡華は、三段に至ろうとした。そして——消えた」

「消えた……」

「任務中、忽然と姿を消した。手がかりは一切ない」


学園長は悠真の肩に手を置く。


「お前が同じ道を辿らぬよう、私は見守る。だが——」


その目には、警告の光があった。


「もしお前が禁忌に触れようとするなら、私は容赦しない」


 部屋を出ると、廊下で氷室先輩が待っていた。


「学園長から、何を聞いた」

「……姉さんのこと」


氷室先輩は頷く。


「俺は、姉を探している」


真っ直ぐな目で、悠真を見据える。


「お前の力は、姉の手がかりになるかもしれない。だから——」


氷室先輩は拳を握る。


「お前が暴走するなら、俺が止める」


その言葉は、脅しではなく、約束だった。


「でも、お前が正しく力を使えるなら——」


氷室先輩の目に、わずかな光が宿る。


「俺は、お前を支える」


悠真は胸が熱くなるのを感じた。

氷室先輩は、敵でも味方でもない。

ただ、同じ道を歩く者として——見守ってくれている。


「……ありがとうございます」


氷室先輩は小さく頷き、立ち去った。


 寮に戻ると、杉浦が待っていた。


「おお、悠真! 封印、解けたのか!」

「ああ」

「見せて見せて!」


杉浦は悠真の左手首を掴む。


「うわ、本当だ! 環がない!」


喜ぶ杉浦を見て、悠真は右手を差し出した。


「でも、代わりにこれがついた」


矯筆環を見て、杉浦の表情が曇る。


「これって……」

「矯筆環。筆の動きを制限する道具」

「……そっか」


杉浦は悠真の肩を叩いた。


「でも、封印よりはマシだろ? 少しでも書けるようになったんだから」


その前向きな言葉に、悠真は救われた。


「そうだな」

「よし! じゃあ早速、練習しようぜ!」

「えっ、今から?」

「当たり前だろ! せっかく封印が解けたんだから!」


杉浦に引っ張られて、悠真は練習場へと向かった。


 夜。

練習を終えて部屋に戻った悠真は、机の前に座った。

筆を持つ。

右手首の矯筆環が、ひんやりと冷たい。

半紙に向かい、一文字を書こうとする。

だが——筆が、思うように動かない。

矯筆環が筆の動きを制限し、単純な線しか引けない。


「……くそ」


何度も試すが、同じだった。

震えは抑えられている。

だが、自由な線は失われた。

(これが……代償か)

悠真は筆を置き、天井を見上げた。

封印が解けた。

だが、本当の意味で自由になったわけではない。

新たな枷がつき、新たな監視下に置かれた。

(でも……)

悠真は右手首の矯筆環に触れる。

(これが、今の俺にできる最善だ)

窓の外では、月が輝いている。

遠く、遠く。

だが、確かにそこにある。

悠真は筆を再び取り、半紙に向かった。

たとえ制限されていても。

たとえ自由がなくても。

書き続けることを、諦めない。

それが——朽木悠真の、誓いだった。


【第8話 了】

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