第4話
放課後。本来はこのまま図書室に行って昨日の図書委員当番中に読んでいた本の続きでも読んでいたはずが、とあるホラー小説を小脇に抱え、まともに照明もつかない、倉庫として使われている教室で佇んでいた。
座るところでもあればよかったが、中に何が入っているかも分からない段ボールくらいしか無さそうだった。そもそも、子の中身に詰まっているよく分からない分厚い本たちを使う時はあるのだろうか。ガムテープで閉じられたりもしていなかったので、試しに一冊表紙を開いてみても、何のための本なのかさっぱりわからなかった。
こういった本も、どういう用途で作られたものなのか理解しないと司書にはなれないのだろうか。この学校に入学して数か月、季節は夏だが、ここからどうやって司書になればいいのか、よく分からないまま毎日を過ごしている。
「……やっぱ分からないなあ」
先ほど開いた本を表紙だけではなく、中身を数ページ捲るも、何も分からなかった。恐らく……どこかの地域の川……について書いてあるのだろうか。正直興味がないが、こういったことも理解しなければならないのだろうか。司書になるのは、案外難しいものなのかもしれない。
その瞬間、廊下を走る音が小さく聞こえた。……いや、段々と大きくなってきている。その足音は明らかにこちらに近づいてきていて、「まるでホラー小説の一文みたいだ」とぼんやり考えていると、教室の扉が勢いよく開かれた。
「どぅっ、どっ、い、いまっ、ほ、ほぁっ」
勢いよく入ってきたのは明らかにさなんさんで、思いきり息を切らしながら教室の中を見回していた。おかしなことを口走りながら。非常に見つかりたくなかったが、さなんさんの視界から隠れられるような場所は倉庫として使われている教室といえど無かったため、数秒後にはあっという間に見つかっていた。
「ぁ、い、いだっ!」
「……はい、いますね」
息を整える暇もなく、私を見つけるとおかしな声を出して、前のめりでズンズンと近づいてくる。見た目がギャルなのに、明らかに挙動不審すぎるので、逃げたい。そう思いながらも数歩後ずさりするくらいしか出来ない。ので、とりあえず現状を受け入れることにする。
受け入れた結果、私の目の前まで無事辿り着いたさなんさんは私の右肩に手を置きながら、ぜーはーぜーはーと荒くなった呼吸をゆっくりと整えている。
「あの、大丈夫ですか?」
流石に心配になったので、背中をぽんぽんと叩きながら聞いてみる。
「ゔ、ぁ……は、はい……大丈夫です……」
「…えっと、色々聞きたいことあるんですけど……そもそも、何で呼ばれたんですかね?」
「はぁっ、はぁ……ふぅーー……呼んだ理由、理由……あー……」
ここまで来たのに、何かを逡巡するように目をきょろきょろと動かしている。
「もしかして……なんですけど、理由もなく呼びだした…とか?」
一番最悪なケースをあらかじめ潰すために聞いてみると、引き千切れそうな程に首を横にブンブンと振り始めた。恐らく『違う』という意味なので、そこは安心する。
「そうですか、良かったです」
私の言葉が聞こえたのか、首を振るのを止め、また体力を使ったせいかぜいぜいと息を切らしている。もしかすると、かなり変な人なのかもしれない。
「は、ぁっ……!すぅー……そう、理由、があって……昨日、あの、わた……ウチの後から来た子がいると思うんですけれど……」
「えっと…ひっこ……さんのことですか?」
「あ、はい…その子です。出来れば、あの子には私がホラー小説を借りてること、言ってほしくなくて……」
やっぱりそれか。昨日、図書カードを忘れ物置き場ではなく鞄にしまって帰ったのは正解だったらしい。
「はい、誰にも言いませんよ」
「ほ、本当ですか……?」
鞄に入れていた図書カードを取り出し、ひなんさんの目の前に突き出す。
「どうせそんなことだろうなと思って、図書カードも誰にも見せてません」
「え……!」
どうやらさなんさんは図書カードを忘れたことすら分からないほどパニックになっていたらしく、しばらくそれを見つめ、顔色がサッと青くなった。自分のやらかしたミスに気付いたらしい。
「あ、あ、あ、あ、」
「礼とか大丈夫ですから」
「ぁう、ぇ、お……」
さなんさんへ図書カードを渡し、ついでに抱えていた小説も渡す。
昨日、さなんさんが「これの続きとか、同じ作者とか、どこかにありますか」と私に聞いてきたのを覚えていた。マイナーな作者なので本棚の隅にあったし、新作はなかったものの、前に発売された作品たちは幾つか並んでいたのだった。
「あとこれ、昨日聞かれた作家さんの小説です。一応新作とかは無くて…前の作品に……」
私がいくつか本を差し出すと、さなんさんの顔が耳元まで真っ赤になり、急にぷるぷると震え出した。爆弾が爆発する前、急速に圧力をかけられている、そんな図を思い出すような動きに、今すぐ逃げたくなる。
「い、いいんですかぁ!?」
そして、避難する間もなく爆発した。私の両肩を掴み、今にも泣きだしそうな潤んだ瞳で見つめてくる。
「こ、この作者さんの文章物凄く面白いですよねっ!私って海外ホラーよりも国内ホラーの怪談みたいなじっとりと来る感じの怖さが凄い好きで何より怪異に頼り切らずヒトコワ系って言うんですかねそういった人間同士の嫌な心理戦だったり陰湿ないじめだったりする部分を物凄く繊細にかといって一切妥協はしない凄惨なえげつなさで書いているところに凄く惹かれ……」
三歩下がった。流石に。
ヒトコワ系があるとすれば、今目の前にいるさなんさんが怖い。自分が好きなものに反応して一気に話し出す人がいることは知っていたが、実際目にすると想像以上に怖かった。クマを見た時は目を合わせながら後ずされと言う。私の身体は咄嗟にその行動を取っていた。さなんさんが……クマが私よりも背が高いこともあり、本能的に圧倒されてしまう。
「あ………え……す、すみませ……ごめんなさい……」
そんな私の反応に気が付いたのか、「ゔぅ」といったうめき声と同時に、声色が一気に低くなった。テンションが上がっていたであろう先ほどとは全く違い、挙動不審な状態に戻っている。このままでは埒があかない。
「そ、うですね。謝らなくていいですよ。私もその作者さんの本が好きなので」
これは本心だ。マイナーな作者だが、先ほどさなんさんが言ったことは概ね合っている。ほとんど聞き取れなかったが、『ヒトコワ』『国内ホラー』『凄惨』といった聞き取れた単語から、さなんさんと私は割と近い感想をこの作者に抱いているらしい。
「わた……ウチ、一応ギャル……なんで……こういう早口で迫るのとか、キモいっすよね……あ、あははは…………」
情緒が不安定すぎる。
「あの、ギャルとか、そういうの関係無いと思います」
「………え?」
「貴女がさっき言ったこと、私も近いことを思っていました。この作者さんだけじゃなくて、結構な数のホラーものを読んでいないと出てこない感想だなって」
「ぅ……」
「それに、ギャルがホラーが好きでもおかしくないと思いますよ。ほら……なんというか、絶叫系とか……好きそうじゃないですか。アトラクションとかで……」
結構無理があるこじ付けだと思うが、さなんさんはコクコクと頷いていた。どうやら、さなんさんの中でちゃんと絶叫とホラーが結びついてくれたらしい。良かった。
「どんなジャンルでも、どんな媒体だろうと、それを読む人はどんな人だって良いんです。少なくとも誰かの紡いだ物語っていうのは、そういうものですから」
自分でも恥ずかしい言葉だな、と思う。けれど、例えばさなんさんが「ギャルだから」といった理由でホラーどころか、本を読むことすら諦めてしまったら、辞めてしまったら、それは凄く悲しいことだ。
だからせめて、私はさなんさんが物語との繋がりを自ら断ってしまうような選択を取らないために言葉を紡ぐ。
「私の専門は本ですけれど、そう思いま………」
なんだか急に気恥ずかしくなってしまい、床を見ながら喋っていたもの、「ぅ」や「ぁ」といった小さな鳴き声を発していたさなんさんが黙っているのに気付き、顔を上げる。
さなんさんは、号泣していた。メイクが落ちるのも関係無く、滝のように涙を流している。
「え、あ、あの。なんか私、変なこと言いましたか……?」
さなんさんは否定の意味なのか、首を横に振り、私の手を握ってきた。その手は溶岩のように熱く、私を見つめてくる視線もそれと同じくらいに熱く感じた。視線に熱が乗るなんてことは比喩表現でしかないことは理解しているのに、私の顔はさなんさんの視線に囚われ、信じられないほどの熱を感じていた。
「わ、わだじっ、ごんなに言っでぐれる人っではじめでで……!」
ずびずび音を立てつつ、鼻を啜っているさなんさんの顔が目に入る。元々美人……なのもあるが、情けなく号泣している姿でも画になるのだから、美人は凄いのだなあと、現実から目を逸らす思考に逃げようとする。けれども、私の逃げる背中はさなんさんから出てきた感情の触手に絡みつかれて、逃げられない。
「あなだに会えで本当によがっだ……!」
有名な海賊漫画みたいに号泣しつつ、私のことを褒めてくるさなんさんは全くギャルには見えなかった。
「あの、とりあえず落ち着いてください……」
ポケットからハンカチを取り出し、涙が溢れ出ている目元に押し当てる。
「はっ…!はっ、はっ……!」
泣きながら呼吸を整える人間特有の過呼吸を起こしているさなんさん、その背中を摩りつつ、なんでこんなことに……。と考えてしまう。それと同時に、どれだけ本、そしてホラーといった好きな媒体やジャンルに対し、抑制され続けてきたのだな、と変に邪推してしまう。
それこそ、出会って二日目の私が放った言葉に対して、これ程涙を流してしまうほどに。
「あの、あの、あのっ……!あのっ……!」
「は、はいっ」
「わ、私ど……!!本のっ友達っどもだぢっ、本トモ、どもだちになってぐだざいっ!!」
「……はい?」
そして、この物語の最初へと戻る。のだった。
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