キラ

野原広

キラ

「先輩!まだ家賃払ってないんですか?!もういい加減に追い出されちゃいますよ!」

「そうは言われても・・・なかなか依頼だってこないし・・。」

「いじけないでください!先輩に依頼が来なくたって、働くことはできますよ!ほら、駅前にあるカフェなんかいいんじゃないですか?」

「フフ、素暗そくら、駅前にあるカフェはキラキラとした人間しか働くことを許されてないのだよ!この意味が・・・わかるかね?」

「あーもう!そうですね!先輩には無理ですよね!就職失敗してヤケクソで開いた便利屋にも依頼が来なくて倒産寸前!先々月の家賃すら払えてない先輩のアルバイト先が駅前のカフェだなんて、ちょっとキラキラしすぎですね!」

「・・そんなに言わなくてもいいじゃん・・。」


騒がしい都会から少し離れて田舎とも都会とも言い難い平凡な街、忠野市の中心部から少し離れた場所に立つ雑居ビル“カンパーニュ“。その名はフランス語で田舎を意味する。はっきりと断言されると腹が立つものだ。忠野市は田舎じゃないやい!!

そのカンパーニュに便利屋を構えるのが荒木あれきさんだー。とんでもないキラキラネームを持ってこの世に爆誕した、いたって普通の人間である。


「とーにーかーく!バイト探しましょう!私求人誌買ってきますから!」

「待て、素暗。俺にはお前が必要なんだ!」

「せ、先輩・・?」


走り去ろうとする後輩の手をしっかりと握る荒木。手を握られ頬を赤く染める素暗。さながら恋愛小説の1ページのような光景が広が・・らなかった。


「荒木いいいい!今日こそは家賃払ってもらうぞこらああ!」


鬼のような形相でただでさえ壊れそうな便利屋荒木の扉を蹴り開けながら入ってくる目つきの悪い男。セリフで察しがつくかと思われるが、彼こそがこのカンパーニュの大家、米戸べいとべんである。


「素暗!いまだ!現役女子大生ビーーーム!」

「先輩何言ってるんですか!米戸さんきちゃったじゃないですか!」

「おい、荒木。今月・・いいや今年ももう終わりに近づくが、家賃はいつ払うんだあ?!」

「来月!来月こそは払いますから!」

「うるせえ!荒木!まずは素暗ちゃんの手を離しやがれ!話はそれからだ羨ましい!」


そう言われハッと気づいたように手を離す素暗。荒木はニヤニヤと笑いながら米戸に近づき肘でつつくような真似をする。


「もう!心の声が漏れちゃってますよお、米戸サン!どうです?クリスマス素暗とデートプラン!今なら今までの家賃全部無しにしてくれるだけでいいですよ。」

「ちょ、ちょっと先輩!何言ってるんですか!?私、デートなんてしませんからね!」

「家賃は絶対に回収する!それはそうとて、素暗ちゃん、僕は君とのデートなら、いつでも大歓迎だからね。」

「もう!米戸さん、すみません。家賃は絶対先輩に払わせますから!」


さっきの形相とは打って変わって笑顔が溢れて止まらない様子の米戸。そんな米戸の誘いは華麗にスルー。扉の前の男2人を押し除けて、素暗は求人誌を買いに行ってしまった。


「はっ!素暗ちゃんがいなけりゃこっちのもんよ!ほら荒木い!飛んでみろよお。」

「はねても本当に何も出てきませんよ!本当ですって!」


詰め寄る米戸に逃げる荒木。ドタバタと騒ぐ中、扉がノックされた。


『・・・?』

「今、ノックされませんでした?」

「気のせいじゃねえの?」


気のせいかもしれないが、扉をノックしてくれる貴重な依頼人は逃してはいけない。


「はーい。どうぞ、入ってきてください。」

「失礼します・・。」


本当に入ってきたことに驚きを隠せない2人は、しばしつかみ合ったまま依頼人との気まずい時間を過ごす。


「す、すみませんいきなりきてしまって・・。」

「いえいえ、全然構いませんよ。むしろすみません、お恥ずかしいところをお見せしてしまいまして。どうぞ、おかけになってください。」


お互いに少し襟が乱れていたのです。と言い訳を述べながら依頼人たちをソファに案内する米戸。流石の変わり身だ。荒木達は依頼人達とは反対のソファに腰掛ける。


「荒木、お茶でも持ってきなさい。」

「・・粗茶でございますが。」


ペットボトルの麦茶を素暗が持ってきてそのままになっていたおしゃれなティーカップに入れてだす。


「ありがとうございます。」

「・・それで、ご依頼は?」


なんでお前が話を聞くんだ米戸勉!!荒木はそう思ったが依頼人の前だ。大人しくしておこう。


「娘を、娘を探していただきたいのです。」

「娘さんを?」


猫ではなく?思わず口をついて出てきそうになった言葉を急いで飲み込む。猫探しの依頼はいくつか受けたことがあるが、人探しの依頼は初めてだ。


「失礼ですが、そういうことは便利屋ではなく警察に言うのがいいと思うのですが。」

「行方不明届は出したのですが・・警察は家出だろう。と・・」

「なるほど・・お任せください!必ず娘さんを見つけて見せます。」

「・・すみません。米戸さん、ちょっといいですか?」


奥の部屋に米戸を引っ張りながら連れて行く荒木。壁が薄いので小さな声で話す。


「無理ですよ!人探しなんて!」

「お前が依頼を選り好みしている場合か!依頼が未達成にしろ、捜査するだけで一定の報酬はもらえるんだ!受けて損はないだろ!」

「無理です、無理無理!これで見つからなかった時が1番心抉られるんですからね!」

「じゃあなんで便利屋なんて開いたんだよ!」


ひとしきり文句を言い合ったのち、素暗とのデート1日を取り付ける約束で、この依頼を断ることに決めた。心苦しいが、仕方ない。身の程を弁えると言うのも人生においては大切なことなのだから。自分に言い聞かせて扉を開ける。


「大丈夫ですよ。私たちに任せてください。ねっ!先輩。」

「お任せください、その依頼、便利屋荒木がお受けいたします。」


目が笑っていない。そう感じ取った瞬間に荒木の口は勝手に動いていた。地震、雷、火事、素暗・・・。何はともあれ、自らの口で依頼を受けると言った以上、やっぱり無し!などと言うことはできない。ひとまず依頼人の話を詳しく聞くことにした。


「娘とは、頻繁に連絡をとっていたわけではないんですけど、連絡を取ろうとするとすぐに取れて・・。ただ、8日にメッセージを送った後、1週間ぐらい、何も返事がなかったんです。それで心配になって警察に行きました。」

「そこでは調査されなかったんですよね?」

「正確には、その時点では調査していただく予定だったんです。ただ、昨日メッセージが帰ってきて・・。それが、これです。」


そう言って依頼人はスマホの画面を荒木達に見せる。そこにはメッセージアプリの画面が表示されていた。


「最近は元気?年末は帰ってくるの?帰ってくるなら、早めに連絡ちょうだいね。」

「42um4」

「t0n4r!」

「4r!64t0」

「お母さんごめん!眠りながら打ってたみたい!今年は帰れないかも・・ごめんね。」

「忙しいの?無理しないでね。」


荒木達はしばし考え込んだ。これでどうやって娘の居場所がわかると言うのか。


「えっと、その画面のお写真撮らせていただいてもよろしいですか?後、娘さんが住んでいたところと、職場も教えていただきたいです!」


依頼人は話し始めた。行方不明の娘改、杉村志穂すぎむらしほ。25歳、独身。忠野市で1人暮らしをしながら、忠野市の会社に勤めていたらしい。ただ、今は転職をすることが決まり、その会社の有給を消化している最中だそうだ。


「家を訪ねてみるも誰も出ず・・・大家に言って鍵を開けてもらうも中にはいなかった・・。と言うことですね?」

「はい。そうです。・・志穂・・・。」

「おい、泣くな。・・すみません。今日はこれぐらいで。また何かありましたらお電話ください。」

「はい。何か分かりましたらまた連絡いたします。」


涙を流す母親。父親も険しい顔をして便利屋を後にする。先ほどまでは聞こえていた子供達が遊ぶ声も聞こえない。依頼人が去った便利屋は、静かだった。


「先輩、何か分かりましたか?」

「い〜や。さっぱり。」

「手がかりがあるとしたらなんだ。推理小説とかだったら志穂さんが送ってきた“42um4“とかに何かありそうなもんだけどな。」

「う〜ん。仮に暗号だとしても、この文章、短すぎて解読が難しそうですね・・。」

「ヨンジュウニウムヨン?わからん!」


3人よれば文殊の知恵という言葉を聞いたことがあるが、荒木達は3人には満たなかったようだ。犯人探しが始まる前に荒木達は解散することにした。


「素暗ちゃん、乗ってく?」

「や、私は近いので・・。」

「あ!俺乗りたい!」


自慢の愛車を指差す米戸。素暗にはやんわりと断られ、荒木のことはスルー。米戸は自慢の黒いスポーツカーをかっ飛ばしながら帰っていった。


「綺麗ですね。イルミネーション。」


もう今年も終わりに近い。クリスマスを目前にして町全体がどこか浮かれている気がする。荒木達が歩く道も、電飾で綺麗に飾り付けられている。


「そうだな。」


周りには冷える手を温め合うカップル達が何組もいる。俺たちも、そういうふうに見えているのだろうか。荒木は視線を少し下に向けて、素暗の顔をみる。丁寧に手入れされているのであろうサラサラの髪の毛、長いまつ毛、透き通るように綺麗な肌、ほんのりと赤く染まる耳と頬。素暗は駅前のキラキラカフェで働いていても、なんの違和感もない。むしろ駅前キラキラカフェの評判を高めるのではないかと思ってしまうぐらい綺麗な顔をしている。釣り合わないな。なぜこいつは俺なんかと一緒にいるのだろうか。


「何見てるんですか?先輩。見惚れちゃいましたか?」

「ああ、そうだな。・・俺は電気屋によるからここでお別れだ。じゃあな。気をつけて帰れよ。」

「へっ・・?って、何買うつもりなんですか先輩!家賃払ってないのに!」

「電球だ!電球!」


駅前で素暗に別れを告げた後、荒木は足を早め、電気屋に向かう。電球が切れたというのはもちろん嘘である。荒木の家の電球は今も元気に光り輝いている。今日は荒木がずっと楽しみにしていた最新ゲームの発売日。これを買うために俺は猫を探していたのだ!家賃など後回しだ!るんるんと電気屋に向かい、お目当てのゲームを入手。急いで家に帰ったのだった。




「ウヒョヒョ!今日は徹夜だな〜!!」

ケースからカセットを取り出し、ゲーム機に差し込む。コントローラーの充電よし、ペットボトルの水よし、あったかい毛布とポテチよし!


「勇者よ・・勇者・・・答えてください・・・。」

「あなたの姿を教えてください・・・。」

「おっ!キャラクリめっちゃできるじゃん!イケメンにしてやろ!」

「あなたのことはなんとお呼びすればいいですか・・・?」

「Alexとお呼びください女神様!」

「・・この名前の勇者はすでに存在しています。違う呼び方ではダメですか?」

「なっ!しょうがない。A1exだったらどうですか女神様!」

「・・この名前の勇者はすでに存在しています。違う呼び方ではダメですか?」

「むう・・これも無理か。ならA7exでどうだ!」

「分かりました。A7ex。これからよろしくお願いします。」


荒木は・・いやA7exはしばし女神様との冒険を楽しんだ。朝日が昇る頃にはA7exは一国の王となり、サーバー内冒険者ランキングにも名を連ねるようになったのだった。


「雷!雷!朝よ、おきなさい!」

「はっ!もう朝か。しょうがない。女神様、帰ってきたら救出して差し上げますからね!」


女神様は囚われてしまったのだろうか。まだまだゲームを続けていたい気持ちもあるが、荒木は事務所に向かわなければならない。便利屋荒木は平日朝9時から夜7時までオープンしているのだ。近所の小学校のチャイムを聞きながら荒木は便利屋までの道を歩く。徹夜の体に冬の朝の冷たさはなかなか響く。あー!いますぐあったかい布団に包まれて寝たーい!!


「あ!先輩!おはようございます。」

「ん、ああ素暗。おはよう。一限からあるのか?」

「今日は講義はありません。先輩のとこで昨日の依頼について考えようと思って。」

「おお。ありがとな。」


素暗は今年大学四年生。就職も決まり、単位も取り切っている。暇なのだろうか。荒木は思った。就職が決まってからというもの、素暗は毎日のように便利屋に入り浸っている。そんなに来るのなら依頼してくれればいいのに。


「先輩、くまできてますよ?徹夜したんですか?」

「し・・てない。」

「嘘だ!したんですね徹夜!ダメですよ先輩、ちゃんと寝ないと。」

「今日は寝るよ・・。」

「おかしいな・・。先輩はゲームの次に寝ることが好きなはず・・!さては昨日電球じゃなくてゲーム買いに行ったでしょ!」


荒木は口を窄めながら目を逸らす。素暗・・なかなかカンの鋭いやつ!


「そ、そんなことよりだな。依頼についてだ!やっぱり送られてきた文章がなんらかの暗号になってると思うんだが。」

「・・・。はあ。でも確かにそうですよね。暗号といえば何かに置き換える?みたいなのがメジャーな気がしますけどね。」

「置き換える・・なあ。」


確かにたぬきの絵が書いてあったら「た」を抜いて読んだり、メガネの絵が描かれていたら「め」を「ね」に変えて読んだり。荒木の知っている暗号なんて所詮その程度である。


「先輩、ゲームとかで暗号といたりとかはしないんですか?」

「ん?俺のやってるゲームはそんなんじゃな・・・!置き換えだ!置き換えだよ素暗!」

「そ、そうですね・・・?」


荒木は素暗の肩を掴み、顔を覗き込む。


「せ、先輩・・?」

「暗号がわかったかもしれん!急ぐぞ素暗!」

「へ、は、はい!先輩!」


便利屋に向かって走り出す荒木、手を引かれて顔を赤らめる素暗。今度こそ恋愛小説の1ページような光景が広がったのである。


「よう。遅いじゃねえか荒木い。朝っぱらから素暗ちゃんと手を繋いで出勤だあなかなか贅沢なことしてるじゃねえかあ!羨ましい!」


先ほどまでのムードをぶち壊す怒声を浴びせるのは米戸。


「米戸さん?なんでここに。」

「話は素暗ちゃんの手を離してからだあ!お前がちゃんと仕事をするか監視に来たんだよ。今月こそは家賃をもらわなきゃならんからな。」

「俺、昨日のメッセージの暗号、わかったかもしれませんよ。」

「何!早く教えろ!」


3人は急いで便利屋に入り、ソファに座った。机の真ん中には昨日のメッセージ画面の写真をコピーしたものが置かれている。荒木はじっと写真を見つめ、静かに頷いた。


「どうです?先輩。先輩の思っていた通りですか?」

「・・ああ。ただ急がなきゃまずいかもな。」

「なんて書いてあるんだ?」

「俺が正しければ、書いてある言葉は上から3つ。アズマ、トナリ、アリガトウ、です。」

「アズマってなんだ?犯人の名前か?」

「トナリっていうのは戸成町のことでしょうか。それともアズマって人の隣?」


便利屋がいきなり騒がしくなる。騒ぐ2人を他所目に、荒木はじっと考え込んでいた。


「どうやって読んだんですか?先輩。」

「ああ。これはアルファベットがところどころ数字に置き換えられているだけだ。」

「数字に?」

「たとえば「A」は「4」に、「Z」は「2」に。「O」は「0」で「G」は「6」だ。」

「!は何が置き換えられてるんですか?」

「「I」だ。数字をアルファベットに置き換えてそのままローマ字読みをしたら俺が読んだようによめるはずだ。」

「ほんとだ!「42um4」が「アズマ」、「t0n4r!」が「トナリ」、「4r!64t0」が「アリガトウ」ってよめますね。」

「じゃあこれは志穂さんが送ってきたメッセージってことか。」

「アズマという人物が志穂さんを攫ったのかもしれません。依頼人に聞いてみましょう。」


荒木は依頼人に電話をかける。もし本当に拐われていたとしたら。嫌な予感が荒木の頭をよぎる。ワンコールがとても長く感じられた。


「もしもし。便利屋荒木です。娘さんのことでお伺いしたいことがあるのですが、アズマという名前に聞き覚えはありませんか?」

「アズマ・・?アズマ・・。あります!娘が以前付き合っていた男がそんな名前だったような気がします!」

「そのアズマの住んでいる所はわかりますか?」

「年賀状があったと思います。探すのでちょっとだけ待っててください。娘はアズマに何かされたのですか?!」

「今のところ、その可能性があります。」

「わかりました。少しだけ、待っててください。」


そう言って電話は保留にされる。


「荒木、どうやってこの暗号を解いたんだ?」

「これは暗号ではなくて、よく使われる置き換えです。ゲームなんかだと、たまにプレイヤー同士が同じ名前をつけられないようなものがありますよね?そういう時にアルファベットの名前の一部分を似ている数字に置き換えることがあるんです。俺もたまに置き換えます。AlexをA7exみたいにね。」

「なるほど!そういうことか。」

「もしもし、アズマからの年賀状が見つかりました。数年前のものなので今は引っ越しているかもしれませんが・・。」


電話の向こうから少し焦ったような依頼人の声が聞こえる。


「アズマの住所は忠野市西町3ー1−10ミラージュ荘202です!」

「ありがとうございます。アズマについて少し調査を進めてみます。もしよければ、警察には娘さんが送ってきたメッセージをLEET表記で読んでみると意味が通ると言ってみてください。」


荒木は電話を切る。スピーカーの設定にしていたので、素暗達にも話は通じているはずだ。


「米戸さん、聞いてましたね?忠野市3−1−10です!急いで!」

「お、おう!早くのれ!」


荒木達は急いで便利屋を出て米戸の車に乗り込む。急いでナビを設定。無茶な車線変更、法定速度ギリギリでの走行。行きた心地のしない危険な運転だったが、今は早く着きさえすればどうだっていい。


「アズマの住所が戸成町じゃないということは、アズマの隣という考え方でいいんでしょうか?」

「そこがまだわからないな。いずれにせよ、急いだほうがいいことは確かだ。」

「そうですよね、早く志穂さんを助けてあげないと。」

「最後のアリガトウが気になるんだ。普通ならもっと手掛かりを送ることに時間をかけるだろうに、志穂さんは感謝を伝えることを選んだ。」

「そ・・それって、もしかして・・。」

「命が危ないと感じていたのかもしれない。」


米戸の車の中は重い空気で満たされる。一刻も早く辿り着きたい。この場にいる全員がそう思っていた。


「ついたぞ。ミラージュ荘だ。」


お世辞にも綺麗とは言えない二階建てのアパート。その古さはカンパーニュと肩を並べるだろう。防犯設備の類はなく、入ろうと思えば誰でも敷地内に入ることができるようになっていた。


「素暗はここにいてくれ。米戸さん、行きますよ。」

「おう。」

「わ、私も行きます!」

「ダメだ、ここにいろ。」

「で、でも!」

「素暗ちゃん、素暗ちゃんは警察に通報する準備をしておいてくれ。」

「・・はい。」


荒木も米戸も、素暗がみたことがないくらい真剣な顔をしていた。真剣な顔で二階へと続く階段を登っていく2人。素暗はスマホを両手に握りしめて、不安そうに2人を見つめるのであった。


「アズマ・・。引っ越してはいないみたいですね。」

「そうだな。」


表札を確認すると「あずま」と書かれている。インターホンがついていないので扉を叩くしかなさそうだ。荒木は唾を飲み込み、拳を握りしめる。緊張して今にも心臓がどこかに飛んでいってしまいそうだ。


「東さん!いらっしゃいませんか?」


勇気を振り絞って扉を叩く。反応はなかった。


「あの、東さん!」


もう一度叩いてみる。返事はない。拍子抜けだ。たまたま留守にしているだけか?志穂さんは中にいるのだろうか?様々な考えが荒木の脳内をよぎる。すると東の隣の部屋203号室の扉が開き、お爺さんが顔を出した。


「君ら、ここの住人にようか?」

「は、はい。すみませんうるさかったですか?今いないみたいで・・。」

「ああ、いいんだよ。ここの壁が薄いのが悪い。それに、ここの人なら最近は家に帰ってきてないと思うよ。」

「そうなんですか?」

「ああ。君ら友達か?ここの子、最近見てないし、前まではよく夜中に大音量で音楽を流していてね。最近は聞こえないからね。」

「そうでしたか・・。ちなみにいつから聞こえないってわかったりしますか?」

「あー・・・10日前ぐらいか・・?ここ1週間は聞いてないね。」

「・・!そうでしたか。ありがとうございます。今日は帰ります。わざわざありがとうございました。」

「おう。」


荒木達はお爺さんに別れを告げ、階段を降りる。どこかホッとしたような顔で素暗が駆け寄る。


「アズマは、いなかったんですか?」

「ああ。一旦、便利屋に戻ろう。ここにいないとなると、どこにいるか考えなきゃならない。」


3人は再び米戸の車に乗り込む。今度は安全運転で帰ることにした。


「1週間ほど前からアズマが家に帰っていないとすると、志穂さんからの連絡が帰ってこない時期と一致しますよね。」

「そうだな。東が杉村さんに何らかの危害を加えたとしてみると・・。」

「あとはどこにいるかだな。」

「そうですね。」

「でもそれなら、きっと杉村さんが送ってきたメッセージのトナリっていうのは、きっと戸成町のことで間違い無いですね!」


3人はスマホの地図を見て考え込む。戸成市は忠野市の隣に位置するこれまた何の変哲もない街。戸成市民と忠野市民は日々やれどちらの方が栄えているだのどちらの方が公園が多いだのと張り合っているが、どんぐりの背比べである。


「うーん。難しいな。戸成市ってあんまり知らないんだよなあ。」

「俺もです。素暗は知ってるか?」

「私もあんまり詳しくなくって。」


忠野市は都会ではないが田舎でもない。スーパー、外食チェーン、ちょっとしたショッピングモールなど、大抵のものは揃っている。忠野市民の生活圏はほとんど忠野市で収まってしまうのである。


「となりぃらんどぐらいしか知らないですね。」

「そうだな。おれもとなりぃらんどぐらいしか知らないな。」


となりぃらんどとは、戸成市にある小さな遊園地のことで、戸成市近辺の子供達は一度は行ったことのある場所である。もちろん荒木達も例外ではない。


「でも、戸成市も忠野市も普通の住宅街とかだと全然違いわかりませんよね。」

「確かに!そうだよな。志穂さんはどうして自分が戸成市にいるかもしれないとわかったんだ?」


そう。戸成市も忠野市も日本にあることに間違いない。しかも隣に位置するのだから、目に見える変化などない。大部分が住宅街を占める両市を見分けることはたとえどちらかの市民であっても困難だろう。違いといえば・・・!


『となりぃらんど!!!』


3人の声が完全に一つになる。戸成市と忠野市の違い。それはとなりぃらんどの有無!


「志穂さんはきっととなりぃらんどを見たんだ!」

「じゃあとなりぃらんどのそばにいるってことですよね!」

「となりぃらんどの近くの、人がいられそうなところだ!探せ!」


3人は地図でとなりぃらんどの近くを探す。となりぃらんどの周りには大した建物はなく、選択肢は一つに絞られた。


「この廃工場に志穂さんがいる可能性が高いと思うんだが。」


荒木がスマホ上に表示したのは小さな工場。となりぃらんどの隣に位置していて、窓から覗けばとなりぃらんどの観覧車が見えることだろう。


「そうですね。私もそう思います!」

「そこに、いくのか?」

「・・どう思います?」


警察に任せた方がいい。そう思った。俺達は所詮一般人。廃工場に入る権限もなければ武道の心得もない。志穂さんを見つけたとして、どうすれば良いのだろうか。東を捕まえられる保証はない上、最悪の場合志穂さんや素暗達にも被害が及ぶかもしれない。


『・・・。』


3人とも、同じようなことを考えているのだろう。便利屋の中には外で遊ぶ子ども達の声だけが聞こえる。荒木は思い出した。昨日の依頼人の姿、今日の依頼人の焦った声。志穂さんから送られてきたありがとうのメッセージ。


「俺、廃工場に行ってきます。」


1人で行くつもりだった。頭では理解しているが、心は納得しなかった。荒木の中で沸き起こった衝動は抑えることができなかった。2人を巻き込むわけにはいかなかった。


「私も行きます。」

「俺1人でいい。わかってるのか?危険なんだ。」

「わかってます!でも、この依頼、受けたのは私です。」


荒木の腕をしっかりと掴みまっすぐと見つめる素暗。確かにこの依頼は素暗に受けさせられたようなものだが・・・。


「それに私、作戦があります!絶対役に立ちますから!」

「・・・お前・・。危なかったら俺をおいて逃げろよ。」

「・・・は、い。もちろんです!」


荒木はふっと微笑み、素暗の頭を撫でる。2人は便利屋の扉を開けて外に出ようとする。


「ちょっと待ったあ!お二人さん、どうやってとなりぃらんどまで行くつもりだい?」


愛車の鍵を人差し指でくるくると回しながら2人にドヤ顔を見せつける米戸。


「電車で行きますよ。」

「先輩、行きましょ。」

「ちょ、待てよお!一緒に行くって意味だろ?わかれっての!」


3人はゆっくりと米戸の車に向かう。


「米戸さん、ちょっと寄って欲しいところがあるんですけど。」

「任せて素暗ちゃん!」


荒木達を乗せた真っ黒のスポーツカーは太陽に向かってまっすぐに突き進んでいった。




「さってっと!いやあいいかくれんぼ日和ですねえ米戸さん!」

「いやあ確かにそうだなあ荒木!」


となりぃらんど横、廃工場。何も荒木達はおかしくなったわけではない。となりぃらんどで遊んだあと、遊び足りずに廃工場でかくれんぼをしていたところ、たまたま、偶然、志穂さんを見つけた!というのが素暗のたてた筋書きもとい作戦である。荒木達はとなりぃらんど帰りの若者像を演出すべく、素暗の家から持ってきたとなりぃらんど公式マスコットキャラクター、となりぃすの耳カチューシャを装着している。


「2人とも、もっと自然にしてください!感づかれたら終わりなんですからね!」


そう。荒木達がここに来るのに当たって最も恐れていることが、荒木達が志穂さんを探しにきたということが東にばれてしまうこと。その点、素暗の作戦ならば、調子に乗った大学生感を演出できるはずだ。つまり俺達が志穂さんを見つけられなくても何ら問題はない!はずだ。


『最初はぐー!じゃんけんぽん!』

「じゃあ素暗が鬼な!行きましょ!米戸さん!」

「すぐにみつけますからね!」


荒木と米戸は廃工場の中に入っていく。ここで2人は被害者を探す。集合は一時間後。それが経っても志穂さんが見つからないのなら、あとは警察に任せる。その考えは3人の中で一致していた。荒木達が踏み込んだ廃工場の中は思っていたよりも広く、薄暗かった。もうすでに日は沈みかけている。荒木も米戸もスマホのライトで辺りを照らしながら少しずつ進んでいく。恐怖というのももちろんあったが、足元に転がっている鉄パイプが荒木達の足の進みをさらに遅らせる。


「米戸さん、二手に別れましょう。俺はこっち行きます。」

「おう。気をつけろよ。」


入ってすぐの階段を右と左に分かれる。手前側のドアから、一つずつ。そっと開けては中を探すことを繰り返す。


「うーん。なかなか隠れられそうなところ、ないなあ。」


もちろんかくれんぼをしにきたという雰囲気を出すことも忘れてはならない。静かな廃工場の中には荒木の足音のみが響く。人の気配が感じられないまま、30分がたった。志穂さんはここにはいないのかもしれない。荒木がそう思い始めた時。スマホにメッセージが届いた。


「おい、見つけたぞ!」

「左の2階の1番奥の部屋だ!これるか?」

「すぐ行きます!」


荒木は階段を駆け降りてすぐまた登る。米戸のいう部屋に入ると、部屋の隅で米戸が女性を抱き抱えていた。


「ひっ!」


近づく荒木に怯える女性。


「大丈夫。あいつは僕の友人です。」

「ご、ごめんなさい・・・。」

「いいんです。無事でよかった。」

「志穂さんで間違いない。連れてくぞ。車まで。」

「お願いします。」


米戸は志穂さんを抱き抱えて歩き出す。志穂さんが着ている服は擦り切れて汚れ、志穂さん自身もとても疲れているように見えた。荒木は足元の鉄パイプを蹴って退けながら米戸の前を歩いていく。


「僕たち、便利屋を営んでいましてね。依頼を受けて志穂さんを探しにきたんです。」


便利屋を営んでいるのは俺だ!米戸勉!志穂さんに向かって爽やかに微笑みかける米戸。それを睨む荒木。杉村の視線が荒木の方に向けられることはない。


「それで・・志穂さんを攫った犯人はどこに?」

「・・少し前、ちょうど十分ぐらい前に部屋を出て行きました。窓から飛び降りて。」


米戸に出会わなかったことがこちらとしてはラッキーだった。それにしても、犯人はどこに行ったのだろうか。まさか、逃げた?


「きゃああ!」

「!?」


工場の外から叫び声が聞こえてくる。東だ。そう思った瞬間、荒木は足元に落ちていた鉄パイプを拾って走り出す。


「素暗!」


米戸も後を追おうとする。がしかし、杉村を抱えた状態では素早く動くことができない。


「素暗ちゃん!」

「ご友人ですか?大変!」


2人をおいて、荒木は廃工場の外に飛び出した。見えたのは米戸の車、そばに立つ大男、そしてその男に刃物を向けられている素暗。


「待て!両手を上げろっ東!」


素暗と東は荒木の方を向く。


「お前がそれをおけ。」


東が静かに命令する。少しずつ荒木の方に近づく素暗。


「動くな!」


そう言って米戸の車を蹴る東。ドン!と音が響き、米戸の車が少し凹む。素暗は足を止める。そしてゆっくりと素暗に歩み寄り、素暗の細い首に包丁を突きつける。


「せっ・・・先輩・・・!」


瞳だけをこちらに向け、声を絞り出す素暗。手も、声も震えている。


「それをおけ。」


素暗に包丁を突きつけながら荒木に向かって指をさす東。荒木は鉄パイプを遠くに転がして、両手を上げる。


「車はもらってくぜ。鍵よこせ。」

「あ・・ああ。ほら、鍵だ。」


運転席の方に回り込む東。荒木は東に向かって鍵を投げる。


「素暗!」

「先輩っ!」


素暗を呼ぶ荒木。素暗は荒木の方へと走り出す。


「おい!この鍵、どこの鍵だ!開かねえじゃねえか!」


ドン!っと車を叩き、荒木の鍵を放り投げる東。そう。これは米戸の車。荒木は鍵など持っているはずがない。先ほど投げたのは便利屋の鍵だ。


「このやろおおおおお!」

「いやあ!」

「素暗、逃げろ!」


包丁を握り締め、切り掛かってくる東。素暗を工場の方へと押し、東の通り道を塞ぐように立つ荒木。


「ぐっああ!」


腹に鈍い痛みを感じるとともに、暖かいものが溢れ出てくる。荒木はその場で膝をつく。包丁は刺さったままだ。こういう時は包丁を抜いてはいけないってどこかで聞いたっけ。


「おらあ!舐めんじゃねえぞ!」


東は膝をついた荒木の肩のあたりを蹴る。荒木は横たわる。


「先輩っ!先輩っ!」


素暗が荒木に駆け寄り、そばに座り込む。


「先輩っ!死なないで・・やだっ。」


荒木の視界は暗い空と素暗の泣き顔で埋まる。握られた手はとても冷たい。俺、そんなに酷い怪我か?


「おい、鍵よこしやがれ。」


歩み寄ってくる東。素暗は立ち上がり、手を広げる。


「・・・鍵は私が持ってるの。ほんとよ。開けてあげる。ついてきて。」


 素暗はゆっくりと東に近寄り、通りすぎ、車の方へと向かう。おい、お前も鍵持ってないだろ・・、待てよ、素暗、・・思いは声にならず、伸ばした手は何もつかめなかった。少しずつ遠ざかっていく足音。おい、米戸、何やってるんだよ!必死に顔を動かす。素暗の後に東がゆっくりとついていった。


「お・・・いっ待てよっ・・・・!」


荒木の声は届かない。包丁は持っていないとはいえ、相手はガタイのいい男だ。素暗に勝ち目はない。時間稼ぎのつもりか?


「そ・・くら・・!」

「まかせろ。」


声が聞こえたと同時に荒木の上を飛び越える黒い影。


「うおおお!!!」

「っこの!」


東に向かって飛びかかる米戸、闇夜にひかる鉄パイプ。東のガードは間に合わず、ゴン!と鈍い音を立てて倒れる東。米戸さん・・・!


「うああああ!」


安心したからなのだろうか、腹の痛みが強くなる。


「先輩!先輩!・・救急車・・!」


荒木はコートに染みる暖かさを感じた。次第に視界がかすみだす。


「荒木!しっかりしろ!」

「先輩!・・・ぱいっ!・・・・!」


感じたのはほんのり暖かい手と遠くで聞こえるサイレンの音。見たものは素暗の涙と焦った米戸の顔。荒木はゆっくりと目を閉じた。


「先輩!先輩!返事してください!やだああ!」

「おい荒木!?荒木!?」


静かな森の中に響く声。取り乱す2人。少しして警察と救急車が到着し、荒木は運ばれていった。




「ねえっ、先輩、覚えてっますか?・・・っ前にも、私先輩に助けてもらったんですよっ」

「先輩はっなんで私がずっと便利屋にっ居座ってるのかって不っ思議そうにっしてましたけど、ほんとっにっわからないんですか?」

「・・・返事してくださいっお願いだからあっ」


忠野市立病院、3階。荒木の寝るベッドに突っ伏して泣く素暗。


「ねえ、先輩っ先輩ってばあ。」

「・・・何だよ、素暗。」

「幻聴?それでもいいです、先輩っお願いしますっ三途の川なんて泳いで戻ってきてくださいっ!」

「おい、わざとか?素暗、ありがとな、こんなに心配してくれて。」


荒木は素暗の頭に手を置き、そっと撫でる。


「・・・!?せっ先輩!」


きょとんとした顔で荒木を見つめる素暗。ずっと泣いていたのだろうか。目は赤く腫れ、いつもバッチリ決まっているメイクもないように見える。


「あー・・おはよう?俺は生きてるよな?」

「・・・ゼンバイッバダジッバダジッ・・ワアアアンイギデデヨガッダア!!」

「???とりあえず落ち着いてくれよ素暗。」


素暗が泣き止む気配はない。まあ、それほど心配をかけたってことだ。悪いことしたなあ。荒木は素暗のことをそっと撫でながら辺りを見渡す。爽やかな白い壁、清潔感のある枕。腕に繋がれた点滴。ここは病院で間違いないだろう。さて、どうしたものか。辺りを見渡しても人は素暗しかいない。そして素暗は今話ができない状態だ。


「ゼンバアアイイ!ヨガッダアアア!!!」


抱きついてくる素暗。


「いだあっ!!」

「はっごめんなさい先輩!」


素暗に抱きつかれた瞬間に腹に痛みを感じる。素暗の頭が当たったのだ。


「ぐううっ!!」

「大変!ナースコール!」


顔を歪ませる荒木、ベッドについているスイッチを押す素暗。駆けつけてくれた看護師さん。


「あ!荒木さん起きた!よかったわね、素暗ちゃん!お家に電話してくるわね!」

「よ・・よろしくお願いします・・。」


腹をさする荒木。看護師さんが駆けつけるころには痛みは引いていたが、願うことならもうこの痛みは経験したくない。


「今、何日だ?」

「20日です。一昨日の夜、この病院に運ばれてから、ずっと寝てたんですよ。」


素暗曰く、俺は一昨日救急車で病院に運ばれた後、緊急手術。刺さりどころが悪かったようで、今が冬じゃなければ、夏のような薄着だったら俺は死んでいたらしい。寒さに感謝したのは生まれて初めてだ。数十分後、親が駆けつけてきて、お医者さんからも詳しい説明を受けた。素暗は俺が病院に運ばれてからまともに寝ていなかったらしく、俺の親に挨拶をしてすぐに、病室に置いてあったソファで眠ってしまった。


「まあ、雷、2日ぐらい入院してきなさい。しっかり治してくるのよ!」

「素暗ちゃんにも感謝するんだぞ。ずっと看病しててくれたんだからな。」

「わかってるよ。またな。」


騒がしい両親が帰り、荒木は一息つく。俺の親、息子が死ぬかも知れねえってのに、呑気じゃねえか!まあ持ってきてくれたゼリーは俺の好物だったが。荒木はふと、すやすやと眠る素暗を見つめる。赤く腫れた目、乱れた髪、頬をつたう涙の跡。荒木はそっとベッドから降りて素暗に近づく。かがみ込んで、素暗の顔を覗き込む。小さな唇に吸い寄せられて・・・・


「失礼します。戸成市警です。」

「米戸だ。入るぜ。」

「杉村です。失礼します。」

「あっちょっちょ!僕は無罪です!・・・いだああ!」


未遂なのに!荒木は慌てて素暗から距離を取り、両手を上げる。怪我人には無茶な動きか。飛び上がった勢いのまま地面にうずくまる荒木。


「大丈夫ですか!?落ち着いてください。あなたを逮捕する気はありませんから。」

「大丈夫か?荒木。」

「荒木さん・・看護師さんお呼びしましょうか?」

「大丈夫です・・。いたた。」


荒木は屈強な警察官の腕を借りてベッドに戻る。荒木が横になるベッドの周りを皆が取り囲む。


「荒木さん、この度は娘を助けてくださり、誠にありがとうございます。大怪我を負わせてしまって、本当にすみません。こちら、よければお食べください。」


そう言ってフルーツ盛り合わせを差し出してくる杉村夫妻。


「ええ!お気遣いありがとうございます。」

「本当に、ありがとうございます!」

「ど、どういたしまして・・。」


改めて頭を下げる杉村夫妻、そして志穂さん。俺は知らぬ間に何か法を犯してはいないだろうか。警察に見守られながら果物のカゴを受け取る。


「初めまして、戸成市警、巡査の鈴木です!」

「巡査部長の佐藤です。」

「初めまして・・。」


なぜかソワソワする荒木。事情聴取というやつをされる。志穂さんを攫ったのはやはり東。東はあのあと逮捕され、現在は裁判待ちだそう。しばらくして、警察は満足そうに帰って行った。杉村さん達も何度も何度も頭を下げて、帰っていった。


「依頼料は、バッチリもらっておいたからな。家賃の分を差し引いて、お前の口座にちゃんと入れてるから、後で確認しておけ。」

「げっ!米戸さんに取られてるじゃないですか!」

「家賃は払うべきものなんだよっ!!」


荒木の頬を引っ張る米戸。軽く抵抗する荒木。


「・・・!私、寝てました?!」

「あ、やっと起きたか、素暗。ずっと寝てなかったんだろ?大丈夫か?」

「素暗ちゃん、おはよう。」


窓の外はもうすっかり暗くなっている。


「米戸さん、カーテンしめてくれません?」

「しょうがねえな。ま、俺はもう帰るぜ。回復してよかったな、荒木。」

「素暗も、もう暗いし、帰れよ。」

「送って行こうか?素暗ちゃん。」

「じゃ、じゃあお願いします。」


米戸は意気揚々と、素暗は名残惜しそうに病室を後にした。荒木は大きな欠伸をする。なんだかどっと疲れた気がする。荒木は早めに寝ることにした。




「今日、空いてますか?」


12月24日、素暗から送られてきた一通のメッセージ。荒木は怪我が治るまで、便利屋を開けることもない。つまり、暇である。


「空いてるぞ。」


迷いなく、返事をする。


「イルミネーション一緒に観に行きませんか?」

「いいぞ。」

「じゃあ、夕方5時、駅前集合で!」

「わかった。」


用意しないとな。昨日退院してから、なんだか実感が湧かない。普通の人なら経験しないようなことを一気に経験したのだから。何かの漫画の主人公みたいだ。荒木はゆっくりと立ち上がり、カバンを出す。数少ない服から、比較的綺麗なものを選ぶ。


「あれ、雷、どっかいくの?」

「ああ。ちょっとイルミネーション見てくる。」


歯を磨き、顔を洗う。時計に目をやると、4時。早めにつくことを考えると、4時半ぐらいに出るのが正解か?


「行ってきます。」


準備を終えると荒木はすぐに家を出た。どこかソワソワした気分で歩いていく。吐く息は白く、遠くの山が綺麗に見える。


「素暗?」


荒木は早歩きで素暗に近づく。駅前の花壇の前に素暗は立っていた。


「ごめん。待たせたな。」

「せ、先輩!?早いですね。」


時刻は16時30分。一体いつから待っていたのだろうか。素暗の頬も、耳も、赤く染まっている。


「いつからいたんだ?早めにきたつもりだったのにな。」

「いいえ!全然待ってなんかいませんから!」

「で、イルミネーション見にいくんだっけ?」

「はい。すこし歩くんですけど・・、体調は大丈夫そうですか?」

「大丈夫。激しい運動じゃなきゃ平気さ。」

「無理そうだったら早めに言ってくださいね。」


素暗について、歩いていく。少し山の方に向かっていくようだ。


「おっ!中学!懐かしいな。」

「そうですね。」

「そういえば素暗と初めてあったのもここだよな。」

「・・そうですね。」


荒木達の母校の前を通る。そういえば、なんで素暗と俺は知り合ったのだろうか。


「俺たちって、なんで仲良くなったんだっけ?」

「そ、それは・・」


言い淀む素暗。荒木は記憶を一通り探してみるが、大した頭ではない。中学の時の記憶はほとんど残っていなかった。


「先輩が・・・先輩が、私のこと、助けてくれたからです。」

「・・・?俺素暗のこと助けたっけ?」

「もう!忘れちゃったんですか?」


素暗は信じられないと言った様子で振り返る。


「はあ。やっぱり先輩は先輩かあ。」

「どういうことだよっ!」


呆れる様子の素暗。スタスタと歩いて行ってしまう。


「ま、待ってくれよお、素暗あ・・。」

「もうすぐ着きますよ。しっかりついてきてください。」


素暗は中学の裏にある小さな山を登っていく。ここには確か、小さな神社があったはずだ。


「ここ、綺麗に見えるよなあ、イルミネーション。」

「先輩が教えてくれたんですよ。」


石段を登っていく2人。頂上は少し開けていて、この辺りでは1番高い場所になっている。わざわざ高いところからイルミネーションを見たいという人は稀なのであろう。人はおらず、貸切状態だった。少し先に行っていた素暗が柵の手前まで行っているのを見て、荒木も追いかける。


「私、昔からこの名前を揶揄われることが多かったんです。小学校の時に散々揶揄われて、中学校でも変わらないんだろうなって思ってました。」


素暗は柵から遠くを見ながら、口を開く。荒木はその場で立ち止まり、素暗の後ろ姿を見つめる。


「中学校に入学した時、やっぱり揶揄われて。先輩達も私のことを揶揄って。私、泣いちゃったんですよ。覚えてますか?」


少しずつ思い出していく。放課後、そう、あれは先生に呼び出されて怒られた日の帰り道。啜り泣く後輩、それを囲む大柄な同級生達。今思えばきっと素暗とお近づきになりたかったのだろう。


「私が泣いてたら、先輩が通りかかって、なんて言ったか・・・覚えてますか?」


その時の光景が鮮明に浮かぶ。やめろ、素暗、あの時代は俺の不滅エターナル暗黒ダークネス記録メモリー!!!


「俺の名はアレキサンダー。貴様らの名はどれも平凡だな。僻みか?・・って言ったんですよ。」


少し低い声で、クスクスと笑いながら素暗はいう。腹の傷とは別の傷口が開いた気がする。いや、心なしか腹も痛くなってきた。


「今思えば、すっごく厨二病って感じなんですけど、その時私、すっごく嬉しかったんです。しかも私を揶揄ってた先輩達も、それからは全く話しかけてこなりましたし。」


そう。それからというもの、素暗はことあるごとに俺の教室を訪ねてくるようになった。素暗を揶揄っていた同級生達が素暗を揶揄わなくなったのはきっと、当時クラスで浮いていた俺と仲良くなったからなのだろう。


「これが先輩と私の出会いです。思い出しましたか?」

「ああ。しっかりと。」


思い出さなくていいとこまで思い出したけどな!!日は沈みかけて、だんだん暗くなっていく。


「先輩、私、大学卒業したら忠野市から引っ越すんです。だから、今日言わせてください。」


くるりと振り返って荒木を見つめる素暗。手はかすかに震え、何度も深呼吸している。素暗の心臓が跳ねる音が聞こえてきそうだ。


「私、私・・・!私、を!荒木あれきテスにしてください!!!!」


差し出される手。つぶられた目。迷う。素暗には俺よりもいい人がいる。そう思った。まだ出会っていないだけ。そう、もしかしたら就職先で出会うかもしれない。


「先輩よりいい人はいません!先輩に振られたら私、一生独身でいます!」


荒木は素暗の手を引っ張り、抱きしめる。


「俺が素暗そくらさんだーになるんじゃダメ?」

「ダメです。私が荒木テスになるんです。」


真っ赤な顔で荒木を見つめる素暗。


「俺よりいい人、見つけても知らないからな。」

「大丈夫です。私の中で先輩は、誰よりも輝いて見えてますから!」


吸い寄せられるように2人は顔を近づける。高鳴る鼓動、重なる唇。


2人を取り囲む街も、夜空も。全てがキラキラと輝いていた。


















































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キラ 野原広 @hiro-nohara

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